第十一話 旅立ちという名の逃亡
<<ヘルト村南出口>>
「長老……?」
燧輝の視線の先には、家にいたはずの長老が俺たちの進行方向を眺めている。
「爺ちゃん!」
サフィアが駆け寄る。こうしてみると、ただのおじいちゃんと孫の風景なんだけどな……。
―――悲しみにも似た感傷と危機感のはざまに漂う燧輝は、先に続く道を見ていた。
「サフィア。本当に行くんだな?」
長老は、サフィアの顔を、頬を撫で、いつくしむ。
「爺ちゃんも行こうよ。爺ちゃんぐらいなら守りながら歩けるよ。」
しかし、長老は首を横に振る。
「そういうわけにもいかんよ。儂はこの地に生まれ、この地で育ち、この地で死す運命なのだと……サフィアの決意を聞いて思った。」
サフィアは困惑と悲哀に呑まれる。
「なんで……そんなこと、言うの?まだ生きてるのにもう死ぬみたいなこと言わないでよ!」
長老はにこやかにサフィアを宥める。
「まだ死にはしないさ。けれど、お前の父さんや母さんとはまた違うのだ。家族であっても、親子であっても、自分は自分、その人はその人なんじゃ。」
長老は一息置く。その吐息が空に霧散していくようで。
「だから、サフィアもサフィアで、自分が信じた道を歩いた経験が、いつかお前にとって財産になる。」
この世界に来ても、前の世界でも、きっと俺は俺だ。けれど、自分の信じたことはどの様な形であっても、必ず自分のもとに還ってくる。それが人生だと、思う。
「爺ちゃ…ん…。んっぐ……。」
サフィアはその声に涙をにじませ、長老に泣きつく。
「大丈夫だ。お前は儂よりもずっと賢い。もっと楽しい生き方を見つけられるはずじゃ。だから、縛られすぎるな。他人に、歴史に、家族に。」
長老は、胸元で泣くサフィアの頭を撫で、耳元で何か言ったのだろうが、風で流れ去ってゆく。
サフィアは声を抑え、必死にえづく。月光に照らされた髪が金糸のように靡く。
「お前、名は何という。」
長老に問われる。
「僕はオイトスイキと言います。おじいさんは?」
長老はサフィアを見る。
「スイキよ……この子のことを見ていてくれ。」
質問には答えず、ただ頼む長老の姿は、やはり何かを背負っていて……。
「わかりました……。長老のお名前、教えてください。」
長老は月を見上げて、
「儂など取るに足らない、村の登場人物のようなものじゃ。」
しかし、燧輝は食い下がらない。
「いいえ。僕は覚えておきたいです。」
長老のこと、この村のことすべてではないし、俺のことをほとんどの人は信じてくれなかったけど、それでも、
「久しぶりって言える人は多いほうが楽しいじゃないですか。」
そうして燧輝は笑顔で告げる。
長老は、仕方ないとでも言いたげだが、燧輝の言葉に嬉しかったのか、
「アンファーゲ・シュッツァー。また、会えるのを楽しみにしておるぞ。スイキ。」
長老の笑顔は、何かを見据えていながらも、心からの笑顔だと、俺は思う。
「ほら……サフィア。行きなさい。お前が進むと決めた道には、助けてくれる人もいるのだから。」
その視線は俺に向く。
「スイキ……。」
サフィアの声は震えていて、でもそれは何かの始まりを予感させるようだった。
「儂はもう寝るから、お前らは安全に旅をするんじゃ。気をつけろよ。」
旅か……。本当は、逃げようとしているだけなんだけどな……。
「じゃあ……サフィア…………。もう大丈夫か?」
「あんたに心配されるほどっ……弱くなぃし。」
そういって目元の涙の跡を拭く。
「爺ちゃん……元気でね。」
「あぁ。お前さんもな。帰って来た時の土産話、楽しみにしとる。」
そして別れる一つの家族。歩き出す宵の林道。その一歩は、少しずつ、少しずつ。始まりを超えていく。
<<ヘルト村から南へ歩いて10分地点>>
「この先歩いていけば村か、町は見つかると思うか?」
サフィアの様子は、アンファーゲと別れてからずっと変わらない。彼女自身の16年間と、一緒にいたのであろうアンファーゲとの別れ。そして村に迫る危機。そのすべてが彼女の心を不安定にさせている。
「……。」
サフィアもわからないのか、あるいは村のことを考えているのか。それはわからないが、少なくともサフィアと同じ方向を向いているとは思えなかった。
「道が続いている限りはどこかにつながっているだろうから、はぐれるなよ。」
「……。」
無理もない話だ……。幼少期に経験した絶望。それがどんなものだったのか、知らないし、今はまだ知るべきじゃない。けれど、この逃亡が、少なくとも彼女にとって二つ目の絶望の経験になることは間違いなかった。
―――後ろを見る。
サフィアとの距離が空いている。5,6歩ぐらい。サフィアが追いつけないのか、あるいは俺の歩みが先を急ぎすぎているのか。そのどちらでもあるような気がして、一度立ち止まる。
「サフィア。」
名前を呼ぶ。彼女が顔を上げる。
「最初に、戻りたい……。」
目が合う。サフィアの瞳は、いろんな感情がしみ込んだ涙をためたようで。自分を信じてくれなかったこと、おじいちゃんを置いてきてしまったこと。その事実に感情の波が揺れている。
――燧輝は一歩ずつ彼女に近づき、その左手を、右手でとる。
「ゆっくりでいい。でも、ちゃんと前を向いて歩こう。じゃないと、見える景色も見えないよ。」
語り掛けるような声で燧輝はサフィアと手をつなぐ。
――今度は弾かれることなく。
「うん……。」
小さく頷き、燧輝の顔を見、ゆっくりと空を見上げ、前を向く。その横顔は、幼くも淡く、それでも前を向こうと頑張っている。
<<ヘルト村から南へ1㎞地点>>
「こんな時間に、子供が二人とは……大丈夫か。」
これは、隊商というやつだろう。馬車に荷物を積んでいるであろうその主は、俺らを見て心配する。
「もしや、あの村の住人か?」
そうして指をさす。その方向を、燧輝とサフィアは反射的に見る―――。
「はい。そうです。」
サフィアは様子の変わらない村を見て、ほっと息をつく。
「それじゃあ、どうしてこんな時間にここに…….。」
「村が危ない……。」
燧輝は隊商に助けを求める。
「助けてくれ。あの村を!」
「おいおい、どうしたんだ。あの村は魔王に最も近い村でありながら、ずっと生きながらえてきた。大丈夫だ。な、落ち着け。」
サフィアは落ち着いているが、その表情は助けを訴えている。
「いったん、ここで休憩して……。お前らは休んだ方がいい。目元は疲れ切っているし、足こそちゃんと動いているが、いつ倒れるかわかんないぞ。休め。」
そうして、隊商がテントを張る。
「朝、魔物に襲われる……。」
その一言は、隊商にうまく伝わらない。
「大丈夫だ。安心して寝ろ。」
そうして誘われる睡魔に、サフィアも燧輝も抗うことができず、
―――眠りに落ちる。
――――――日の出……同地点
嫌なにおいが鼻を衝く。飛び起きる。自分ではない、何かが失われる朝だった。
どうすべきかもわからないまま、テントの外に出る。その音と臭いに気付いた隊商も外に出て顔を片手で覆う。
北方の来た道の先には、黒煙が上がっている。その根元に広がる鮮紅と黒紅は
――燃え盛る炎、無残にも飛散した人々の血か、あるいは焦げたのか。そのどちらともわからない。ただわかったのは、村が滅んだということだけだった。
その焦げた臭いは―――人の脂が溶けたのかもしれない。
嗅いだことのない、嗅ぎたくもない激臭だった。
――村の周囲の透明なはずの結界は、黒く濁り、村の周囲を囲む魔物のよう。
いないサフィアを探し、足元をふと見る。
―――サフィアは膝から崩れ落ちていた。




