9.継ぎ合う世界で
アナンシィが行動を起こしたのは、それから数日もしないころだった。
自由気ままでいるわりに、アナンシィは信用のおける部下の意見は意外と採用するのだ。
特に、ペルラを育ててきたのを任されるくらい信用の厚いガーラならと思ったが、その通りだった。
授業終わりに、教師がペルラとフォディエスに荷物運びを頼んできた。
脈絡もなく、突然にだ。
それに、軟体生物の体を持つ教師とはいえ、フニャフニャと心あらずに動いていれば、いくらなんでもおかしいとすぐにわかる。ペルラが小さいころからよく見ていた、アナンシィが誰かを操るときの動作そっくりだった。
荷物を手に、フォディエスと連れだって目的の部屋に入った途端、ひとりでにドアは閉じた。
あとは予想通りの密室があるばかりだった。
フォディエスと協力して荷物を適当に片づけてから、ペルラは虚空に向かって声をかけた。
「ママ様! 今からペルラは、婿取りのため改めて問うのです。見届けてください」
すると、どこからともなく上半身だけのアナンシィが天井近くに現れる。にこにことした笑顔で、乾いた拍手を贈ってきた。
それを確認して、ペルラはフォディエスに向き合った。
ピンと背を伸ばして、こわばりそうになる表情をこらえて、相手をまっすぐ見る。
「私は、忘我砦の主アナンシィが娘、ペルラ。ウェスカノートが子、フォディエス・ウェスカノート・マデアン・ゼノウ・オープに申し上げます」
向かい合うフォディエスの眼差しが、ペルラを励ましてくれた。
ペルラは乾きそうになる喉に唾を流し込んで、続けた。
「どうか、我が地に来て血を繋いでください」
フォディエスが頷く。
「この身に流れる血が、古い名を捨てることになっても。その招きに喜んで応じます」
しっかりと答えが返ってきた。そのことにホッとしながら、ペルラはアナンシィを見上げた。
アナンシィはにこにこしていたが、ペルラを見ると首を傾げた。
「それで?」
「えっ。ママ様、それで、とは? フウプくんは必ず私たちの土地に来てくれると応えてくれたのです。ガーラパパ様たちにも教えてもらった儀礼の」
「ううん、そうじゃなくてぇ」
アナンシィがペルラの言葉を遮る。
上半身だけだというのに、頬杖を空中でつきながら唇をとがらせた。
「そういうまどろっこしい儀式とか、アタシ面倒なの嫌いなの。ガーラたちがうるさく言ってきたし、イヤんなっちゃう」
(ぎ、逆効果!! 言われ過ぎてしまったのですね、ママ様……!)
ペルラのためを思って、力を尽くして言って聞かせてくれたのだろう。だが、それがいけなかったらしい。
アナンシィは眉根を寄せている。思い返したのか不愉快そうに鼻を鳴らした。
「ねえ、アナタ。ウェスカノートの小倅の子。フォディエス?」
「はい」
フォディエスがペルラの横に立って返事をする。
「ねえ、アタシの可愛いワタシちゃんのこと好き?」
「え……す、好きです」
動揺しつつも、フォディエスが肯定する。アナンシィは上機嫌に相槌を打った。
「そうよねぇ! なら、可愛いって思う?」
「それは、間違いなく」
「ママ様」
ペルラが止めようと声を上げるが、アナンシィは止まらない。
上機嫌に笑んだまま、ペルラを指した。
「脚が多くても?」
サッと空間に霧がかかった。
空間に干渉するアナンシィの能力だ。この霧にひとたび触れると、彼女の意のままだ。咄嗟に声をあげようとしても、もう遅い。
ペルラの体が、勝手に変化した。
白い脚が腰元から伸びた。カツカツ、と床を爪が鳴らす。
「腕も多くても?」
複数の腕が生えた。服を破って、めりめりと伸びていく。
「鱗があってぇ、羽も生えてて……そうねヒトのお顔じゃなくても?」
人型であったペルラの原型がなくなっていく。変化していく。
横に立っているはずのフォディエスが、こちらを見ている。視界は霧のせいで良くはない。だがおぼろげには見えてしまうだろう。
だからせめて、あまり見ないでほしいと伝えるためにペルラは口を動かした。
だが、アナンシィに変えられた頭は人の言葉をうまく話せない。とろとろと喉奥で粘りのある塊が押し流されていくばかりだった。
(何があるかわからないと、言っていました……でも、こんなの)
自分がみっともなくて、ペルラは顔を伏せた。
それでもなお、からかうようなアナンシィの軽い声は続く。
「それで、ああ。ちょっぴり溶けちゃっててぇ。尻尾もあったわ、大きなものが」
「あ……あぁ」
止まってほしい。これ以上は。
ペルラが懇願の声を上げると、アナンシィの切れ長の目がペルラを見下ろした。
「駄目よ。まだ、だぁめ」
稚い子どもを含み聞かせるような甘い声で言うと、「それから」とアナンシィは歌うように口ずさむ。
だが、その続きはフォディエスによって遮られた。
「何だろうと、俺はもうペルラさんが好きです。いくら変わっても、可愛いところをさらに見つけて、もっと好きになるだけです」
ぴた、とアナンシィは動きを止めた。
「じゃあ、例えばぁ。今はどこが可愛いの?」
「脚は白いところ。細いくびれがあって、あと爪が鳴るとき控えめにひっかくところで……」
「続けなさい」
アナンシィがフォディエスをねめつけた。それを見返して、フォディエスはペルラをじっと眺めながらつらつらと話しだした。
「腕は、たくさん触れられるので良いと思います。やっぱり、色が白いのはペルラさんの特徴なのかな。彼女らしくて似合ってます。あとは初めて見るから」
「本当に?」
霧が晴れていく。
みっともなく制御もきいていない体が、あらわになってしまう。フォディエスよりもとんだ未熟さだ。いや、学び舎の誰よりも未熟に違いない。
(み、見られたくない)
ペルラがよろよろとフォディエスの傍を離れようとしたが、複数に増えた手の一つを掴まれた。
「こうしてうまく変化できなくて、それを恥ずかしそうにしているペルラさんは」
病的に白い、爪のない手。水かきができた水棲生物と人と半端に混じった変化に失敗した手。
その手を包み込むように、手が添えられる。熱い。
分厚いぶよぶよとした皮からでも、相手の熱が伝わってくる。フォディエスの手から、ペルラは恐る恐る視線を上げてみた。
そこに負の感情なんていっさいなかった。
とろけた顔で、フォディエスは粘性生物にとって変わったペルラの頭を見つめている。そしてそのまま言った。
「俺、可愛いと思います」
「まあ……」
アナンシィは口を開けた。
そこに、ぽつぽつと花が落ちてきた。色とりどりのペルラ科の花だ。
透けた幽霊の体を花弁が通っていく。アナンシィはいくつかの花が体を潜り抜けていく様をぼんやりと眺めている。
にわかに、切れ長の美しい瞳がきらきらと輝きだした。
「まあ、まあまあ!」
アナンシィは感極まったように口元に手を当てて目を潤ませた。
「アナタ、話がわかるじゃなぁい!! ワタシちゃんのこういうとこ、可愛いのよお! ねえねえ、最初に見た時は人型の赤ちゃん? だったんだけどぉ、目を離すと変なのに変化しちゃうのが最高に面白いのよ。下手くそでね、んもう可愛くってえ!」
「ああ、わかるかも。見れたらよかった」
真面目にフォディエスが同意すると、ますますアナンシィは舞い上がった。上半身だけだが、その興奮のしようはすごかった。
両手を交互に振り上げたり、手を叩いたり、落ち着きなんてあったものではない。
「アタシの部下に記録させてるからトクベツに見せたげるわよぉ! ああん、理解できる子を見つけちゃうなんてさすがアタシの可愛いワタシちゃん! ママとして鼻高々よ! じゃあ、歓迎の準備してるから、早く帰ってくるのよ。二人でないと呪っちゃうわ!」
そして変化したままのペルラに上半身だけで抱き着いて、何度も頭にキスをする。
アナンシィは気が済むまで続けて、満足すると元気よく手を振って高笑いとともに消えていった。
姿が掻き消えるだけで、うんと空間が静かになる。
現れたのも唐突なら、帰るときも唐突だ。
もう戻ってこないだろうと見当をつけて、ペルラは速やかに姿を戻した。
好きでこんな姿をさらし続けたいわけがない。
(み、見られたのです……一番、一番変な姿になったときの……! ママ様の馬鹿! 馬鹿!)
冷静を装うにも、羞恥が勝る。
未熟な姿を見せてしまうかもと覚悟していた。だが、さらに極まって無様な姿を晒されてしまうとは思ってもいなかったのだ。
下を向きながら粛々と戻していると、花の数が異様に増えているのにペルラは気づいた。
フォディエスのほうを伺うと、胸に手を当てて深呼吸している。
「フウプくん?」
「いや、ペルラさんの一番あられもない姿を見てしまったんだと、実感して、つい……」
言う途中で、どんどんと花が湧いてくる。
「ほ、本気で可愛いと思ってくれていたのですか? あれを?」
「外見はどうでも、中身はペルラさんだし。見た目じゃわからなくても、今みたいに恥ずかしそうにしてるんだろなって、思って。好きだなあって、その……ごめん。調子に乗った」
ペルラの顔を見て、即座にフォディエスが謝罪した。
言われて、ペルラは自分の顔が変化してもいないのに真っ赤になっているのに気づいた。
そろそろと戻った手でぺたぺたと顔を触る。熱い。
自分は光熱系の種族も混ぜられたかと思うほど、熱くて溶けそうだ。
「うぅ」
二本の足もふにゃふにゃだ。とろけたかと思うほどに、力が入らなくてしゃがみこむ。
おかしい。なんの変化もしていないのに、ちっとも言うことを体が聞いてくれない。
頭もどうにかなってしまったくらい、ぽうっとしてゆだってしまいそうだ。ただただ、目の前の相手が眩しくてたまらなかった。
「ペルラさん」
伺うような、ペルラを思いやってくれるかのような、柔らかな声音がいっそうペルラの思考をぐずぐずに溶かした。
(もうだめ。こんな、こんなの)
「見てしまったなら、責任。責任を取ってほしいのです。責任取って、付き合って」
呂律がちゃんと回っただろうか。
うまく言えたのかわからなくなりながら、ペルラは「付き合って」と繰り返した。
「……うん。絶対取る」
同じように膝をついてフォディエスが屈んで言う。
顔を覆う手を、同じように熱い手が外していく。
「だからちゃんと、もらってください」
そう言って、ゆっくりと顔が近づいて唇が重なった。
数分後。
花の雪崩で部屋からあふれ出てきた二人は、ヴァンクのキイキイ声によって救助されるのだった。
了
読んでくださり、ありがとうございます。
息抜きに明るめのやつがいいなと、好きに書き遊びました。
蛇足ですが、作中に出た数字の選択は、わかる方にはわかる印象的な数字。
花を出すようになったのは、春だしなという安直な思いつきからでした。
少しのお暇つぶしにでもなれば、幸いです。