⑨レオルドルート_再始動
リカがレオの情報をひととおり話し終えたあと、ぱたりと黙りこんだ。
(……エネルギー切れね)
さっきまで頭の中でうるさく喋っていた声が嘘みたいに静まり返り、
部屋には時計の振り子の音だけが規則正しく響いていた。
リカの話の中で、私が驚かされたことは二つある。
ひとつは、とにかくその「情報量」の多さだ。
王宮付きの文官でも、ここまで細かくは記録しないでしょう、と思うくらい――
イベントの順番や発生条件、登場人物の心情、台詞の言い回しまで、
やけに鮮明で、しかも淀みなく口から出てくる。
(ここまで覚えるのに、いったいどれほど時間をかけたのかしら)
もうひとつは、その情報がきちんと「整理」されていること。
普段のリカは、何か説明させようとすると、
本筋と余談と感想をごちゃまぜにして、一気にしゃべり倒すタイプだ。
正直、聞いていて疲れることも多い。
けれど――
彼女の言うところの「攻略情報」に限っては、少しだけ違っていた。
どのイベントがどのタイミングで起こり、
どんな選択がどんな結果につながり、
どこから先が危険で、どこまでが安全圏なのか。
そういった要点だけを、ちゃんと順序立てて説明してみせる。
途中で理由を聞いてみたところ、リカは少し照れくさそうに笑って、こう言った。
『んーとね……大好きだから、かな』
『勉強とかの暗記は全然できなかったんだけど、“攻略情報”とかキャラの台詞は勝手に頭に入っちゃったのよね』
『覚えたところで、現実の役に立つかといえば全然なんだけどさ。
でも、ゲームをやり込んでるあいだは、それがすごく楽しくて、幸せだったの』
(その結果が、今の状態、というわけね)
リカの元いた世界については、まだ分からないことだらけだ。
なぜそれが、この世界の「未来」や個人情報にまで繋がっているのかも分からない。
ただ一つ言えるのは――
乙女ゲームという遊びに、普通ではない情熱と時間を注ぎ込み続けた結果として、
彼女はこの世界に対して“異常なまでの情報量”を持っている、ということ。
この「妙な専門家」を、どこまで信じて、どこまで利用するか。
それはまだ決めきれていないけれど、
少なくとも、少しだけ距離が縮まった気がした。
◇ ◇ ◇
――とはいえ。
その「攻略情報」を聞いたうえで、どうしても引っかかる点がある。
ひとつは――
レオに関する“ゲーム上の評価”に、私がいまいち共感できないことだ。
リカいわく、レオは「親密になりにくいキャラ」「冷徹な炎の貴公子」と呼ばれているらしい。
「親密になりにくい」という部分については、現実の彼を見ても納得できる。
けれど、“冷徹”というラベルには、正直あまりしっくりこない。
レオは、初対面の相手に対して、ほとんど感情を出さない。
でもそれは、冷たく突き放しているわけでも、見下しているわけでもない。
礼儀作法は完璧で、
必要なときにはきちんと笑い、敬意も教本どおりに示す。
その整い方は、まさに「次期領主にふさわしい若者」そのものだ。
――むしろ、その“きちんとしすぎたところ”が、よくない方向に誤解を生んでいる。
丁寧で、落ち着いていて、
相手の目をきちんと見て話を聞き、絶妙なタイミングで相槌を打つ。
それだけで、「自分に特別な好意がある」と勘違いする令嬢たちは多い。
(レオの表面に、自分なりの“理想の旦那様像”を勝手に重ねてしまう令嬢が、多すぎるのよね)
建前は「親睦の場」、実質は“お見合いの席”でもある会食のあと。
レオに好意を寄せていた令嬢たちの噂話や、不満混じりの愚痴は、
それなりの頻度で私の耳にも届いてくる。
表面上の条件だけなら、たしかに何の文句もないのだろう。
けれどレオにとっては――そうではない。
価値観が決定的に合わなかったり、話が噛み合わなかったり。
相手の家や本人の態度が、どうしても受け入れられなかったり。
長く共に歩く相手を、「顔と家柄」だけで選ぶのは危うい。
だからレオは、きちんと断りを入れる。
けれど、あからさまに拒絶したり、無礼な態度を取ったりは決してしないから、
相手からすると、「嫌われてはいないはず」と期待が燻り続ける。
そういう相手に対しても、レオは態度を崩さない。
――結果として、
期待と失望がこじれ、逆恨みや妙な噂に繋がることも多い。
(……レオも、“面倒な人気”を持ってしまったものね)
だから彼は、会食や顔合わせそのものを、できるだけ避けようとする癖がある。
積極的に迫ってくる相手に対しては、明らかに距離を取りたがっている。
――一方で、リカの「ゲーム情報」によれば、少し違う姿もあるらしい。
『最初はすごく冷たく見えるけど、会うたびに少しずつ感情を見せてくれるんだよ』
『一回会ったくらいじゃ全然心を開かないけど、
何度も顔を合わせていくうちに、ちょっとずつ口数が増えていって、
やがて自分の信念とか、努力のこととか、将来の夢を話してくれるようになるの』
『一度で攻略できない分、何度も通って信頼を得てから、ようやく“スタートライン”に立てるタイプっていうか』
一度会ったくらいでは、ほとんど変化がない。
二度、三度と顔を合わせ、礼儀を崩さず接し続けて、ようやく“親愛”へ進む条件が整う。
――それが、ゲーム上でのレオの立ち位置らしい。
(……ゲームで語られるレオと、私の知っているレオ)
「礼儀正しい無表情」と、
「冷たく見えて、少しずつ感情を見せてくれるキャラクター」。
どちらも同じ人物を、別の角度から見た姿なのか。
それとも、今のレオは“まだゲーム本編に登場する前の状態”だからなのか。
(少なくとも今の彼は、まだ完全には“ゲーム通りのレオ”にはなっていないようね)
だとするなら、リカの攻略情報は「そのまま」では通用しない可能性もある。
◇ ◇ ◇
そしてもうひとつ――鳥の串焼き、いわゆる“焼き鳥”について。
リカは、「焼き鳥」がレオの好物だと言った。
けれど、ハンネスに確認させた限りでは、
レオがこの屋敷で“焼き鳥”を食べた記録は一度もないという。
それもそうだ。
串に刺した肉をそのまま炙るような料理は、
屋台や下町ではともかく、貴族の正式な献立に出ることはほとんどない。
他家での会食の席でも、まず並ばないだろう。
(適当に差し入れてみて、もし違っていたら……立て直しが面倒ね)
庶民的な料理をいきなり差し出すのは、それ自体が礼を欠く場合もある。
それに――
(好物を与えれば心を開く、なんて。
動物の餌付けじゃないのだから)
そう思いかけて、ふと先日の訓練場の光景が頭に浮かんだ。
土煙の舞う中で訓練する、百人単位の兵たち。
その中に混じって、同じように汗を流していたレオ。
(……そうね)
あの訓練場に、兵たちへの“差し入れ”として串焼きを持ち込む形なら――
多少庶民的な料理でも、違和感は少ない。
いくらヴァルデン家が裕福でも、兵士全員に毎回豪華な料理を出すわけではない。
量と栄養は確保しているけれど、基本はあくまで「働く身体のための食事」だ。
(“兵たちへの慰労”という名目であれば、悪くないわね)
訓練の一区切りや、成果に対するご褒美として軽食を出す。
そのひとつとして焼き鳥を用意する。
皆と同じ列に並べておけば、レオにも自然に行き渡るだろう。
好みかどうか、抵抗はないか――さりげなく観察できる。
(……問題は、“口実”ね)
いきなり「焼き鳥を配ります」では、さすがに唐突すぎる。
何かの節目や、最近の訓練成果を理由にして、という形に整える必要がある。
(それにしても、まずは“焼き鳥そのもの”を知らないと話にならないわね)
本当に美味しいものなら、それなりの準備も必要になる。
そう考えながら、私は灯りを少し落とし、ベッドへ体を横たえた。
リカから聞いた情報と、自分の考えを一つずつ並べなおしながら、静かに眠りへ落ちていく。
◇ ◇ ◇
――翌日。
私は図書室からいくつか本を運ばせ、自室でページをめくっていた。
『マティルダぁ〜、何を調べてるの?』
頭の中で、リカがのぞき込むように聞いてくる。
「貴方も私の目を通して見ているのだから、内容くらい分かるでしょう」
少しぶっきらぼうに返すと、リカは不満そうに唸った。
『いやだって、それ“日本語”じゃないし』
「……日本語?」
聞き慣れない単語に、思わず手が止まる。
『ああ、えっとね。最初に筆談したでしょ? あのとき使ってた文字とことばのこと。
私の世界では“日本語”って呼んでたの。』
「共通語のことね。――貴方は共通語しか分からないのね」
『日本人の大半はそうだからね……』
この世界でいう共通語は、リカの世界では「ニホン語」。
それを使う民族が「ニホン人」――つまりリカの出身らしい。
(言語学的な興味はあるけれど、掘ると面倒なことになりそうね)
ひとまず話題はそこまでにして、本へと視線を戻す。
「で、“何を調べてるか”だったかしら」
ページをめくりながら答える。
「鶏肉。主に養鶏についてよ。豚や牛と比べたときの価格と飼育コスト、調理面での特徴も含めてね」
『ええ……焼き鳥のレシピじゃないの? いきなりそこから入る?』
リカの、若干引き気味の声。
私は本の一行を指先でなぞりながら答える。
「まず前提を押さえないと」
「鶏肉そのものが、どれくらい普及しているのか。
どの階層の人たちがよく食べているのか、食卓に上る頻度、一般的な調理法――」
別の章に目を移しながら言葉を続ける。
「それから、品質の良し悪し。どんな条件で“高品質”とされるのか、
低品質との価格差はどれくらいか、それが味や食感にどこまで影響するか」
「“焼き鳥”のレシピを調べるのは、そのあとよ」
もう一冊の本の背表紙を軽く叩きながら言う。
「材料の鶏の産地や飼育方法。鶏肉がよく使われている代表的な料理。
一般的な処理方法や味付け――そういう土台をまず把握してからね」
『え〜〜〜……』
心底あきれたような声が返ってくる。
『料理長に「こういう料理を作って」って頼めばいいだけじゃないの?
“ドキ魔”の設定資料にも、レオ様は実家の料理長にこっそり焼き鳥作ってもらってたって書いてあったし、それでいいじゃん……』
「貴方の知っているのは“未来のレオ”でしょう? 今のレオと同じとは限らないわ」
私はぱたんと本を閉じ、机の上に重ねながら静かに返す。
最初は好物ではなかったけれど、どこかのタイミングで「とびきり美味しい一皿」に出会って以来、好物になった――
そういう可能性もある。
「だいたい、この私が差し入れするのよ? たかが軽食とはいえ、中途半端なものは出せないでしょう」
ヴァルデン家の長女としての、妙な意地がひとつ胸にある。
その後も、リカは時々話しかけてきたが、私は適当に受け流しながら読み進めた。
そして分かったことは――
鶏肉そのものは、かなり優秀な食材だということ。
・牛や豚に比べて育成期間が短い
・餌が安くて、管理もしやすい
・飼育設備にそれほどコストがかからない
その結果、「安く、安定して」供給できる。
肉としても、解体しやすく、火も通りやすい。
味にクセも少なく、煮ても焼いても使いやすい。
(だから、庶民から下級貴族にかけては、かなり頻繁に食卓に上っているのね)
名産地もこの地方からそう遠くない場所に複数あり、流通も安定している。
材料としては、申し分ない。
――問題は、調理法のほうだった。
“焼き鳥”の作り方を調べれば調べるほど、そのシンプルさに頭を抱えることになる。
一口大に切った肉を串に刺し、
炭火や鉄板でじっくり焼き、
仕上げに塩を振る――ただそれだけ。
(……工夫の余地が、ほとんどないわね)
下ごしらえに多少の違いは出せても、
結局おいしさを左右するのは「肉の質」と「塩加減」と「火加減」。
それらは一定ラインを超えてしまえば、その先はほとんど誤差だ。
思わず、大きなため息がこぼれる。
『なに、どうしたの?』
「焼き鳥って、思った以上に単純だったのよ」
「串に刺して焼いて、塩を振るだけ。
正直、料理としての“工夫の余地”があまりにも少なすぎるわ」
『え〜〜〜?』
不満そうな声が返ってくる。
『シンプルだからこそ、肉と塩と火加減で差が出るんだよ? 奥が深いんだから』
『それに、どうしてもこだわりたいなら“タレ”で個性を出せばいいじゃん』
タレ――ソースの一種。
焼き上がる前後の肉に塗って、何度も重ね付けして焼き締めるもの、らしい。
『日本だと、醤油ベースが多いかな』
「醤油……」
聞き慣れない調味料の名前に、私は思わず問い返す。
「それは、あなたの世界の調味料かしら?」
『うん。大豆を発酵させて作る、しょっぱい黒い液体。
こっちでいうなら、塩水に熟成された旨味を足した感じかな?
近いのは、たぶん醤とか魚醤あたり』
(発酵系の調味料ね)
豆や魚を発酵させて作る食品や調味料は、一部では使われている。
それと似たものだと考えるなら、まったくの未知というわけでもない。
『あ、そうだ! マティルダ、“白鷺商会”って知ってる?』
突然、リカの声が嬉しそうに弾んだ。
『ゲーム内の交易でね、そこが醤油を扱ってたの。
変わった嗜好品を専門にしている商会で、本拠地は島国なんだけど、この大陸にも支店がいくつかある設定だったはず』
白鷺商会――その名には、覚えがある。
(たしか、珍しい輸入品や嗜好品ばかり扱っていて、“物好きな貴族”が出入りしている商会ね)
一部の収集家や愛好家に人気がある、という報告を受けたこともある。
(この際、“醤油”というものを実際に見ておくのも悪くないわね)
私は書類用の紙を一枚引き寄せ、さらさらと買い入れ指示の文面を書き始める。
「それで、“タレ”というのは、具体的にはどう作るの?」
『細かいレシピまでは知らないけど……』
少し考える間をおいてから、リカが答える。
『醤油とか味噌をベースに、砂糖とか甘いお酒とか、
お酒なんかを混ぜて、甘じょっぱいソースにする感じ』
『焼き鳥に使うときは、焼き上がりの前後でそれを塗って、何度も塗り重ねて焼く…… みたいなイメージなんだけど、正直うろ覚え』
だんだん尻すぼみになるあたり、かなり怪しい。
とはいえ、方向性だけでも掴めたのは収穫だ。
(これ以上、料理人でもないリカにレシピの正確さを求めても無意味ね)
重要なのは、醤油や味噌に当たる発酵調味料を確保すること。
そこに甘味と酒精を加えた、甘じょっぱいソースを仕立てる。
(やるべきことは、はっきりしたわ)
私は書面に自分の署名を書き加え、ペンを置いた。
「――まずは、“最高の焼き鳥”を作れるようにしておかないとね」
机の端に置いてあったベルを指先で軽く鳴らす。




