㉑ レオルドルート 決着 (レオルド視点)
次の一手は――
一点を狙った連続攻撃や、一点突破の大技でも結界を破壊できなかった。
正面から、真っ向勝負で“破る”のは、ほぼ不可能だと理解した。
(……でも、目的は“結界の破壊”じゃない)
そうだ。
私の勝利条件は――
『“私をこの場から一歩でも動かす”。それだけでいいわ』
姉上は、確かにそう言った。
つまり、極論を言えば――
結界ごと“押し流す”ことができれば、それで勝ちだ。
今度は、力のベクトルそのものを変える。
炎は破壊力だけでなく、“圧力”も生む。
正面から叩きつければ、結界の強度勝負になる。
だが、横から、あるいは斜め下から――
“押し出す”ように当てれば、結界ごと“質量”を動かす力になる。
(結界の性質上、“硬さ”や“弾性”には強い。けれど――
“全体にかかる推進力”に対しては、そこまで最適化していないはずだ)
真正面からの《真龍の息吹》は、さっき見せてしまった。
同じ角度と形で二度目を撃てば、今度は完全に対処されるだろう。
だから――
今度は、“足元”から行く。
地面に向けて炎を叩き込み、
熱膨張と爆発で“下から吹き上げる”形の衝撃波を作る。
発動させるは、《大爆破魔法》。
広範囲に対して地脈ごと震わせるような爆裂魔法を、
姉上の立つ地点の“前方斜め下”――
結界の基部にあたると読んだ箇所に集中させれば、
結界ごと、わずかでも“押し出す”ことができるかもしれない。
(……これで駄目なら、もう本当に打つ手がない)
そう腹を括り、静かに詠唱に入る。
今度は、完全に姉上からの妨害は「無い」と決めてしまい、
意図的に視線を閉じ、魔力の流れだけに意識を集中させた。
足元から、ずん、と重たい共鳴が立ち上がる。
大地の奥深くに沈んでいるエネルギーを、
強引に地表近くへと引きずり上げていく感覚。
魔法陣の構築が完了し、魔力が飽和点に達する。
(――行け)
起動の言葉とともに、魔法を解き放った。
……が。
想定していたような、“地面ごと弾け飛ぶ”ような感覚は訪れなかった。
強烈な反動――ではなく、
何か、見えない巨大な“網”に、魔力そのものが吸い取られていくような奇妙な虚脱感だけが残った。
魔力は確かに消費した。だが、与えた“影響”が、あまりにも薄い。
(今のは――“打ち消された”のではなく)
(……“最初からそこにあった何か”を、崩しきれなかった?)
そんな感触だった。
「よくもまあ、この私の前で“地面に干渉する魔術”なんて、使えるわね」
呆れとも、感心ともつかない声音で、姉上が口を開く。
顔を上げる。
姉上の立っている位置は、やはり一歩たりとも動いていない。
足元の石畳も、砂ひとつ乱れていない。
「……どういう、意味でしょうか」
息を整えながら問うと、姉上は小さくため息をつき、淡々と答えた。
「この闘技場の“地面”と、“土台”と、“その下にある地脈”――
それらは全部、私の“制御下にある”のよ」
「……制御下、ですか」
「そう。まあこれは、私の“意思とは関係なく”発動してしまうものだから、
あなたでも気付けなかったのでしょうけどね」
言われて、改めて地面へ意識を向ける。
魔力感知を研ぎ澄ませると、確かに――
この場一帯の地脈の流れが、“わずかに”姉上の方へと傾いているのが分かる。
すべての流れが一方的に吸い上げられているわけではない。
だが、一定のリズムで姉上の立ち位置と共鳴していた。
「地面に干渉した魔法は、全般的に私には有効ではないわ」
平然と告げられたその一言に、思考が一瞬、空白になった。
《ゼタ・インパクト》は、最初から“盤面ごと”封じられていた。
その事実に気付けなかった自分への悔しさと、
そもそも、地面を全て制御下に出来るという人知を超えた力を無条件で発動できる姉上への理不尽さと――
様々な感情が一瞬、胸の内で渦を巻きかける。
だが、それらはすぐに押し流す。
(今は、負の感情に浸っている場合じゃない)
戦闘中に、頭の中を悪感情で埋め尽くすのは愚かだ。
私は一度、深く息を吸い、思考を“戦闘用”のそれへと切り替える。
(――最後の奥の手を使うしか)
正直、これ以上の「策」は、もうない。
そして今、私が切れる札は、たったひとつ。
この手は、本当は――使いたくはなかった。
理由はいくつもある。
まず、超高難度の剣技と魔法の組み合わせであること。
成功確率は、どれだけ甘く見積もっても十回に数回、うまくいくかどうかだ。
それから、代償も大きい。
これを放つには、発動までの間、膨大な“精神力”を注がなければならない。
同時に、発動の際には人の人体構造を無視した動きを強いるため、
筋肉や関節にも、尋常ではない負荷がかかる。
そして何より――
これは、本来“人に向けて放って良い火力”ではない。
長く生きた古龍。その太く、固い鱗と、
幾重にも重なる魔力障壁で厚く守られている首をも、容易く一刀両断できる技だ。
(……だから、本当は封印しておきたかったんですがね)
だが、姉上相手に“勝ち”を拾うための札が、これしか残っていないのなら――
迷っている場合ではない。
私は、自分の中でそっと技名を反芻する。
(《紅蓮斬閃》)
炎と剣と身体能力を、“瞬間的に極限まで引き上げ”、
速度と威力だけで空間そのものを断ち切る、私の“最終奥義”だ。
制御を誤れば、自分の関節が逆方向に曲がり、
筋繊維が断裂し、全身にとてつもない痛みが駆け巡る。
――だが、そんなものは、もう慣れている。
心配すべきは一点。姉上がこれを受けて“怪我をする”可能性だ。
だが。
(そんなことは、起こりえないでしょう)
この人は、そういう“致命的な一線”だけは見誤ったりはしない。
そして万が一、本当に危険だと判断されれば、
姉上は寸前でなにかしらの方法で止めるであろう。
それだけの実力と余裕が、あの人にはある。
私は剣を構え直し、
全身から一滴残らず力を絞り上げる覚悟で、呼吸を整えた。
この一手で、この模擬戦の“全て”を終わらせる――
そう、心に決めて。
◇ ◇ ◇
集中を始めると同時に、世界から音が消えていくような感覚が訪れた。
姉上の気配も、観戦している使用人たちの気配も、
すべてが遠く、薄くなる。
この静かな空間の中で、まずは自分の“器”を整える。
筋肉一本一本に、身体強化の魔法を丁寧に通していく。
血流の速度を一定に保ち、魔力の巡りを、淀みなく円環させる。
吐く息の音。
心臓が打つ音。
それらさえも、乱れていてはならない。
呼吸のリズムと鼓動のテンポを、まるで指揮者のように調律していく。
その“整った状態”を作り上げてから――
今度は、それらを少しずつ“増幅”させていく。
肉体の出力も。
魔力の圧も。
反射神経の閾値も。
一歩ずつ、限界の手前まで、段階的に引き上げていく。
慎重に、“調整”と“膨張”を繰り返す。
そこに、異物――余計な感情や雑念、魔力のノイズ――を
少しでも混ぜてしまえば、不発や暴発に直結するからだ。
ここから先は、一つでも狂えば、それで終わる。
だからこそ、私はただ黙って、
“自分”という器を、必殺の一手を放てる形へと作り換えていった。
やがて、それは“完璧”と呼べる形へと収束していく。
だが、最後にやるべきことがある。
――発火だ。
この満たされた力の塊を、動かし、解き放つだけの“衝撃”を、
発動の起点に寸分たがわずに与えてやらなければならない。
私は、姉上に対する感情を――
静かに、しかし確かに、そして大きなものを、その一点に乗せる。
(――――姉上。)
「《紅蓮斬閃》!」
技名を呼んだ、その瞬間。
全身を満たしていた力が、一気に“閃光”へと変わり、
私の身体ごと、前方へと弾き飛ばした。
◇ ◇ ◇
超高出力で放たれるその一撃をまとった私の体は――
叫んだ言葉よりも、先に進んでいた。
あまりの速度と強度のせいで、自身の周囲の空間が“歪む”のが分かる。
景色が細く引き延ばされ、視界の端が線のように流れていく。
空気との摩擦で、燃えるような熱が全身を包み込み、
皮膚を刺し、筋肉を焼き、肺の奥まで灼けるような感覚が走る。
それでも――威力は、まったく衰えない。
むしろ、その熱に呼応するように、
身体が、骨が、筋肉が、巡る魔力が――
ひとつの“刃”として共鳴し、さらに増幅していく。
世界が一瞬、線と色と熱だけの情報に変わる。
視界の先には――
いつも通り、揺らがぬまま佇む、姉上の姿。
(届け――!)
私は、そのただ一点に向かって、
自分という存在のすべてを叩きつけた。
見えない障壁に触れた瞬間、その感触がはっきりと腕に伝わる。
一枚目――断つ。
次の一枚――裂ける。
切り裂いた結界の“層”が、手応えとして確かに積み重なっていく。
二枚、三枚、四枚――
五枚目を斬り払ったあたりで、もはや腕の感覚は麻痺しかけていたが、構わず踏み込む。
(行ける……!)
六枚目を抜けた。
七枚目、八枚目へと差し掛かった――その時。
“何か”が、剣先を掴み取った。
紅蓮の斬撃が、まるで時間ごと凍り付いたかのように、動きを止める。
(――!?)
ハッとして剣先に視線を落とすと、そこには――
姉上の“手”があった。
ご丁寧に、つい先ほどまでつけていなかったはずの手袋まで、きちんと嵌められている。
その指先が、私の《紅蓮斬閃》の刃を、
まるで“ナッツなどの小さな木の実”でも摘み取るかのように――
だが、ぴたりと確実に受け止めていた。
本来なら、刃は紅蓮の熱を纏い、触れたものすべてを焼き裂くはずだ。
だというのに、姉上の手には、焦げ跡ひとつ付いていない。
「やっぱり、あなたを“一人で”野放しにするのは危険だわ」
姉上は、心底からの溜息をつくような声音で、そう言った。
その声音には、明確な呆れの色が混じっている。
次の瞬間、姉上の手が剣先からそっと離れた。
途端に、張り詰めていた何かがぷつりと切れたように、
私はその場で地面へとへたり込んだ。
気絶したわけでも、戦意を失ったわけでもない。
純粋に、足にかけすぎた負荷のせいで――
“立つ”という動作に必要な力を、完全に使い果たしたのだ。
膝から崩れ落ちた衝撃で、剣が腕から離れる。
地面に触れた刃先は、その役目を終えたと言わんばかりに、
そのまま“ボロボロ”と音を立てて砕け散った。
紅蓮の一撃を支えきれなかった金属が、砂のように崩れていく光景を、
私はただ、膝をついたまま見つめていた。
「どうしてそう、危なっかしい戦いしかできないのかしら」
呆れ半分、諦め半分といった声音で、姉上が言う。
直後、温かな魔力の波が、こちらへと流れ込んできた。
(また、回復魔法。しかも先ほどよりも高位のもの……)
焼けつくように悲鳴を上げていた筋肉が、すうっと落ち着きを取り戻し、
さきほどまで痺れていた足先にも、じわりと感覚が戻ってくる。
力が戻るのを感じ、私は地面を片手で押して立ち上がった。
そして――反射的に、一歩、二歩と姉上から距離を取った。
無言で立ち上がった私に対して、姉上は静かに口を開いた。
「一応、言っておくわ。今の技――あのまま続けていたら、
あなたは“しばらく療養が必要なくらいの反動ダメージ”を負っていた」
淡々とした声音だが、その内容は容赦がない。
「仮に今後も使うつもりなら、私が止めたところくらいの威力で“運用しなさい”」
はっきりとした叱責だった。
言い返す言葉は、なかった。
――そしてもう、これといった手はない。
剣は砕け散った。
足も、一度は立てなくなるまで酷使した。
全身はまだ、回復魔法のおかげで動くが、さきほどの一撃で“出し切った”感覚がある。
私に残っているのは――魔力だけ。
それだけで、あの姉上に立ち向かうなど、
(……不可能だ)
頭では、分かっている。
魔力だけでどうにかできる相手ではない。
それは、この十数分のやり取りだけでも嫌というほど理解した。
けれど――それでも。
認めたくなかった。
だから、体は――
理屈とは関係なく、次に発動する魔法の準備を始めていた。
肺に空気を満たし、
指先に再び魔力を灯し、姉上の方を向き直した。




