誰にも言えぬ秘密は誰しもが持っている
アルバートはこの大陸に住む者なら誰もが、それこそ小さな辺鄙な村の子供ですら知っているある物語が大好きだった。
辺鄙な村に産まれたアルバートは眠れぬ夜に母が読んでくれた、物語の勇者と自分を重ね憧れていた。
来る日も来る日も棒切れを振い、いずれ復活するという魔王に備えていた。
もちろんこれは子供のごっこ遊びに過ぎない。けれどアルバートは子供ながらに真剣だった。
ある日、アルバートの住む村を訪れた一人の剣士が訪れた。
その剣士はそれはそれは強く逞しかった。剣士が訪れた夕暮れ時、魔獣が村を襲う。男衆全員で追い払うのがやっとの魔獣を剣士は一振りで屠る。礼を申し出る村人になにも申し出ることなかった。
しつこい村人に剣士が折れることになる。礼は一晩の寝床と食事だけでいいと。
辺鄙な村には宿などない。したがって誰かが己の住居に招かなければならない。相手の剣士は魔獣を軽々と屠るのだ。村人は途端に黙りだす。そして押し付け合う様にしゃべりだす。
その場に居合わせたアルバートは剣士を自身の家に招くと言った。
反対するものはいなかった。村人は誰もが素性も知れない剣士を家に招きたくなかったからだ。
その頃にはアルバートの母はもう亡くなっており、狭くも広い家はアルバート一人であった。
他の村人の手伝いもありいつもよりも豪華な夕餉を剣士とともにアルバートは楽しんだ。
まだ子供だったアルバートは剣士に旅の話しをせがんだ。
剣士の口から語られるのはアルバートが夢見る勇者の冒険そのものだった。
夜も更けても目を輝かせて前めりに話を聞くアルバートのために剣士はしばらく話を続けてくれた。
けれどあれだけ強かった剣士も眠気には勝てないのかうつらうつらしだすとついには眠りこけてしまった。
まだまだ聞き足りないアルバートでしたが語り部が退場してはこれ以上物語は進まない。
アルバートは明かりを消し月明かりの下、目を閉じるとある決心をした。
なんてことはない。ただ剣士に着いて村を出ようと計画を企てただけだ。
なんやかんやありアルバートは剣士に師事することを許された。
それから月日は流れ魔王が倒されて五百年目の祝賀祭の日にそれは起こった。
ひときは大きな催しを行うのは、勇者一行が帰還した王国の王都である。
現在でも大陸一の王国は変わらず栄えていた。いやむしろより大きく強大になった。魔王軍の残党が残る大陸をまとめ上げほぼ掃討したのは、ひとえにこの王国があってなのだ。
その王国の祝賀祭で世界を揺るがす事件は起こった。
国王が王城前の大広場に集まった臣民に向けて演説する中。誰もが国王の言葉に耳を傾ける中。王国中の目が向けられる中。
かつて人類を恐怖のどん底に陥れた魔王の腹心の魔族が大広場の上に突如として現れたのだ。
最初は誰もがソレを演出かなにかだと思っていた。
自分は新たな魔王軍総帥だと語りだす。そして最後に新たな魔王が誕生したと宣言すると、魔族は王城を国王とともに跡形もなく吹き飛ばし立ち去った。
こうして消し飛んだ王城を目にして国民はやっと事実を理解する。
そう、魔王が復活したのだと。
王国の王城が消滅したのと同時に、王都の教会では神託が下されていた。
『勇者』『聖女』『拳王』『賢者』が新たに選定されたと。
『勇者』ダグラス・アスノ
『聖女』ソラエラール・オラ・ファンターレ
『拳王』クレア・レンライズ
『賢者』アルフォンス・ケイラックコール
この四人を至急に招集し、新たな魔王の討伐を遂行させよ。
この情報は日暮れまでに大陸中に広まる事となった。
大陸西方に位置するスポルダ公国にあるボルタの森。
この鬱蒼とした草木が生い茂るボルタの森は、人々を寄せ付けず手付かずの自然が残る。また人の手が及ばぬということは魔物の巣窟であると言い換えることもできるだろう。
公国すらも全貌を把握していないその森の中でアルバートは剣を片手に魔物と向き合っていた。
グルルルルゥ。
低い唸り声をあげるのは狼型の魔獣。鋭い牙を剝き出し、その灰色の毛を逆立て警戒しながら油断なくアルバートの周りを取り囲む。
アルバートは足元に転がる無数の死体に足をとられぬよう注意する。
我先にと襲い掛かってきた魔獣たち。容易く切り伏せられた同胞を見て学んだのか、下手にアルバートの剣が届く範囲に飛び出すことはなくなった。
アルバートが一歩踏み出せば、魔獣は一歩分下がる。目の前の魔物に向かい走り出そうものなら周りを囲む魔物が、一斉にアルバートに向け牙や爪が殺到させることだろう。
膠着状態が続きアルバートはため息をこぼす。
ある事情で王国からできる限り離れたいアルバートは仲間たちを連れて先日スポルダ公国に入ったばかりだ。
公国の中でものどかな田舎町に立ち寄り、しばらくはゆっくりできると思った矢先。すぐそこまで追手が迫っていることに気付いた。
すぐさまアルバートはのんきに過ごす仲間たちを叩き起こすと、直線距離で隣国に向かうことに決めた。
通常ボルタの森を大きく迂回する進路をとらねば隣国へはいけない。森を通れば旅路を大幅に短縮できるにも拘らず、そうしないのにはもちろん訳がある。
魔物が多い。ただそれだけだ。
地元の者でもよっぽどのことがない限り森に入ることはない。だから当然、森に人が行く道など存在しない。
それを知ったうえでアルバートはボルタの森に足を踏み入れた。
ひとりであれば躊躇したかもしれない。しかし頼もしい仲間がいれば走破が可能と確信していた。
だが誤算があった。それはチームワークが乏しいことだ。
アルバートを含めて皆、とにかく我が強い。
手付かずの森の中は珍しい植物が多いようで、観察するために何度も立ち止まる仲間を嗜めた。初めて見る魔物を見つけて勝負を挑みに向かおうとする仲間を引き留め、野鳥の鳴き声ひとつにビビり足を止める仲間を引きずり進む。
訂正しないといけない。よく考えてみれば頼もしさのかけらも見当たらなかった。
なんやかんやあり、気が付けばアルバートは一人になっていた。
いっそ置いて行けばアルバートへの追手はしばらくはなくなるかもしれない。アルバートとは違い仲間は本物なのだから。
そう考えアルバートは目の前の魔物を早々に退け、ひとり先を急ぐことに決めた。
道中仲間の一人でも回収できればうれしい。
今回のように追手が目前まで迫った時、身代わりに置いて行けば逃げるまでの時間が稼げる囮にできるから。
アルバートは剣を握り直し構える。
ズゴゥ。と鈍い音が聞こえたと思うとアルバートの後方からオーガが木々をへし折りながら飛んできた。
「オルァアア!」
アルバートを取り囲んでいた魔獣たちを巻き込み倒れるオーガにトドメの拳が突き刺さる。
魔獣たちの気が逸れた隙を突きアルバートも動き出す。
進む先は群れのボスであろう個体のもと。
次々に魔獣を切り飛ばす。飛びかかってくる魔獣の足を胴体を首を剣で断つ。進行方向の魔獣を倒しながら進むアルバートは群れのボスを目の前に踏み込み一閃する。
「フッ」
剣先が首を裂く寸前。魔獣の爪にアルバートの剣がはじかれる。
足を止めたアルバートに向けて魔獣が一斉に飛び掛かる。
戦闘の決着を確信する群れのボス。しかし獲物からは目を離さない。賢いその魔獣は死を確認するまでは気を抜かない。人間であろうが魔物であろうが手負いの状態でなにをしでかすか分からないことを知っているから。
だから油断なく観察していたはずだ。
縄張りを犯した愚かな人間に群がった仲間たちがぶつ切りに切りとばされる。
その瞬間を目の当たりにした群れのボスはアルバートに向けて足に力を入れ飛び掛かる。
しかし横っ面を殴り飛ばされ魔獣は吹き飛ばされる。
木の幹に当たり跳ね返り地面に落ちた魔物は倒れ伏したまま弱々しいく鳴き声をあげる。アルバートもまた油断なく近づくと魔獣にとどめを刺した。
「よう、アル。危ないところだったな!」
その男はまだ戦いの最中にも関わらずアルバートの方に腕を回し話しかけてきた。
「ああ、助かった。次回はもっと早く来てくれよ。ダグラス」
「よかろう! まったく。魔物を見るとすぐにどこかに行っちまうのも考え物だな」
それはお前だ。と言いかけアルバートは口を閉じる。
どうせ言ったところでこの脳筋に話は通じないのだ。アルバートの皮肉も分からぬのだから。
だから話し合わせておくのが嚙み合わない会話を早く終わらすための肝だ。
「今回もソレ、抜かないんだな」
アルバートはダグラスの腰に差された剣に視線をやる。
「ん? ああ。そのなんだ。これを抜くまでもないってことだ。魔物の巣窟と聞いて期待したが、期待外れだったな。大したことがないな! はっはっは!」
すこし歯切れ悪く言い淀むダグラスだったが、口にした言葉にアルバートは納得した。
やはり本物は違うな。アルバートは己の剣を見つめる。
この旅で『勇者』ダグラスが己が武器の聖剣を抜いたところを、一度もアルバートは見たことがなかった。
驚くことに、これまでダグラスは武器を抜かずに拳ひとつで魔物を倒してきた。
曰く、弱すぎて剣を抜くほどでもない。
それがダグラスの口癖だ。
勇者を夢見て鍛錬をしてきたアルバートは彼の足元にも届かないのだ。見せつけられた実力差に、もはや溜息すらでない。
「ああ。やっと見つけました」
フラフラとおぼつかない足取りで少女がアルバートたちに近づいて来る。
「クレアか」
力尽きたかのように寄りかかってくる少女をアルバートは抱きとめる。
『拳王』クレア。
アルバートが母に聞かされた物語では大地をも容易く砕くとされる。魔王を倒した勇者の仲間だ。
一体この細い身体にどれだけのパワーを秘めているのだろうか。いつもアルバートは不思議に思ってしまう。
「わわっ。魔物さんがたくさんいますぅ」
のんきに会話を交わすアルバートたちだが、まだ魔物の脅威が去った訳ではない。
下手に近寄ってもやられることを分かっている魔獣たちは足踏みをしている状況だった。
腹を空かせているのか、はたまた仲間の仇なのか、ただ人間を襲うという本能なのか。群れのボスを失った魔物たちはまだアルバートたちの隙を伺い見据えていた。
そして一見ひ弱な足手まといの少女のクレアが加わったことで、好転と勘違いしたのだろう魔物たちは無謀にも再びアルバートたちに一斉に走り出す。
ズガガッ。
轟音とともに放たれた魔法により、アルバートに向かい飛び掛かる魔物たちは一瞬にして消し飛ばされる。
「おおい。そりゃないぜ、ソラ! せっかくの獲物だったのに独り占めはずりぃぞ」
「早い者勝ちでしょ」
ぬぼうっと眠たげな瞳をした少女がやって来る。
「お腹すいた」
「ああ、そうだな。そろそろ昼時だからな」
『聖女』ソラエラール。
そう言ってアルバートのローブを引く少女は、戦場で幾万もの戦士を一瞬で治癒させることができるという聖女だ。
「あ。アルバートさん怪我してます」
「ん? ああ、さっきの魔物にやられたのか」
クレアに言われてアルバートは剣を持つ腕に一筋の傷があることに気付いた。
「ソ、ソラちゃん。は、はやく治癒魔法を」
「めんどい。それよりご飯作って」
アルバートの傷は浅い。出血はすでに止まりかすり傷と言っていいほどだ。
しかし怪我は怪我だ。
聖女ともあろうものが目の前の怪我人をほっぽりだし、飯を要求するのはいかがなものか。
「そうだな。メシにするか」
「おっ。待ってました! なに作るんだ?」
「アル。私は肉を所望する」
それもいつものことなのでアルバートは昼食を用意することを優先した。ソラエラールは腹を空かせると不機嫌になる。
放っておくと、ちくちく魔法で仲間を攻撃しだすので早急に対応する必要があるのだ。
「もー、ダメです!」
アルバートの腕をクレアが掴みローブを捲り傷口を露出させる。
「ソラちゃんが治さないなら私が治します。ジッとしててください」
クレアが手をかざすと淡い光とともに治癒魔法がアルバートの傷を癒す。
「浅いからと侮ってはいけません。傷口から雑菌が入って悪化するかもしれないんですからね。気を付けてくださいね。アルフォンスさん!」
クレアはアルバートのことをアルフォンスと呼んだ。
一瞬誰のことかと思考を巡らせ、アルバートは自分のことだと思い出した。
とある事情でアルバートの名ではなく、『賢者』アルフォンスと名乗っているのだ。
その事情は墓場まで持っていくとアルバートは決めている。だから決して誰にも言えない。
それが仲間である彼らにだってだ。
絶対にバレてはいけない。
「ありがとう。ソラよりもクレアの方がよっぽど聖女らしいな」
これは『勇者』を夢見た少年が、『賢者』として。
「私は敢えてしないの。弟子のクレアの成長のために」
「賢者」を夢見た少女が、『聖女』として。
「はい! みなさんが安心して戦えるように私がんばります!」
『聖女』を夢見た少女が、『拳王』として。
「はは! 俺が聖剣を抜かないとけない敵はいつ現れるのだろうな!」
『拳王』を夢見た少年が、『勇者』として。
人知れず、密かに、誰にも知られることなく成り代わり、ついには物語にあるように魔王軍を退ける物語。
そして魔王を倒すために血眼になって探す大陸の刺客から逃げおおせる物語でもある。