⑤魔法の試し打ち_いわゆる”的あて”
イグネイトが来てから数日。
指輪とリカが「危険ではない」と一応判断され、私の謹慎も解かれた。
私が真っ先に向かったのは、屋敷の中庭にある魔法訓練場だった。
使用人に探らせたところ、弟のレオは今日もいつも通り訓練中。
ちょうど今は魔法訓練の時間だという。
レオと話して、少しでも関係を良くするきっかけがほしかった。
それに――指輪のおかげで増えた魔力を、一刻も早く試してみたかった。
◆ ◆ ◆
中庭の奥の訓練場に出ると、ヴァルデン家の私兵たちが戦闘訓練の真っ最中だった。
私に気づいた兵が一人、すぐに膝をついて礼をし、隊長のもとへ走る。
短くやり取りを交わしたあと、号令が響いた。
「訓練、中断! マティルダ様、ご到着! 全員、敬礼!」
一糸乱れぬ動きで、兵たちが一斉に私へ敬礼を向ける。
太陽の光を反射する胸甲が、同じ角度で一斉にきらめいた。
(……悪くない眺め)
少しだけくすぐったい気分になりながら、私はざっと視線を巡らせる。
ただ一人、敬礼していない影があった。
訓練場の端で、手首で額の汗をぬぐっている少年。
濡れたような蒼い瞳は、こちらを見ず、地面の一点を見つめている。
レオだ。
本当は、真っ先にあの子のところへ歩いて行きたかった。
でも、侯爵家の長女として、兵たちの前で私情を優先するわけにはいかない。
私は気持ちを抑えて、まずは兵たちへ向き直る。
「皆、よくやっているわ。今日も精進を忘れないで」
私の一言を合図に、隊長が再び号令をかける。
兵たちはそれぞれ持ち場へ散り、訓練を再開した。
背中で掛け声が遠ざかるのを聞きながら、私はようやく、レオのもとへ向かう。
◆ ◆ ◆
弟、レオルド・ヴァルデンの印象は――ひと言でいえば「研がれた刃」。
まだ成長期の年頃なのに、すでに同年代の少年たちより一回り背が高い。
痩せすぎでも、筋骨隆々すぎるわけでもない。
無駄のない筋肉が全身にバランスよくついていて、しなやかな長身を形作っている。
髪は少し長めの金髪。
前髪は視界を邪魔しないようきちんと揃えられ、後ろは襟にかかる程度で、乱れなく整えられている。
飾り気はない。ただ実用的で整った髪型。
それが、とてもレオらしい。
距離が近づくほど、頭の中のリカがどんどん騒がしくなっていった。
『うわー! レオ様だーーーー!!』
『今はまだちょっと幼いけど、本編の“完成形レオ”にショタ要素がちょっと残ってる感じで……最高の瞬間じゃない?』
勢いよく叫んだかと思えば、すぐに解説モードに入る。
『綺麗な金髪、整った輪郭、真っすぐ通った鼻筋。そこに、切れ長の淡い蒼い瞳……』
『黄金の風に揺れる、澄んだ湖面の青。
“少年”から“青年”に変わる一瞬だけの儚さ……』
『その破壊力、もはや暴力。私の心臓にクリティカルヒット……ぐはっ……!
尊さでまた死ぬ……輸血を……』
(あなた、は幽霊なんでしょうに)
美形の男性を見ると、リカはだいたいこんな調子になる。
ただ今日は、いつにも増してひどい。
私は頭の中の騒音を、意識的にノイズとして切り捨てる。
そして、ごく自然な笑みを作り、レオに声をかけた。
「――あら、レオ。ごきげんよう」
「こんなところで会うなんて、奇遇ね。魔法の練習?」
レオは、ちらりとこちらを一瞥してから、軽く会釈をした。
「……火の魔法です」
それだけ言うと、すぐに背を向けて稽古へ戻ろうとする。
表情は薄く、声も感情の色がほとんどない。
それが、今のレオの“普通”だ。
(本当に、“冷徹な男”になりつつあるのね)
「つれないのね」
私はわざと、からかうような口調で続けた。
「今から私が“大魔法”を撃つところよ? 見なくていいの?」
レオの足が、一瞬だけ止まる。
表情は変わらない。
けれど、ほんの少しだけ迷う気配が伝わってきた。
「……分かりました」
短くそう言って、きちんとした足取りで私の後ろへついてくる。
『え、なんか、兄弟なのに距離感かたくない……?』
頭の中で、リカが不安そうにつぶやく。
『これ、本当に仲良くなれるのかな……』
(そうかしら)
少なくとも、完全に無視されているわけではない。
思春期の弟なんて、だいたいこんなものだろう。
私はそう割り切り、レオを伴って魔法訓練用の標的が並ぶ中央へ向かった。
◆ ◆ ◆
大魔法は、普通の攻撃魔法とは威力の桁が違う。
だからこそ、周囲への被害を防ぐための準備が必要になる。
訓練場の中央は、すでに準備が整っていた。
大きな標的が中央に立ち、その周囲を半透明の魔法防壁がぐるりと囲む。
地面には、防振と衝撃拡散のための魔法陣がいくつも描かれている。
それを見た瞬間、頭の中でリカのテンションが跳ね上がった。
『出た! THE・的あて!!』
『これぞ異世界の醍醐味! この的をどう粉砕するかが重要なのよ! やっちゃえ、マティルダ!』
(的を壊すこと自体が目的なの?)
内心で呆れながらも、なぜそう言う文化なのかの疑問の方が思考を支配する。
その直後もリカは、
『あえて外して、後ろの壁まで吹き飛ばすのもアリだよね』
『“やりすぎちゃった、てへ☆”で皆をドン引きさせるくらいがちょうどいいって!』
と、相変わらずろくでもない「案」を次々投げてきたので、
私は彼女の声をきっぱり無視して、魔法の準備に集中することにした。
兵士長が、やや緊張した様子で近づいてくる。
「お嬢様。本日の魔法の出力は、いかがなさいますか?」
私は迷わず答えた。
「最大で。防壁には、できる限り強化魔法をかけておいて」
きっぱりした口調。
兵士長は一瞬目を見開き、すぐに顔を引き締めて頷いた。
「承知しました。――結界班、全力で防壁を強化せよ!」
数人の魔法兵が前へ出て、防壁へ次々と魔力を流し込む。
淡かった結界が、塗り重ねられたように色を濃くし、幾重もの光の層をまとっていく。
「他の兵にも、見学させてもよろしいでしょうか」
兵士長の声には、控えめな期待がにじんでいた。
「構わないわ」
「ただし、今日はいつもより威力が高い。
皆、できるだけ下がっておきなさい。――巻き込まれても、私は責任を取らないわよ?」
冗談めかした一言に、場の空気がぴりっと引き締まる。
兵たちは互いに距離を取り、訓練場の外周近くまで退いた。
レオは――他の兵よりわずかに前。
何かあったとき、すぐ動ける絶妙な位置で様子を見ていた。
私は深く息を吸い、余計な考えをすべて押し流す。
意識を、体の奥にある魔力の源へまっすぐ沈める。
指にはめた指輪が、かすかに熱を帯びる。
琥珀の石が、心臓の鼓動に合わせて、ゆっくりと明滅した。
魔法の流れは、いつも通り。
陣を展開し、魔力を巡らせ、属性を指定し、狙いを決め、出力を調整する。
足元に淡い光の線が走り、複雑な魔法陣が描き出される。
陣は、魔力の飛散を防ぐ“器”であり、私の魔力を反射・共鳴させて増幅させる“枠”でもある。
外周を流れる魔力が一周して戻り、再び中心へ落ちる。
それを繰り返すたび、陣の魔力と私自身の魔力がひとつの流れにまとまっていく。
(……驚くほど、噛み合ってる)
次に、魔力を属性へと変換する。
私の得意属性は、土。
大地の力。
指先から放った魔力が、地面を通して深く沈みこんでいく。
重く、安定し、強靭な“土”の気配が、じわじわと陣の中に満ちていく。
背後から、押し殺した息の音がいくつも重なった。
兵たちも、レオも、私の背中に視線を突き刺しているのが分かる。
(驚くのは、ここからよ)
魔力を「大量に込める」だけなら、才能と体力さえあればできる。
大事なのは――その“粒”ひとつひとつを、ぴたりと揃えること。
今日は、異様なくらい調子がよかった。
魔力の粒子が、まるで忠実な執事のように、私の意志に従って動いていく。
少し力を傾けるだけで、綺麗にそろって流れ、淀みがない。
(……ここまでなのは、初めてね)
土属性に染め上げられた魔力が、爆発寸前の勢いで渦巻いている。
私は、その流れに明確な“行き先”を与えた。
標的の足元、地面のさらに下。
そこに熱と圧力を一点集中させるよう、魔力をねじ込む。
喉の奥で、詠唱の最後の一節を結ぶ。
「――ラー・ヴァブレイズ!」
発動の合図と同時に、世界の底が破れた。
標的の足元から、巨大な轟音とともにマグマが噴き上がる。
赤黒い溶岩柱が、土と石を押しのけながら一気に立ち上がり、標的を根こそぎ呑み込んだ。
木で出来た的は、燃える暇さえなく、一瞬で形を失う。
噴き上がったマグマが半球状に広がり、床の防壁へとぶつかる。
「防壁、出力最大――!」
誰かが叫んだときには、もう遅かった。
超高温のマグマが、防壁にひび割れを走らせ、光の膜を食い破っていく。
結界がきりきりと悲鳴を上げるような音を立てながら、じわじわと耐久を削られていく。
漏れ出した熱が、石造りの床をも溶かしはじめた。
地面の石板が赤く染まり、どろどろと形を失っていく。
標的から二十メートル以上離れていても、防御魔法なしでは肌を焼かれるほどの熱気。
訓練場の空気そのものが、一瞬で「焼けた鉄」の匂いに変わった。
兵たちの間から、押し殺したような声が漏れる。
「う、わあ……」
『…………』
さっきまでうるさかったリカですら、言葉を失っていた。
やがて溶岩の噴出がおさまり、
橙色に光る塊が、じゅうじゅうと音を立てながら黒い岩へと冷え固まっていく。
――土属性最強の一撃。
《ラー・ヴァブレイズ》。
この大陸で、この魔法をまともに扱える魔術師は、片手で数えるほど。
私は、一年前にようやく習得した。
当初は威力ばかりが先行し、制御が追いつかないことも多かった。
訓練場を半壊させたり、廃鉱山の地形を変えてしまったりして、父やハンネスを何度も困らせた。
けれど、今の一撃は――
最大に近い出力を出しながら、暴走も外への被害も、以前とは比べものにならないほど抑え込めている。
(……これが、“指輪の補正”ってわけね)
私はゆっくりと振り返り、スカートの裾をつまんで、わざと大げさに一礼してみせた。
一瞬、静寂。
次の瞬間――
「お、おおおおおおっ!!」「すげぇ……」「これが……究極の魔法……!」
呆然としていた兵たちから、どっと歓声が湧き起こる。
驚きと恐れと興奮が入り混じった声が、熱気を帯びた空気をさらに揺らした。
(……まあ、これくらいでそんなに騒がなくても)
内心で肩をすくめつつ、私は兵士長へ目をやる。
「見とれているのもいいけれど、早く“消火”なさいな。
さすがに、ちょっと暑いわ」
軽く笑いながら言うと、兵士長は肩をびくりと震わせた。
「は、はいっ! ただちに!」
顔を赤くしながら部下たちに指示を飛ばす。
魔法兵が前に出て、熱を残した床へ水の魔法を次々と叩き込む。
ばちん、と破裂音のような音がして、白い蒸気が一気に立ちこめた。
その様子を横目に見ながら、私は少し離れた場所に立つレオのもとへ向かう。
「どう?」
正面に立ち、ほんの少しだけ顎を上げて尋ねる。
「これが、“大魔法”よ」
熱で乱れた前髪の隙間から、レオの瞳が私を見る。
相変わらず、表情は薄い。
口元もほとんど動かない。
ただ、淡い蒼の奥で、ほんの一瞬だけ光が揺れた。
驚きか、憧れか。
あるいは、別のなにかか。
(……相変わらず、表には出さないのね)
私は小さく息を吐き、くるりと踵を返した。
「私は部屋に戻るわ」
何気ない調子で言いながら、ふと思い出す。
(ああ、そうだった。レオとの“会話”を増やすって決めたんだったわね)
一拍だけ足を止め、振り返らずに、声だけ少し柔らかくする。
「――あなたも、いつか“大魔法”が撃てるように。ちゃんと、精進しなさい」
それは、命令ではなく“目標”のつもりで。
背後で、レオが小さく息を吸った気配がした。
「……はい。姉上」
かすかな返事が、まだ熱の残る空気の中で揺れた。
その声を背中で受けながら、私は訓練場を後にした




