⑳ レオルドルート 兄弟喧嘩_後(レオルド視点)
姉上と私の能力は――
最初のうちは、私の方が優秀だと言われていた。
姉上が“勉強というもの”に価値を見出しておらず、講義を半分聞き流していた頃は、
きちんと耳を傾けていた私の方が、理解していることも多かったからだ。
だが、習得すべき内容の難易度が上がるにつれ――その構図は、あっという間に逆転した。
姉上が、ようやく授業の内容に興味を示したかと思うと、
その翌日には、もう完全に習得してしまっているのだ。
私は、一を聞いて“一”を理解し、
それを積み重ねて、ようやく“二”や“三”に辿り着くタイプだ。
対して姉上は、一を聞いて“十”も“百”も理解してしまう。
どころか、魔法の分野においては――
あっさりと教師を追い越してしまったことすらあった。
そんな姉上に、私は必死で追いつこうとした。
歯を食いしばって走り続け、やっとの思いで「同じ場所」にたどり着いたと思ったときには、
姉上はさらに二十歩、三十歩と先へ進んでいる。
だからこそ、私は――
どんどんと遠くなっていく姉上の背中を、見失わないように、
ただひたすらに追いかけることしか、できなかったのだ。
そして最初のうちは、まだ素直に姉上に相談が出来た。
なぜそんなことができるのか、どうすればいいのか――
分からないことがあれば、私はためらいなく姉上に尋ねたし、
姉上も、それに快く応じて、丁寧に教えてくれていた。
だが、年齢が上がっていくにつれて、
そういった行為が、次第に“恥ずかしいもの”のように思えてきた。
そして何より――
姉上の前で、いつまでも情けない姿を晒していたくはない、という気持ちが芽生えた。
最初は、本当に小さな違和感のようなものだった。
だがそれは、時間と共にどんどんと自分の中で大きくなっていき、
気づけば、私は“自分から姉上を避ける”ようになっていた。
姉上も、最初のうちは「それは駄目」「これはこうしなさい」と、
あれこれ口出しをしてきていたが――
恐らくは、私のその態度を感じ取ったのだろう。
次第に、私に対して、自分から積極的に関わろうとはしなくなっていった。
そうしてしばらくは、
お互いに必要最小限の会話だけを交わす、静かな時間が続いていた。
――はず、だったのだが。
ごく最近になって、姉上はまた、あの「活動的な姉上」に戻り始めた。
悪徳料理店の一斉摘発。
名物料理の開発と流通。
領全体を巻き込むような変革。
昔の――世界をひっくり返そうとする頃の、あの姉上が戻ってきた。
兆候は、その少し前からあった。
なぜか、私と顔を合わせる頻度が妙に高くなり、
前よりも明らかに、こちらへ声をかけてくる回数が増えたのだ。
しかもその出会い方は、どう考えても“偶然”とは思えないものだった。
執務室から出て、廊下を曲がった先でばったり。
訓練場へ向かっていたら、なぜか先回りしている。
朝の準備を終えて食堂へ向かえば、いつもは来ない時間帯に姉上が座っている。
そういったことが、続けざまに起きた。
本来、別々の生活リズムで動いているはずの私たちが、
この広い屋敷の中で、そんな頻度で顔を合わせるのは、本来ありえないはずだ。
当然、一度は指摘しようと思った。
「姉上。もしかして私のことを“待ち伏せ”しておられますか?」と。
だが、その機会を伺っていたところで――
先に姉上の方から、こう言われてしまったのだ。
『レオ。もしかして、私のことを待ち伏せしているの?』
先手を打たれた。
喉まで出かかっていた言葉を、飲み込むしかなかった。
こういう“活動モード”に入った姉上は、ほとんど無敵だ。
こちらの話をまったく聞かない――とういわけではない。
むしろ、きちんと聞いたうえで、
それ以上の理屈と実績と先読みで、完璧に論破してくる。
だから、正面から反発すること自体が、そもそも間違っているのだと分かっている。
しかし――
それでもどうしても、譲れないものがあった。
姉上から言われた、「他の令嬢と恋愛をしなさい」という話。
これだけは。
私の中で、“どうしても実行したくなかった”。
◇ ◇ ◇
(……だからこそ、今日だけは)
構えた剣を、握り直す。
相変わらず彫刻のように、ただ静かに佇んでいる姉上へと視線を戻す。
姉上からは、いまだに“攻撃魔法の気配”が一切感じられない。
張り巡らせた結界だけで、一時間を耐えきるつもりなのだろう。
本来、魔術師同士が向かい合っている状況での「棒立ち」は、有り得ない行為だ。
魔法は、正しく発動すればこそ強力だが、
中途半端な詠唱や構築のまま放てば、不発になったり、
場合によっては暴発し、その反動で術者自身がダメージを負うことすらある。
だからこそ――
「いかにして相手の発動を潰すか」が、魔術戦ではセオリーとなっている。
私自身、そういった小細工はあまり得意ではないし、
純粋に力で押し切ってしまった方が早い場面も多いので、そこまで多用する戦い方はしてこなかった。
だが、姉上は違う。
そういった“小細工”を好んで使うタイプだ。
こちらの詠唱の隙――呼吸の乱れ、視線の揺れ、魔力の流れの僅かな淀み――
そういったものを鋭敏に感じ取り、そこを正確に突いて、
こちらの魔法を“不発”に追い込む。
そして、手元で虚しく霧散した魔法を、
どこか満足げに眺めるのだ。
だからこそ、私はずっと警戒していた。
しかし、今に至るまで――
姉上から「こちらを潰しにくる」気配は一切ない。
ただ、そこに立ち。
ただ、結界を維持し。
ただ、私を見ている。
(……本当に、“結界だけで最後まで受け切る”つもりなのでしょうか)
何を考えているのかは分からない。
けれど――少なくとも魔力の流れ的に。
“こちらが大技を準備する隙を潰しにこない”ということだけは、はっきりしている。
ならば――
(遠慮なく“大技”を使える)
私は、意識をさらに深く沈め、
自分の中に渦巻く炎と魔力を、限界まで引き絞る。
使用するのは――《真龍の息吹》と呼ばれる魔法。
その名は、真龍が吐き出す灼熱の奔流に匹敵する“威力”と、
発動までに要する“長い詠唱時間”に由来する。
姉上から目を離さぬよう、視線だけを向けたまま、静かに詠唱を始める。
この魔法は、ひとたび起動に入れば――
途中での中断は、ほぼ不可能だ。
仮に妨害があったとしても、それを察知して詠唱を止める余裕はない。
だが、せめて「警戒はしている」というポーズだけは必要だと思い、
あえて視線だけは姉上に固定したまま、集中を深めていく。
足元に描かれた魔法陣の内側で、魔力が高温の熱を帯びて渦を巻く。
額にはじわりと汗が浮かぶ。
それでも、まだ足りない。
もっと、もっとだ。
全身を巡る魔力の流れをさらに絞り込み、
魔法陣の中心へと、ひたすら叩き込んでいく。
――ここだ。
そう確信できる瞬間、私は詠唱を締めくくり、魔法を解き放った。
轟音と共に、炎の吐息――その名の通りの“灼熱の嵐”が、
姉上めがけて一気に吹き荒れる。
だが、これで終わりではない。
この魔法は、一度発動さえしてしまえば、
魔力を供給し続ければ、発動点を始点として、一定時間、自動的に発動が継続される。
つまり――放ったあとも、私は別の行動を取ることができる。
自身に《カウンター》の魔法を展開し、
そのまま“自分の放ったブレス”の中へと飛び込んだ。
炎の吐息の内部の流れは、想像していた以上に速い。
風と熱が混ざり合い、竜巻のように渦を巻いている。
その流れに意識を合わせ、姉上の位置を軸として、
炎の流れそのものに身を乗せるようにして地面を蹴り宙を舞いながら前進していく。
《カウンター》は、“受けたダメージを反射する”魔法だ。
とはいえ、実際には反射効率はそこまで高くない。
こちらにも、ほぼ同等のダメージが蓄積していく。
だが――
短い時間であれば、その“反射予定のダメージ”を、自身の中にスタックさせておける。
そして、その蓄積した“反動”を――
剣へと載せて、まとめて叩き込むことができる。
(さっきのように“面”で叩いても通らない。ならば――)
今回は、“一点突破”だ。
さきほどの反省を踏まえ、私は“斬撃”ではなく“突き”に特化した構えへと移行する。
炎の奔流の中で、身体強化をさらに上乗せし、
全身のエネルギーを、右腕と剣先へと集中させる。
燃え盛る炎の中を、一直線に貫く軌道をイメージする。
私と、真っ直ぐに向き合っている姉上の胸許――
その、たった一点だけを目指して。
「――ッッ!」
灼熱の奔流を突き破るように、私は突きを放った。
《真龍の息吹》による熱と、《カウンター》で蓄積した反動ダメージと、
身体強化と、自身の全体重と――
ありとあらゆる“力”を、一本の剣先へと集中させて。
見えない障壁へと、全力で突きつける。
硬い何かを貫く、鈍い手応えが腕を通して伝わった。
刃は、確かに“何か”を穿っている。
だが――全てを貫ききれた感触ではない。
あと一撃。もう一押し叩き込めば――そう思った、その瞬間。
姉上の方角から、冷たい気配が走った。
咄嗟に身を引いたところ次の瞬間、横合いから水の奔流が飛来する。
高圧の水刃が、私の《真龍の息吹》の流れにぶつかり、
炎と水が、ジュウ、と嫌な音を立ててぶつかり合った。
灼熱の嵐が、姉上の放った水魔法によって、容赦なく“相殺”された。
「そんな危ない剣術は、誰に習ったのかしら」
少しだけ棘を含んだ口調で、姉上が問いかけてくる。
私は姉上から距離を取りつつ、呼吸を整えながら答えた。
「……自己流のものです」
「組み合わせや威力は悪くはないのだけれども――」
姉上は、先ほどまでブレスと炎と水が交錯していた空間を、一瞥する。
「そんな“自爆特攻”のような真似、
領主のような存在がする技ではないわね」
まるで、すぐ傍で見ていたかのような口ぶりだ。
《真龍の息吹》と《カウンター》と身体強化をすべて重ねた今の一撃は、
状態判断を一つ誤れば、大怪我では済まされない類のものだ。
――だが、私はそれを承知の上で使っている。
自分の身体の状態は、毎日の鍛錬によって細かく把握している。
どこまで動けるか、どの程度まで出力を上げれば限界なのか。
それがどれだけ伸びたのかを、毎日記録しているのだ。
だから、“問題はない”と判断して放った。
「領主は、“自分の身一つ”に全てを賭けていい存在ではないの。
あなたが倒れたときに、何を失うのか――そこまで考えなさい」
姉上の声は、冷静だが、どこか淡々とした叱責にも聞こえた。
そう言いながら、姉上はふと指先を軽く動かした。
直後、魔力の奔流がこちらへ飛んでくる。
いきなり、そして常軌を逸した速度で飛来したそれに、私は対処する暇もない。
だが、衝撃も痛みも来なかった。
代わりに――
炎の熱で焼けた皮膚が、すうっと冷やされるように癒えていく。
焦げた布地が、何事もなかったかのように織り直されていく。
これは、“回復魔法”だ。
(……模擬戦闘の最中に、なぜ)
そう言いかける前に、別の思考がよぎる。
今の一撃――
あの反応速度と、魔力の密度。
もし、あの回復魔法が“攻撃魔法”だったなら。
(……反応できずにまともに食らい、その場で“終わっていた”)
その事実だけが、じわりと背筋を冷やす。
――だが、その冷たさのおかげで、むしろ思考は落ち着きを取り戻した。
今回の勝負の、本来の目的を思い出す。
これは、私の実力を“証明”するための場。
姉上が私の限界と可能性を見極めるために、用意した時間だ。
(単に、私の純粋な能力を知りたい――そう判断したのだろう)
軽率と言えば軽率な思考だが、
少なくともこの一時間に限っては、「こちらの本気を妨げるつもりはない」ということだろう。
そして、妨害を常に恐れていては、姉上の守りを突破できるはずがない。
その一点に賭けなければ、勝機など訪れない。
そう思考を切り替え、私は次の一手の準備へと意識を集中させた。
(つづく)




