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④指輪について


リカと二人きりで過ごしているあいだ、彼女は自分のことをよく話してくれた。


話をまとめると――


もともとリカは、どこにでもいる庶民の娘だったこと。

死んだ瞬間の記憶はぼんやりしていて、気がついたらもう「こっち側」にいたこと。

生きていたころ、少しだけ「やり残した」と感じていることがあり、それを今も後悔していること。

それでも、この世界が大好きで、守るためにできる限り協力したいと思っていること。


そんなことを、彼女は本当に息継ぎもそこそこに、感情のままに話し続けた。


閉じ込められた部屋で、ずっと一人でいる私にとって――

そのキャンキャンとうるさい声が、ふいにありがたく感じられる瞬間もあった。


軽くて明るい話し方で、とても「一度死んだ存在」には思えない。


私は聞き役に回りながら、彼女の言葉の断片をひとつずつ拾って並べ、

そこから分かることを頭の中で整理したり、リカの“元の世界”の言葉の意味を確認したりして、時間をつぶしていた。


その中で、一つだけ気づいたことがある。


リカは、突然ぴたりと黙り込むことがあるのだ。


呼びかけても返事はなく、ただ“いる”気配だけが遠くなる。

少し時間が経つと、何事もなかったように、また元気よく話し始める。


本人いわく、それは「エネルギー切れ」らしい。


こちらに情報を送るための“エネルギー”のようなものがあって、

それが底をつくと、しばらく喋れなくなるのだという。


たしかに、黙る直前の声は、かすれたように遠くなっていた。


(重要な情報だけ優先して話してほしいのだけれど)


内心そう思っても、リカは筋金入りのおしゃべりらしく、

その“エネルギー”がなくなるまで喋り続け、沈黙し、回復してはまた喋る――その繰り返しだった。


指輪についても、いろいろ教えてくれた。


その名は「神秘の指輪」。

等級は「S」。ダンジョンでしか出ない、ごく稀な遺物なのだという。


身につけているあいだ、持ち主の“魔力を常に増幅”し、

その人自身の「潜在能力」そのものを底上げする性質があるらしい。


それに、この世界の物や人には、それぞれ固有の「波長」のようなものがあって、

その相性しだいで、同じ遺物でも発揮される力が大きく変わるそうだ。


リカの言い方を借りるなら――


『この指輪とマティルダの相性は最高で、ゲームでは“専用装備”だったの』


らしい。


“専用装備”という言葉の意味はよく分からないけれど、

少なくとも指輪と私の間に、かなり強い結びつきがあることは実感している。


実際、あの日、指輪をはめた瞬間から――

体の中の魔力の通り道、隅々まで、別の光が満ちていくような感覚があったのだから。


◆ ◆ ◆


そんなタイミングで、母の師匠であり、私も顔見知りの大魔術師――イグネイトが屋敷に来た。


年齢は九十を超え、背は少し曲がっていて、灰白色の長い髪を無造作に垂らしている。

顔中に皺が刻まれているのに、目元にはどこか子どものような好奇心をたたえた穏やかな笑みが浮かんでいた。


紺色のローブはところどころに焦げや染み、繕いの跡があって、

胸元には護符や小瓶、よく分からない金属片がたくさんぶら下がっている。


知らない人が見れば、王都の裏路地で怪しい薬を売っている老人か、ただの風変わりな行商人にしか見えないだろう。


けれど、その風貌に反して――

魔法研究者としての彼の功績は、王立学院の教本にも載るほどのものだ。


母が若い頃に師事した恩師であり、今も現役の大魔術師。

そんな人物が、私と指輪の診察を引き受けてくれた。


「リカ」の件は、父の指示で伏せておくことになっていたから、

私は「指輪をつけて以来、体内の魔力に違和感がある」という点だけを、落ち着いた口調で伝える。


診察は、驚くほど淡々と――けれど、とても手際よく進んだ。


イグネイトが杖の先で空気を軽く突くと、私の周りに薄い青い魔法陣が幾重にも浮かび上がる。

彼はそれをじっと観察しつつ、ときどき私の手首や額、胸元あたりに、骨ばった指先をかざした。


「ふむ……心拍は安定しとる。魔力の流れも乱れておらん。むしろ――」


掠れた声が、そこでほんの少しだけ楽しげな色を帯びた。


「魔力量が桁違いじゃな。循環もよい。

 ここまで“異物”や“詰まり”のない者も、そうそうおらんぞ」


「つまり、異常は……?」


「うむ。“魔法痕”や“呪詛”に当たるものは、見当たらん」


そこで一度言葉を切り、床に置かれた指輪を見下ろす。


「この違和感は、おそらく“指輪との共鳴”が原因じゃろう。

 ここまで強い共鳴は、儂も何度も見たことはない」


――それが、イグネイトの診断結果だった。


イグネイトは、「この指輪は遺物アーティファクトだ」と断言した。


ダンジョンで見つかる宝具や、名工が一生を賭けて作り上げた魔法具の中に、

ごく稀に“特別な存在”として生まれるもの。


「ただの魔法具とは違う。

 “意思のない遺産”、あるいは“世界に刻まれた痕”とでも呼ぶべき類いじゃな」


診察を終えると、イグネイトは今度は指輪そのものの調査に移る。


杖を軽く床につき、古い言語で静かに詠唱を始めると、

指輪の周りにいくつもの光輪が重なり合うように浮かび上がり、

琥珀色の魔石から細い光の糸が外へと伸びていった。


「……見事な“波長”じゃ。まるで、最初からこの娘のために作られたような」


「どういう意味でしょうか」


私が尋ねると、イグネイトは目を細めて微笑む。


「物にも人にも、それぞれ“固有の揺らぎ”がある。

 それを儂らは簡単に“波長”と呼んでおるが――」


「この指輪とお前さんの波長は、非常に噛み合わせがよい。

 他の者が身につければ、魔法の威力が少し増す程度で終わるかもしれんが……」


白く濁った瞳が、じっと私を見る。


「お前さんが宿主なら、“潜在魔力そのもの”にまで作用する。

 そういう“特別なハマり方”をしとる」


(……これが、リカの言った“専用装備”というものかしら)


イグネイトは、私の表情を察したのか、少しだけ肩をすくめた。


「良くも悪くも、“選ばれてしもうた”ということじゃろうな」


「儂個人の意見としては――外してしまうのは、たいへん勿体ない。

 だからといって、その力に溺れぬよう、慎重につき合うことじゃ。

 それだけは肝に銘じておきなさい」


◆ ◆ ◆


イグネイトが館を後にしたあと、私はベッドの端に腰を下ろし、ひとつ息を整えてから、頭の中の同居人に話しかけた。


「イグネイトが指輪を調べている間、どうして黙っていたの?」


すぐに、リカの声が返ってくる。


『黙ってたわけじゃないよ? ちゃんと喋ってたんだけど……

 マティルダの耳には届けられなかったみたいで』


「どういう意味?」


『なんかね、“別の人が魔力を流してるとき”とか、“指輪と離れているとき”は、

 こっちの声が通りにくくなるみたいなの』


「あなたは、私に“取り憑いている”んじゃないの?」


少し刺のある言い方をすると、リカは苦笑しながら言い換えた。


『“取り憑いてる”っていうと、ちょっとホラーなんだけど……。

 本体っていうか、“意識の中心”はマティルダの中にある感じかな』


『ただ、“声の出入口”みたいな部分は、指輪が中継してる感覚があるんだよね。

 私の考えがいったん指輪を通って、そこからマティルダに届いてる感じ』


「……つまり、指輪が“声帯”みたいな役割をしている、ということね」


『うん、その例えが一番近いかも』


私は机のほうへ目をやる。


イグネイトが残していった、円形の魔法紋。

その中央に、“神秘の指輪”がぽつんと置かれている。


「でも今、私は指輪をつけていないのに――あなたの声は普通に聞こえているわ」


『それはね……』


リカが少し考えてから続ける。


『“遺物”って、近くにあるだけで効果を発揮するものも多いんだよ。

 距離の有効範囲は、その装備の性能とか格によって変わるんだけど』


『この指輪の場合、同じ部屋にあれば“常につながった状態”って感じかな』


「それも、ゲームの理屈なのかしら」


『正直、そこは私にも分からない。

 こっちの世界の魔法とかそういった理論とは、ちょっと違う“システム”な感じはするけど』


別系統のシステム――。


魔法を使うときに感じる、あの独特の抵抗や流れ方とは、たしかに違う。


「指輪を通して、どうやって“中継”しているのか、自分では分からないの?」


『感覚でいうと、“伝えたいことを強く頭に浮かべて、それを指輪に押しこむ”感じかな』


『ちゃんと強く意識しないと届かないみたいで、

 ぼんやりしてると、たぶんマティルダに届いてないときも多いと思う』


リカが話しているとき、私は魔力の流れの変化も、術式の気配も感じない。

少なくとも、普通の魔法とは明らかに違う。


(でも、イグネイトが魔力を流した瞬間、“声が途切れた”のよね)


まるで、二つの回線がぶつかってノイズが走ったような、そんな感覚だった。


私が黙り込んで考えていると、リカがやや不満そうに声を上げた。


『ねえ、その辺の理屈は後回しでもいいでしょ?』


『それよりさ、早く指輪“装備”してよ。

 あんなところに放っておかれるの、本当にイヤなんだけど!』


思わず、机の上の指輪を見つめる。


円形の紋章の中心に、琥珀の石を抱いた銀の指輪。

その周りには、イグネイトが並べていった小さな頭蓋骨や紙片、魔獣の牙、小瓶に入った暗い色の粉末……。


彼は何かの儀式のような手順を踏んでから、それらを片づけもせず、そのまま部屋を出ていったのだ。


『あの頭蓋骨の並べ方、絶対ろくでもない儀式の名残だよ!』


リカは半分本気、半分冗談まじりで叫ぶ。


『ああいうの、ゲームとかだと“悪魔を呼ぶ儀式”とかに使われるの!

 そんな中に指輪ポンって置いていかれるとか、マジで勘弁してほしいんだけど!?』


「その“ゲーム”とやらの基準で言われても、私にはよく分からないのだけれど」


肩をすくめながらも、私はゆっくりと椅子を引き、机の前に立った。


それでも――


リカの声は今も、頭の真ん中からくっきり聞こえている。

けれど指輪は、私から三メートルほど離れた机の上。


(……この“声”の有効範囲や条件は、ちゃんと把握しておくべきね)


私は意識を集中させ、私と指輪の間に、薄い膜のような魔力の障壁を展開した。


ふわりと半透明の結界が立ち上がった、その瞬間。


リカの声が、ぴたりと止んだ。


頭の内側から何かがするりと抜け落ちていくような、妙な空白感だけが残る。


結界の一部を少しだけ薄くして“隙間”を作ると、

遠くからラジオの雑音混じりの声が聞こえてくるみたいな感じで、ようやくリカの声が届いた。


『……ねえ、ちゃんと聞いてる!?』


少し泣きそうな、むくれた声だった。


「リカ。この状態で、私が指輪からもっと離れたらどうなるか――試してみてもいいかしら」


そう聞いた瞬間、リカは全力で叫んだ。


『ぜっっったいダメ!!!!』


頭の中で、声が跳ねる。


『私だって、自分が今どういう状態なのか、はっきり分かってないんだからね!?』


『マティルダのお父様ならともかく、“よく知らないおじさん”に憑くとか、死んでも嫌だから!』


そこには、笑い飛ばせない切実さがにじんでいた。


たしかに、昨夜あの場にいたのは、父と同年代かそれ以上の男性使用人がほとんどだった。


彼らの視界や耳と、強制的に共有させられるとなると――

私でも、さすがに遠慮したい。


「その様子だと、あなたは“私以外にも”憑くことができる、ということ?」


少し間があってから、リカは慎重に答えた。


『……分からない』


『たぶん最初は、指輪の中に“いた”んだと思う。ただ、そのときは外の様子は全然わからなくて。

 誰かが指にはめたり外したりしてくれた感触だけ、ぼんやり分かるくらい』


『でも、そのときは一度も“そっち側に移動できる”って感覚はなかったんだ』


『マティルダに触られた瞬間だけは、違った。

 “あ、動ける”って、はっきり分かったの』


『気がついたら、そのまま一気に引き寄せられてて――気づいたときには、今みたいな状態になってた』


「今は、指輪に“戻れない”ということね?」


『うん。意識の中心は、もうマティルダ側にくっついちゃってると思う。

 自力で“完全に指輪の中だけ”って状態には、戻れない気がする』


リカの言葉には、矛盾も曖昧なところも多い。


でも、少なくとも「遺物」や「指輪の効果」については、

知っていることを隠そうとしている様子は、あまり感じられない。


(……追及するのは、もう少し材料が揃ってからね)


無理やり問いただすよりも、

彼女のおしゃべりから自然とこぼれ落ちる情報を拾っていく方が、ずっと効率がいい。


『そんなことより、指輪!』


リカが、半分泣きそうな声で言う。


『お願いだから、早く“装備”してよ!

 あんな怪しい魔法陣の真ん中で放置されてるの、本当に嫌なんだから!』


私は改めて、机の上の指輪を見下ろした。


指輪を長くつけていると、憑依が深まってしまう可能性。

会話を重ねるほど、意識が混ざってしまう危険性。

大きな魔法を使うことが、何かのきっかけになるかもしれないという不安。


考えようと思えば、いくらでも“最悪の想定”は浮かんでくる。


けれど――


イグネイトがあれほど丁寧に検査して「異常なし」と判断したこと。

リカの様子からは、少なくとも“今すぐ私を害する意思”は感じられないこと。


それから。


もし本当に、彼女が“この先の出来事”を知っているなら、

もっと露骨に、もっと巧妙に、私やヴァルデン家を都合よく操ることもできたはずだ、ということ。


(それをしていない、ということは――)


今のところ、“共犯者”として扱うくらいなら、まだ許容範囲だろう。


「……はあ」


小さく息を吐いてから、私は机の前へ一歩、踏み出した。


羊皮紙に描かれた円形の紋、その中心に置かれた“神秘の指輪”を、そっとつまみ上げる。

そして、改めて自分の指へと滑らせた。


冷たい銀の感触が、すっと肌になじむ。

琥珀の石は、深い金色を内側に閉じこめて、かすかに光を揺らしていた。

同時に、胸の奥を流れる魔力が、やわらかく波打つのを感じる。


それは、まるで――


「ようやく、元のところに戻ってきた」


とでも言いたげな、落ち着いた“おさまり方”だった。

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