1 大器の片鱗
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1 大器の片鱗
1569年――。近江国
長閑な風景が見渡せる何処にでもある簡素な村。
この村に佐吉という非凡な発想を描くことが出来る少年がいた。
近江国の土豪、石田正継の三男に生まれた佐吉は幼少期より、誰もが目を見張る才気をはらんでいた。
佐吉はこの村の寺小姓として働く傍ら、天下人の資質を持つ人物が現れる事を夢見ていた。
その人物を支えて戦乱の世を終わらせるのだ。
並外れた才覚を持つ佐吉が働く寺は村の外れにあった。
何の飾り気もない古風な佇まいの古い寺である。
「佐吉、今日の仕事はここまでです。お茶にしましょう」
夏の暑い日差しの中、寺の境内で佇む朗らかな顔をする温和な住職が言った。
「はい。住職様」
まだ九才という幼さだが、ほうれい線が顔に刻まれ、少々真面目な風貌。佐吉は生来生真面目だ。
古めかしい寺の一室で、きびきびとした所作でお茶の準備をする。
冷えたお茶を住職に差し出した。
お茶をがぶ飲みしながら住職は成程と頷く。
「この季節には冷えた茶が有難いですね。佐吉も飲みなさい」
住職はそう言うと勢いよくゴクゴクと一気に飲み干した。
「頂きます。住職様、折り入って話があります」
「何です?」
「戦乱の世……何処の大名家が日の本を制するのか。住職様は今の情勢、どう見ていますか?」
佐吉は鋭い瞳を爛々と輝かせて住職を見据える。
今の時代は戦国……争乱の世で日の本は地獄の有様である。
そんな世の中で、長閑な村の寺でお茶を飲んで雑談する余裕があるのは幸せの事だ。
だが、それも束の間であることは明白である。
いつ、戦乱の火種がこの村を襲うか分からない。
いや、それは確実に違いない。
目の前の人物……住職は佐吉の眼から見ても尋常ではない。
これほどの人物が在野に埋もれていたとは俄かには信じられなかった。
佐吉は村では神童だともてはやされてはいたが、自分を導いてくれたのは超人的な住職だからだ。
だから、住職の見解を一早く聞きたかった。
「まだ九才の幼子が、天下の趨勢を見極めるとは……これも戦国か。
私が思うに織田信長が近いでしょう。ですが、彼には敵が多い……特に寺社勢力には嫌われています。
ですが、家臣団には有能な人物が揃い踏みしていましたよ」
住職はさも当然とばかりに理路整然と見解を述べた。
やはり、織田信長が頭一つ抜けているか、と佐吉は顎に手をやる。
「私が目を付けているのは木下藤吉郎。出自は尾張中村の貧農の子せがれ。
しかし、出自による逆境をはねのけ、織田家臣団の中で高く評価されています。
私は仕えるならば木下藤吉郎に仕えたい」
佐吉は木下藤吉郎の噂を耳にして、それなりに評価していた。
貧農から成り上がったのは素直に凄い。
出自による逆境をはねのけた正に神懸かりで驚異的な人物だ。
「やはり、貴方は目の付け所が非凡ですね。
村の神童と謳われた佐吉は木下藤吉郎に仕えたいのですね。
佐吉ほどの才覚があれば、彼を天下人に導くことができるでしょう。
ですが、これだけは覚えておきなさい。
木下藤吉郎が天下を取った後、彼を御する力がないといけません。良いですね?」
住職は温和な態度で澄んだ目で佐吉を見据えて言った。
佐吉は堪らず目を瞑る。
御する力……佐吉は住職の言葉の意味が分からなかった。
天下を取りさえすれば万事解決だと思っていたからだ。
「分かりました」
佐吉は住職との歓談をした後、木下藤吉郎と相まみえる事を夢想した。
木下藤吉郎……才気あふれる人物を補佐し、天下人に導く。
何と素晴らしい事だろうか。
佐吉は天下への夢を溢れ出させていた。