㉒レオルドルート_「失恋エンド(前)」
そうだ。
私は――姉上のことを、お慕いしていた。
それを自覚したのは、いつからであったであろうか。
幼少期――私が寂しくないようにと、姉上はいつも私の傍にいてくれていた。
退屈そうにしていれば、自分の勉強時間や休息を削ってまで相手をしてくれたし、
私を楽しませようと、屋敷を巻き込むような壮大な悪戯を仕掛けては、よく母にこっぴどく叱られていた。
叱られている最中でさえ、姉上はこっそりこちらにウインクを寄こし、
「次はもっと上手くやりましょう」とでも言いたげな、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
そんな姉が、大好きであった。
だが、その「好き」は、当時の私にとっては、
友人に向ける好意や、家族に抱く信頼と、何ひとつ変わらないものだった。
少しずつ、大きくなっていくにつれて――
その「好き」という感情が、どこかで、少しずつ“別の色”を混ぜられていったように思う。
姉上の“凄さ”に気づいたとき。
幼いころはただ「何でもできる姉上」と思っていたものが、
ある日ふと、魔術を行使する姿や、優秀と言われている大人たちを当然のように顎で使役する横顔を見て――
「ああ、この人は本当に、物凄い人なのだ」と、理解してしまったとき。
その背中に、憧れを抱いた。
そして、不意に、その“美貌”に気づいたとき。
舞踏会で、宝石を散りばめたドレスに身を包んだ姉上が、
きらびやかなシャンデリアの下で、無数の視線を一身に集めているのを見て、胸の奥がざわついた。
誰よりも美しいと思ったと同時に――
その姿に向けられる羨望や欲望まじりの視線を、片っ端から焼き払ってしまいたいほどに、誰にも触れてほしくないとも、思ってしまった。
そして、なにより、その“優しさ”に気づいたとき。
普段は威圧的な物言いや、圧のある態度で冷徹な判断をしてくるが――姉上は、本質的にはとても温厚で、そして、驚くほど優しい。
また、どんな時であっても、姉上は私の味方であってくれた。
何かに困っていれば、さりげなく手を差し伸べてくれたし、
悩みを打ち明ければ、真剣に耳を傾け、時に厳しく、時に柔らかく言葉を返してくれた。
私がやらかした失敗を、あたかも自分の落ち度であるかのように肩代わりしてくれたことすら、一度や二度ではない。
気づかないほどわずかな変化の積み重ねであったが――
それは、確実に、私の思考と行動を、別物へと作り替えていった。
その、それぞれの瞬間で。
私の「好き」という感情は、少しずつ形を変えていったのだ。
そして、それを自身で自覚した頃には――
もはや、制御など出来ない状態になっていた。
血のつながった実の家族を好きになるなど、明確に“禁忌”とされる行為だ。
王族や貴族の血統を守るという名目で、特例として認められた例も、歴史にはわずかに存在する。
だが、そんなものは、異常事態の産物であり、決して“普通”では有り得ない。
だから私は、その感情を“悪いもの”として定義した。
そうでなければ、うまく扱えなかった。
醜い、間違った感情だと自分に言い聞かせ、必死に抑え込もうとした。
弟である自分が抱いてはいけない感情だと、何度も何度も心の内側で否定した。
――しかし。
そう考えれば考えるほど、想いは積もっていった。
忘れようと意識すればするほど、姉上の仕草ひとつ、声の調子ひとつに、心が揺さぶられるようになっていく。
抑え込もうと蓋をしたはずの感情は、隙間から溢れ出し、かえって濃く、粘度を増していった。
そのため、姉上の前では、必死に自身の感情を押し殺して相対していた。
視線が合わないように、言葉が熱を帯びないように、一挙手一投足にまで神経を尖らせて。
加えて、姉上に対する“劣等感”も、日に日に大きくなっていった。
心の中で思い描く――姉上と並び立つ自分の姿。
彼女の隣に立つにふさわしい強さと才覚を備えた、自分の理想像。
だが、現実の私は、その理想像に遠く及ばない。
そればかりか、その“差”は、日を追うごとに、むしろ開いていってしまっている。
努力しても、背伸びをしても、どうやっても追いつけないその背中を、
なおも追いかけ続けずにはいられない愚かさと、
追いつけないと知りながら、それでも隣に立ちたいと願ってしまう図々しさが――
私の中で、どうしようもなく渦を巻いていた。
そして、それはやがて――
「姉上の前で、未熟な姿を見られたくない」という、どうしようもなく厄介なコンプレックスへと変わっていった。
そういったこともあって、私は姉上から距離をとっていた。
これ以上、この“禁忌の感情”を増幅させないために。
そして、恥ずかしい姿を見せないように。
私の変化を、姉上がどこまで感じ取っていたのかは定かではない。
だが、少なくとも、以前のように無理やり私の部屋へ押しかけてきたり、
半ば強引に遊びへ連れ出してくるようなことは、ぱたりと無くなった。
その距離感に、安堵と、ひどく遅れてやってきた寂しさが、同時に胸を刺したのを覚えている。
――けれど。
ここ最近になって、姉上は再び、積極的に私の前へと姿を見せるようになった。
当然嬉しさも、確かにあった。
だが、それ以上に、自身の感情が滅茶苦茶にかき乱されていってしまい――
私は、積極的に距離を取るように努めた。
話しかけられても、必要最低限の返事だけを返し、
視線が合いそうになれば、風景へと逃がしたり、姉上には焦点を当てないことにつとめた。
けれど、姉上はこちらへの干渉の手を、いっこうに緩めることはなかった。
壁を作れば、その外側から、当たり前のように粉々に破壊してくる、強さと。
塞ぎこんでいても、辛抱強く待ち続ける――そういう類いのしつこさも持っていた。
(姉上も、もしてや私に対して気があるのでは――)
などと妄想し、勝手に浮かれている自分も、確かにいた。
あり得ない、と理性では分かっているのに、
「もしかしたら」という淡い期待が、胸の片隅で何度も芽吹いては、しぶとく根を張ろうとした。
だが、そういった感情は抑えるべきだと知っている“理性的な自分”が、
その度に、容赦なく蓋をして押し込めた。
――そんな中、言われたのだ。
『他の令嬢と、恋愛をしなさい』
と。
最初は――全身に鳥肌が立つほど、肝が冷えた。
心臓が、喉元まで跳ね上がる感覚。
血の気が引き、背中を冷たいものが伝っていく。
この、秘匿し続けていた感情が。
――バレた、かと。
だが、冷静に姉上の表情や声音を注意深く観察してみれば、
そこに含まれているのは、私の“禁忌の感情”に気が付いた様子ままるで無く――
ただ、私の将来を案じる、姉としての、ごく真っ当な心配であることが、すぐに理解できた。
将来、領主として立つ際にその伴侶選びの際、
失敗しないように選定する目を今の内に養っておきなさい
と、そう告げているのだと分かった。
安堵した――のは、本当に、一瞬だけだった。
その直後、胸の奥底から、焼けつくような“怒り”がせり上がってきた。
姉上が、私の感情など露ほども知らずに、
私の「恋」の行き先を、当然のように“他人”へ向けようとしていることに対して。
そして何より――
姉上の口から出た「他の令嬢と恋愛をしなさい」という言葉に、
自分でも信じられないほど激しく、拒絶の感情が芽生えたことに対して。
その怒りは、世界に対してではなく。
まして姉上に対してでもなく。
そんなことを言われて、素直に頷こうとした――
従順で、物分かりの良い“弟”として振る舞おうとした、自分自身に対してだ。
だからこそ、私は、こんな駄々っ子のような真似をしたのだろう。
姉上と、恋人のような関係になりたい――という気持ちも、ないわけではない。
だが、それ以上に。
この恋心を、諦めるにせよ、手放すにせよ、封印するにせよ。
その“タイミング”だけは――
姉上ではなく。
誰か他人でもなく。
自分自身で、決めたかったのだ。
だからこそ、この模擬戦に――その意地に、今までの私の努力や想いをすべて載せてみた。
けれど、姉上には、私が積み上げてきたそれらは、恐らく届いてはいないだろう。
数え切れぬほど繰り出した魔法を、結界は軽々と受け止めた。
姉上にとっては、軽い運動の範疇なのかもしれない。
そしてあの人は、昔から――人の心というものを、「数字」や「理論」でしか分かっていない。
表情変化
信頼値の推移。
打算と合理性に基づいた感情の動きなら、きっと、完璧に読み解けるのだろう。
だが、私のこういった、ぐちゃぐちゃで、答えの出ない複雑な感情は――
恐らく、分からることはないのであろう。
それは、安心と同時に、ひどく胸に切なさを抱かせた。
なんでも出来る姉上の、数少ない欠点だ。
だからせめて
――せめて姉上に、「実力」だけでも認めてもらいたかった。
異性としてではなく、恋の相手としてでもなく。
ただの「少しは出来る弟」くらいの評価でも、私は十分であっただろう。
だが、実際のところは――
自慢の技も、戦闘中に淡々とダメ出しされるだけで。
良くて、「手のかかる弟」くらいの評価で終わるに違いない。
姉上は自身で出来ることがあまりにも多いので、滅多に人のことを褒めない。
思えば、私が魔法の“威力”ばかりを追い求めるようになったのも――
姉上から、こう言われてからであった気がする。
『あなたの魔法、制御は滅茶苦茶だけど、威力はすごいものがあるわ』
その何気ない一言が、妙に嬉しかった。
あの幼いころの姉上は――
私が何かをするたびに、今してくれているように、優しく頭を撫でてくれていた気がする。
頑張った際。
怒られた際。
何かが出来るようになった際。
そして、ただ甘えた際ですら。
その都度、当たり前のように、私の頭へと手を置き、
ゆっくりと、髪を梳くように撫でてくれていた。
そして、その行為が――私は、どうしようもなく好きであった。
(……っ!?)
ふと、意識を“今”へと引き戻し、頭に感覚を向ける。
誰かが、私の頭を撫でている。
いや、この撫で方、この手つき、この温度の人物を私が間違うはずがない。
だが、これはどういう状況なのか。
思考を、必死で整理する。
模擬戦。
大魔法。
魔力切れ。
そこから――。
記憶の断片をひとつひとつ拾い集めていくうちに、
沈んでいた意識が、ゆっくりと、現実へと浮上していった。




