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3/15

②尋問


広間の扉が重く閉ざされ、厳重に封鎖されてから、いくつか時が過ぎた頃。


ようやく父が、執事ハンネスと数名の随行を連れて戻ってきた。

足音が石の床に低く響き、その影が扉の向こうから差し込んだだけで、部屋の空気がさらに引き締まる。


父はまず私の顔を見て、それから床に転がる指輪に視線を落とした。

その目には、父としての心配と、領主としての警戒が同時に宿っている。


隣に控えていた者へ父が目配せをすると、その者は静かに首を振った。

短い沈黙のあと、父が低く呟く。


「どうやら、操られている状態ではないようだな。……だが、侮れない」


父の表情に、ほんのわずかな安堵が浮かぶ。

それでも向けられる視線は、いつも以上に鋭かった。


「ハンネスから概要は聞いた。マティルダ、異変について詳しく話せ」


私は胸の動揺を押し込めるように背筋を伸ばし、父を見上げる。

一度だけ息を整え、床の指輪へ視線を落としてから、慎重に言葉を選んだ。


「……あの指輪をはめてから、頭の中に“声”が聞こえるようになりました。私にだけ聞こえる声です」


「声?」


父の眉がわずかに寄る。私は頷き、続ける。


「女性の声です。響きからすると二十代前半くらいでしょうか。

 ただ、話し方やテンションは、それよりも幼く感じられます。

 先ほどのやり取りから、意思疎通は可能。

 それと、私の視覚と聴覚を共有している可能性が高いです」


「意思疎通に、感覚の共有……?」


父の声が一段低くなる。


「はい。こちらの会話に対して反応したり、私の容姿や、お父様のお姿についての感想を口にしたり……。

 指輪を外そうとしたときなど、その都度、私の行動に合わせて返事をしてきました」


「……前例は聞いたことがないな」


父は唇にゆっくり指を当て、考え込んだ。

その横顔の皺が、いつもより深く見える。


そのときだった。


頭の中の“彼女”が、まるで空気を読まない調子で、明るい声を響かせた。


『マティルダのお父さん、クールでカッコイイね!!』


さらに、畳みかけるように言葉が続く。


『長いまつげの切れ長の目、まっすぐ通った鼻筋、手入れされた薄い口ひげに金髪オールバック。うわぁ、これはかなりの“イケオジ”ですわ。

 背も高いし、がっしりしてるのに太ってる感じが全然しないし、ジャケットの下に無駄のない身体がちゃんと隠れてるタイプ。これ、年下の女性にめちゃくちゃモテるやつだよね』


『お父様のお名前は?』


『あ、ちなみに私は“リカ”っていうの。よろしく!』


(……うるさい)


思わず、こめかみを指で押さえる。

押さえたところで止まるわけではないと分かっていても、じっとしていられなかった。


もちろん、声は止まらない。


『いやほんと、イケオジとして完成してるのよ。無駄のない立ち姿といい、渋い視線といい……“過去に何か背負ってそう”って雰囲気がもう、最高……』


私の肩の強張りやわずかな表情の変化に気づいたのだろう、父が間を置かず問いかける。


「まだ声は聞こえるのか? 何と言っている。はっきり答えよ」


低く、鋭い声音。


父の言葉と同時に、頭の中で『キャッ!』という悲鳴が跳ねた。

私は小さく頷き、頭の中で騒ぐ声を意識の端へ追いやりながら答える。


「……はい。今も、継続して聞こえています」


一拍おいて、報告口調に切り替えた。


「声の主は“リカ”と名乗りました。語り口は軽く、威圧感はありません。

 ただ――お父様のお姿を大変気に入ったようで、先ほどから落ち着きがない様子です」


「……そうか」


短くそう答え、父は黙り込んだ。

表情こそ変えていないが、肩や顎に添えられた指先に、わずかな力みが見て取れる。


その間も、頭の中ではリカが自由に喋り続けていた。


『いや本当にさ、あのビジュアルは絶対一度はドラマの主人公やってるレベルでしょ……。

 しかも一見ツンツンしてるのに、実は家族想いで記念日も忘れない優しいお父様とか……尊い……』


(“ドラマ”? ……少なくとも、この国の芝居の呼び方ではないわね)


知らない単語が混ざるたび、「この世界の人間ではない」感覚が、はっきりしていく。


ただの残留思念でも、そこらの魔物でもない。

直感で、そう感じた。


「リカ、だったかしら。あなた、私たちのことをどこまで“知っている”の?」


思わず心の中で問いかけかけたその瞬間、父の声がかぶさる。


「マティルダ」


「はい、父様」


父は静かに息を吐き、床の指輪と私とを見比べた。


「危険かどうかが分かるまで、こちらから無闇な接触は避けるべきだ」


低く抑えた声が、広間の空気をさらに冷たくする。


「執事。医学者と魔術師を呼べ。徹底的に検査を行い、指輪の出所と性質を洗う。外部に漏らしてはならん」


「はっ」


ハンネスは一歩前へ出て、既にいくつか手配を済ませていることを、目配せで伝えた。


父はそれを確認し、眉間に皺を寄せながら呟く。


「意思疎通が可能な器具……。聞いたことがない。“リカ”という名にも前例はない。

 神や精霊とも違う存在かもしれん」


私は少しだけ身を乗り出し、声を落とした。


「神や精霊ではないのなら、死霊や悪霊の類かもしれません。

 古い記録には、道具に取り憑いて人に囁きかける存在の話も、いくつか……」


自分で言いながら、その言葉の冷たさに背筋がこわばる。


その推測を最後まで言い切る前に、リカが今までで一番はっきりした声で割り込んできた。


『ちがーーーう!! 死霊でも悪霊でもありません! 人聞き悪すぎるからやめて!?』


頭の内側で、甲高い声が響き渡る。

あまりの勢いに、一瞬だけ思考が止まった。


私は父に向き直り、小声で伝える。


「……死霊や悪霊と呼ばれることには、強く抗議しているようです」


──────────────


ほどなくして、白衣の青年と黒衣の老人が広間に入ってきた。


白衣の青年――屋敷付きの医学者は、落ち着いた動きで私の脈と呼吸を測る。

手首にそっと指を添え、胸の動きを確かめ、瞳孔の反応を診る。


一方、黒衣の老人――宮廷から招かれた魔術師は、ゆっくりと床の指輪へ近づいた。

節くれだった指で指輪に触れないギリギリの距離をなぞり、周囲の魔力の流れを読む。


かすかな無言の詠唱。

一瞬だけ、透明な膜のような魔力が指輪を包み、すぐに消えた。


指輪と私の方角を何度か見比べるうちに、老人の眉間の皺が少しずつ深くなっていく。

やがて二人は一歩下がり、父の前に並んで報告した。


「結論から申し上げますと――医学的には異常は見られません」


白衣の青年が口を開く。


「脈拍、呼吸、体温、瞳孔反応、どれも平常範囲内です。

 精神異常の兆候もなし。少なくとも“今この瞬間”においては、意識の乱れは確認できません」


父が小さく頷き、魔術師に視線を向ける。


黒衣の老人が、低く掠れた声で続けた。


「魔力の流れにも、大きな乱れはございません。

 外部干渉、つまり支配魔法や呪詛の名残も検知できませんでした」


そこで一度言葉を切り、少し声を落とす。


「ただし、一点。興味深い所見がございます。

 お嬢様の体内魔力量が、前回の測定値より大きく増加しております」


「成長期の変動、というわけではないのか?」


父の問いに、魔術師は慎重に答えた。


「全くの成長の範囲外、とは断言できません。ですが……増加の幅と、この指輪との“魔力波形の相似”を踏まえると、

 何らかの共鳴現象が起きていると考えるのが自然かと」


老人は指輪へ視線を落とす。


「古い記録の中には、ごく稀に、強い道具が“外在する意識”や“人格の残滓”を宿すとあります。

 持ち主の魔力に触れたとき、“目を覚ます”ように働き始める、という逸話も」


父の視線が、少しだけ鋭くなる。


魔術師は、肩をすくめるような小さな仕草をして付け加えた。


「もっとも、その力に持ち主が溺れて破滅する例はありますが……

 道具そのものが意図的に“主人へ悪意を働く”という話は、私の知る限りにはございません」


「……ふむ」


父は表情を変えずに頷いたが、吐き出した息がほんの少しだけ柔らいだ。


「ならば、今この段階で、無理に交信を断つことはしない」


その言葉に、広間の緊張が別の意味で張りつめる。


「ここから先は、その“リカ”との対話で、真偽と危険性を見極める。

 マティルダ、お前は引き続き、聞こえたこと、感じたことをすべて報告しなさい」


「畏まりました、父様」


『何でも聞いて。分かる範囲で答えるよ!』


頭の中から、軽い声が返ってくる。


こうして、リカとの“正式な話し合い”が始まることになった。


ただ、私がそのまま声に出して会話してしまうと、

どこからがリカの言葉で、どこまでが私の言葉なのか分かりにくくなる。


そこで、やり取りは紙と羽根ペンを使って行うことになった。


私が頭の中でリカの言葉を聞き、それを私自身の手で紙に書き取る。

父とハンネス、魔術師や限られた側近たちだけが、その内容を読む。


「――では、始めよう」


父の合図で、事務官が新しい羊皮紙と羽根ペン、インク壺を机に並べる。


私は席を移し、机の前に座った。


『うわ、なんか取り調べ受けてるみたいで緊張するんだけど……』


リカが、場違いなぼやきを漏らす。


「まずはこちらから質問する」


父がそう言い、机から半歩ほど下がった位置に立つ。

背後にはハンネスと魔術師、医学者が並び、黙ってこちらを見守っている。


私は深く息を吸い、鼓動をひとつ数えてから、羽根ペンを取った。


『貴殿の名前と出自を聞こう』


羊皮紙に、整った字でそう書きつける。


書き終わるのとほぼ同時に、頭の中へリカの返答が流れ込んできた。


『私はリカ。20歳。元の世界では――――たぶん、死んだ』


「死んだ」の一語で、ペン先が一瞬止まる。


『それで、気がついたらこの世界にいた、って感じかな。

 私の考えが正しければ、ここは前にいた世界とは別の次元の世界。

 そこに魂だけが“遊びに来ちゃった”みたいな感じなの。

 どうしてそうなったのかとか、詳しい仕組みは分からない。本当に、ごめん』


私は聞こえた言葉を、そのまま紙に写していく。


父もハンネスも魔術師も、一語一句を逃すまいと紙面を追っていた。

誰も声を出さないのに、静寂がどんどん重くなっていく。


(元の世界で死んだ。魂だけで別の世界に“遊びに来た”……?)


軽い口調と、あまりに重い内容のギャップに、頭が追いつかない。


『ここから、いろいろ言っていいかな?』


リカの問いかけに、私は父の顔を見てから、紙に「続けて」と書く。


『私は、君たちの世界の“近い未来の可能性”を、少しだけ知ってる。

 でも、その未来では“魔王との大きな戦争”になるんだ。

 それが最悪の結末にならないように、協力してほしい』


空気が、ぴんと張りつめた。


(魔王は、もう何百年も前に討伐されているはず……)


私は無意識のうちに、父の横顔を見てしまう。

その表情は、さっきよりもさらに険しくなっていた。


「……何を、どう知っている。具体的に述べろ」


父の問いに、リカがいつもより少し早口で答える。


『えっとね。この世界は、私の元いた世界から、“特定の期間だけ”、“いくつかのパターン”で観測できるの』


『具体的にいうと、君――マティルダが十五歳から十八歳まで、学園生活を送っている時期のことを知ってる』


『信じてもらえないかもしれないけど、この世界は“主人公の聖女様”を中心に回ってる世界なんだ』


『その聖女様が学園に入学してから卒業するまでの数年間、

 聖女様の選択と出会いによって、未来はいくつかに分岐する。

 私はその分岐を、“物語として”見てきた』


『パラレルワールド、って言い方で伝わるかな?』


また聞き馴染みのない単語が出てきたが、なんとなく意味は推測できる。


私はペンを動かしながら、問い返した。


「あなたは……神のような視点で世界を見ている、ということ?」


ペンを止めずにそう書くと、リカが少し考えるような間を置いてから答える。


『どうなんだろうね。もしこの世界を生み出した存在を“神”って呼ぶなら、

 私はその世界をちょっと覗かせてもらっただけ、って立場かな』


『ただ、元の世界での私は本当に普通の人間だったよ。

 私のいた世界は、身体や社会の仕組みは君たちとそんなに変わらない。

 ただ――魔法がなくて、代わりに少しだけ技術が進んでたって感じ』


そのまま書き写しながら、さらに問う。


「さっき、“未来では魔王と戦争になる可能性がある”と言っていたわね」


『“未来の可能性の中に、魔王との大戦争がある”って意味。

 そこで、大勢の犠牲と、大きな損害が出るルートを、私はいくつも見てる』


『悪いけど、それ以上――いつ、どこで、誰がどうなるか、みたいな具体的なことは言えないんだ。本当にごめん』


ペンの動きが止まりかける。

理由を聞こうとする前に、リカが続けた。


『詳しく言いすぎると、“本来なら回避できた別の未来”まで潰しちゃうかもしれないから。

 私に許されているのは、「危険な可能性がある」と警告するところまで。

 そこから先、どう動くかは、こっちの世界の人たちに決めてほしいんだ』


私は小さく息を吸い、次の問いを書く。


「今の、私とあなたの状態は説明できる? どういう仕組みで“ここ”にいるのかしら」


少しの沈黙のあと、リカが申し訳なさそうな声色で返す。


『……それは、私にも分からない』


『気がついたら、こっち側にいて。

 今はあなたの視覚と聴覚に“相乗り”しているような感覚はあるけど、

 どうしてそうなったのか、元に戻れるのかも全然分からない』


『少なくとも今の私は、あなたの身体を乗っ取ったり、魔力を直接いじったりはできない。

 できるのは、あなたに話しかけて、情報を伝えることだけ』


私はその言葉を、淡々と紙に落としていく。

父も、ハンネスも、魔術師も、真剣な目でその文字を追っていた。


(……“情報だけ”、ね)


書き終えた頃、父が静かに問いかける。


「マティルダ。その“リカ”とやらの説明は、ひとまず以上でよいか?」


「今のところは、以上ですわ。

 少なくとも、自分を“神”や“魔”ではなく、元はただの人間だったと主張しています」


父はしばらく紙面を眺め、それから顔を上げた。


「……結論を急ぐのはよそう。正体は不明、敵か味方かも分からぬ。

 だが、こちらにとって非常に重要な“何か”を握っている可能性は高い」


その言葉に、ハンネスたちが静かに頷く。


「当面、“リカ”との対話を継続する。ただし、主導権はあくまでこちらだ。

 マティルダ、お前は今まで通り、冷静に聞き、冷静に選べ」


「はい、父様」


そう答えた瞬間、自分の胸の奥で、何かがふっと動いた気がした。


未知の声。未知の未来。

魔王との戦争。分岐する可能性の世界。


現実離れした言葉ばかりなのに、不思議と「全部嘘」とは思えない。

『……ごめんね、巻き込んじゃって』


頭の中で、リカがぽつりと呟く。

さっきまでの軽さとは違う、少しだけ弱った声だった。


『でもね、このまま何もしなかったら、本当に“最悪”になっちゃう未来もある。

 だから――どうか、一緒に避けてほしい。マティルダのためにも、この世界のためにも』


そこまで言ったところで、リカの声がふっと途切れた。


私は紙の最後の一文を書き終え、ペン先をそっと離す。

インクが一滴だけ落ち、黒い点となってじわりと滲んだ。


その小さな染みを誰も直接見ていないはずなのに、

広間の空気全体が、そこで一度止まったみたいに固まる。


誰かが、ごく浅く息をついた。

ただそれだけの音が、やけに大きく耳に響く。


(…………)


胸の奥が、ざわざわと落ち着かない。

未知の存在。未来の戦争。魔王。分かれ道だらけの世界。


現実味なんてないはずなのに――

なぜか、“全部作り話だ”とは思えなかった。


そのざわめきのさらに奥で、小さな火が灯るのを、私ははっきり自覚していた。


――もし本当に未来が分かれているのだとしたら。


――もし本当に、選び方ひとつで結果が変わるのだとしたら。


(私に、何ができて。何を変えられるのかしら)


そんな問いが、静かに形になりかける。


その瞬間、胸の真ん中で、何かがカチリと音を立てて位置を変えた気がした。


当たり前だと思っていた日常が、音もなく裏返る感覚。

誰かが敷いたレールの上から、ほんの少しだけ外側へ足を踏み出したような、ふわりとした浮遊感。


さっきまで胸を締めつけていた不安や恐怖に、

今は別の感情が、ゆっくりと混ざり始めていた。

(…………)


胸の奥が、ざわざわと落ち着かない。

未知の存在。未来の戦争。魔王。分かれ道だらけの世界。


現実味なんてないはずなのに――

なぜか、“全部作り話だ”とは思えなかった。


そのざわめきのさらに奥で、小さな火が灯るのを、私ははっきり自覚していた。


――もし本当に未来が分かれているのだとしたら。


――もし本当に、選び方ひとつで結果が変わるのだとしたら。


(私に、何ができて。何を変えられるのかしら)


そんな問いが、静かに形になりかける。


その瞬間、胸の真ん中で、何かがカチリと音を立てて位置を変えた気がした。


当たり前だと思っていた日常が、音もなく裏返る感覚。

誰かが敷いたレールの上から、ほんの少しだけ外側へ足を踏み出したような、ふわりとした浮遊感。


さっきまで胸を締めつけていた不安や恐怖に、

今は別の感情が、ゆっくりと混ざり始めていた。

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