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㉒ レオルドルート_「失恋エンド(後)」

 

 どうやら私は魔力切れによる気絶をしていたようだ。


 我々魔術師は、魔力切れになると――

 “魔力欠乏状態”という、極めて気絶にも似た状態に陥る。


 そのまま完全に意識を手放してしまう分には、まだいい。

 だが、問題は“起き上がる時”だ。


 大抵の場合、滅茶苦茶な頭痛と、胃の奥から込み上げてくる吐き気を伴う。

 体内の魔力と身体機能のバランスが崩れ、それが強引に再起動される際の反動――

 それが、魔力欠乏からの覚醒に付きまとう、最低最悪の後味だ。


 しかし、今回はそれが無い。


 頭蓋を内側から殴られるような痛みもなければ、

 喉元まで込み上げてくるような悪心もない。


 その代わりに――全身に、重たい倦怠感がまとわりついていた


 このまま、何も考えずに横になっていたい――

 そんな誘惑が、甘く囁きかけてくる。


 だが、状況判断もしていない状態で、その誘惑に身を委ねるのは、あまりにも危険だ。

 ここが本当に安全なのかどうかさえ、まだ分かっていないのだから。


 私は、重たい瞼を、ゆっくりと、持ち上げる。


 最初は、世界全体が霞んで見えた。

 輪郭がぼやけ、色彩だけがにじむ。


 やがて、徐々に焦点が定まってくると――

 視界いっぱいに、姉上の顔があった。


 長い睫毛。

 わずかに心配そうに曇った瞳。

 それでも、どこか余裕を湛えた口元。


 視線と、わずかな感覚だけを動かして状況を確認すると――

 どうやら私は、姉上の膝の上に頭を乗せているらしい。


 つまり、姉上に膝枕をしてもらっている、ということだ。


(……非常にまずい)


 そう内心で呟いたところで。


「あら、意外と早いお目覚めね」


 頭上――いや、ちょうど真上から、姉上の声が降ってきた。


 私は反射的に上体を起こそうとする。


 だが、その動きは、私の頭を撫でていた手によって、あっさりと阻止された。

 頭部から額へと滑るように移動した掌が、そっと、しかし有無を言わせぬ力で押さえ込んでくる。


「まだ起き上がっては、だめよ」


 柔らかい声音だったが、その裏に逆らえぬ圧が混じっているのを、私はよく知っている。


「いったいこれは? どういう状況ですか」


 枕になっている膝の感触から意識を必死に逸らしつつ、問いかける。


 場所は――訓練場の、模擬戦闘が行われた舞台上だ。

 焦げた匂いと、まだ完全には冷めきっていない熱気が、かすかに鼻腔をくすぐる。


 だが、不自然なことに、近くに使用人や兵士たちの気配が感じられない。


「あら、覚えていないの? あなた、魔法を使いすぎて気絶したのよ」


 姉上は、少し呆れたように言う。


 いや、そこまでは分かっている。

 知りたいのは、その後――この、膝枕をされている状況の方だ。


 しかし、そこを問いただす気力は、残念ながら今の私には残っていない。


「……そうですか」


 とだけ呟くと、姉上は小さく息をつき、


「あそこまでの大魔法を、最後の最後に使うのは危険だということが分かって、よかったわね」


 と、どこか教師じみた口調で続けた。


「体の方は大丈夫なのかしら? 一応、私の方である程度の処置はしたのだけど」


 だから、あの最悪な頭痛や吐き気がなかったのか。


 回復魔法には、大きく二種類の方法がある。

 欠損や損傷部位そのものを“再生”させるものと、体の“治癒力を高める”ものだ。


 前者――再生の場合、損傷を受けた肉体の「経験」を、文字通り“なかったこと”にしてしまう。

 傷を負う前の状態へと巻き戻すため、身体はその痛みも、限界も、正しく学習できない。


 対して後者――治癒力を高めるものは、体への負荷こそ大きいが、

 肉体に刻まれた経験そのものは、きちんと残る。


 この全身を押し潰すような倦怠感は――

 恐らく、姉上が後者の回復魔法を選んだ証拠なのだろう。


「体は大丈夫です。ありがとうございます」


 そう呟くと、姉上は小さく目を細めて、


「聞いてた通り、結構頑丈なのね」


 と、半ば感心したように、半ば呆れたように言った。


「あと、消火が――まあ、大変だったのだから、そちらの方も感謝してもらいたいわ」


 その言葉とともに、姉上の指先が、わずかに私の髪を梳くように動く。

 優しく、しかし確かに生きている温度が、頭皮越しに伝わってくる。


 冗談めかした調子の裏に、本気の心配が滲んでいるのを感じて――

 私は思わず、視線を逸らした。


 私の心は揺れていた。


 このまま、姉上に甘えていたいという気持ちと、

 こんな惨めな姿を、これ以上長く晒していたくないという気持ちが、激しく揺れていた。


 せめて、この体勢だけでも変えようと。

 起き上がろうと腹に力を入れた、その瞬間。


 姉上の手が、私の額へとすっと動いた。


(……まだ動くな、ということでしょうかね)


 諦めて、体から力を抜くと、手は再び、頭の方へと戻っていく。

 指先が、先ほどよりもいくらか優しい圧で、髪を撫でた。


「あの魔法は、初めて使ったの?」


「いや、今まで何度も使おうとしていましたが……しかし、成功したことは今回が初めてです」


「ふーん」


 姉上は短く相槌を打ち、少しだけ間をおいてから、ぽつりと言葉を落とした。


「恐らく、思い違いをしているわね。あれは、一般的に知られている炎の大魔法ではないわ。恐らく、あなた独自の魔法よ。確か――“オリジナル魔法”といったかしらね」


 いや、オリジナル魔法を使った覚えなど、ない。


 眉をひそめかけた私をよそに、姉上は淡々と、その魔法の“解説”を始めた。


「名前を付けるとしたら――そうね、『純粋な太陽』ね」


 少し楽しそうに、そんな仮称を口にする。


「まず、発動と共に、とてつもない光の球が生まれるわ。

 そして、その光はただ眩しいだけではなく、凄まじい“熱光線”を放つ」


「それだけじゃないわ。その光の球自体も、とんでもない超高温で、触れたものをすぐさま焼却、あるいは溶解していく」


 姉上の声に合わせて、意識の奥で、先ほどの光景が再生されていく。

 淡々と告げられる言葉の内容に反して、その声音には、魔術師としての興味と好奇心がはっきりと滲んでいた。


「そして――この魔法の最大の厄介なところはね」


 そこで一拍、言葉を切り、


「触れたものを“魔法エネルギー”として吸収して、その威力を増してしまうところよ」


 と、愉快そうに、しかし心底迷惑そうに、苦笑混じりで付け加えた。


「そんなことが起きていたのですね」


 逸らしていた視線を、ゆっくりと姉上の方へと向ける。


「あら、そこから先の記憶がないのかしら?」


 少し意外そうに眉を上げてから、


「では、今回の勝負は――無効試合ということでよいかしらね」


 姉上は、幼少期に悪戯が成功したときに見せていた、あの悪戯っぽい笑顔でそう言った。


 そうだ。

 私は、姉上と勝負をしていたのだ。


 そして、その結果は――


「誇りなさい。あなたの勝ちよ」


 あっさりと、その言葉は告げられた。


「私はその場から動いたし、膝を地面に付けてしまったわ」


 膝を付けた、というのは――

 今、まさに行われている、この膝枕のことを言っているのだろう。


 そして。


「その口ぶりですと、あの魔法ですら、姉上には届かなかったということですね」


 皮肉半分、本気半分で問うと、姉上は少しだけ言葉を選ぶように沈黙し――


「まあ、その場で封じ込めるのは、さすがに大変かもしれないけれど。軌道を逸らしてしまうこと自体は、そこまで難しいことではないわね」


 と、正直すぎる感想を返してきた。


 そこから、いくつか質問を重ねていった結果――

 おおよその状況が見えてきた。


 魔法そのものは、姉上であれば「どうにかできた」。

 だが、私が魔力切れで崩れ落ちたのを見て、姉上は制御を他の防御魔法へ任せ、自らはこちらへ駆け寄ってきたのだろう。


 その“駆け足”が、今回ルールで定めた「動いたら負け」に抵触する。

 だからこそ、自分の負けとして処理しようとしている――そういう筋書きだ。


(そんなのは、認められない)


 そう思い、抗議の声を上げようと口を開きかけた、その瞬間。


 姉上の手が、そっと私の口元に置かれた。

 言葉を遮るというより、優しく塞ぐように。


「まだ、そんな状態で、はしゃいだらだめよ」


 諭すような、柔らかな声。


「そして今回――私は、あなたの“力”を見たいと思って、この勝負を提案したわね」


 指先が、軽く口元から離れ、再び頭へと戻る。


「あなたは、一人では何をしでかすか、不安だから。それで失敗して転んで立ち上がれないのではないから心配だってね」


 そこで、くすりと小さく笑い、


「まあ、その何をしでかすかの方の心配は――寧ろ増したんだけれどもね」


「けど、失敗しても起き上がる強さと、諦めの悪さは私以上だと分かったわ」

「だから、私があれこれ指示をするより、あなた自身で考えて動いた方が――

 魔法にしろ、治世にしろ、結婚相手にしろきっと最終的には“いい結果”を出しそうだと、そう思ったまでよ」


 だからこそ。

 勝ち負けの帳尻合わせなど、もはや些末な問題なのだと――


 姉上の声音は、そう語っているように聞こえた。


(結局、姉上の優しさに……私は、また救われたのですね)


 事の発端である、“適当な令嬢と恋愛をしなさい”という姉上からの提案。

 あれは決して思いつきの一言などではなく、姉上なりの計算と覚悟をもって――

 私に、それを「選ばせる」のではなく、「強制する」つもりで告げられたものだった。


 そして、それを拒否した私に対して。

 この戦いの中で、姉上は本気で、全力で――私の心を折りにきていた。


 そんな気配が、確かにあった。


 だが、姉上側に“私を潰す”意志が少しでもあれば――私は、間違いなく負けていただろう。

 それほどまでに、実力差は歴然としていた。


 そして、私がこうして「勝てた」というのも。

 結局は、私の身を案じる姉上の優しさが故の行動のおかげで、形のうえで“勝ち”を拾えただけに過ぎない。


 そう考えた途端――

 私の目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。


 それを隠そうにも、力の入らない手は動かず、

 せめてもの抵抗として、視線だけを逸らす。


 好きな人の前で、泣くなどという無様を晒している自分が――

 恥ずかしくて、情けなくて、そして何より、悔しかった。


 止めろ、と。

 いい加減にしろ、と。


 必死で命じている私の心の言うことなどお構いなしに、

 涙はどんどん勢いを増して、頬を伝い続ける。


 姉上は、何も言わなかった。


 からかいもせず、慰めの言葉も、安易な励ましも口にしない。


 ただ――

 私の頭を撫でる手から伝わる温度だけが、先ほどまでより、ほんの少しだけ優しさを増していた。


 ◇ ◇ ◇


 どのくらいの時間が経ったのであろうか。


 ようやっと、涙が止まった。

 目の奥はまだ熱く、鼻の奥もつんと痛むが、それでも、ひとまずは落ち着いたと言っていいのだろう。


 もう、とんでもない無様を晒しているのだ。

 ここまで来てしまった以上――


(……なら、普段は恥ずかしくて聞けないことを、今のうちに聞いてしまおう)


 そう、半ば投げやりに開き直り、口を開く。


「姉上は、気になる異性というのはいるのでしょうか?」


 一瞬、姉上の表情がわずかに固まる。

 すぐに、私がからかうような顔つきではないと判断したのか、ふっと肩の力を抜いた。


「レオ、私に“恋愛”の相談は悪手よ」


 軽くため息をつきながら、


「私は、他の令嬢と違って――恋愛というものが、どうしても理解できないのだから」


「理解が出来ない、というと?」


「“好きになる”って経験をしたことがないのよね」


 姉上は、ごくあっさりと言ってのける。


「本や聞いた話だと――電撃魔法に打たれたような衝撃とか、相手のことしか見えなくなるほどのターゲット固定が行われる、とか聞くけれど……そのどれも、感じたことはないわね」


 本当に分からないためであろうか魔法の専門用語での例えが入る。

 恋愛というものは全く、分からないと前置きした上で


「そういうあなたは、どうなの?」


 今度は逆に、問いかけられる番だった。


 思わず、心臓がびくりと跳ね――

 そこから、恐ろしい速度で鼓動を刻み始める。


 だが、ここで――すべてを打ち明ける勇気は、さすがに無かった。


「そうですね……私は、“恋愛”というものをどう扱い、どう接していくのかが分からないところがあります」


 慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。


「何がしたいのか、どういう未来に向かっていきたいのか――

 頭と心が、まるで別人のように、別々の方向へ動作しているように感じてしまって。振り回されるばかりでとても、扱えるものではないと思っています」


 それを聞いた姉上は、おそらく――

 私を慕っている令嬢たちへの対応に、私が困っているのだと解釈したのだろう。


「あなたもあなたで、苦労しているのね」


 少しだけ表情を和らげ、同情を含んだ声音でそう言った。


 少しの沈黙ののちに

「姉上。私は、姉上にとって――どういう存在でしょうか」


 思い切って、もう一歩、踏み込んでみる。

 ほんの一瞬だけ、言葉を選ぶ間があってから。


「可愛い、可愛い弟よ」


 姉上は、即答した。


「だから、困っていることがあれば何でも助けてあげるし、頼ってくれれば、いつだって手を貸すわ」


 それは、迷いのない断言だった。


「……そうですか」


 思わず、短くそう返す。


 姉上は、昔から――ずっと、このスタンスだ。


 母譲りの、お節介なほどの世話焼きなところ。

 父のような、理詰めで詰めてくる厳しさも、確かに持ち合わせている。


 それでも、本質は変わらない。


 姉上は変わらない。

 変わったのは、私の方だ。

 そして、その“変化”を――

 姉上は、きっと望んでいないのだろう。


 私は、ひとつ息を吸い込み、決意を固める。


 腹に力を入れて、ゆっくりと起き上がる。

 制止しようと伸びてきた姉上の手を、そっと押しのけるようにして、

 膝の上から離れるように、上体を起こした。


 酷い倦怠感が、あらためて全身にのしかかる。

 さっきまで頭を預けていた場所の温もりが消え、その喪失感が、妙に鋭く胸を刺した。


 ――それでも、決めたのだ。


 自分で選択して、前に進むと。

 姉上に好かれるのではなく、認められる自分になるのだと


 そんな私の目を見て、姉上は何かを察したのか、

 言おうとした言葉を、ひとつ飲み込んで。


「無理だけは、してはだめよ」


 それだけを、そっと呟いた。


 起き上がって周囲を確認すると、その“異変”に気が付いた。


 使用人や兵士の姿が、近くにまったく見当たらない。

 気配を探れば、少し離れた場所――母の庭園の方に、人が集まってなにやら作業をしているようだ。


 そういえば、あたり一帯に、焦げ臭い匂いが漂っている。


 そちらの方角へ視線を集中させていると、姉上が、観念したように解説をしてくれた。


「あなたの、あの魔法をね。咄嗟に反射させたせいで、あそこに着弾させてしまったのよねえ」


 それから、簡単な経緯を教えてくれた。


 ――あの時。

 気絶した私や周囲の人々に危険を及ぼすほどの威力を持った“太陽”を、

 姉上は即座に判断して、人のいない場所へと進路変更したのだという。


 だが、あまりにも咄嗟で、なおかつ被害を最小限に抑えようと色々と安全を考慮しているうちに、

 制御が完全には追いつかなかったらしい。


 その結果――


”やむを得ず、しかもよりにもよって、母の“聖域”である庭園に飛ばしてしまった”のだと


 姉上は、額に手を当てながら、心底うんざりしたようにそう締めくくった。


「私が前に、母の庭園を焦土に変えた時のこと、覚えているのよね?」


 問われて、私は黙ってうなずく。


「であれば、そのあとどんな目にあったかは――言わなくても分かるわよね」


 あの時のことは、今でも鮮明に覚えている。


 古代魔術を使い、“天空神と対話する儀式”を行うと言い出した姉上が、

「豊穣の大地で発動させる必要がある」ともっともらしい理屈をつけて、母の庭園を選び――


 そこで発動させた魔法がその神の怒りを買い、一面を見事なまでの焦土へと変えたのだ。


 その後、必死で証拠隠滅を図っていたが、結局はあっさりと母にバレて、

 当家において神よりも恐ろしい母から姉上はいつもよりも苛烈に、そして激しい雷を落とされていた。


「だから、今回は“焦土とした事実”を隠蔽することはしないわ」


 姉上はそう前置きしてから、悪戯っぽく口角を上げた。


「だけど、その“被害規模”を隠蔽することに決めたの。

 幸いにも、事前に人払いをしておいたから、目撃者はほとんどいない。――その口封じは、容易いわね」


 さて、どう誤魔化そうかしら、と言わんばかりに、顎に手を添え、次の手の思考を巡らせている。


 本当に――この人は、幼いころから何ひとつ変わっていないのだな。


 そう思うと、胸の奥のどこかが、ふっと軽くなった気がして。

 気づけば私は、心の底から、自然な笑顔になっていた。



【レオルド視点_終了】

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