2 北近江の雄
2 北近江の雄
近江国
それは突然だった。
何と北近江を支配する戦国大名、浅井氏の当主浅井長政が村にやってきた。
何でも近江中に佐吉の神童ぶりが伝搬し、遂に浅井氏の当主自らが、佐吉に会いたいというのだ。
佐吉は寺の境内で掃き掃除をしながら、浅井長政がやってくるのを待っていた。
――浅井長政……織田と同盟を組んでいた。しかし、両者はいずれ破局を迎える。
佐吉は織田との同盟が破棄されるのを看破していた。
浅井長政に策を献上するのも良い。それにどのような御仁か佐吉は興味があった。
「お主が神童と揶揄される佐吉殿か?」
浅井長政はまるで雲を突くような大男であった。
身の丈六尺……いやそれ以上ある。
この時代の武士の体格は農民などとは違い、圧倒的に優れている。
身のこなしや、佇まいで相手の人物背景など推し量れるのだ。
「お初にお目にかかります。近江国土豪石田正継が一子、佐吉です」
佐吉は驚いた振りをして跪く。
目上の人であるため、礼節は重んじなければならない。
何しろ、相手は紛れもなき戦国大名。
日の本有数の貴人であるからだ。
長政は清廉とした所作を見せる佐吉に少々面食らっている様子だった。
「跪かなくても良い。近江の子よ。私は浅井家当主浅井長政だ。
高名な佐吉殿にお願いがあってやってきた。佐吉殿に聞きたい。
単刀直入に言う……織田との同盟を破棄し、越前の朝倉殿に味方するか思案しているか纏まらないのだ」
浅井長政は織田との同盟を破棄するかの判断を佐吉に仰いできた。
佐吉は突然の難題に息を大きく吐いて、思考を巡らせる。
「まずは中へお入りください。外は寒い故に」
「うむ。ご厚意に有難く」
浅井長政を丁重に寺の一室に通す。
浅井長政は非常に体が大きいので鴨居に頭をぶつけないと心配なほどだ。
外は寒空……この時期は熱いお茶が良いだろう。
しかし入れたては熱いゆえにまずは少々ぬるめのお茶で長政の喉を潤す。
その次に特別熱いお茶と茶菓子を差し出した。
佐吉なりの心配りである。
佐吉は浅井長政が茶を堪能したのを見届けると口を開いた。
「長政様、わざわざ何もない辺境の村に足を運んできてくださったこと感謝いたします。
今日は住職がいないので、申し訳ないですが。
私が浅井長政殿に助言いたしましょう。
長政殿、織田との同盟は破棄してはなりません。
浅井家では他の大名家と組んだとしても強大な織田家には歯が立ちません。
破棄すれば浅井家は確実に滅亡いたします」
佐吉は鋭い目を浅井長政に向けて忠告した。
浅井長政は覚悟していたかのように体を硬直させる。
「佐吉殿、私は織田信長という男を恐ろしいと感じていました。
確かに佐吉殿の言う通りだ。織田に反旗を翻せば浅井家は滅亡を迎えるであろう。
だが、古くからの同盟相手である朝倉殿を見捨てることは出来ぬのだ。
私は織田と袂を分かつ。助言は有難いが、人の信条というものは道理では測れるもの。
帰って戦支度を始めなくてはな。佐吉殿、また会おう」
浅井長政は思いの丈をぶちまけると立ち上がり、一瞥もせずに出て言った。
それを見て、佐吉は何と愚かな選択をする御仁だと思った。
その後、浅井家は織田家と敵対、武田信玄や朝倉義景、寺社勢力と反信長包囲網を形成するのである。