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4.変えられた世界でカッコつけ


 世界が変わる瞬間というものは、予想外に訪れるものだ。

 フォディエスにとって、変わった瞬間をあげるなら三つある。

 一つは、自分の出自を理解したとき。

 一つは、父親にとある話をされたとき。

 一つは、ついこの間。学び舎に入ったその日のことだ。


 意味もなく頬に触れてしまって、きまり悪くなる。そのまま頬杖をついて、視線を窓へとフォディエスは向けた。


(席が窓際でよかった。適当に顔をそらしてても、景色を眺めているだけに見えるだろうし)


「いえ、全然そう思いませんけど。若、耳が真っ赤ですよ」


 傍からぼそっと声がかかる。フォディエスはびくっと体を動かして声の主を見た。

 すらりとした長身の男が立っている。基本的な人間体だが、違う点をあげるとするなら額だろう。

 長い白髪を真ん中で分けたそこに、垂直になった目がある。ぎょろりと動く赤目がフォディエスを捉えた。

 鬼の種族の一つ、天眼鬼。フォディエスの父、ウェスカノートの麾下(きか)にいる一族の出で、昔から交流がある。いわゆる気心の知れた幼馴染だった。


「人の思考を読むなよ、メムドゥ」


 うんざりとフォディエスが言うが、しれっとした表情でメムドゥは返した。


「読むまでもないから言っただけですが。ね、イセトラ様」

「こっちに振るんじゃないよ」


 唸り声と共にイセトラが言った。

 勇ましい狼の頭に人の体。筋肉質のたくましい獣種族で、フォディエスの叔母にあたる。

 フォディエスの一族は、代々の長が妻子ともに多い。今代の長であるウェスカノートの、年の離れた妹がイセトラだった。

 数年前から学び舎に在籍しており、フォディエスが新たに入ったことで、「ちょうどいい。見守れ」と命令されたのだ。

 メムドゥとイセトラは、フォディエスの護衛という名前のおもり係なわけである。

 二人とも別クラスや別学年というのに、律儀に役目を守って休み時間のたびに訪れてくれていた。


「というかね、お前さ、あの兄に命令されたんだろ」

「まあ、ええと、うん」


 叔母と甥という関係だが、年の近い姉のような人に叱咤されてはフォディエスも強く出られない。そもそも異性相手に強く出るなんて、父のようなことは性に合わなかった。

 だからこそ、ウェスカノートもやきもきしたのだろう。

 学び舎に入る前に、フォディエスはこう言われたのだ。


 ――お前は婿に行け。学び舎で見つけるもよし、そうでなければ父が世話してやろう。


 久しぶりに姿を見たかと思えば、挨拶もなく、一言二言。

 どうでもいい存在だと思われているわけではない。実際は、構われているほうだとフォディエスは周りの者に教えてもらった。


 それというのも、39番目の妻であるフォディエスの母を、父は目に入れても痛くないほど可愛がっているらしい。

 そしてその妻に似ている息子もまた、父にとっては可愛らしい存在だという。

 真実かどうかは、まだフォディエスにはわからない。

 わからないが、婿に行かせることだけは決定事項だとわかっている。学び舎に向かう前に、いくつかの父おすすめの釣り書きまで見させられたからだ。


(あの人に任せたら、どんな相手を……いや、それよりも。どれだけの人と見合いさせられるか)


 自分は多くを相手にできるほど器用じゃないし、父のように多情でもないのだ。

 愛は多いほうがいいというが、フォディエスはそう思わない。一族の中でも少数派だといわれてもいい。


(婿だから、大勢の妻ができることはないだろうけど。でも、俺だって好みや理想があるんだ。世話になんか絶対なりたくない)


 そう話したときの、父の目ときたら。

 厳つい獣面がにやにやしていた。脳裏にそれが浮かんで、フォディエスは少しだけ憂鬱になった。


「……なあ。婿入りというと、ちょうどいいのがいただろ。お前、進展ないのか」

「あ、えっ? 進展? 進展って、なにが」


 父のことを思い返していたフォディエスは、イセトラの焦れたような言葉に我に返った。


「ほれ、今日も見られてたろ。昼になってどっか行っちまったけど、あのいろんな匂いが混じった変な子」


 ぺルラ。


 ぱっと名前と姿が頭に浮かんで、フォディエスはうろたえた。

 悲壮と諦観、期待と焦りに追いかけられる学び舎生活を変えた存在だ。


 もともと、大した興味もなかった。

 それが、ぶつかったあの瞬間にすべてが変わった。

 触れた相手の感触と柔らかな匂い。至近距離で交わした視線。吸い込まれそうな美しい紫水晶のような丸い瞳。

 大丈夫かと聞いてくれた声を、フォディエスは何度も思い返した。教室で響く彼女の声を聞くたびに、魔法のように可憐さと愛らしさのフィルターがどんどんかかっていく。

 ただ、運悪くぶつかっただけだったのに。

 ちょっとした意識の傾きは、あっという間にドツボにはまった。


 フォディエスは、予想外の異性との接触で世界が塗り変わってしまった。

 意識しすぎて、思春期が爆発したのである。


 頬をまた意味もなく触れてしまう。

 ペルラのことを思い浮かべれば、父のことでうんざりしていた気分もふっとんでしまった。


「見られてた……そ、そっか。今日も、か。そうか」

「なに嬉しそうにしてんだい。気味悪い」


 イセトラが呆れた風に言う。横からメムドゥがぼそっと付け足した。


「若、あの時からずっと意識しまくってて、寮でもこうですよ。ちょっと鬱陶しいですよね」

「まじかよ。あの時からって、あれだろあの」

「はい、あれです。入ってすぐのぶつかったヤツからです」

「い、いいだろ別に。あと鬱陶しいってなんだ。別に俺、メムドゥに何も言ってないだろ」


 こそこそと言い合う二人に、フォディエスが言い返す。じろりと三つの目でメムドゥは見てきた。


「はあはあと重たい息ついて悶えては、寮の部屋を花だらけにしてるじゃないですか」

「そ、れは……つい、俺の能力がこうだから、仕方なくて」

「何が仕方ないですか。お母君と違って、若のは感情が揺れても勝手に出るから、僕が困るんです」


 メムドゥは制服からハンカチを取り出すと、イセトラに向けて差し出した。ハンカチに花が挟んである。白い花弁に紫の筋が中心部からいくつも流れていく模様がついている。


「毒花じゃないかい。フォディエス、お前こんなもんなんで咲かせたんだ」

「花の名前は、ヴェルスペルラといいまして。聞くところによると、教室で名前の由来が聞こえたそうで」

「はあ? 名前の由来って、それでなんで……ああ、うわ」


 イセトラがわかりやすく顔をしかめた。メムドゥは花をイセトラに見せた後、また同じように畳んでハンカチをしまった。


「もう早く話しかけて、コマしてきてほしいもんです」

「向こうも何度か見てきてるんだ。なら楽なもんじゃないか。さっさと行ってこい」


 口々に軽く言う二人に、フォディエスはカッと頬を赤くした。


「話せるものなら、とっくに話している!」


 教室がざわついて、さっと注目が集まった。

 それに気づいたフォディエスは、反射で浮かせていた腰をそろそろと下ろした。

 そして両手で顔を覆った。


「……話しかけそびれて、もう二ヵ月半なんだ。今更どうやって話したらいい……?」

「若、もしかしなくても、よく見られたくて良い格好ばかりしてるんです? なんでそんな馬鹿をさらすんです? 貴方、仮面かぶったら意地になってやめられないでしょ」

「俺が一番わかってんだよ、そんなの。でもさ、よく見られて損はないから……」


 幼少期からの付き合いがあるメムドゥは、沈痛な面持ちで「馬鹿では」と追撃した。


「そんなプライド、ドブに捨てちまえ。うだうだしてる間、ずっと待ってもらえるわけないだろが」


 言葉も荒々しくイセトラが言う。


「むしろあたしなら見切りつけるね。二ヵ月もありゃあ、見極めも十分だ。おい、メムドゥ、その子の情報は」

「こちらに、イセトラ様」


 うやうやしくメムドゥは、ポケットから手帳を差し出した。

 それを受け取ると、イセトラはぱらぱらとめくって、ふうん、と鼻を鳴らした。


「とんだ田舎出かと思えば、忘我砦(ぼうがとりで)から来てんのかい。幽霊共の縄張りじゃないか」

「珍しくはありますね。あそこの連中は引きこもりが多い。ウェスカノート様の呼び出しにも応じなかった筋金入りですからね」

「それで、なんだいこの種族名は。複合種族?」

「それもまた珍しいんですよ。彼女の場合は人工の複合種族ですね。稀に様々な種族の要素がある者が現れるそうですが、僕も初めて目にしました」

「ああ、だから変な匂い……なるほどね。そういうヤツなら、まあ悪くはない。いくつも力をふるえる手段があるってことだろ」


 手帳を閉じて、イセトラはフォディエスを見た。


「相手としては、いいほうなんじゃないか。落とせるかはともかく」

「そうですね。忘我砦の主は、あの戦慄のアナンシィ。強大な力を持つと昔から有名ですし、繋がりを持てるならウェスカノート様もお喜びになるでしょう。若が相手になれるかは、置いておいて」


 メムドゥも思案する素振りをしながら同意した。


「イセトラもメムドゥも、応援しているのかそれは」


 顔をそろそろあげて、フォディエスが呟く。二人揃って、口々に肯定が返ってきた。


「正直面倒極まりないが、お前が滑稽だから手伝ってやる」

「他人の恋路は心底どうでもいいですが、他でもない若のことですから。僕は愉快な若の成長を間近で見守る主義ですよ」

「ありがとう愉快な仲間たち」


 投げやりにフォディエスが言うと、イセトラはメムドゥに話を振った。


「で、メムドゥ。お前何かいい案はないのかい。手っ取り早く終わるやつがいい」

「案と言われましても……そもそも若が度し難いヘタレ初心野郎なので、まず接点を無理にでも作るとしか」


 メムドゥは三つの目を閉じて、片手で顎を撫でる。

 それから少しして、いい案が浮かんだのかぱちりと目が開いた。顎に当てていた手が離れ、人差し指を立たせて言った。


「咄嗟の行動に、その者のこれまでの振る舞いが現れるといいます」

「なんだよ、急に」


 フォディエスが聞くと、優雅に目の前で人差し指が動く。


「長く付き合うことになるなら、甘っちょろい若にふさわしい子がいいんですよ」

「なんなんだい。はっきり言いな」


 イセトラが眉間に皺を作って言うと、メムドゥはうんうんとうなずきながら続けた。


「僕とイセトラ様が、目の前で具合を悪くした振りをします。そこで若が介抱するのを手伝ってくれと頼んでください」

「つまり、寝ときゃいいのか」

「適当にうなされる感じでお願いしますね。はい、では今日の帰り際にやりますからそのつもりで」

「えっ」


 フォディエスがいいも悪いも言う前に決まってしまった。


「まあ、適当に他の者は遠ざけます。いい感じだったら離脱します。それくらいはしてあげますよ。感謝してくださいね」

「お、休憩やっと終わった。じゃあ、帰る。覚えておいてやるからうまくやりな」


 好き勝手言ったまま、フォディエスのお守り役たちは去っていった。

 がやがやと休憩から戻ってきた生徒たちで、また騒がしくなってくる。その中にペルラと仲のいい妖精が一緒に教室に入ってきたのを見て、思わず顔をそらした。

 きいきいと高い妖精の声と共に、心地のいい笛の音のような明るく伸びやかな声がする。


(はな、話すのか……!? 今日、俺、ちゃんと話す……話せるのか)


 ひとまず、動揺を悟られないように勉強ができる自分を見せるべく、次の授業の準備を速やかに始める。数ヵ月被り続けた皮は今日も順調に被れている。

 意識を向け過ぎたら格好悪いから。

 それだけの理由で被った仮面で、すましたように頬杖をついて意味もなく教本をめくる。

 しかし運悪く、いや運よく「フウプくんは真面目」なんて言葉を、耳が拾ってしまった。

 危うく頬杖が崩れてしまうところだった。代わりに犠牲になった膝が机の裏をしたたかに打ち付けた。

 けれど、痛みはそこまで感じなかった。


(真面目って言われた。がんばろ)


 気になる子に言われたら、そりゃもうがんばるしかない。好意的な言葉が痛みをじんわりとした熱へと変化させる。


(きっかけが作れるなら、きっと大丈夫だ。やるぞ、俺。できるぞ、俺)


 自分を励ましながら、フォディエスは息を吸って静かに長く吐いた。



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