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⑱レオルドルート_唐揚げラーメン(中)


 店の扉を、あえて勢いよく開け放つ。


「店主はいるかしら!」


 店内に響くよう、わざと通る声で問いかけたのに――返事はなかった。

 中へ一歩足を踏み入れると、客が使うであろうテーブルや椅子は端に寄せられ、きっちりと整えられている。

 床も隅々まで掃き清められているが、客席側だけ見れば、営業前の状態ではない。


 しかし、“もぬけの殻”というわけではない。


 奥、厨房の方からは、かしゃり、と器が触れ合う音や、

 油のはぜる小さな音、人が動く気配が、はっきりと伝わってきていた。


(……いるわね、間違いなく)


 ふと、視線の先――入口近くのカウンターの上に、掌ほどの大きさの金属製の物体が目に入る。

 鈴のような形で、上部に刻まれた魔法陣から、僅かに魔力の残滓を感じた。


『うわー店員を呼びつけるために使う“呼び鈴”みたいなやつ、この世界にもあるんだ』


 形状的に、どう見ても「音を鳴らすためのもの」だ。


 私はそれに軽く手をかざし、起動紋に触れる。


 ――ジリリリリリン!


 静まり返っていた店内に、不釣り合いなほど甲高く、大きな音が響き渡った。

 外で待っている客にも聞こえているだろうというレベルだ。


 けれど、それでも――厨房の奥にいると思われる目的の人物が、反応した気配はない。


(……なぜ気が付かないの? それとも、敢えて無視をしている?)


 いくら隔てられているとはいえ、たかが壁一枚だ。この音が聞こえていないとは考えにくい。

 となれば――


『……マティルダさあ、これビビって出てこられないパターンなんじゃないの』


 しかし、息を潜めている感じではなく、調理音は相変わらず聞こえてくる。


(なんにしても、ここで待っていては埒が明かないわね)


 そのまま店内を奥へと進むことにした。


 床板はしっかりと磨かれ、足音が軽く響く。

 背後で、同行していた兵士が一歩前に出る。


「お嬢様、念のため、我々が先導いたします」


 私は振り返らず、片手を軽く上げてそれを制した。


「必要ないわ。ここは戦場ではなく、厨房よ。

 仮に賊がいたとしても、火と刃物が相手であれば、私が誰にも遅れは取らないということは、貴方たちが一番よく知っているのではなくて?」


 兵士たちは一瞬、言葉を失ったように黙り込んだが、やがて一歩退き、私の斜め後ろに位置を取り直した。

 使用人たちも、邪魔にならない距離を保ちながら続く。


 カウンターの横を抜け、半ば開きかけていた厨房への扉を、少しだけ勢いをつけて押し開ける。


 中は――

 一言でいえば、かなり散乱していた。


 と言っても、酒場の裏口のような「だらしない散らかり方」ではない。

 どちらかと言えば、物が多すぎるせいで、結果として散乱しているように見えている、といった形だ。


 調理台代わりに使われている机という机、その上には、肉や野菜の下処理途中の皿、

 仕込み中のスープ鍋、瓶詰めの香辛料、刻みかけの薬味、乾物の袋、

 そして、分厚い紙束――おそらくはレシピや試作メモ――が、隙間なく積み上げられている。


 床に目を向ければ、その有様はさらにひどい。


 最低限の動線こそ確保されているものの、それ以外の場所には、

 予備の鍋や木箱、樽、空になった調味料の瓶、試作品と思しきタレの容器、

 それから読みかけの料理本までが所狭しと置かれていた。


 だが、その混沌は、よく見ると完全な無秩序ではない。


 鍋は鍋で、調味料は調味料で、本は本で――

 ある程度、種類ごとに“積み上げられて”いる。


 結果として、整理されているのに散らかって見えるという、

 より一層、不気味で落ち着かない光景になっていた。


『うわ、なにこの部屋。物多すぎでしょ。私の推しの祭壇と化した自室ですら、ここまで詰め込んでなかったよ』


 リカが呆れたような声をあげる。


 だが、それ以上に不気味なのは――料理人たちの方だった。


 厨房の中には、三人の料理人がいた。


 一人は大鍋を前に、スープの味見をしては何かを書きつけ、また香辛料を一つ摘んでは入れて混ぜ、

 別の一人は油鍋の前で、唐揚げの揚がり具合を真剣な眼差しでじっと見つめている。


 三人目は製麺台の前に立ち、麺を切ってはその細さを指でつまんで確認し、長さを揃えていた。


 彼らは全員、“何か”に集中している。


 その姿勢だけを見れば、確かに“真剣に料理と向き合う職人”なのだが――


 問題は、私たちが厨房に入ってから、誰一人として、こちらに気付いた素振りすら見せないことだった。


 ただ、唐揚げが油に沈む音と、スープがふつふつと泡立つ音、麺を切りそろえる規則的な包丁の音だけが、一定のリズムで続いている。


『……うわー。これ、完全に自分の世界に行っちゃってる感じね』


 視線を横にずらすと、同行してきた兵士と使用人たちが、

「ご指示があればすぐに動きます」という命令待ちの状態で固まっていた。


 私は一度だけ軽く息を吐き、ゆっくりと彼らとの距離を詰めていった。


「私、自らがわざわざ会いに来てあげたのに、つれないわね」


 少し声を張ってみせたが――それでも反応はない。


 スープをかき混ぜる音、油に沈んだ唐揚げの鳴る音、

 麺を一定間隔で刻む音だけが、相変わらず一定のリズムで流れている。


(………………ここまで無反応だと、むしろ感心するわね)


 私は視線だけで周囲を見回し、調理台の端に無造作に転がっていた、白と緑の細長い野菜を一本見つける。


 指先に魔力を纏わせ、簡単な風の術式を展開。

 くるり、とその野菜が浮き上がり、ふわりと宙を滑るようにして、料理人たちの目の前へと移動していく。


 ひゅる、と空気を切る音を立て、白と緑の棒が彼らの視界を横切った。


 ――が、スープ担当と麺担当の料理人は、まさかのそれをスルーした。


『ええ。なんで目の前を長ネギが宙を舞って通過しても無反応なの』


 唐揚げの鍋の上まで来たところで、ようやく一人が反応する。


「うお、ネギが空を飛んでいる!」


 ようやく素っ頓狂な声を上げ、こちらに気がついた彼の時間が一瞬止まり――


「…………マティルダ様?!」


 その悲鳴とも聞こえる大声をきっかけに、残りの二人も一斉に顔を上げ、こちらに気づいた。

 それぞれが向き合っていた“自分の世界”から、ようやく現実へと引き戻されたようだ。


 宙に浮かんだ長ネギは、私の指先の動きに合わせてくるりと旋回し、

 最後には元あった調理台の上へと戻っていく。


 ぽかん、と口を開けたままの料理人たちに向かって、私はようやく口を開く。


「ようやく、こちらの世界に戻ってきたわね――」


 わざと一拍置き、少しだけ微笑む。


「どうもこんにちは、名物料理の“考案者”よ。

 今日は、貴方たちにお話をしに来たのだけれども、ちょっと付き合ってくれるかしら」


 そこまで言った途端――


 三人全員が、同時に膝から崩れ落ちた。


 息を合わせたわけでもないのに、見事な連携で床に手をつき、

 そのまま上体を倒し込むようにして、額を床にぴたりとつける。


 しかも、平伏しすぎて、背中を丸めるというより“潰れた蛙”のような姿勢で、

 全員が文字通り、地べたに身体を貼り付けている。


『また、土下座させてる。マティルダさあ、そんなに土下座させるのが好きなの?』


(彼らが好きでやっているのだけれどもね。それよりも火がつけっぱなしだわ)


 私は小さく指を鳴らし、それぞれの調理器具にかけられていた火へと魔術で干渉する。

 ぱち、ぱち、と小さな音を立てて魔力の炎が収束し、炎と熱源が順番に落ちていく。


 火が消えたことで油のはぜる音が止み、スープの泡立ちも静かになったところで、ようやく厨房に落ち着いた静寂が戻った。


「さて――」


 私は軽く咳払いを一つしてから、床に張り付いたままの料理人たちへと声をかける。


「顔をあげて頂戴。というより、料理人が地面に服や体をつける行為をするのは、あまりよろしくないのではなくて?」


 油とスープとスパイスの匂いが染みついた床に、

 彼らの白衣とエプロンが貼り付いているのを見ると、衛生面の方が気になって仕方がない。


「ま、誠に申し訳ございません!」


 三人は慌てて声を重ねると、

 腰を直角に曲げたまま、足だけを器用に使って真っ直ぐに伸ばして立ち上がった。



 ――この状態から、彼らと“まともに対話できる状態”へ持っていくまでの工程は、実に大変であった。


 後に落ち着いてから調べさせて判明するのだが、彼らは私に対して、


 “強大な個としての畏怖”と、

 “料理に対して高い知見を持っていることへの尊敬”と、

 “自分たちを見出し、道を示してくれたことへの感謝”と、

 “裁定者としての絶対的な審判を下されることへの恐怖”と、

 “そういった超常的な存在への崇拝”――


 といった、複雑きわまりない感情を、同時に抱いていたらしい。


 さらに、彼らはここ数日、ほとんど寝ずに試行錯誤を繰り返しており、

 心身ともにボロボロな状態であったという。


 そんな彼らの前に、崇拝の対象となっている私が、事前通告もなくいきなり現れたことで、

 “動揺”という言葉では収まりきらないほどに取り乱したのだ。


 ただ「顔を上げて」と指示しただけなのに――


 後ろへと転倒し後頭部をぶつける勢いで、上を向いたり。

 話しかけた瞬間に、堰を切ったように大粒の涙を流し始めたり。

 落ち着かせるつもりでねぎらいの言葉をかけた途端、その場で崩れ落ちて再び床に伏したり。


 何度か精神が崩壊しかけ、そのたびに私は精神安定系の回復魔法をかけ、

 こちらの世界へと連れ戻した。


(真面目で頑固な料理人と、我が強い我儘な料理人、という話を事前に聞いていたのだけれど)


 今、目の前にいるのは――

 “正体不明の人型の魔物”というのが率直な感想であった。


 そんな具合で、対峙するこちらの体力が削られていく。


 それでも、何度か深呼吸をさせ、水を飲ませ、使用人からの簡単な質問に答えさせ……

 ようやく、彼らの顔に“人間らしい表情”が戻ってきたところで、

 私は慎重に、声のトーンを落として問いかけた。


「――話を聞いてくれるかしら」


 三人は、ボロボロな身体と顔つきに反して、目だけは異様に輝かせて、ぶんぶんと力強く頷いた。


『ねえ、マティルダ。これなんかヤバい状態なんじゃないの?

 見た目はもう疲労困憊って感じなのに、目だけがキラキラしてるエフェクトが見えるようだよ。

 あの人たち、まだこっちの世界に完全には帰ってきてないんじゃない?』


 リカの言う通り、どこか“焦点の合っていない光”が、彼らの瞳の奥で瞬いている。


 そんな彼らを警戒してか、背後に控えていた兵士たちが、無意識に剣の柄に手をかけた。

 金属がわずかに鳴る、乾いた音が聞こえる。


(………………仕方がないわね)


 このままでは、話をするどころの騒ぎではない。

 私はふっと息を吐き、指先に意識を集中させる。


 足元に、大きな魔法陣が展開される。

 複雑に組まれた術式が幾重にも重なり合い、淡い光となって、厨房全体を静かに包み込んだ。


(こんな平民に大魔法をかけるのは癪だけれど……)


 手遅れかもしれないが、このまま相手をすると彼らが“人間ではない何か”になってしまう可能性がある。

 そして、その原因が私とされる可能性が高い以上、放置するという選択肢は取れない。


 かけるのは、回復系の中でも最大級の魔法――

 体力だけでなく、あらゆる状態異常を癒し、心身の疲労を洗い流し、

 ついでに強壮と集中力の向上など、良い効果のバフをこれでもかというほど付与するものだ。


 魔法陣内の魔力が”私の体”を起点として光へと変換され、眩い光となり、

 やがて小さな球状の粒子へと砕けながら陣の外にいる彼らへとゆっくりと向かっていく。


「………………」


 光の粒子が体に入り込んでいくのを、彼らは目を閉じ、

 まるで祈りを捧げるような仕草で静かに受け入れていた。


 やがて光が完全に吸い込まれたあと――

 彼らの顔色は見違えるほど良くなり、目の下の隈もきれいさっぱり消え、

 背筋も先ほどまでより自然な形へと戻っていった。


『なんか、見た目が10歳は若返った感じするね。表情も肌艶もさっきとはまるで別人みたい』


 魔法は完璧であった。

 ――が。


 彼らは、また地面に顔をつけるよう“潰れた蛙”のような姿勢で平伏をし始めた。


(何回言えば分かるのかしら)


 しかし、ここで「地面から離れろ」「頭を上げろ」と再度指示しては、

 またさっきと同じことを繰り返す可能性が高い。

 仕方がないので、この状態のまま“要件だけ”を伝えることにした。


「私が言いたいことは一つだけよ。

 貴方たちの料理は“完成している”。だから早く、一般民衆にも食べさせてあげなさい」


 彼らは平伏した状態で、大きな動作で何度も頷く。


「分かったら、早く行動に移しなさい」


 ――だが、彼らは動き出さないどころか、頭すら上げない。


『マティルダにまだビビってるんじゃない? “やる”って頷いてるんだから、信用して任せれば?』


 リカの意見はさておき、私としても、これ以上この特異な場に長居したくはなかった。


「では、私はここで失礼するわ。

 使用人を“監視役”として置いていくから、何かあれば彼に言って頂戴」


 そう告げて踵を返そうとすると、彼らがようやっと頭を上げた。


 言葉はない。

 だが、その目からは――是非とも自分たちの料理を食べて欲しい、という訴えが、これでもかというほどに伝わってくる。


『なんと 料理人たちは 顔を上げ

 自信作を食べてほしそうに こちらをみている!

 試食して あげますか?』


 しかし――


(……なんか、嫌ね)


 唐揚げラーメンという、揚げ物と炭水化物で構成されていると思われる、令嬢向けとは言いがたい料理を口にしたくない、という以上に、

 あれだけキテレツな動きをしていた彼らが作るものを、今ここで受け入れる気にはどうしてもなれなかった。


 だが、ここで彼らのやる気を削いでしまっては、ここまで来た甲斐がなくなる。


 そんな時、外で地面に頭を叩き付けていた、あの男の顔がふと脳裏に浮かんだ。


「……まだ私の順番ではないわ。前に並んでいた人が先ですもの」


 彼らの視線が、一瞬だけ揺れる。


「そうね――貴方たちの料理が、民たちに“ある程度行き渡った”その時に、私は食べるとするわ」

 つまり、“いつか必ず食べる。そのためにはまず売りなさい”という体のいい先延ばしとする約束だ。


 そう告げて、私は彼らから視線を外し、踵を返す。

 そのとき、店の扉の前に散らばっている施錠用魔道具であったものの金属片と魔石の欠片が見えた。


(……これはこれで“開店のきっかけ”になったのだから、良しとしましょう)


 私は近くにいた兵士の一人に声をかける。


「あなた、この店の前に立って、しばらくの間は“錠前”の代わりになって頂戴」

「錠前、でございますか?」

「ええ。“不用意に店内へなだれ込む者が出ないように見張る役”という意味よ。

 くれぐれも、営業の邪魔だけはしないように」


「はっ。お任せください」


 兵士が胸に手を当てて一礼し、入口脇に控えるのを確認すると、

 私は店の外へと歩み出た。


 人波は、私が来たときと同じように、きれいに左右へと割れて道を作ってくれる。

 その間を抜け、待たせていた馬車へと向かっていく。


 今回の一件は――少なくとも、私側には何も問題は無かったと思う。


 料理人たちには一般販売に踏み切るよう促し、

 暴徒化しかねない民衆の空気も秩序ある形に落ち着かせた。

 その過程で、脅迫したり、力で屈服させたりという行為は、一切していない。


 ――にもかかわらず。


 この日以降、一部の人間から、私を“神”として崇める者たちが現れた。


 なんでも”今回のまともな精神でない状態料理人”たちが、私が行使する大魔法を見た際に、その”行使する姿”と”得られた効果”から神として認識してしまっていたところから起源であったようだ。

 そこから色々な噂がごちゃ混ぜになった結果、なぜが信仰の対象になっていた。


 もちろん、それを私が知るのは、だいぶ先――。


 盗品を捌く闇取引の現場で、大規模な抗争が発生したという事件があり、

 その押収品の中に「私にとてもよく似ている肖像画があった」という報告とその現物を受けたのが始まりだった。


 提出された闇市の目録には、こう記されていた。


『“翼を生やした謎の光を操っている美女”の肖像画 一点』

『信仰団体内では“真の女神”として崇められており、取引希望額:――』


 気味が悪いためその肖像画を焼却処分してしまった後に、

 屋敷へと抗議に来た一団がいた。

 抗議といっても、丁寧な物腰で“聖遺物の返還”などと口にしていたのだが――


 応対のために私が姿を見せた瞬間、彼らは目を見開き、

 次の瞬間には全員が一斉に、その場で平伏した。


「…………女神様!」

「…………なんと美しいくも立派なお姿!!」


 という、なんとも珍妙な騒ぎの末に、ようやく自分が“神”されていることを知ることになったのだった。

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