⑳ レオルドルート 兄弟喧嘩_中(レオルド視点)
床を数度蹴り、最高速度に達してから軌道を変える。
一直線ではなく、上向きに跳ね上がるように――闘技場空間を斜めに切り取る弧を描いて、姉上との距離を詰める。
真正面からの突撃は、返り討ちに遭う可能性が高い。
だからこそ、まずは“上”を取る。
跳躍に移る直前、同時に詠唱を省略した炎魔法を展開した。
「炎よ――」
掌に収束させた炎弾を、姉上の足元めがけて連続して撃ち込む。
狙いは“ダメージ”ではない。
土煙を上げて視界をふさぐこと。
そして、姉上が張っているであろう防御結界の「範囲」と「強度」を測ることだ。
視界の隅で、炎弾の着弾点を確認する。
地面が抉れる気配はない。
炎は、姉上の足下の“少し手前”――見えない壁にぶつかって砕け散っていた。
(……やはり、あらかじめ厚めに展開しているか)
空中で体勢を変えながら、その結界の位置と形を頭の中でなぞる。
足元に土塊を生成する。
宙に浮いた小さな足場。それを強く蹴り上げ、さらに高度を稼ぐ。
上空から勢いを乗せた剣撃を叩き込むためだ。
身体強化の魔法を全身に走らせ、
同時に剣にも炎属性のエンチャントを重ねる。
標的は――視界には映らないが、先ほど炎弾が弾かれた“結界の表面”。
そこめがけて、一気に振り下ろす。
結界に触れる瞬間、身体強化魔法の出力をさらに引き上げ、
剣筋と体重と魔力、そのすべてを一点に収束させて叩きつける。
結界と、こちらの一撃との“衝撃差”を最大まで広げて、破壊を加速させるためだ。
――全てが、理論上は“完璧”だった。
剣が、見えない壁を叩く。
空気が震えるほどの衝撃音。
魔力と魔力がぶつかり合い、火花のような光が瞬く。
だが。
砕け散ったのは、剣の方であった。
反動で剣の柄を握っていた手に、一瞬、鈍い痛みが走る。
――それでも。
結界にも、確かな手応えはあった。
ほんの一瞬だけ、空気の“歪み”が揺らぐのを、この目で捉えた。
ならば、“もう一押し”だ。
結界に直に触れ、そのままそこへ攻撃魔法を叩き込む。
着地の衝撃を利用し、結界の表面に掌を押し当てる。
詠唱は、先ほど落下する間に済ませておいた。
私の魔法は、制御こそお世辞にも褒められたものではないが――
“威力だけ”であれば、最上位クラスに位置する。
そして、至近距離であれば、細やかな制御など不要だ。
ただ、全力で叩き込めばいい。
「――燃え爆ぜろ」
最後の詠唱を呟き、炎魔法を解き放つ。
爆発のような轟音と衝撃が走り、
叩きつけられた炎が、結界の一点へ集中して炸裂した。
結界の表面が、焼けるように“軋む”感触が掌に伝わる。
爆発の反動を利用して、そのまま後方へ跳び退く。
距離を取りつつ、すぐさま投げナイフを構える。
結界の弱点は、“面”には強く、“点”での攻撃には弱いこと。
職人の手によって鋭利に研がれた刃先が狙うのは、
先ほど爆発が起こり、まだ薄く煙が上がっている一点――
すなわち、さきほど炎で“すでに負荷をかけた箇所”だ。
身体強化魔法を腕と肩と腰に集中させ、全力での投擲を行う。
念には念を入れ、時間差と角度をわずかにずらして複数本――
連続して、同じ一点を貫く軌道で。
(これを、その場から一歩も動かずに“全て防ぐ”手立ては――)
――ないはずだ。
絶対に、“回避”か“受け流し”を強いられるはず。
しかし、煙が晴れた先に広がっていたのは、想定外の光景だった。
ナイフが――同じ箇所に複数刺さったダーツのように、宙に浮いている。
正確には、空中の“何か”に、ぴたりと吸い付くように刺さったまま静止していた。
結界の表面に、点で突き立てられ、そこで動きを止めている。
「そうね、投擲の正確さは褒めてあげてもいいのかしらね」
姉上が、少しだけ楽しそうな声音で言う。
「どれも同じところを、きちんと捉えていたわ」
「いったい……なにが……」
驚愕のあまり、声が喉の奥で掠れた。
通常なら、結界の同一点にこれだけ攻撃を重ねれば、
どんな強力な結界であっても、ひび割れどころか、結界そのものが破れ去っているはずだ。
その“種明かし”をするように、姉上はまるで授業でもするかのように、さらりと言葉を続けた。
「レオ、いいことを教えてあげるわ」
視線だけこちらに向け、宙に浮いたナイフをひとつ、魔法で回収していく。
「結界魔法は、普通の術者なら一枚しか張らない。
けれど、それでは防げるものは限られてしまう」
「“厚くする”より、“複数重ねる”方が、断然強度は増すの」
姉上は、指を一本立てる仕草をしながら説明を続ける。
「それに――結界にも“性質”があるわ」
「鉱石のように“硬い”もの。
ゴムのように“弾性”のあるもの。
布のように、“互いの結びつき”によって強度を発揮するもの」
「そういった“性質の違う結界”を、薄く、何重にも重ねていくのがいいわね」
言いながら、姉上の周囲の空気が、わずかに揺らいだ。
ナイフが刺さっていた表層のさらに奥――
そのまた内側に、幾層もの見えない膜が重なっているのが、
魔力感知を通じて、なんとなく理解できてしまう。
「あなたの一撃は、“四層目”までは届いていたわ」
姉上が、事もなげにそう告げる。
「でも、これは十枚重ねてあるもの。
あと六枚、同じだけの負荷を連続で与え続けないと、壊せない――といったところかしらね」
そして、さらりと付け加える。
「それに、私は“結界を回復させる魔法”も使えるから――
果たしてこの結界が、最後まで破れるかどうかしらね」
本当に、何事もないかのような冗談めかした口調だった。
ここまでやっても、ようやく姉上の前に張ってある結界魔法を、半分も破壊できていないというのか。
(……これが、“差”か)
喉が、ひどく乾いている。
だが、それでも――ここで膝を折るわけにはいかない。
予備の剣を引き抜き、正眼に構える。
「……私の目的は、結界の破壊ではありませんので。
他の手段を試すまでです」
自分でも驚くほど、声ははっきりと出ていた。
姉上は、ほんのわずかだけ口元を緩めた。
「そう。――じゃあ、見せてもらおうかしら」
「“レオルド・ヴァルデン”としての、本気とやらをね」
「…………………………」
◇ ◇ ◇
私は、ヴァルデン家の嫡男として生まれたことで――
色々と、面倒な苦労を背負わされてきた。
父であるヴァルデン伯爵は、稀代の名将であり策略家。
「ペン一つで敵国を焦土とできる」とまで言われるほどの、天才的な政治家だ。
母は、元は没落貴族の出身でありながら、
冒険者として大成し、父と結婚し、壮大な成り上がりを果たした傑物。
知力の面では、父には遠く及ばない。
戦闘の面では、母に及ばない。
そして、その“両方”をも凌駕しうる――
我が姉という存在がいる。
そんな怪物じみた家族たちを血族として持っている以上、
周囲が私を見る目にも、当然ながら“期待”が籠もる。
だが現実として、私はまだ――
その常人離れした才覚の領域には、まったく到達していない。
決して、努力を欠かしているわけではない。
明後日の方向に鍛錬を続けているわけでもない。
そして、才能が無いわけでもない。
努力をすれば、それはきちんと“力”となって積み上がっていく。
基礎を固めれば、魔法も剣も、それに応じて伸びてくれる。
ただ――
その成長速度は、「差」を埋めるには、あまりにも遅い。
姉上の習得スピードと比べれば、その差は雲泥というより、もはや別世界だ。
そんな自分が、正直言って嫌になることもある。
しかも、そのとんでもない姉上は、事あるごとに「ああしろ、こうしろ」と指示を出してくる。
内容や原理が分からないわけではない。
ただ、姉上はまるで“赤子の手をひねる”かのような口調で、
常人からすれば無茶な要求を、当然のように重ねてくるのだ。
こちらとしては、頭を抱えざるを得ない。
――それでも。
そんな姉上のことを、「嫌いだ」と思ったことは、今までで一度もなかった。
幼いころ、父と母は仕事が忙しく、家をあけることが多かった。
そして母と祖父母の仲は最悪で、その時期はほぼ絶縁状態だったため、
屋敷に来る血族と言えば、時折様子見に来る父方の叔母くらい。
身近にいた“家族”と呼べる存在は、実質、姉上だけだった。
そんな、孤独を感じていた日々の中で――
私たち兄弟は、よく一緒に遊んだ。
(姉上が孤独を感じていたかどうかは、正直”不明”ですがね)
姉上のやることなすことは、幼い頃からスケールがおかしかった。
かくれんぼと称して一週間、誰にも見つからないまま屋敷内に潜伏してみたり。
ペットが飼いたいと言い出して、どこからか古龍種の卵を取り寄せてきて本当に孵してみたり。
「地面の奥って、どこまで広がっているのかしら」と言って、屋敷の裏庭にとんでもない大穴を開けてみたり。
何やら儀式を行い“他の世界の神?”という存在を、本当に召喚してしまったり。
屋敷の外にこっそり出て、「連れ戻されるまでどこまで行けるか競争しましょう」と言い出したときには、
私は城下町の外れで捕まったが、姉上はというと――
冒険者の一団に紛れ込んで、なんとダンジョンの最奥まで行っていたらしい。
当然のことながら、それらによって発生したトラブルもまた、とんでもない被害規模であった。
だからこそ、両親は「変な影響を受けると困る」と本気で心配し、
何度も、何度も、私にこう忠告した。
「マティルダからは、少し距離を取りなさい」
それだけで終わればまだよかったのだが――
それでも姉上の側を離れようとしない私を見て、
ついには両親は、姉上との接触そのものを物理的に制限しようとし始めた。
あのとき、私は。
生まれて初めて、はっきりと「我儘」を通したのだ。
その頃の私は、規格外な姉上のことが、本気で「大好き」だった。
次々と常識外れのことをやらかす人ではあったが、
いつも私の手を引いて、新しい遊び場や知らない景色へ連れて行ってくれる存在でもあった。
世界を広げてくれるその在り方に、私は心から感謝していた。
――それが、少しずつ大人になっていくにつれて、状況は変わっていった。
姉上には「淑女としてのあり方」を叩き込む教育が、
私には「次期領主としての自覚」を叩き込む教育が、本格的に始まったのだ。
最初のうち、姉上は母のしごきから逃げ出しては、
私のところへひょっこり顔を出してきた。
レッスンをサボって、執務室の隅で本を読んでいたり、
庭で勝手に魔法実験をしては、母に引きずられて戻っていく――そんな光景も珍しくなかった。
しかし、いかに姉上といえど、最後には母の執念に根負けしたのか、
渋々ではあるが、貴族令嬢としての教育をまともに受けることを了承していた。
私の方も、それに合わせるようにして、
寂しさなど感じる暇もないほどの、教育と社交と鍛錬の時間が組み込まれていった。
そこで、はっきりと浮き彫りになってきたものがある。
――私と姉上との、「実力差」だった。




