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㉑ レオルドルート 悪足搔き (レオルド視点)

 

 魔力主体の戦闘スタイルに切り替えてから――

 自分でも分かるくらい、“悪足掻き”としか言えない攻防が続いた。


 炎系統を主軸にした、考えうる限りの魔法と、その組み合わせを次々と試した。


 広範囲焼却、点集中の火線、熱風による押し出し、

 風魔法との併用による爆縮、火と土の複合魔法による溶断――


 だが結果としては、どれも

「結界を一枚か二枚、どうにか削る」程度にとどまっている。


 しかも、だ。

 魔法はどうしても、“連続使用”に限界がある。

 一度撃てば、そのあとには、再構築と再装填の時間が必要だ。


 その“次の魔法”を打ち込むまでの間に――

 姉上の結界は、すべて“元通り”に修復されてしまう。


 この時点で、かなり絶望的だが――

 さらに致命的なのは、仮に“結界を破れたとしても”という前提の話だ。


 最大威力の八、九割まで引き出した《紅蓮斬閃》を、

 片手で――それも“指で”軽く受け止めてしまう姉上本体が、あの結界の内側にいる。


 どう考えても、詰んでいる。

 完全に、詰んでいる。


 ……そう結論づけるのが、理性的な判断というものだろう。


 姉上は何も言わない。


 ただ、最初と同じ場所に立ち続け、

 こちらのあがきを、静かに見届けている。


 だが、その目には――

「いつ、降参を口にするのかしら」とでも言いたげな、

 どこか淡々とした色が宿っていた。


 ◇ ◇ ◇


 私は、姉上に。


 格好悪いところを見せたくなかった。

 “もう子どもではない”と、アピールしたかった。

 凄いところを見せつけたかった。


 ……なのに、今の自分はどうだ。


 息は荒く、肺は焼けつくように痛み、魔力は乱れて、制御のたびに軋みを上げる。

 体はボロボロで、軽く動かすだけで筋肉という筋肉が悲鳴をあげ、

 愛用の剣は、もはや剣と呼べる状態のものではない。


 それでもなお、諦めきれずに悪あがきを続けている。

 完全に、駄々をこねる子供だ。


 自分の望む“理想像”とは真逆の行動をとってしまう、

 この幼稚な心が――心底、嫌になる。


 いっそのこと、心など捨ててしまえたらと、何度思ったことか。


 民衆を前にした父のように、冷徹に徹することができたなら――

 どれほど楽であろうか。


 形だけ真似て、冷たい言葉や態度を装ってみても、

 父や姉上のように、こちらの血の気が引くような“冷たさ”や、

 震え上がるような圧力をかけることはできていない。


 ただ、ほどよく「近寄りがたい存在」になっているだけだ。


 なによりも、婚約者候補の令嬢たちには、

「クールで格好いい」と評価をされ、

 むしろ彼女らの熱を上げる始末である。


 ――求めているものと、得られるものが、あまりにも違いすぎる。


(……心なんて、無ければいいのに)


 心さえなければ――


 劣等感で苦しむこともない。

 将来の不安で、夜ごと頭を抱えることもない。

 周囲からの評価に、一喜一憂することもない。


 そしてなにより――――


 ◇ ◇ ◇


「ようやっと降参する気になったのかしら?」


 姉上の言葉で、ふと現実に引き戻される。


 どうやら、連続して魔法を使った弊害で、意識が朦朧としていたようだ。

 集中しようとしても、体内のリソースをあまりにも使いすぎたせいで、思考がうまく噛み合わない。


 魔力の残量も、ほとんど残っていないのだろう。

 “次の魔法をどうするか”と考える頭に、魔力の流れがまったく追いついてこない。


 少しだけぼやけた視界のまま、姉上の方へ視線を向けると――


「まだ、やる気なの?」


 と、心底呆れたようなため息をつきながら、肩をすくめられた。


「あなたの諦めの悪さは昔からだけれど……

 いったい、何がそうも気に入らないのかしら?」


 姉上は、真正面から問いかけてくる。


「それを――教えてくれるかしら」


 理由は、心では分かっている。


 何をこんなにも拗らせているのか。

 何にここまで逆らいたがっているのか。


 全部、分かっている。


 けれど、それを“言葉”にしてしまったら――

 もう二度と、元には戻れない。


 いや、それどころか。


 思考として“はっきり形にする”ことすら、禁忌とされるものだ。

 それを明文化した瞬間、自分は、自分であることをやめてしまう気がする。


 だから、私は――

 無言で、ただ姉上を見返すことしかできなかった。


「まあ、良いわ。私は、あなたが諦めるまで付き合ってあげる」

「私の執念深さも相当なものだと、あなたは知っているでしょう?」


 それは知っている。

 やり遂げると決めた時の姉上の執着は、半端ではないと。

 その執着で、いろいろな事を達成してきたことも。


 恐らく、ここでとりあえず折れたふりをして、後でまた反発しても、

 こうしてこちらの反抗心を折りにくるのだろう。

 その覚悟の色が、言葉の端々から感じ取れた。


 しかし、頭では今すぐにでも諦めたいのに、それを心が許さない。

 そのせいで、ごちゃごちゃに渦巻いた感情を必死で押し込み、

 歯を食いしばって、ダメもとで――大魔法の詠唱に入る。


 喉の奥から、かすれた声を絞り出す。

 崩れかけた魔力回路を、無理やり繋ぎ直しながら、術式を紡いでいく。


 ――が、それは姉上の妨害で不発に終わる。


 本日初めての妨害に、思わず目を丸くしていると、姉上はその理由を口にした。


「魔法陣構築が大雑把で、詠唱が早すぎるわ」

「正しくは、こう」


 そう言って、陣と詠唱の“手本”を見せてくる。


 空間に滑らかに指を走らせると、そこには、幾何学模様の魔法陣が、

 まるで初めからそこにあったかのような自然さで浮かび上がった。


 そして、本当に何てこともないような顔で詠唱を完了させ、

 はるか上空に向かって、炎の大魔法を放つ。


 雲まで届く勢いで撃ち上がったそれは、上昇しながら徐々に拡散し、

 やがて空高くで、大輪の花のような炎となって、激しい爆発を起こす。


 数秒ののち――遅れて、腹の底に響くような重低音の轟きが到来する。

 空気が押しつぶされるような圧とともに、衝撃波が肌を打ち、


 防御魔法をかけなければ火傷を負うであろう鋭い熱気が、肌を容赦なく刺してくる。

 空気そのものが灼けて歪み、視界の端がゆらゆらと揺らいで見えた。


 それでも、姉上は一歩も動かず、ほんの少しだけ目を細めて、その炎を見上げていた。

 吹きつける熱風に髪がはためいても、ドレスの裾が激しく翻っても、その背筋はかすりともしない。


(――こんな姉上に通用する手段なんて、あるのであろうか)


 自分なりに考えてみるが、もう思い浮かぶものは何ひとつ残っていなかった。

 頭の中の引き出しは、すべて開け放たれ、空っぽになった棚だけが並んでいるような感覚だ。


 ここらが潮時か――と、降参の言葉を口にしようとした。

 喉の奥で「まいりました」の音形を組み立て、唇を動かそうとする。


 ――が、口は、何かに張り付けられたように動かなかった。


 まるで、見えない糸で縫い止められているかのように、ぴくりとも開かない。

 声帯は震えようとしているのに、音にならない。


 そのとき、不意に、頬を一筋の冷たいものが伝った。


 汗ではない。

 熱気の中にあっても、はっきりと分かる「冷たさ」だった。


 自分は――

 何をそんなに悔しがっているのだろうか。

 何が、そんなにも気に食わないのであろうか。

 何が、ここまで許せないのであろうか。


 問いかけるたびに、胸の奥がきゅっと縮む。


 思わず、自身の心臓部に手を置いてみる。

 その部分は、驚くほど熱くたぎっていた。


 掌に伝わる鼓動。

 そこだけ、体内に別種の炎が宿っているかのように、激しく燃え盛っている。


 その熱に驚いて手をどけると――手のひらに、妙な違和感がまとわりついた。


 視線を落として確認すると、そこには、先ほど発動しようとして姉上に妨害され、不発に終わったはずの――あの魔法陣が、微かに輝きを帯びて浮かんでいた。


(……使え、ということだろうか)

 自分のものなのか、魔法そのものの意志なのかさえ判然としない。


 最後の力を振り絞り、私は、その魔法陣に意識を重ねるようにして――

 かすれた声で、詠唱へと移った。


 ◇ ◇ ◇


 詠唱に集中するため、そっと目を閉じる――その瞬間、そのまま闇に落ちていきそうになった。

 視界が途端に遠のき、足元の感覚がふっと薄れる。


 もうすでに、自分の中に残っている“すべて”を出し切ってしまっていたためだ。

 筋肉は限界を超えて悲鳴どころか、もはや何も訴えなくなっている。

 体の輪郭さえ曖昧で、自分という存在が、この場から溶けて消えてしまいそうだった。


 落ちていきそうな意識を、必死で引き上げながら、私は詠唱を続ける。

 言葉をひとつ漏らすたびに、意識がぐらりと傾く。

 踏みとどまらなければ、即座に暗闇へと叩き落される――そんな、綱渡りのような状態だ。


 本来であれば、とても集中などできないはずである。

 だが、にもかかわらず。


 自分でも恐ろしくなるほどに――魔力の制御は“完璧”だった。


 流したそばから、ぴたりと定位置に収まっていく。

 魔力回路を走るその流れには、澱みも、揺れも、余計な渦もない。

 いつも制御を行う際に混じってしまっていた、余計な力みや、変な虚勢や、どこかで見栄を張るような「色気」が、すっかり抜け落ちていた。


 残っているのは、ただ“必要なもの”だけだ。

 術式を動かし、現象を起こすために最低限求められる要素だけが、研ぎ澄まされた刃のように並んでいる。


 魔力は、胸元に刻まれた魔法陣の内側へと、あっという間に満たされていった。

 陣の線が一筋ごとに灯り、やがて全体がひとつの光輪となって輝きを増していく。


 そして、本来ならば――これらを、私の得意とする“火属性”へと変換する必要があるのだが。


 変換のプロセスに意識を向けるより早く、魔力は、私の魂と共鳴するようにして――勝手に、火へと変わっていった。


 それは、一般的な炎のような真紅でも、青白い高熱の炎でもない。

 赤いとも青いともつかず、薄っすらと橙みを帯びた“白色”――

 まるで、太陽光をそのまま凝縮して炎にしたような、純粋な「光」としての火だった。


 熱を帯びるたびに、胸の内側が心地よく震え、その震えに呼応して、陣がさらに鮮烈な輝きを放つ。

 焼けつくようなはずの熱が、いまだけは、不思議と痛くない。

 むしろ、凍えた何かを、優しく解かしていくような温もりすらあった。


 一瞬、制御しようかと思った。


 手綱を握り、枠の中へ押し込めて、従順な“火の魔力”へと矯正する――

 いつも通りのやり方に戻ろうと、反射的に考えが浮かぶ。


 ――だが、それを握りつぶしてしまうことの方が、よほど愚かであると、直感で理解した。


 恐らく、これが“最適”なのだと。

 理屈ではなく、本能の領域で、はっきりとそう感じた。


 だから私は、そのままにしておいた。

 ただ、流れを感じ、形を見届けるだけに徹した。


 思えば、ずっと疑問だったのだ。


 イグネイトや、姉上の使う火の魔法は――

 なぜあんなにも、ごちゃごちゃとしているのであろうと。


 幾重にも重ねられた安全装置。

 過度な出力制限。

 暴走防止のための“枷”として施された、細工に次ぐ細工。


 火の力を「制御しよう」としてしまっているがゆえに、

 本来その身に宿している、粗削りで、野蛮で、どうしようもなく強靭な“力”を――みずから殺してしまっている。


 本来、火とは――もっと、自由であるはずだ。

 燃えたいと欲するものを燃やし、奪いたいものを奪い、求めるままに広がっていくものだ。


 私は、いまようやく、その事実を受け入れつつあった。


 胸元の光輪を、両腕で抱きかかえるように意識しながら、魔力を一点へと集束させる。

 凝縮された白い炎が、ぎゅう、と音を立てるかのように密度を増していく。


 荒れた息を継ぎ、最後の詠唱文を紡いだ瞬間――

 私は、そのすべてを解き放つ。


(姉上 私は、あなたのことが)


 ◇ ◇ ◇


 解き放たれた“光となった炎”は、一直線に地を這うように走り出した。

 床に敷き詰められた大理石のタイルを、触れた端からどろりと融かしながら進んでいく。


 白く、橙を含んだ光の尾が、床面に灼熱の軌跡を刻む。

 石が金属のように柔らかく変質し、泡立ったかと思うと、次の瞬間には黒く焦げついたガラス片のように固まっていく。


 本来なら、すぐそばに立っている私も、その熱でただでは済まないはずだ。

 皮膚が焼け、呼吸するたびに肺が灼ける危険な距離――それなのに、不思議と“熱”を感じない。


 焦げた匂いも、焼ける音も、すべてがどこか遠くにある。

 私だけが、炎の中心から外れた、別の層に存在しているかのような、妙な感覚だった。


 姉上の方角から、水魔法と土魔法の気配が立ち上る。

 濃密な水の気配が満ち、同時に、重く硬質な土の魔力が防壁を築こうとしている。


 だが、放った魔法そのものが放つ白い光があまりにも眩しすぎて――

 何が起こっているのか、視界ではまったく追いつけなかった。


 直後、魔法同士が衝突する、凄まじい轟音が鳴り響く。


 耳の奥を揺さぶる低音と、高く甲高い破砕音が重なり合い、世界そのものにヒビが入ったような本能が忌避するような軋んだ音を立てる。

 遅れて、嵐のような突風が発生し、床の破片や砂塵が激しく巻き上がった。


 それでも、まだ炎は消えていない。


 水の壁を蒸発させ、土の障壁を融かし、

 突風さえも、進行方向を乱すことはできなかった。


 速度こそ緩やかだが――

 それは、着実に、すべてを薙ぎ払いながら、一直線に姉上のいる方角へと進んでいく。


(……これなら――)


 ここまでのすべてが報われる、“一撃”になるかもしれない。

 そう思った矢先。


 意識が、急激に、崩れ落ちていった。


 視界の光が遠ざかり 音がくぐもり、体の輪郭が、自分から離れていく。


 これは――


(魔力切れだ)


 マズイ、と頭のどこかで警鐘が鳴った時には、もう遅かった。


 指先の感覚が最初に消え、足の裏が地を踏んでいるという感覚も失われる。

 自分の体重がどこにもかかっていない、浮遊にも似た不安な無感覚。


 意識も、感覚も、ほとんどが無くなってしまう、そのとき。


 遠くで――


 姉上が、私の名を呼ぶ声がかすかに耳に届いた気がした


 そして、私の意識はそこで途切れた


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