⑱レオルドルート_唐揚げラーメン(前)
数名の使用人と兵士を連れて、問題の料理人の元へと馬車で向かう道中、私はどうにも煮え切らない思いを抱えていた。
――根本の原因を作った中隊長が、屋敷内に居なかったのである。
なんでも、レオが中隊長を連れて、城下町から少し離れた場所にある飲食店の視察と、
料理ギルド設立に関する説明に行く際、彼を同行させて不在なのだとか。
本来なら、すぐに問い詰めて、何かしらの“罰”のひとつでも与えてやろうと思っていたのだが、
それが思いがけず先延ばしにされてしまった形だ。
(……“逃がした”という表現の方が近いわね)
それと、もう一つ。
『うわーー! これが実際のヴァルデン領の城下町なんだ』
『ゲームだと背景の一枚絵しかなかったから、詳しくはわからなかったけど、きれいな町だね』
『道や家が整ってるっていうか、ちゃんと“整備されてる街”って感じ! うわ、あの屋台、人だかりが出来てるよ!』
さっきから、リカがやかましいのだ。
窓の外に視線を向ければ、石畳の道がまっすぐに伸び、
両脇には白い漆喰と木組みの家々が整然と並んでいる。
行き交う人々の声と荷車のきしむ音が混じり合って、城下町の日常のざわめきの音が馬車まで届く。
視線を馬車の中に固定していると「外を見ろ」とうるさいので、
仕方なく、視線だけ窓の外へ向けるようにしている。
『ねえねえ、あっち見てよマティルダ。あの通り、絶対商店街ポジションでしょ』
『うわー、これ武器屋なの? 看板に剣と盾が描いてあるよ。Sランク武器とか置いてあったりするのかな?』
『あれって装備的に冒険者? うわーあの防具、身に着けるとあんな風になるんだ……いやー、実物見るとテンション上がるね!』
永遠とはしゃぎ続けるその様子は、
(まるで小さい子供のようね)
今この瞬間はこちらから何も手出しできない中隊長とリカ、それに唐揚げラーメンを巡る現状とで、
内心穏やかではなかったが、
ここで感情を引きずっても、これからの交渉に良い影響はない。
目的地に近づくにつれ、私は揺れる馬車の中で静かに息を整えた。
これから会うのは、私を“偶像”に祭り上げ、
その像に向かって最高の料理を捧げようとしている、困った料理人たち。
(……さて。どう落とし前をつけましょうかしらね)
到着後、そう思いながら馬車から降りると、
店の前には、店を丸ごと覆うようにして人だかりが出来ていた。
入口は完全に人の壁で塞がれており、通りにまで列がはみ出している。
ざわめく声の端々から、「早く開けろ」「今日こそ食わせろ」だの、
物騒ではないが切実な言葉が聞こえてくる。
(どういう状況なのかしら。まあ、直接会って確かめるしかないわね)
そう思い、一番後ろに並んでいた大柄の男に声をかける。
「ここの店主に会いに来たのだけれど、道を開けてくださる?」
できるだけ穏やかに声をかけると、男は振り向きざま、苛立った声を上げた。
「ああん!? 店主に会いたい? 順番待ちだよ! 嬢ちゃ――」
そこまで言いかけて、男の言葉がぷつりと途切れる。
真っ赤だった顔色が、一瞬で蒼白になった。
「………マ、マ、……マッ、マティルダ様」
私の名前を口にしたあと、彼はその場で尻もちをつき、
魚のように口をパクパクさせたかと思うと――
「も、申し訳ございません!!!」
耳が痛くなるほどの大声で謝罪を口にし、そのまま地面へ両手をつき、
石畳に額をぶつけるような形で、頭を何度も上下に叩きつけ始めたのだった。
「貴方、一体何をしているの?」
思わず、素直な疑問が口から漏れる。
恐らく“謝罪”のつもりなのだろうが、はたから見ると、
ただ地面に頭を叩き付けている奇行をしている人にしか見えない。
男は一度だけ、真っ赤になった額をこちらに向けながら、涙目で再度大声の謝罪を行う。
「まさか、こんな場所にいらっしゃられるとは思わず、ご無礼を働いてしまい、本当に申し訳ございません!」
そう言うなり、また勢いよく額を石畳へ――ばん、ばん、と。
その異様さに気付いたのか、
店を取り囲んでいた人々の視線が一斉にこちらへ集まる。
そして、彼らも私の顔を認めた瞬間、
見事なくらい一歩、いや三歩ずつ後ろに下がって距離をとった。
さっきまで店の扉に押し寄せていた圧力が、波が引くようにすっと薄れていく。
『マティルダさあ、この反応異常じゃない?』
『何をしでかしたらこういう風な反応になるのさ』
(善良な民衆には何もしてないわよ)
そう内心で呟きつつも、ここまであからさまな畏怖を向けられるのは、さすがに複雑な気持ちだった。
図らずとも、店までの道はきれいに開いた。
だが、この奇行を晒している男や、周囲の民衆を、このまま放っておくわけにもいかない。
「頭を上げなさい。それ以上やったら石畳が痛むわ」
そう男に声をかけると、彼の額はすでに真っ赤に腫れ、大量の血が滲んでいた。
打ち付けた箇所から、ぽたり、と赤い雫が石畳に落ちている。
「うわ……」「血出てるぞ……」「……えっ! あの人って」
周囲からも「うわー」という、引き気味のひそひそ声が上がる。
中には、男の顔を見て何かに気づいたのか、口元を押さえる者もいた。
『マティルダ、流石にここまでするのはかわいそうだよ』
(私は何もしていないんだけれどもね)
店主に会いたいと口にしただけだ。
とはいえ、この男をこのままにしておくのも後味が悪い。
私はそっと腰の小物袋からハンカチを取り出し、その額に手を伸ばした。
「じっとしていて」
「え、あ、あの…………えっ?」
咄嗟に後ろに控えていた使用人が「私が」と前に出ようとするが、
私はそちらへ一瞥を送り、わずかに首を横に振る。
“私がやる”という意志を、アイコンタクトで伝える。
男の額についた血を、そっとハンカチで拭い取り、
そのまま指先に魔力を集める。
「少しの間だけ、目を閉じていなさい」
彼の顔の前に手のひらを向け、簡易的な回復魔法をかける。
淡い光がきらりと瞬き、その粒子が彼へと向かっていく――
(……なんかおかしいわね)
何故か回復魔法の効きが悪い。
本来であれば、瞬時に傷が塞がるはずだが、止血程度の効果しか得られなかった。
(そういえば、リカの指輪をしてから初めての回復魔法の使用ね)
リカは「装備することで魔法に関する能力が全て向上する」と言っていたが、
回復魔法は何かしらの制約を受けているのかもしれない。
仕方がないので、上位の回復魔法へと切り替えた。
先ほどよりも濃い光が、彼を覆う。
「……っ」
男が小さく息を呑む。
数秒後、光がすっと引き、残っていた血も固まりも、跡形もなく消え去っていた。
「え……?」
男が自身の体に何か異常がないかを確認するように、両手で全身を擦るようになぞり、最後に額へとたどり着く。
「あれ?……傷が………痛みが……ない」
「もしかして、治ってる……」
と驚嘆する声を上げる。
周囲からも、「おお…」、「あれが回復魔法か」と、
ひそひそ声が一段階ざわめきに近づいていくのがわかる。
(額の傷くらいで大袈裟ね)と内心思いつつも、
「これくらいの怪我であれば、すぐに治せるわ」
私は血のついたハンカチを軽く折りたたみ、使用人に手渡す。
啞然としている男に対し、できるだけ柔らかな声で告げる。
「驚かせて悪かったわね。
でも、次に会ったときは、そこまで畏まった態度はやめて頂戴」
「で、ですが、自分などがその、無礼を――。それにここまでして頂いて」
「無礼を働けと言っているわけではないの。
ある程度の敬意を持つだけでいい、という話よ」
男は、しばらく口をぱくぱくさせていたが、やがて、ぎこちなくもはっきりと頷いた。
「……は、はいっ! 努めます! 次は、まともにお話できるように……! 」
「そして、しっかりとした感謝をお伝えできるように」
彼の“感謝”という言葉には、少し引っかかりを覚えたが――
「楽しみにしているわ」
何故か羨望と決意の入り混じった眼差しで私を見ている男から視線を外し、周囲を確認すると、
先ほどまでの“凍りついた緊張”から、“安堵混じりのざわめき”へと空気が変わっていった。
『うわー、ヤンキー子犬パターンだ。悪ぶってるやつが、ちょっと優しいところ見せるだけで、いいやつに見えちゃうやつ。あざとい、実にあざといよ』
戯言を言うリカや男はひとまず置いておいて、
結果的に“恐怖一色”という印象は、多少なりとも和らいだはずだ。
私は店の扉の方へ向き直り、あらためて一歩踏み出す。
「では――今度こそ、店主とお話しさせてもらうわね」
扉には、いかにも物々しい見た目をした施錠用の魔道具が取り付けられていた。
金属と魔石が組み合わさったそれは、素人目にも「簡単には開かない」とアピールしているようだ。
私はそっと右手をかざし、指先で空中に小さく印を描く。
指が軽く弾むと同時に、魔道具の内部で組まれていた術式に、わずかな干渉を加える。
パキン、と金属の弾ける音がして、施錠用の魔道具が粉々に崩れ落ちた。
金属片と魔石の欠片が、かしゃり、と小さな音を立てて石畳の上に転がる。
『マティルダさあ、何やってんの』
リカの声が、頭の中で素早くツッコんでくる。
『そんな破壊行為をみんなの前で見せたら、さっき上がった好感度がまた下がっちゃうでしょ。
もっと“みんなのルール”を守ってだね――』
クドクドと説教を続けるリカの言葉を、私は聞き流しながら、
何事もなかったかのように扉の中へと足を進めるのだった。
――結果から言うと、好感度は下がらなかった。
私が壊した錠は、通常の魔術師ではまず破壊できない、かなり頑丈なものだったそうで、
城下町の中でも盗賊避けとして評判の高い高級品だったらしい。
だが、それを一瞬で粉砕してみせた私に対し、民衆はほとんど騒ぎ立てなかった。
それ以上の、もっと大きな驚きがあったからだ。
先ほどまで床に頭を打ち付けていた男は、名が知れている冒険者であったという。
かつて討伐任務で致命的な傷を負い、通常の回復魔法では“命を繋ぐ”ことしか出来ず、
大きな傷跡と、利き手は軽いものすら満足に持てないという後遺症を抱えてしまい、
やむを得ず冒険者業を休業していたのだとか。
その腕を――ふらりと現れた私が、すり傷でも癒すような気軽さで治してしまった。
それに衝撃を受けた男は、私が店内にいるあいだに、
「高名な魔術師に魔法では癒せないと言われた」「教会にいっても門前払いだった」「医者にみせたら自然治癒で最低十年はかかると言われた」
と、どれだけすごいことをしたかを触れ回ったため、それが民衆の間で一気に広がっていったのである。
しかし、そのことを知るのは、ずっと先。
男が直接、改めて感謝を伝えにくるその日まで、私は何も知らないままであった。




