第二十一話 宿る
<<Hotel Schlummer>>
「すみません。戻りました。」
一言声をかける。しかし、反応はない。
「あれ、いないのかな……。」
サフィアも不安そうな表情になっている。ここまで来て、泊まれませんとなったら大変困る。大いに困る。そういうのが俺自身の顔にも出ているのがわかる。
「すみませーん。今朝伺った者なんですけどー。」
全く何も音がしない……。いや……ん?
―――ガタガタ……。
まさかそんなわけね。このホテルも最近は若い人が来なくなったとはいってもね……。
「部屋の掃除でもしてるのかな……。」
その可能性を考えていなかった。俺らが泊まるとはいえ、何も準備しないのはあの老婆からしたら……?いやまて。基本的にホテルの客室の準備は、チェックアウト後の清掃と同時にやるはずだ。そうなら、今清掃していると仮定したら、先ほどまでここを使っていた客がいたということになる……。
「s、そうかもね……。」
ダメだ。あまり気にしすぎるとまた、あの老婆に会った時に勘付かれる。
―――ゴトッゴトッ
誰かが上の階から降りてくる音がする。
―――その音に不安を感じた俺は、
「サフィア。いったん隠れよう。」
サフィアの手を取り、軽く引っ張る。
外に出るという手もあったが、ドアを開ける音で相手に気づかれる可能性が高い。階段から入口、あるいは受付の死角になるような場所は……。
―――階段裏なら可能性はある。ただそれ以上に気づかれるリスクは高い……。
「まだ三階からゆっくり降りてきてる感じだ。行ける。」
「ちょっ、スイキっ。」
少し強引に階段の裏側に回り込むと同時に、人差し指を口に当て、静かにするようにジェスチャーする。
「なっ。」
こいつっ。
スイキは右手で、サフィアの口を強引に覆う。
「んんー!」
こいつはどうしてこんなに反抗心が高いんだ……。と呆れていると階段のすぐ上から音がする。
「久々に客が入ったものの、あまり収穫はなかったねぇ。」
ゆっくりと、でも確実にスイキたちの真上に近づいてくる。
―――収穫?何を言っているんだ?あまりお金を落としていかなかったってことか?
「まぁいいだろう。あの子たちもそろそろ戻ってくるだろうし、あの子たちなら相当な量と質を確保できる気がするねぇ。」
量と質?どういうことだ?お金に質は関係ないはずだ。
―――ギィィ、ダタッ
「しかし、さっき誰かが来ていたような気がするんだが……。気のせいかねぇ。」
―――ギィィィィ。
酷く軋む階段の音に、サフィアが耳をふさいでいる。
「さて。いったん部屋に戻ろうかね……。」
階段を降り、受付よりもさらに奥の部屋へ遠ざかっていく音がする。
「もういい?」
ほぼ密着状態のサフィアは恥ずかしそうに頬を赤くし、上目遣いで訊いてくる。
「もうちょっと待って。」
決して、この状態のままがいいとかじゃなく。老婆が部屋に入る音がするまでは安心できない。
―――ギィィ、バタン……。
「よし。いったん出直そう。」
そのまま老婆に話しかけでもすれば、いつからいたのか聞かれる可能性が高い。それに、さっきの感じだと、誰かが一度ここに入ったのを勘付いていたようだった。
「うん……。」
サフィアの頬はまだ赤いままスイキに手をつながれる。
―――。
静かにドアを開け、外に出る。
「なんかヤバそうな雰囲気だったな……。」
サフィアに話しかけるも、反応が鈍い。
「大丈夫か?さっきから顔赤いけど……熱でも出た?」
と額に触れて体温を確かめようと右手をかざしかけると、
「違うの。大丈夫だから。」
と手をはねのける素振りもしない。
「サフィアが大丈夫というなら大丈夫なんだろうけど……。体調悪くなったらすぐ言ってな。」
コクリと小さく頷くサフィアは素っ気ないけど、守ってあげたくなる。
「さすがにこの宿の前で立ち往生しているわけにもいかないし、改めて入りますかね。」
―――ガチャッ
「すみません。」
奥の部屋から物音がする。今回ははっきりと聞こえたらしい。
「はぁ~い。」
奥から出てきたのは今朝もいた老婆。もしかしたら他にも人がいるのではないかと勘繰っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「戻りました。部屋は使ってもいいんですよね。」
念のための確認。
「あぁ。この鍵を使いな。」
と渡されるのは鍵の束。
「ええと……。どれですか?」
と困惑していると、
「好きな部屋を使っておくれ。私は一度部屋に戻るから、何かあったら声をかけてくれ。それじゃあ。」
とまたも奥の部屋に消えてゆく……。
「さすがにサフィアは別の部屋がいいだろ?」
当然でしょ。と言われることを想定した質問だったのだが、サフィアは答えない。
「まぁ。部屋の広さを確認してからでもいいか。広くてベッドが二つあれば、一つの部屋に固まったほうが安全だし。」
と言葉にするものの、実際このタイプのホテルであれば、ダブルベッドである可能性が高い。そして、割かしでっかいソファもあることが多い。
「うん。」
先ほどからサフィアがこの調子だと、俺まで意識してしまって感覚がバグるぜ。
―――コツッ、ギィィ
予想通りの床音。歩くたび、階段を上るたびにきしむ音がする。
「二階でいいか……。」
三階だと何かあったときに窓から飛び出して避難するのが、各段に難しくなる。
「……。」
サフィアが後ろからついてきていることを一度確認して、二階のフロアに出る。
「ええと。この鍵は……201……。ていうか、二階の鍵、201しかないじゃん。」
まさかとは思うが、二階の客室はこの部屋一室なのか……?
「早く入ろうよぉ。」
サフィアは吐息交じりに喋り、俺の腕にしがみつく。クソ……彼女だったら撫でまわしてたのに……。
「おう。」
鍵穴に差し込み、右……。じゃなく左へ回す。
「開いた。」
こういう時って、いちいち声に出ちゃうよね。と独り言を心にとどめ、足を踏み入れる。
「おぉっ。どうした。」
部屋に入った途端、サフィアが背後から抱き着いてくる。流石にこの状況はまずい。本人の意思じゃない、と何かの直感。こういう時は大抵、第六感というのだろうが、それが警鐘を鳴らしている。
「サフィアっ。大丈夫かっ。」
だいぶ意識が朦朧としている。それも……何かにとりつかれたように。
「いったんベッドに運んでやるか。」
後ろから抱き着くサフィアの腕をゆっくりと引きはがし、意識が混濁しているサフィアの膝裏に右腕を、背中に左腕を回す。足に力を籠め、スクッと立ち上がる。
「軽っ。」
え?町で足を踏まれたとき、めちゃくちゃ痛かったのに、本当に全体重なのか……?
―――思ったよりも容易に持ち上げることができ、想定通りのダブルベッドにゆっくりと下す。
「触れるよ。」
額に手を添える。今度は拒否も何もなく。
「熱っ。」
こいつ風邪ひいてるのか?それにしてはこのホテルに着くまでの間、そんな様子ではなかったはずなのに……。
「待ってろ、今お水とタオル持ってくる。」
流石にこの手のホテルならタオルぐらいあるはずだ。
―――浴室へ向かうと
「あった……。でかすぎんだろ。」
バスタオルではあまり意味がない気がするが、フェイスタオルぐらいのもの……。
「よし。あとは氷があればいいんだけど……。」
と思ったが、日が完全に沈んで外が寒いことを考えれば、水道の温度も下がってるだろう。
「冷たっ。」
こちらは想定よりも冷たい。けれど、このぐらい冷たければむしろ熱も下げやすい。
「お待たせ。」
サフィアの額に冷えた水を少し含んだタオルをのせる。サフィアの表情は一瞬和らいだ。それを見て、念のため防犯上、部屋の鍵を閉めに行こうと歩く。
「手……。」
サフィアの声が微かに聞こえ、振り向くとサフィアが左手をこちらに差し出している。俺は鍵を閉め、ベッドのそばに駆け寄り、左手を右手でとり、そして両手で包む。
「大丈夫だ。すぐ治る。」
そうして安心させていると……。
―――「ん?」
階下から音がする。
「そういや部屋の鍵、俺が全部持ってるから、あのばあさんどこの部屋にも行けないじゃん。」
そう思った矢先、部屋の扉の前に誰かがいる気配がする。
え……?あの老婆、足速すぎないか?普通の足腰でない限り、一階で物音がして今の一瞬で、201の部屋の前に来るのは難しい。
「これは……。大丈夫な奴なのか……?」
振り返る。サフィアは寝ている。その顔を見られるだけで少し安心する自分がいる。けれど……。
―――眼前の扉の向こうは未だ、動かない。




