8.夢会議
最初は、よかったのだ。
一緒にできることが。付き合う楽しさと浮かれ気分が、不安を軽減してくれたから。
だが、それが一ヵ月、二ヵ月、さらにと続けばそうもいかない。
戦慄の女幽霊、マダム・アナンシィ。
自由気ままな忘我砦の主。
その名にふさわしい気ままさで、ペルラたちを翻弄した。
主にフォディエスとペルラの仲を深めるためとはいえ、伝え聞いたことをあれこれと急に要求してくる。
例えば、「日記の交換がいいらしいわぁ!」と交換日記を始めた……はいいが、一週間で「なんだか絵面が地味よ。次にしましょ」と言われた。
ペルラとしては、フォディエスと言葉を交わせる機会だったので喜んで続けている。
例えば、「カンセツキスというのもいいらしいそうよ。関節にキスするのかしら。してらっしゃい」と言われて見守られた。
いい雰囲気になったところで、「終わった? 次よ」と割って入られた。雰囲気は砕けた。
例えば。
たとえば……。
それがいつまでも続くと、さすがに疲れもでる。幽霊に身体的な疲れは存在しないが、ペルラやフォディエスたちにはあるのだ。
そして何より。
(私だって、フウプくんを独り占めしたい。誰にも見せたくない一面を持っておきたい。そんな希望が、あるのです!)
絆を育んだことにより、独占欲がむくむくと伸びてしまったのだ。
アナンシィの気まぐれは短ければ一瞬だが、長いと数年も続く。一番の気まぐれを上げると、ペルラを拾って育て続けていることだろう。
この調子で、ずっとフォディエスとのことを構われ続けてはたまらない。
アナンシィを止めるようにと、ガーラたちに助けを頼もうと試みた。
だが、手紙を書く途中でアナンシィに手紙を取り上げられてしまうのだ。安心して、ばっちりやるわ、と。
(こうなったら、ママ様に安心してもらって、婿は必ず私が連れ帰ってくると思わせないと……!)
ペルラはとうとう耐えかねて、そう決心した。
(私とフウプくんの仲を、なんとしてでも認めてもらうのです!)
*
ペルラが真っ先に頼ったのは、ユイシーだった。
友人であり、夢魔であり、すでにみんなに認められた愛し愛される恋人がいるという理由からだ。
夢の空間であれば、アナンシィが入ってくることはまずない。夢の中で相談したいと言えば、ユイシーは一も二もなく了承した。
「ペルラちゃんが私を頼ってくれて嬉しいわ。ついでに他のヤツも呼んでくるわね」
夢の中に現れたユイシーはそう言うと、あっという間にヴァンクとフォディエスを引っ張って現れた。
「ハニーは明日課外授業だから駄目だってえ」
「その優しさをボクにもちょっとは向けてくれたっていいじゃん。横暴だー」
「ヴァンクは普段ペルラちゃんにお世話になってるでしょ。恩返しよ恩返し」
ぶつくさ文句を言うヴァンクは、ナイトキャップとローブ姿で眠そうだ。
フォディエスも寝間着姿で、ペルラを見るとサッと頬を赤くした。そういえば異性の前での寝間着姿というのは、どうにも慣れないものがある。普段見ない相手の格好に、ペルラもドキドキしてしまった。
「ねえ、ぶっちゃけどこまでいったの?」
ユイシーが能力で、空間を快適に変えながら聞いてきた。フォディエスがむせる。
「んー……魔素が混じってないから、なんもしてないんじゃん?」
出来上がったふかふかのクッションに寝転がってヴァンクが言う。
妖精には見ようと思えば種族特有の気の流れらしきものが見えるそうだ。それをもって繁殖のための適切な花を見つけるという。
「はーあー? だからマダムがでしゃばるんじゃないの?」
「俺もペルラさんも、親に見られて燃えるなんて性癖はない」
むせるのをこらえて、フォディエスが言い返す。
ペルラが近寄ってその背中をさすると、いいよ、と手を添えて離された。
片眉を上げたユイシーと面白そうに見ているヴァンクに向かって、フォディエスは語気を強めて続ける。
「いつも良いところで邪魔されるんだよ、こっちは!」
「あら、今日は素直じゃない」
「黙っても強制的にしゃべらされるなら、自分から言うほうがマシだ。ごめん、ペルラさん」
普段よりも饒舌なフォディエスは、ペルラの手をそっと握った。
「俺、君が思うほど紳士じゃないし格好よくないよ。だけど、君を好きなのは本当だから」
「は、はい」
「うん……今度、夢じゃない時もちゃんと言うから。そのときは」
「私も、そのときは」
互いに指を絡めて握りあったところで、乾いた音が数度響いた。
「じゃ、それをどこでするか決めましょ。やだ、話が早いじゃないの。成長したのねえ」
「ユイシーの荒療治って役に立つんだ。初めて見たよ」
「ヴァンク、一言多い」
ユイシーがヴァンクを睨んで、その姿を鳥に変えた。
「横暴だー!」
「ほほ、さえずるならさえずるがいいわ」
確かに夢の中のこんな状況では、雰囲気も何もあったものではない。
だが、居心地のいい空間であることは確かだ。夢とはいえ、近くに居てくれて嬉しい温度がある。
少しだけもたれかかってみる。握ったままの手が固まった。
それから小さな愛らしい花がぽつぽつと足元に現れる。
フォディエスと過ごす時間が増えるにつれて、この現象にもペルラは慣れてきた。最初の保健室のころと比べると驚くほど花の数は減っている。
能力の制御を必死に特訓していると聞いてからは、応援もしているが、ちょっと残念に思えてしまう。
(でも、フウプくんも頑張っているのです。私も、頑張らないと)
ペルラはユイシーに声をかけた。
「ユイシー。頼みなのですが」
「あら、なあに?」
「何があってもいいように密室の手配を頼みたいのです。ママ様を呼び出して改めて話してみます」
「ペルラさん」
焦ったようにフォディエスが言う。
ペルラは握ったままの手を、きゅ、と力を入れて握る。
「覚悟を決めたのです」
ぐっと腹に力を入れて、ペルラは言った。
「恩あるママ様に、見届けてもらうのも勤めなのです」
「見届けって、例えば?」
ユイシーが疑問に小首を傾げる。
「いかに勝手なママ様といえど、婿問いの場面を改めて見れば、きっと認めて納得する……と、思い、たいのです」
「自信はあまりなさそうだけど、大丈夫?」
「身内の方々にうるさく言われているので、知識はあるはずなのです。きっと!」
「まあ、どこの種族でも共通の儀礼だものね。ヴァンクでも知ってるでしょ」
ユイシーが振ると、ヴァンクは鳥の鳴き声で応えた。空を旋回して丸を描いている。肯定しているようだ。
「ただ……ママ様相手は、何があってもおかしくはないのです」
アナンシィは強大だ。
ペルラの知ってる誰より偉大で、なんでもありだ。
もしかするとの悪い予想を浮かべて、首を振って追い出す。
「それに私はキメラ。いろんな種族の、それこそ粘性種族も混じっているので。溶けたり溶かしたり、もしもがあっても大丈夫なように個室がよいのです」
「あら、ペルラちゃんそれも持ってるの?」
目を丸くしたユイシーに、ペルラはうなずく。
ペルラがキメラだというのはユイシーたちも知っているが、何がどれだけ混じっているかは知らないのだ。
「もともと、私も制御は未熟なのです」
フォディエスだけが未熟というわけではない。
言外にこめて、また繋がったままの手を握る。
ユイシーは視線を動かして、くつろぎやすい一人用ソファを作ると、そこに座ってもたれた。
「ふうん、そういうことなら、ハニーと協力して用意するわ。ペルラちゃんに何かあったら目覚めが悪いもの」
ペルラは次に鳥の姿に順応し始めたヴァンクを見た。
「ヴァンクは、フウプくんの護衛さんたちに連絡をして。それで、異変があったら助けてほしいのです」
「んー、まあ、いいよ。ペルラが溶けてるのってちょっと見てみたいもん」
好奇心が勝ったようで、ヴァンクはどこかわくわくしながら答えた。
「ねえねえ。他にどんな種族が混じってんの?」
「ええと、有鱗、有翼、水棲……メジャーどころはだいたいあったような」
「ペルラさんの匂いは色々あるとイセトラも話していたけど、そんなにあったんだ」
感心したように言うフォディエスに、ペルラは肯定した。
「はい。たぶん、フウプくんと同じ植物種族も持っていると思うのです。きっとそういう部分があって、気が合ったんじゃないかと思います」
「そうかな。そうでも嬉しいけど、違っても俺は気になったと思う」
夢だと素直にフォディエスから好意の言葉が飛んでくる。なんだか慣れない。ペルラは気恥ずかしくなりながらお礼を言った。
「ねえねえペルラちゃん。じゃあ夢魔は?」
「そういえば、精霊系で吸血種族の……あ!」
ユイシーの疑問に、ペルラはハッと思いついた。
(ママ様の恋人同士はどうするかという案は、ガーラパパ様たちからなのです! なら!)
「ねえ、ユイシー。出会っていない人でも夢を伝って言葉を届けることはできますか」
「ううん、よっぽど縁が深い人ならいけそうだけど。どうしたの?」
「私のパパ代理となっている御方に、伝言を頼みたくて。確実に呼び出せる方法があるのです」
ユイシーに、ペルラの縁を伝って言葉を届けるのだ。
――恋人は、密室で愛を育むものだ。後押しに、部屋に閉じこめるのだ。
そして、様子を見て円満そうなら問題ない。もう大丈夫だと言ってもらうようにすれば。
あのアナンシィでも、納得するビジョンがペルラには見えた気がした。
「フウプくん」
ぐっと握った手を両手で包みなおして胸元に寄せる。信頼していないわけではないが、逃げられないように、傍にいたいという気持ちを込めて思いっきり。
「私と、一緒に閉じこめられてください。改めて告白したいのです」
じっと見つめた先で、フォディエスの顔は面白いくらいにうろたえて真っ赤になった。
なおも見つめたまま待つ。やがて、消え入りそうな声で返事がきた。
「よ、喜んで」