⑲ レオルドルート 交渉(前)
「姉上、急ぎの用とお聞きしましたが、何かあったでしょうか」
呼び出してから、そう時間も経たないうちに、レオは執務室へと姿を現した。
相変わらずの無表情――ではあるが、その声の端には、わずかに棘が混じっている。
「急に呼びつけて悪かったわね。腰を据えて話したいから、あなたも座って頂戴」
そう促すと、レオは使用人が差し出した椅子へと静かに腰を降ろした。
「私の要件は2つよ」
レオの視線が、わずかに鋭くなる。
「ひとつは――名物料理プロジェクトに関して。
“私に話が回らないようにしている”わね」
意図的に、少しだけ声に冷たさを混ぜる。
「……あります。しかし、それは姉上に上げる必要がないレベルの、小さい問題だからでして」
若干の動揺が、言葉尻ににじんでいた。
「その“小さい問題”を、あなたは解決できたの?」
私は、机の端に置いてあった一枚の報告書を指で軽く叩く。
「たしか“唐揚げラーメン”だったかしら。
私の元へ話が来たのは、“早く販売をしろ”と民衆がデモを起こしかけた、まさにその直前だったのだけれどもねえ」
頭の中でリカが『だからマティルダ、言い方! 完全に尋問だから!』と叫んだが、
私はその声を遮るように、指輪全体を覆うように薄く魔力を流し込む。
その瞬間、リカの声はぴたりと途絶えた。
(……これをすると、あとでひどく拗ねるのよね)
リカの声を完全にシャットアウトするこの手段は、滅多に使わないようにしている。
だが今回は、“リカのいない状態でレオと向き合いたかったため”この手段をとった。
「それ以外にもあるわ」
私は指を折りながら、ひとつひとつ挙げていく。
「屋台の営業場所の調整、行列による近隣からの苦情、料理人ギルドとの連絡系統。
どれも“問題が起きてから”私の耳に入ってきたわね?」
「……それは、その……」
レオは唇を引き結び、視線をわずかに落とした。
「レオ。あなたが“自分でやりたかった”のは分かるわ。
私に頼らず、自分の力で形にしたかった、その気持ち自体は否定しない」
そこで一度、言葉を区切る。
「でも、“問題が少し大きくなってから”私が動く形になるのは困るの」
それは、レオの評価にも、ギルドの信頼にも、そして領主家の威信にも関わる。
レオは小さく息を呑み、再びこちらを見る。
「――これからは、“本当に小さい問題”かどうかは、
私か、ハンネスあたりに一度相談しながら進めなさい」
しばしの沈黙ののち、レオは小さく息を吐き、観念したように頷いた。
「……承知しました」
それを確認してから、私はひと呼吸おき、話題を切り替える。
「ふたつ目――こっちは、“もう少し個人的な話”よ」
レオの眉が、わずかに動く。
「あなたの“女性関係”について、少し話をしておきたいの」
「!?」
さすがのレオも、目を見開き、分かりやすく驚いた表情を見せる。
「なぜ姉上が、そのようなことを気にされているのですか?」
「最近、ギルドや名物料理プロジェクトが忙しいと、令嬢たちの誘いを断っていると聞いたわ」
「より優先すべき方を選んだだけです」
レオは、はっきりとした口調で答える。
「まあ、そんなことだろうと思ったわ」
私は肩をすくめる。
「だけど、あなたは“時期領主”でしょう?
将来の相手選びも、重要な仕事の一つよ」
「それも承知しています。しかし、そういったものは焦らずに見極めるものだと思っています」
珍しく、明確な反論が返ってきた。
「“焦らず”というのは正しいわ。
ただ、それは“いつまでも先延ばししていい”という意味ではないの」
私はレオを正面から見据えた。
「後々になればなるほど、選択肢は減っていくものよ」
「だからこそ、今から色々と“試しておくべき”だわ」
「しかし――」
と言いよどむレオに、私は書類の束を一つ渡した。
「姉上、これは?」
「名物料理プロジェクトで“没”になった料理のレシピよ」
レオの目が、わずかに見開かれる。
「今回の名物料理は、異国の商人や、そういったことに詳しい存在から“完成形の情報”は得ていたわ。
それでも、これだけの“失敗作”が山ほど出ているの」
紙束をぱらぱらとめくるレオに、私は言葉を重ねる。
「頭で想像することと、それを実際に“形にしてみる”ことは、まるで違うのよ」
「……」
「あなたも今回、ギルドの創設者として現場で仕事をしたのだから、少しは分かったのではないかしら?」
「っ……」
レオは何も口には出さなかったがその反応で、十分だった。
「“経験”の重要性は、もう嫌と言うほど理解したでしょう?」
レオは口を閉ざしたまま、紙束を見つめている。
「勘のいいあなただから、私が言いたいことはもう察しがついていると思うけれど――敢えて言うわ」
私は、真正面から言葉を投げる。
「今のうちに、女性と“触れ合っておきなさい”」
「……しかし、私には仕事が――」
「ギルドや名物料理に関しては、私が“代理で”やっておいてあげるわ」
静かに、しかし有無を言わせぬ口調で告げる。
「他にも雑務があるなら、それもまとめて引き受けてあげる。
だからあなたは、今のうちに“女性という存在”と、“恋愛”というものを経験しておきなさい」
「…………………………」
レオはしばし黙り込み、手の中の紙束をぎゅっと握りしめる。
私は、あえてこれ以上は急かさずに、彼の返答を待つことにした。
やがて顔を上げ、少しの間、私の顔をじっと見つめたあと――
わずかに視線を伏せ、長い沈黙。
そして、何かを振り切るように再びこちらを見据え、
「………姉上にだけは、言われたくはありません」
と、いつもより少し荒い口調で反論してきた。
一瞬、思考が止まるが、すぐに再起動する。
まずは、状況の確認からだ。
「あら、それはどういう意味かしら」
あえて声を柔らかくして問いかける。
「恋愛面に関してだけは、姉上からは何も指図を受けたくない、という意味です」
レオは、丁寧な言葉を選びながらも、はっきりと言い切った。
「姉上の頭の良さや要領の良さ、魔法技術の高さは、素晴らしいと思います。
そして、それに対しては見習うことや、教えてもらうことも多いと感じています」
一つひとつ区切るように言いながら、そこで声の調子をわずかに変える。
「しかし、こと“恋愛”においては――姉上こそ、学ぶことが多いのではないかと思っています」
火がついたように、言葉が滑らかに出てくる。
「…………もしかして、挑発しているの」
私はわざとらしく片眉を上げる。
「この“私”を?」
「いえ、これに関しては“相対的な事実”を申し上げているだけです」
即座に返ってくるレオの言葉。
「今の私は、“文字が読めない者”から文学を良く学べと言われている状態です。
挑発と感じるのは、姉上ご自身が“その点については至らない”と、どこかで自覚しているからではないでしょうか」
口調こそ丁寧だが、その中身は、なかなかに容赦がない。
「あらあら。令嬢からの誘いを“仕事”を理由に逃げ回ったり、
相手の顔色ばかり伺って、無難なことしか言えないあなたよりは、まだマシだと思うけれどもね」
軽く笑いながら、応酬する。
「そうですね」
レオは一拍も置かずに言い返した。
「私も――婚約を申し込んできた相手に対して、
“魔法の実力が見たい”と言って、腕試しという建前のもと、その場で半殺しにしてしまう人よりはマシだと思っています」
「ふーん。そう」
私の中で、何かの枷がひとつ外れたような感覚がする。
それに呼応するように、体内を巡る魔力の流れが少しずつ変化していく。
室内の空気が、冷え込み始める。
その気配に気圧されたのか、側に控えていた使用人は、私からすっと距離を取る。
だがレオは、動じた気配こそ見せつつも、その場から一歩も退かず、覚悟を決めたように私を見据えていた。
少し大きく息を吐き、思考を切り替える。
「私はね、レオ。喧嘩をしたいわけではなくて、あなたのためを思って言っているの」
感情を表に出さないよう抑えながら、できるだけ穏やかな声音で続ける。
「あなたの将来や、周囲との関係、領地のこと――色々と考えたうえで、
“問題が起こらないように”“良い方向へ行くように”と、話しているわ」
「……そういった問題は、自身で解決できます」
レオは短く、しかしはっきりと言い返した。
「いいえ。出来ていないし、今のままでは将来的にも“出来ない”わ」
すぐさま切り捨てる。
「今回の料理ギルドの件しかり、領主としての判断力しかり、魔術の実力しかり――
あなたは、まだまだよ」
「私は、それなりに……は、出来て……いると」
レオは、悔しそうに視線を泳がせる。
「そうね。あなたは“それなり”には出来ているわ」
そこで一度だけ認めてから、私は容赦なく切り込む。
「けど、このヴァルデン領を納めるには、その“それなり”では力不足だということが、分からないのかしら?」
きっぱりと言い切ると、レオは、ぎゅっと拳を握りしめた。
「…………それは、私が一番分かっています」
「ですから、人よりも努力をしているつもりです」
「努力しているのは認めるわ」
そこで、私は少しだけ声を和らげる。
「けれど、“目的”を見誤っていたら、その努力は無駄になるだけよ」
「そして私は、“その努力の方向が間違っている”部分に対して、
“正しい方へ修正しようとしている”だけなの」
「………しかし…………」
それでもなお反発したそうなレオに、私は問いを変える。
「では、レオ。一つ質問よ」
わざとゆっくりとした口調で続ける。
「今まで私が助言してあげたことで、“上手くいかなかったこと”はあったかしら?」
「………いいえ、ありません」
レオは小声で、そう呟いた。
「あえて、こっちも聞くわね」
私は椅子から立ち上がりながら、言葉を重ねる。
「私の“言いつけ”を破って失敗したことは、あるわよね?」
「…………」
レオは何も言わない。ただ、小さく首を上下に振った。
「別に失敗を責めているわけではないの」
私は机を回り込み、ゆっくりとレオの正面へ歩み寄る。
「そして、“言いつけを守らないこと”に関しても、とやかく言うつもりはないわ」
靴音が、静かな執務室に小さく響く。
「でも――」
「“私の言うことを聞いておいた方が”、あなたの成功には繋がるのではなくて?」
レオのすぐ前まで歩み寄り、視線を合わせる。
「…………」
「私は、あなたの立場や仕事を取り上げようとしているわけではないの。
時期領主としての立場しかり、名物料理プロジェクトしかりね」
言葉には出さないが、
(奪おうと思えば、いつでも奪えるのよ)
というニュアンスを、あえて声の底に忍ばせる。
「でも、今のあなたには、他のやるべきことと同時にこなすには、少し無理があるから――
その間に私が、“代わりにやっておいてあげる”と言っているの」
「決して、レオのことを馬鹿にしているわけではないわ。
あなたは、まだまだ伸びる」
そこでようやく、彼の目の前まで辿り着いた。
「私はね、“あなたの成長の妨げになるもの”を、排除してあげようとしているだけよ」
そう告げながら、そっとレオの頭に手を置く。
「!?」
レオはびくりと少し肩を震わせるが、私は構わず続ける。
「障害や問題も、成長には不可欠――ということは、重々承知しているつもりよ」
ゆっくりと、手を動かして髪を撫でる。
「でも、それが“大きすぎる”と――それはもう、成長どころか、あなたの才能を潰してしまうわ」
レオの肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。
「あなたの立場では、“失敗”や“恥部”は人前では見せられないでしょう?」
そうレオに優しく問いかける。
「………………そう、ですね」
「でも、私の前では――いくらでも見せていいのよ」
諭すように、静かに言葉を落とす。
「私は、なんでも協力してあげるわ」
そこで一度、頭から手を離し、彼の正面で姿勢を落として視線を合わせた。
「その代わり――あなたも、“私の言うこと”を少し聞いて頂戴」
彼の瞳を正面から見据え、そう囁くように告げる。
レオは、珍しく分かりやすく動揺していた。
瞳孔はかすかに開き、緊張からか、呼吸もわずかに早くなっている。
それでも、その思考はゆっくりと、確かに私の提示した選択肢の方へと傾いていく気配があった。
私は、その流れを崩さぬように、
あえて慈しみを含んだ微笑みを浮かべながら、動揺するレオの視線をまっすぐに受け止め続ける。
「昔のように、私にたくさん甘えてもいいのよ」
「……………」
あと数秒もすれば――レオは、私の言葉を受け入れ、私の指示に従うことを選んでいただろう。
その“最後の一押し”として、私はもう一度、レオの頭に手を伸ばし、撫でようとした。
――その時。
薬指にはめていた指輪が、唐突に、謎の発光をし始めた。




