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鳴不村のある夏の日  作者: 雨寝エフィ
2/2

ソーダ色の夏休み

 上山朔夜は、自分がとても普通な人間であると自覚している。

 つまらないとか面白いとかそういう『人柄評価』で普通という意味ではない。そういう括りでいうなら、朔夜は「ド変人」である。

 初めましての人には良いとこのお嬢さんと思われることが多いが、二度目まして以降となると、大体の人が「変わってる」「変な子」「宇宙人」と口を揃え始める。

 朔夜としては、特に変わったことを言ったりしたりしているつもりはない。

「どういうところが変なの?」

 そう聞いてもまともな返事が返ってきたことはない。今のところは一度も、だ。「うーん、なんとなく…」「どこがどうってハッキリは言えないんだけど」と言葉を濁す。

 変なの、と朔夜は思う。

 変わってるね、と言う時。その人は絶対に自分の中にある物差しで朔夜を測ってるはず。その結果、はみ出す部分が朔夜に見つかった。違うところがあったから、変だね、とそう発言しているのだと思う。

 それなのに聞くと「わからない」と言うのだ。彼・彼女らには、絶対に何か違う部分が見えているはずなのに。

 それが遠慮なのか、配慮なのか、あるいは本当にわからないゆえなのか。朔夜には察する術がない。朔夜は他の人と比べて、自分が特段変わっているとは思わない。当然、「違い」とやらはさっぱりわからない。

 自分は普通の人間だと思う。

 病気や怪我は痛いし苦しい。ツラいのは心を弱らせる。だから早く良くなりたいと思う。

 健康な時にはそれがどんなに恵まれていることかなんて考えもしない。ただ、お腹が空くから4時間目は嫌いだなとか、放課後に遊びに誘われるのは面倒くさいなとか、そういう別の悩みに焦点が移るだけ。

 いつだって完璧に心の底からハッピー!とは思わない。ちょっとした文句や悩みが燻っている。でも楽しいことが全くないわけじゃない。

 本を読んだり、テストを受けたり、岩場で遊んだり、キャベツの葉っぱから蝶々の卵を剥がしたり。おもしろいことはたくさんある。


 楽しいことと嫌なことはいつも同じくらいあって、プラマイゼロ。

 ちなみに「わからない」ことはその何倍もある。朔夜は一日の大半をモヤモヤグルグル思考の海に溺れて過ごしている。


 海の本当の色だとか、地球という大きな物体が宇宙という謎空間に浮かんでぐるぐる回ってることだとか。生まれて死ぬというサイクルはいつから始まったのか。初めに梅干しを思いついた人って誰なのかしら。隣の家のお婆さんはずっと朔夜の家を塀越しに眺めているが、疲れないのかな、ずっとそうしていて楽しいんだろうか、とか。

 幼馴染だからといって、どうしてミナは私をどこにでも一緒に連れ回そうとするんだろう。友だちとの遊びを断ったことを、担任の先生が「もう少し協調性を持って。誘ってくれる友だちが可哀想でしょ」と言うのも不思議。自分のやりたいことを諦める朔夜は可哀想じゃなくて、ミナが可哀想になる理由はなんなんだろう。ミナには他にも遊び友だちがたくさんいる。別に朔夜一人に断られたって、いつも誰かしらに囲まれてる。ミナにとって朔夜である必要は必ずしもないのに。


 大人はよく「普通にしなさい」と言う。

 それなら「普通」が何なのかもっと詳しく文書にして渡して欲しい。

 ふんわり、なんとなく、自然に身につくはず、なんて甘い考えは捨てて、国語や算数のように学びの一分野として腰を据えて教えて欲しい。でないと、いつまで経っても朔夜のように「普通」の自主学習に悪戦苦闘する子どもがいなくならない。


 こんなことで時間を取られるの、ほんとは不快で嫌なんだけどな。


 子どもは、たぶん大人が思うよりも自由に使える時間が少ない。

 朝起きて学校に行って、放課後は友だちに付き合って、ご飯食べて宿題してお風呂に入ったらもう寝る時間だ。朔夜の家では、子どもは21時就寝が決まりなので、もう本当にあっという間である。本もゆっくり読めやしない。

 やりたいことをするための時間はわずかだ。大人からの小言やお説教に時間を取られるのはもったいない。

 だから、朔夜は学校ではいい子を演じる。きちんと演じられているかどうかは微妙なラインだが、「時々変だけど、静かで控えめでおとなしい子」と言われる回数が段々増えてきているので、まぁまぁ上手くやれているのでは?と思う。

 本当にとっても面倒くさくて疲れることだけど、猫をかぶらなくては中々どうして。この世の中というのはまったく生きにくいのである。


 そんな朔夜にとって、夏休みというのはどちらかというと嬉しくないイベントだ。

 まず暑いのが朔夜は嫌いだ。つまりそもそも夏が嫌い。蚊もアブも嫌い。

 次に、夏休みの宿題が困る。難しいとか量が多いとかではない。わかる問題ばかりだし、量だって夏休み全日に割り振れば少ないくらいだ。だけど、どうしてもやる気が起きなくて、取り組むのはいつも最終日の夕方から。日付けが変わる前には終わるけど、すごく疲れる。主に指と目が。

 どうせ一日で終わらせられる程度の量なんだから初日にやってしまおうと思ったこともあるが、「ねー、サク、宿題どんくらい進んだ?」という友だちチェックがちょいちょい入るので、結局最終日まで朔夜のドリルは真っ白のままだ。

 友だち何人かで集まっての勉強会なんて以ての外である。一度だけ参加したけれど、結局みんな朔夜の答案を写したいだけの集まりだったので、それきり一回も行っていない。


 そう、夏休みって友だちの襲撃が多くて憂鬱なんだよな…。


 鳴不村は小さな集落だ。人口は確か…1300いくらとかそのくらい。それだけ聞くと「なんだ千人以上もいるんじゃん」と思われそうだが、内訳の半分くらいは老人が占めている。自分と同じ世代、まぁ、謂わゆる子どもと括られる年齢の人口は、体感としてもっとギュッと密で少ない。

 村の子どもたちは当然のように全員顔見知りで、同い年の子たちは一人二人を除いて保育園の時から全員同じ顔ぶれ。小学校も一学年一クラスがテンプレでクラス替えなんて漫画かドラマの世界。中学校は、両隣の学区から少し人が流れてくるらしいが、それでも二クラスになるほどの人数にはならないから、高校に上がるまでは同じメンバーで過ごすことになる。

 それ故の結束力なのか。なんなのか。謂わゆる友だちの距離の近さに朔夜はいつもうんざりしていた。

 少し一人にさせてほしい。いや、少し、は嘘かも。結構、ずっと、できるだけ長く、もっと、もーっとたくさん、一人の時間を都合してもらえないだろうか。

 アイドルも俳優も芸能人も、ドラマもアニメもSNSも、 iPadもスマホもSwitchも、全然興味ないから共感できないんだもん。共感できない子、君たち好きじゃないじゃん。嫌いになるくらいなら、近寄らず触らず、適当な距離で付き合えばいいのに。

 心の底からそう思ってるし、何度かそれとなく伝えてみてはいるけど、やっぱり共感できない間柄だから、こちらの意図は伝わらず拗れるだけで、朔夜は最近色々諦め気味だった。

 やっぱり朔夜は変な子で、この社会に適応していないんじゃないか。上手に生きていくには、色々諦めて、かぶった猫を少しずつ本物の皮にすり替えていくしかないんだろう。

 

 それは、自分が自分じゃなくなるみたいで気持ち悪い。でも、そうしないと上手く生きられないのかもしれない。あぁ、嫌だな。


 話が逸れたけれど、つまり、暑くて虫は多いし、人付き合いは煩わしいしで、朔夜は夏休みが嫌いだった。



「はぁ」

 窓際に置いたベッドに転がって、青い空を見るとも無しに見る。

 気持ちよく晴れ渡った青い空。そこに浮かぶ白い雲。大きくてもくもく。綿飴みたい。ふんわり空に浮かんでて、気持ちよさそう。


(いいなぁ)


 羨ましくなった。

 雲。

 雲かぁ。

 雲って実は小さな水の粒の集まりらしい。どうして霧吹きの水は空中に浮かばないのに、雲はあんな風に大きく集団になって空に浮いているんだろう。霧吹きの水よりもっとずっと小さいのかな。それにしたって、あんな大きなモクモク雲、絶対に重かろうに。


 ガバッと起き上がり、部屋を出る。扉を開けると、大人一人が通れる程度の狭い廊下があって、正面には白い壁と二重窓。朔夜はその窓を開け放つと桟に足をかけ、一階部分の屋根に降り立った。


 (あ、熱い)


 屋根に寝転がって空を見たら気持ち良いだろうなと思ったのに、これでは熱すぎる。火傷をしそう。滑るから靴下はやめた方がいいかもしれない。サンダル…やっぱり靴…裸足…あ、そうだ、薄掛け布団があったから、それを敷いて寝転んでみようかな。布団の上なら気持ちよさそう。布団も干せるし一石二鳥だ。


 晴れの日に干されるお布団は、どんな気持ちだろう。空の雲と日向ぼっこのお布団。どちらが良い気分だろうか。


 朔夜は、足音もなく階段を駆け降りてほうきと床用のドライシートを掴んで屋根に戻ると、そこをざっと掃除した。今回のことでわかったことは、ドライシートは屋根向きじゃないということ。ほうきってすごいなぁ。なぁに、この万能感。

 ひとまず、これはヤバいなというような汚れがなくなったことを確認して、夏掛け布団をそこに敷く。屋根の勾配からいって、ズルズルと滑り落ちるということは無さそう。試しにその上に寝転がってみる。


 朔夜はムムムと口をとんがらせた。


 …ちょっと眩しいかも。あと、やっぱり暑い。

 これは、ベストな位置を探さなければならぬぞ。そうしなければのんびりとくつろげぬぞ。


 狭い屋根の上で試行錯誤を繰り返し、これぞベストポジション!という場所を見つけ、朔夜は口角を上げてそこに猫のように転がった。

 はぁ〜…気持ちいい。

 陰干し最高。生まれ変わったら、高級旅館の売れっ子布団になりたい。

 空は青くて高くて広い。空気は少し蒸しているけれど、空があんまり晴れ晴れと清々しいのでそこまで不快に感じない。

 自分の意識が体の外までぶわりと広がっていくような気がした。世界に溶け出していくみたい。

 あぁあ、綺麗だな。心地良い。

 一つの悩みも無い。あるのは広々とした開放感だけ。

 始終忙しくぐるぐると頭の中に言葉が氾濫している朔夜だが、この瞬間、頭の中は空と一体だった。何の言葉もない。思考もない。

 優しい風が時々前髪を揺らす。巨大なモクモク雲は、広大な帝国のように空を支配し、ごくごくゆっくりと動いている。空は透き通るように青い。時折り、遠くで人が活動する音が聞こえる。

 締めつけていた帯紐を緩めた時のように、体の中にごちゃごちゃと滞留していた一切が外にフッと吐き出ていった。目玉はただのガラス玉に成り果てた。美しい、広い青空を映すだけのガラス玉だ。


 どのくらいそうしていたか。あまり時間は経っていないかもしれない。

 庭の砂利を踏む幾人かの足音、ざわついた気配、男の人の話し声が聞こえ、朔夜は自分の中に戻ってきた。頭の中はまた思考でいっぱいになった。

 男の人、二人。今、庭にはお母さんがいるはずだから…あ、挨拶してる。仲良さそうなトーン。おじちゃんかな。友だちが来るとかなんとか言ってた。その人かな。なんでうちに来たんだろ。


 朔夜には、ちょっとガラの悪い叔父さんが一人いる。母の弟の一人で、中卒で船に乗ったせいか、それとも元来の性格がそうなのか、とにかく口調が荒っぽい。アル中の祖父と違って、見境なく拳を振り上げてこちらを追いかけてくるとかそういうことはないのだが、面白がって追いかけ回し乱暴に朔夜を捕まえて担ぎ上げて走り回る、くらいのことはしてくる。5歳くらいまでなら喜んだけど、これでも朔夜は10歳の女の子なので、そういう不躾なのはもうNGなのだ。何度説明しても、鼻で笑って小突き回してくるので、さっさと海に戻ってほしいなと毎回思っている。

 口を開けば、ぶん殴ってやろうか、ブチ殺すぞ、と乱暴な言葉がボロボロ溢れだすような人だ。まぁ、言ってるだけで、実際は自分より弱い相手には余程のことがない限り手を出さないのだが。

 困るのは、自分と同じ若い男の人には言葉通りの喧嘩っ早さで、本当に手が出てしまうこと。一緒にお出かけして面倒になりかけ、子ども面して仲裁したことが何度かある。朔夜はちゃんと非力な女の子なので、大人の男の人の喧嘩に割って入るのは、それなりにけっこう怖いからやめて欲しい。

 二年に一回、一週間程度しか帰ってこない人なのに、毎度毎度濃いエピソードを残していく人。それがこの叔父さんなのである。


 あー、呼ばれないといいなー。そう思いながら転がっていると、母の声が「佐一!」と兄を呼んだ。

 反応は無い。

 まぁそうだろう。今、佐一は自室にいるのだから。自室以外の場所にいたなら渋々仕方なしに顔を出すだろうが、部屋にいるなら佐一は出てこない。基本的に社交的なタイプではないので、自分が約束した相手でないならちょっとの愛想も振り撒かない。一見さんお断り、要予約必須。それが朔夜の兄である。

 気難しいだけで害はない。むしろ、面倒見の良い人だ。ただ、まぁ、うん、全く社交的ではない。


 案の定、物音一つ立てずに無視した兄の次に呼ばれたのは朔夜だった。


 面倒臭いなぁ。


 そうは思いつつ、朔夜は屋根を伝って表側、庭に面した方にひょこりと顔を出した。

 これ以上子どもたちが無反応では、母も立場がないだろうし。そうそう、立場。体面。面目。そういうのも実はよくわからないんだけど、なんだかそれを傷つけてしまうのってよくないことらしい。よくわからないものを傷つけるも傷つけないも、それこそどうしたらそういう判定になるのか……これも朔夜にとっては難しいことなんだけど…。今日は叔父もいるし、「良い子」にしていた方がいい。無視なんて、どうぞ、プチギレして家の中にズカズカ押し入ってくださいと、ナイストスを上げるようなものだ。自室に殴り込みをかけられては、兄も大変だろう。

 そう思って顔を出した。


「なぁに」


 屋根の上から声をかけると、見知った顔が二つ、見知らぬ顔が二つ、ぐるりとこちらを見上げた。


 なんで、アンタ、そんなとこで何して、と顔を青くして慌てる母と、げ、と苦い顔をしている叔父。それから不思議な感じがする男の人と、ポカンと口を開けた男の子がいた。

 男の子は同い年か、それとも少し歳上…うーん。姿勢が良くて背も高いから歳上に見えないこともないのだが、体の幅が薄くて華奢だから、意外と同じ歳くらいかもしれない。

 その隣にいる男の人。おそらく叔父さんの友だち。位置的に男の子の家族かも。この人は…なんか変だな。

 優しそうな顔でこちらを見上げている。

 「普通」の人って、屋根の上から子どもに声をかけられた時、そういう穏やかな顔、あんまりしないと思うけど。


 なんとなくの直感で、朔夜はその男の人に「not普通人」のハンコを押した。まぁ、ただ押しただけ。別にどうもしない。

 普通だろうが普通じゃなかろうが、朔夜は基本的に「人」と関わることに対して興味が薄い。関わる予定がないのだから、それ以上も以下も、特に感想はない。


 それより問題は男の子の方だ。

 母が佐一を呼び、次に朔夜を呼んだということは、十中八九、あの男の子の遊び相手を子どもたちに任せるつもりなのだろう。本当は男の子同士で遊ばせるつもりだった。佐一は面倒見もいいし。だけど今回は気難し屋さんの面にぶつかって失敗した。だから次点で歳の近い朔夜を呼ぶことにした。そんなところだろう。


「ちゃんと階段を使って降りてきなさい」という母の言葉に従って(とはいえ、朔夜もさすがにノープランで屋根から飛び降りるような無茶はしない)、庭に出ると予想通り、「この子と仲良くしてほしい」とお願いされた。

 東京から来た子で、朔夜と同じ歳。

 予想外だったのは、まさかのまさか、それが一ヶ月間という長期任務だったこと。夏休み全部って、どういうこと?どうかしてるにも程がある。


 誰かとずっと一緒なんて、一日…いや半日だって耐えられない。


 一瞬で深ぁい地の底に突き落とされた気持ちになったが、いやいや適当に他の子に任せればいいじゃん、とこれまた一瞬で浮上した。

 そうだ、何も朔夜が一身に背負わなくても良い。この村には朔夜の他に同い年の子が20人いるのだ。鳴不村は、「村」だけど、それなりに人がいる。ざっくり言って、一学年に10〜20人くらいの子どもがいるのだから、同い年に限定しなければ50人程度、歳が近い遊び相手の候補者が常にいる状態というわけだ。

 朔夜はそこにこの子を紹介する繋ぎの役割さえ果たせればいい、というわけ。それこそ朔夜は保育園からずっと同じ顔ぶれで進級してきているので、誰がどんな性格で何の遊びが得意か、なんてこともよく知っている。

 外遊びの中でも野球が好きな子、浜に行くのが好きな子、山遊びが好きな子、かけっこが好きな子、家の中なら、映画を見るのが好きな子、マンガをたくさん持ってる子、絵を描くのが好きな子、と色々紹介できる。おしゃべりができるなら場所は問わないという強者も知っているし、歳上は佐一のツテを使える。歳下と遊びたいなら兄弟の多い子を知ってるからそこから紹介してもらえばいいだろう。


 俄然、気が楽になってきた。

 そうと決まれば、村を案内がてら、どんな子と遊びたいか聞き出してみよう。


 朔夜は大人たちに手を振って、ちょっと不安そうな顔をしてる男の子を手招きしてさっさと先を歩き出した。


「あ、私、上山朔夜。サクって呼ばれることが多い」

「え?あ……、俺は小川靖明。よろしくね」

「うん、よろしく……」


 靖明、セイメイ……安倍晴明と同じ漢字かな、違う漢字かな。セイメイ……。

 あだ名は何がいいだろう。セイ、メイ…どっちを取ってもイマイチしっくりこない。あ、そっか、名前じゃなくていいのか。外の人は苗字が珍しくていいな。セイメイだから、安倍晴明…べーちゃん、でいいか。すごい、べーちゃん、しっくり具合がすごい。


「べーちゃん」

「へ?」

 自分の名付けに満足した朔夜は、斜め後ろを振り返ってにっこりした。


「よそよそしいより、仲良さそうな方がおじいさんおばあさんが安心するから、べーちゃんって呼ぶね」


 男の子は目を白黒させたあと、一度首を傾げて


「その『べーちゃん』はどこからとってきたの?」と、困惑しきった顔で朔夜に尋ねた。


「セイメイだから安倍晴明の『ベー』。あ、そうだ、この村、苗字被りが多いの。子どもは皆あだ名で呼びあうし、大人は屋号…家のニックネーム?みたいなのを使う」


 鳴不村は、大体三種類の苗字しかない。上山、牛引、有馬だ。それ以外の苗字の人ももちろんいるけど、すごく数が少ない。


「村の人、よその人に反応しがちだから、そういう…えーと、スムーズに一ヶ月過ごしたいならあだ名を持った方がいいかなって。…あだ名、やだった?」


 今更ながら、この男の子の反応が微妙だったことに気付いて尋ねると、男の子は一度まばたきをしてから「ううん」と笑った。


「俺も君をミケって呼んでいい?」

「ミケ?」


 きょとんとする朔夜を男の子は、頭のてっぺんから足の先まで指でサッと差した。


「だって、君、三毛猫と同じカラーリングだよ」


 言われて改めて己の服装を見下ろす。

 白Tシャツにオレンジっぽい茶色のズボン、白いスニーカー。真っ黒なおさげ髪がゆら、と視界の両端で揺れた。


「あ、ほんとだ」


 白、茶色、黒。確かに三毛猫カラーだ。

 ほんのちょっと前、被った猫を本物にしなきゃいけないの憂鬱、とか思ってたのにまさかのまさか。すでに物理的に三毛猫に近付いていたとは。

 しかも朔夜はこの色の服しか持っていない。

 偶然か無意識かわならないが、知らないうちに形から猫に寄せていたらしい。

 本気の猫かぶりとはまさにこのこと、なのでは。


「おもしろー!」


 朔夜は弾けるようにアハハと笑った。声を上げて笑うのなんて、すごい久しぶり。一人でクフクフと忍び笑うことは多々あれど、ケラケラと笑い声を上げるのは本当に久しぶりな気がした。

 猫をかぶる。

 普通を装う。服装だけで完璧に装えたら、それはそれはとても楽だろう。


 ミケかー。最高。


 べーちゃんにそのつもりはないだろうが、皮肉がさり気なく利いてて、甘さの中にスパイシーさをも感じるというか。とにかく絶妙なネーミング。


「素敵なあだ名。空前絶後大賞だね」

「…空前絶後大賞って何?」

「今、私が作った。べーちゃんの類稀なるネーミングセンスを生涯讃えたいなと思って」

「…うぅん……ミケ、変わってるって言われない?」

「言われるよ。べーちゃんはなんて言われる人?」


 べーちゃんは一瞬言葉に詰まって…それでも一拍後、ニコッとよそゆきの笑顔を浮かべて口を開いた。


「ミケは屋根の上で何してたの?」


 すごい!なんて露骨な話題逸らし!

 あんまり堂々とするものだから、いやらしさが全然ない。

 一周回って朔夜はドキドキした。

 べーちゃん、なんて面白い人なんだ。こんな同い年、見たことない。

 朔夜はワクワクを抑えきれず、声を弾ませた。


「ふふふ、あのね、屋根で干されるお布団の気持ちになってみたくてね。一緒に陰干しされてみたの」

「……え、じ、自分のことも陰干ししたの?」

「お日様の下は暑すぎたから、位置取りが難しかった。陰干し最高だったよ。あ、布団しまうの忘れてたなぁ」


 窓は閉めてきたから大丈夫だけど……帰ってから回収すればいいか。雨は降らなさそうだし。

 

「まぁいいか」

「いいの?え、何が?」


 なぜだか朔夜よりも動揺した様子のべーちゃんに、朔夜は青い空を指差した。


「いい天気。お布団もたまには、ベッドの上以外の場所にいてもいいんじゃない?夜寝る時にふかふかでベッドの上にいてくれたら、何も問題ない」

「…それは、確かに」

 べーちゃんは空を見て、朔夜を見て、それから自分の口にそっと手を当てた。

 その指の隙間からフと吐息と笑い声が漏れた。わぁ、上品な仕種。東京の人って品がいいのかな。それともべーちゃんのご家庭が上品なのかな。べーちゃんのお父さん、よく叔父さんと仲良くなれたな…。


「暗くなる前に忘れずに回収しないとね」

 一頻り笑ってから、べーちゃんは優しく笑った。

 たしかに。夜の闇の中、ぽつんと屋根に置き去りにされた布団を想像する。なんと寂しい光景。


「湿気ったら布団も私も悲しくなる…」


 朔夜は大真面目に憂いた。

 途端、べーちゃんが隣で吹き出した。もう、口元を手で隠すなんて遠慮はないようだった。それでも見知った同級生たちの大笑いとは違って、べーちゃんの笑い声はこの夏空によく似合う爽やかな水色をしている。とっても不思議。

 パチパチと視界が透明に弾けたような気がして、朔夜はパチクリとまばたきをした。


「べーちゃん、炭酸好き?」

「え?普通に飲めるけど。特に好きでも嫌いでもないかな」

「へー、かっこいいね」

「え、何が」

「好きでも嫌いでもないってワードチョイスが大人っぽいなって」

「…………うん、……?」


 べーちゃんは、とっても悩ましくて悩ましくて悩ましいみたいな顔で、首を3時方向まで倒してしまったが、それでも朔夜の隣を淀みなく歩き続けながら、「ミケは炭酸好きなの?」と聞いてきた。

 朔夜ならそんなに悩ましくなるほどの考え事があったら、立ち止まったりしゃがみ込んだりして、歩きながら質問なんてとてもじゃないけどできない。べーちゃんはすごいな。考え事をしてても、それとは別に他のこともちゃんとできるんだ。

 朔夜の中でべーちゃんの好感度がまたポコンと音を立てて上昇する。


「炭酸は飲んだことないから、わからない」

 そう返すと、べーちゃんはまた唸りながら首を逆に傾けた。

 まぐれじゃなくて本当に、会話を続けながら悩んだり考え事ができるんだなぁ。すごいなぁべーちゃんは。


 もうこれは絶対に、最高に相性の良い子を選りすぐって紹介しなければ。


 どうかどうかべーちゃんの夏休みが楽しいものになりますように。


 心の底からそう思って、朔夜は頭の中に溜め込んだ「鳴不村子どもリスト」をブワーッと広げた。さぁ、どこからでもかかってこい。


 あまり他人事でテンションが上がらない朔夜にしては、かなり珍しい士気の高さだ。


「今からざっと村の案内するけど、したいことがあったらすぐ教えてね」


 道案内のスタートは、べーちゃんが1ヶ月を過ごす叔父の家からがいいだろう。


 隣を歩くべーちゃんは、同じ歳なのに軽く見上げないと視線が合わない。


「したいこと、かぁ。うん…まぁ、何かあったらね」


 ふにゃりと困ったようにべーちゃんは笑った。

 パチパチ、シュワシュワと泡が弾ける。

 今日初めて会ったばかりの男の子。

 朔夜の言葉に、今までにはない受け応えを返してくれる子だ。


 何かしたいこともないのに鳴不村なんて、普通は選ばないと思うんだ。

 あれ、それって、何もないのが良かったってことかな。


「ふふふ、おもしろー」

「なにが?」


 不思議そうにべーちゃんは首を傾げる。その目はとても穏やかだ。…朔夜の言動は不可解で、だけど厭う気持ちはない。そういう目。


「いっぱい、色々、全部」

「それじゃ全然わかんないよ」


 べーちゃんはクスクスと肩を揺らして笑った。


 細い坂道を上って、さぁ、叔父さんの家到着。


「じゃあ、ここからスタートね」


 勝手に仕切る朔夜に、べーちゃんはただ穏やかに「うん」と頷いた。

 いつもは面倒くさい夏休み。今、この瞬間からは、いつもと違う夏休みが始まる。


 今、この瞬間、ここから。


 見渡すほどに広い青空の下、朔夜はべーちゃんと過ごす初めての夏に一歩、踏み出していった。

インフルエンザにかかったり、大掃除したり、お餅食べたりしてました。

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