臓器移植したので、記憶も一緒に転移されているようです
「お待たせしました、梶木 帆高さん」
少し垂れ目の瞳と柔らかい笑みを浮かべる唇を持った年上の非常に美人さんは私の名前を呼び、挨拶をする。ふんわりとした桃色のスカートと上品な白いフリルのブラウスを着て、一つ一つの服のお値段はきっと僕が着ている全身コーデよりも高いだろう。
彼女の雰囲気から一般人以上の立場である事は、平々凡々である僕でも分かる。血統書付きのお嬢様だ。
それから、若干さび付いた鉄の匂いがする。……これは僕だけかもしれないけど。
僕は「あ、どうも」とぎこちなく頭を下げる。正直に言おう、緊張している。
僕より年下ではあるが、住む世界が違いそうなお金持ちの美人さんと二人っきりになるのは誰だって気が張り詰める。しかも待ち合わせ場所が東京にある有名ホテルのカフェである。これで緊張しない奴って大物だけだろう。
カフェの店員が洗練された動きで僕の前に紅茶が出された。こんなお洒落で高いカフェで飲んでいたら、緊張で味なんて楽しめないよ。と思いつつ、ありがたく飲む。うん、美味しい。市販されているペットボトルの紅茶と比べてコクがある。比較の対象が貧弱であるけど。
更に現在、僕が飲んだ高いカフェランキングの一位に変動が起きている。一位はここ、二位はスターバックスだ。
「美味しい? 梶木さん」
「あ、はい!」
「良かった。今私が飲んでいる紅茶、花の甘い香りがして……」
鈴間さんは紅茶を眺めながら遠い目をして、「お兄さんもここのカフェが好きだったんですよ」と話し出した。
「どうですか? 梶木さん? 好きになれましたか?」
「……はい」
「良かった」
鈴間さんは満足そうに紅茶を飲む。そして形のいい唇でこういった。
「早くお兄さんの記憶が転移するといいですね」
*
臓器移植をすると【記憶転移】が起こるらしい。つまり臓器を提供したドナーの記憶の一部が、移植したレシピエントに移ると言う現象である。記憶だけではなく趣味や嗜好、性格、性癖、習慣なども移ってしまうらしい。
特に心臓移植や肝臓移植の人に変化が起こりやすいらしい。
「と言っても、僕は全く思い出せないんだけどね」
そう言いながらインスタント焼きそばをズルズルと食べる。ちょっと濃いめのソースとマヨネーズ、そして青のりを絡めた焼きそばを口いっぱいに含めると僕は幸福になれる。うまい、うまい。更にコーラも飲めば口の中も胃袋も幸せいっぱいだ。うん、うまい!
はっきり言って鈴間さんと行ったカフェよりも、この焼きそばとコーラの方が大好きだ。
こんな庶民的な人間にブルジョアのドナーの繊細な記憶なんて思い出せられるわけが無い。だから鈴間さんの期待を裏切ってしまうような気がして罪悪感でいっぱいだ。特に今日、飲んだあの高価な紅茶とか。
それに記憶転移は誰でも起こるわけではないようだ。だから別に罪悪感を抱く必要なんてないのだ。
さて臓器移植した人間はドナーの家族の接触は禁止されている。だが僕の場合、ちょっと特殊だったのだ。
今から五年前、僕が大学一年生の時、熱っぽさと咳で病院へ行ったのだ。普通の風邪だろうと家族全員が考えていたのだが、行きつけの病院の医師は驚いて紹介状を書いて大病院へ行けと言われてしまった。
そこで僕は特殊な病気にかかってしまっていくつかの臓器に何らかの異常が見つかり、今すぐに移植しないといけない状況だった。幸運な事に鈴間医院と言う大病院で入院している時に、適応する臓器が見つかり僕は移植して助かったのだ。
ドナーの家族と接触はしてはいけない事になっているが手紙のやり取りは出来るので、僕は何回か手紙のやり取りをしたのだ。
今は退院をして大学を中退した後、鈴間医院のつながりがあるドラックストアで派遣の仕事をしている。
ドラックストアの仕事が終わって家に帰ろうとした時、彼女と出会った。
「あの、梶木 帆高さんですか」
とても上品な声で僕の名前を呼ばれ、パッと振り向くとどう考えても綺麗な女性が立っていた。着ている服、立ち姿、言葉も綺麗で一目で違う世界に住む人間だと思った。
「私、鈴間 愛結と申します」
彼女と目が合った瞬間、さび付いた鉄の匂いが鼻をくすぐった。ちょっと顔をしかめたくなったが我慢した。
そして【鈴間】という名字。僕が入院していた病院の名前と同じである。つまりこの子はすごく権威のある病院を経営している一族の娘さん。もうそこで僕の立場より遥かに高い位置にいる子、すなわち上級国民って奴だ!
ここで立ち話も……という事で、僕は初めてスターバックスに鈴間さんと一緒に入った。
「僕、初めて行きます」
「私もです」
笑みを浮かべて鈴間さんはそう言う。僕は単にコーヒーとか流行とか気にしないから入った事は無いのだが、鈴間さんは入る必要が無いからだろうからと思った。
こうして初めて僕と鈴間さんは期間限定のフラペチーノを頼んで飲む。美味しいと思うけど、突然現れた鈴間さんのことが気になって味を気にする余裕がない。
一方の鈴間さんを見るとテーブルに絵ハガキや手紙を置いていった。それは僕が書いた物だった。思わず僕は「これって……」と呟くと鈴間さんが説明した。
「実は梶木 帆高さんの心臓及び肝臓などの臓器ですが私の兄のものなんです」
「え?」
「兄の臓器が梶木さんに移植しました」
衝撃的で言葉も出ないし、思考も止まってしまった。どうにか頭を再起動させて、鈴間さんの話しを聞いた。
鈴間 愛結さんのお兄さん、鈴間 直さんはとにかく明るく社交的、そしてとても優秀な人で、いずれはお医者さんになって鈴間医院を継ぐ夢を持っていたのだ。彼の画像をスマホで見せてもらったのだがイケメンで愛結さんと並ぶと美男美女の兄妹だった。
ところが僕が入院した直後、亡くなってしまった。彼はドナーカードを持っていたので、入院していた僕にそのまま移植したと言う。
入院していた鈴間医院の子供なので、妹の愛結さんはこっそりとレシピエントである僕を調べて、ここに来たと言う。
そんな将来有望な人間の臓器を僕みたいな平々凡々の人間に移植して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。というか、謝罪の言葉を言った。だけど鈴間さんは「私の方こそ、申し訳ございません」と言った。
「本当はこういう事を言ってはいけないんです。だけど、私、お兄ちゃん、じゃなくて兄が好きで」
直さんの話しになると、急にたどたどしく喋る鈴間さんが泣きだしそうな感じでどうしようも頼りなさそうに見えた。そんな口調で喋る彼女の内容も胸を締め付けるものだった。
「兄が居なくなって、ものすごく悲しいと言うよりも空虚なんです。本来あったものが消え失せたから、あって当然のものが無くなってしまったので。でも梶木さんの心臓が兄のものって思うと、兄はまだ生きているって思ってしまって……」
亡くなったのは僕のせいじゃないけど、何となく罪悪感も募ってしまう。
「だから、その、梶木さんにはお願いがありまして……」
「はあ、何でしょう」
「兄の記憶を思い出してほしいんです」
「へ?」
思い出す? どういうこと? 正直、鈴間さんの言葉は意味が分からなかった。
意味が分からないと言うのを感じ取った鈴間さんは「あ、ちょっと語弊がありました」と言ってスマホである記事を出した。
それは【記憶転移】の記事だった。
「もしかしたら兄の記憶が梶木さんに移っている可能性があるんです」
僕は「でも、こういうのって……」と言いかけたが、鈴間さんは畳みかけるように話し出した。
「分かっています。科学的に確証もありません。だけど記憶転移したって噂は聞きます。私は、この噂を、信じたいんです!」
鈴間さんの真剣な目で僕を見て、何にも言えなくなってしまった。
「お願いです、梶木さん。兄の記憶が移す協力してください」
「あ、はい」
思わず返事をしてしまったが、どんな事になるのか僕にはよく分からなかった。
記憶を移す行為として鈴間さんのお兄さんの好きだったものを体験していく感じである。
例えば、好きだったホテルのカフェに行くとか公園に行くとか……、だ。
客観的に見れば年下の女子大に通う美人の鈴間さんとデートっぽく見えるよなと思う。だけどデート代を自分で払おうと言うけど「協力しているのに、申し訳ない」と言って払わせてくれないのだ。とは言え、一回のお出かけでドラックストアの派遣である僕のお給料だと大打撃になってしまうのだが。でも男としてどうなんだ?
そして鈴間さんと別れた後、こうして焼きそばをかきこんでいたら肝心の記憶も移せない気もする。多分、ブルジョアな一族のお兄さんはこんな一般人が好きなインスタント焼きそばなんて食べないだろうし。
「あー、美味しかった」
そう言って焼きそばも全部食べて残りのコーラも飲みながら、ダラダラと動画をぼんやりと見る。
可愛らしい犬や猫の動物動画をほほ笑みながら見ていると、【あなたへのお勧め】という動画に『ブタの臓器を移植した男』というドキュメンタリーものがあった。
何となく見ると数年前に病気の男性がブタの臓器を移植して数か月生きたと言うものだった。このブタの臓器の移植の成功で研究が一気に進み、何件も移植しているようだ。更に臓器移植用の豚も国内でも誕生しているようだ。ただ、この国では特殊な細胞で人工的に作られた臓器の方に力を入れているらしい。
まだまだ他人の臓器を移植する人は多いが、近い将来、それも無くなるらしい。それを読んだら、もう少し発症が後だったら僕も直さんの臓器を移植しなくてブタの臓器を使っていたって事だよな……と思った。
そして動画のコメント欄に、噂では移植するレシピエントに黙ってブタの臓器を移植していると言う陰謀論っぽいのもあった。
この動画を見て俺は思った。
「ブタの臓器を移植したら、ブタの記憶が移るのだろうか?」
鈴間さんの話しと記憶転移の話しを思い出し、呟いてしまった。
「何言ってんの?」
パッと振り向くと妹の翼だった。
翼も愛結さんと同い年ではあるが、せっかちで小言がうるさい奴だ。呑気な僕とは相いれない。
僕が「いや、別に」と呟くが、聞こえてきたようであきれたようにこう言った。
「お兄ちゃんが豚の臓器と一緒に記憶も移植されても、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ」
「どういう意味だよ」
「豚って綺麗好きなんだよ。床にバックとか物を置きっぱなしにしたり、焼きそばの容器や空のペットボトルをそのままにて汚くしないよ」
そう言って玄関に置きっぱなしにしていたバックを僕に放り投げた。うまい事、キャッチして「ごめんなさい」と言って部屋にバックを持って行った。
「それからインスタ焼きそばの空も片して!」
「はーい……」
翼の指摘に力なく返事をする。そうだよな。僕のだらしなさって筋金入りだから、例え鈴間さんのお兄さんの臓器が入っても、僕は僕なんだよな。
*
僕は僕であると思っても、鈴間さんのお誘いには断れない。月に二回は記憶を移っているかどうか鈴間さんと一緒にお出かけして確認している。
「今日は美術館に行きましょう」
「……はあ」
美術館に行ったことが無いし、しかもパンフレットを見ると有名な画家や絵画じゃない。そもそも【残虐絵画展】なんて、やっていると言う情報を得ても行く気には起きない。鈴間さんのお兄さんはこういうのが好きなんだ……。
一抹の不安を持ちながら向かうと近くに動物園があった。どうせだったら動物園の方に行きたいなと考えてしまい、思わず「あ、動物園」と呟いた。
「はあ?」
「いや、動物園があるなーって思って」
「あ、そうですか」
なんか戸惑った表情で鈴間さんは僕を見ている。きっとお兄さんは動物園とか好きじゃ無かったのだろうなと思った。
でも僕は久しぶりに行ってみないなって思った。小さい頃はよく動物園に行って、ライオンとか象とかキリンとか好きだった。しかもここの動物園はパンダがいる事で有名な所だ。
この絵画展を見終わったら動物園に誘おうかなと思っていると、鈴間さんが僕の手を繋いで「じゃあ、行きましょうか」と言った。初めて女の子の手をつないだのでちょっとドキドキした。
こうして僕は胸の高鳴りを押さえつつ、美術館へと入って行った。
ものすごく青春映画みたいな感じで美術館に入ったけど、【残虐絵画展】だからグロくてヤバかった。僕ってこういうグロいのは苦手なんだよな……と思いながら、それでも鈴間さんがお金を払ってもらったんだからちゃんと見ようとしていた。本当に情けない。動物園に誘う時は無理してでも僕がチケット代を出そう。
そんな事を考えていると、一つの絵画を見入ってしまった。
白いマーガレットの花の中で、仰向けになって目をつぶっている女性の絵だ。内臓を引き出されたり、カエルとかウジとかいないし、血まみれにもなっていない。ただ真っ白な花の中で固く目を閉じた女性の絵だけである。
表情は苦悶でも安らかでもなく目をつぶっているって感じだ。そして顔色が悪いと言うよりも無い感じだった。
一つだけ毛色が違う絵に僕は魅かれて、じっと見ていた。
……この人、寝ている? じゃない。死んでいるのか……。
そう思った瞬間、僕は気持ちが悪くなって口を押さえた。
「梶木さん!」
すぐさま鈴間さんが駆け寄ってきた。
展示会の通路にベンチがあったので、僕はそこに座って休んだ。展示物は無く無機質な廊下にベンチがあるってちょっと不思議だったが、僕みたいに具合が悪くなったためにあるんだろうなと思った。
「ごめんなさい、梶木さん。こんな事になって」
「いえいえ。僕が悪いです。気持ち悪くなっちゃって……」
「気持ち悪くって、どんな感じですか?」
……どんな感じですかって、気持ち悪いって言うのがすべての答えだけど……と言いたくなった。だけどすぐに鈴間さんは「あ、ごめんなさい」と言い、詳しく質問してくれた。
「気持ち悪いって言っても色々とあるじゃないですか。鳥肌が立つとか、胃酸がこみあげてくるとか……」
「……」
「ごめんなさい。こんな質問をして」
「さび付いた鉄の匂い」
「え?」
「なんか、さび付いた鉄の匂いがして、その後すぐにドロッとした生暖かい鼻血を飲み込んじゃったような……気持ち悪さ。移植してから、こういう気分になる事があるんですよね」
言語化すると、なんか気持ち悪さが倍増したな。
更に気持ち悪くなってきちゃったけど、鈴間さんの表情はとても明るく嬉しそうだった。目をキラキラさせて、夢の王子様でもあったようなロマンチックな事が起こって嬉しく感じている女の子って感じだ。
この場所がウジやらカエルや内臓が引き出されている絵画展である事が異様だけど。
なんで? お兄さんも実はこういう絵が苦手なのか? じゃあ、なんで連れてきたんだ? 疑問で溢れた。
すると「ごめんなさい。説明不足でしたね」と鈴間さんは今日何回目の謝罪の言葉を言い、話し始めた。
「兄はこういった絵を見ると血の匂いがするって言っていました」
「血の、匂い」
「はい。そうなんです。気持ち悪い気持ちも心地いいって」
ようやく見つけた僕の中にあるお兄さんの共通点に鈴間さんはとても嬉しそうだった。だけど僕はちょっと恐ろしい気持ちにもなった。
そうして僕と鈴間さんは【残虐絵画展】の美術館を出た。未だに喉の奥の方が気持ち悪い。動物園に行こうと言う気にもなれないな。
「申し訳ございません」
館内にいた時はあんなに興奮したように浮足立っていた鈴間さんが、いきなり落ち込んだ表情になっていて驚いた。
「私、梶木さんの気持ちを考えず、具合が悪いのにテンションが高くなってしまいましたね」
「でも僕の中にお兄さんの特徴があって良かったじゃないですか」
あるはずのない感覚があるのが恐ろしいけど、僕は鈴間さんを元気づけようと思ってそう言った。確かにこの感覚は移植する前には無かったはずだから多分お兄さんの記憶だろう。
それは鈴間さんにとっては嬉しい事だ。でも僕が僕でなくなっていきそうだけど。
鈴間さんは何も答えなかった。
ただ、僕を後ろからギュッと抱きしめた。
心臓がバクバクと脈打っているのが分かるくらい驚いた。立ちつくしている僕に鈴間さんは愛おしそうに頬擦りして言う。
「はあ、お兄ちゃん」
ちょっとゾクッとした言い方に、僕の心臓は更に高鳴る。でもこの心臓は鈴間さんのお兄さんの物。僕の物ではないのだ。お兄さんも鈴間さんのことが好きだったのかな? と、ちょっと思った。
そして僕の鼻の奥でさび付いた鉄の香り、つまり血の匂いが強くなっていった。
「ただいま」
「お兄ちゃん、お帰り。夕飯、食べる?」
「うん、食べる」
鈴間さんと別れて、僕は自分の家に帰ってきた。玄関を開けたら大好物のカレーの美味しい香りがして、更にお腹が空いてしまう。今日はとっても疲れてしまった。
さっさと食べるかと思って自分の部屋に荷物を置いて、すぐさま台所に行きご飯を持ってカレーをかけようとカレー鍋の蓋を開けた。
だがいざ、お玉でカレーをかけようとした時、なぜか妙に食べる気が無くなってしまった。
……なんでだ? 僕はカレーが好きなのに。
トロっとしたカレーの中にあるニンジンやジャガイモ、そしてお肉。美味しいそうなのに内臓が受け付けない。
「あれ? なんで白米だけで食べているの?」
妹の翼が不思議そうに聞いてきたので「食べる気がしなくなった」と返した。
「いつもはカレーをお代わりするのに。具合でも悪いの?」
「かもしれない」
「ふうん……。あれ? お兄ちゃんの荷物、玄関にない! 片してある」
「俺だって子供じゃ無いんだから、それくらいやるよ」
「小さい頃からずっと玄関に荷物を置きっぱなしにしていたのに?」
翼に「マジで具合悪いんじゃないの? また入院しないでね」と心配されてしまった。だけど、全然具合が悪くない。
ただ、自分が自分でなくなってしまった気はする。
そして鈴間さんが帰り際に約束したことを思い出す。
僕を抱きしめた鈴間さんは「ごめんなさい」と謝って、離した後だった。
「梶木さんに見せたい物があるんです」
そう言って待ち合わせの場所と時間を決めて別れた。
自分じゃなくなるのは怖いのに、なぜだろう。行かないといけない気がしてならない。
そして鼻の奥にある血の匂いが取れない。
「そう言えば、お兄ちゃんって彼女が出来たの?」
翼の言葉にドキッとしてしまった。僕は「いるわけないよ」と言うが、翼は不信な目で見ている。
「えー、私の友達が、お兄ちゃんが綺麗な女の人とスターバックスでデートしていたって話していたよ」
「……あ。いや、あの子は……」
「何なのよ!」
「プライバシーの侵害です! 黙秘します!」
情けない僕はそう言って部屋に籠城した。翼はしつこいマスコミのように「ちょっと、教えなさいよ!」と僕の部屋の前で言っていたがしばらくして立ち去った。
僕と鈴間さんがやっている事を正直に言ったら、絶対に翼は馬鹿にする。絶対に言えない。
*
「ごめんなさい。お待たせしました」
「私の方こそ、すいません。そう言えば、今日は梶木さんの定期検診の日でしたね」
臓器移植をして五年経ったが、月に一回から二回くらい病院に行って検診をしている。
ただこの検診はちょっと不思議でいつもお金を払ったことが無い。それどころか保険証も見せなくていいと言われてしまう。大丈夫なのか? と不安になるけど、多分親が裏で払っているのかもしれない。
今回の検診はちょっと時間がかかってしまい終わる頃には日が暮れていた。
「目的の場所から少し遠めなのでタクシーで行きましょう」
鈴間さんが用意してくれたタクシーに乗って、目的の場所まで走っていく。が、どんどんと市街地から離れていき、田舎道から山道には行った頃、不安になった。
「あの、鈴間さん! どこに行くんですか?」
「兄と私の秘密基地です。元々は母の実家の別荘なんですけど」
鈴間さんはにっこり笑ってそう言った。それにしても秘密基地が別荘にあるってやっぱりお金持ちは異次元だ。僕の子供の頃の秘密基地は押し入れだったし。
タクシーに乗っている間、僕はある質問をした。
「そう言えば、鈴間さんのお兄さんってカレーは苦手でした?」
「いえ、カレーは普通に食べていました。どうして?」
「いや、以前好きだったカレーが食べられなくなって……」
「もしかしてお肉が入っていませんでした?」
何かを思いついたように鈴間さんは尋ね、僕は「入っていました」と答えた。
「兄はお肉が苦手で、ほとんど食べないんですよ。それに我が家のカレーはお肉を入れないんですよ」
「あー、そうだったんですね」
「お肉、ダメになっちゃったんですか?」
「うー、そう言えばそうですね」
あれ? もしかして記憶転移どころか鈴間さんのお兄さん化してきているじゃないか? 最近、大好きだったインスタント焼きそばもあまりおいしいと感じられなくなった。何だろう、僕が僕でなくなってしまうようだ。
この変化に鈴間さんはそっと僕の手を握る。表情は嬉しそうだ。
鈴間さんの別荘は随分と山奥にあった。そして大きなお屋敷で、別荘じゃくてもいいんじゃないかって思えたくらいだ。
鈴間さんはタクシーの運転手にお金を渡していたが、札束を渡していたのを見てギョッとしてしまった。確かに遠くて一万円超えたけど、五万以上渡していたぞ!
「えーっと、心づけ? 外国だとチップって言うんですっけ?」
チップだろうと万札を渡すって、やっぱり住む世界が違いすぎるよ。
こんなにチップをもらっているのにタクシーの運転手は嬉しそうだろうと思いきや、暗い顔をして「どうも」と言って受け取ってすぐに去っていった。
ちょっと不思議と思いつつ、鈴間さんの後を追う。だが、なぜか屋敷に入らないで裏に入って行った。疑問ばかり浮かんでいると物置の前で立ち止まった。
「えへへ、私とお兄ちゃんの秘密基地です」
「ここでよく遊んだの?」
「いいえ、だけど誰にも秘密にしている物があるんですよ」
にっこりと笑う鈴間さんを見て、ちょっと子供っぽいなって思った。お兄さんの事を語る時、なんだか夢見がちな女の子みたいな感じがすごく出ていたのだ。
だが物置の前に立つとなんだか入りたくない。本能が拒否している。
鈴間さんは「ほら、入りましょう」と言って僕の手首を掴んで、物置の方に僕を引き入れた。オレンジ色の灯りが付いた物置には大きな人が入れるトランクが三つあった。そして異様に血の匂いが強い。
「お兄ちゃんはいつも私の気持ちをわかってくれて、共感してくれたんです」
そう言って一つのトランクを開けた。
最初は流木かと思っていたら、目と鼻があったはずの穴を見つけて、僕は思わず「うわ!」と言って悲鳴を上げて、尻もちをついた。
え? これってミイラ?
恐ろしい光景なのに鈴間さんは「この子は小学四年生の頃、同級生だった和音ちゃん」と話し出した。
「和音ちゃんね、お兄ちゃんの事が好きでデートに誘いたいから協力してって言われたの。だから協力して見返りにお兄ちゃんがやりたかった事をやらせてあげたんだ」
「……何を」
「ん? ミイラづくり」
にっこり笑ってそう言い、ミイラを丁寧にトランクに閉まった。
「睡眠薬で眠らせてから二人で殺したの。あ、なんでミイラを作ろうかと思ったかというと、エジプトのお墓を見てそう思ったんだって」
そう言いながらもう二つ目のトランクもミイラが入っていた。
「人間って死んだら蝋になるって話しを聞いて、小学六年生の時に試したの。だけど失敗しちゃった。蝋化すると干からびないで綺麗に残るみたい。あ、この子は小学六年生の時の同級生 風香ちゃん。和音ちゃんと一緒でお兄ちゃんの事が好きで、よく尾行をしていたのよ。だから私がお兄ちゃんとお友達にさせてあげるって話したの」
現実離れした話なのに明るい口調で話す鈴間さん。
「お兄ちゃんって遺体にしか興味が無いの。血の匂いが大好きで嗅ぎすぎて気持ち悪くても、良い気持ちになるって。そして私も二人で一緒にこの秘密の遊びをしていこうって思っていたのに……」
「鈴間さん?」
「それなのに突然、死んじゃうなんて思っても見なかった。まだまだ様々な死体を作っていきたかっただろうに」
ハラハラと泣く鈴間さんだけど見ると胸を締め付けられるような悲しさが手に取ってわかる。だけどミイラ化したトランクの前では、そんな気持ちにはなれない。
そして三つ目のトランクを開ける。そこにはミイラどころか、生きている人間だった。気の強そうな目元など、見覚えのある顔の女の子だった。
「翼!」
「うん。梶木君の妹さん。私と梶木君が出会っているのを気づいて、接触してきたんだ。私に会ってお兄さんがちょっとおかしくなったから何をしているんですかって聞いてきたのよ。だから教えてあげるって言ってここに連れてきて眠らせたのよ。ちなみに梶木君が検診をやっている間にね」
サプライズでお友達を連れてきたんだって感じの雰囲気で鈴間さんは涙を拭いて手を出した。
「さあ、やろう。お兄ちゃん」
その瞬間、さび付いた鉄の匂いが充満して気持ち悪くなってしまった。そして、思いっきり鈴間さんの手を叩いて押した。
小さく「きゃ!」という鈴間さんの悲鳴が上がるが、気にせず翼を背負って走り出す。
もう全力疾走とばかりに走って、館を通り過ぎるとタクシーが止まっていた。見ると僕と鈴間さんが乗ってきたあのタクシーだった。
すぐさま僕はタクシーに乗り込んだ。
「すいません」
警察に……と言う前に、胸が痛くなってしまった。
なんで? なんで痛くなるんだ? もしかして鈴間さんのお兄さんの臓器が怒っているのか? 心臓を掴み潰そうとしているくらいに痛みが激しくなった。
「ん? あれ? タクシー……、ってお兄ちゃん!」
いつの間にか隣で目をつぶっていた翼が起きて、僕を揺さぶった。
「ちょっと大丈夫?」
そう心配されても痛みが激しくて何も喋れない。
「あのどこに向かっているんですか?」
いつの間にかタクシーは猛スピードで山道を走っていて、翼は焦ったような感じでタクシーの運転手に聞く。すると「鈴間医院」と冷静に答えるのが聞こえ、僕は意識を失った。
パッと目が覚めると見覚えのある真っ白い天井だった。ここは鈴間医院の入院病棟の部屋だ。ぼうっと白い天井を見ながら、あー、助かった……のかな? とちょっと思った。
だが、すぐに僕は緊急手術をする事になった。
「え? なんでですか?」
「手術が終わったら、すべて説明しましょう」
鈴間医院の院長先生にそんな事を言われ、不安になっているのに僕は麻酔で眠らされた。
*
手術を終えて数日が経って医院長の鈴間先生が直接、お話しに来た。まずは「具合はどうかね」と言う話しをした後、「愛結の事についてなんだけど」と話し出した。
「愛結から、長男の直の臓器を移植したって話しを聞いて、直の記憶が移っているか試してていたんだろう?」
「はい、申し訳ございません」
「いや。こちらが謝るべきだ。移植した人間とドナーの家族は会ってはいけない決まりだし、そもそも君は直の臓器を移植していないんだよ」
衝撃の告白に僕は「へ?」という間抜けな声が出た。
「君は今までブタの臓器を移植されていたんだ」
「はあ?」
そして再び衝撃の事実を言われ、頭がショートしてしまった。どうにか動かして、僕は鈴間先生の話しを聞いた。
「そもそも、君の手術は実験的なものだったんだ」
静かに鈴間先生は話し出す。
最初、風邪かなって思って病院に行ったら珍しい臓器の病気で、僕は臓器を総取り替えしないと死ぬ運命だったらしい。そこですぐに用意できるブタの臓器を移植する事になった。
「なんで、本当の事を言わなかったんですか?」
「ブタの臓器を移植したと言うよりも誰かの臓器を移植したと嘘を伝えた方が、拒否反応が出にくいって分かったんだ。大丈夫と分かっていても、別の生き物の臓器が使われていると思うと嫌な気になる人はいるからね」
僕は「病は気からって奴ですか?」と言うと鈴間先生は「そんな感じだね」と答えた。まあ、確かにブタの臓器を移植したと言われたら、ちょっと驚くよな。
でも移植するレシピエントに黙ってブタの臓器を移植する噂を思い出し、陰謀論じゃなかったのかと思った。まあ、でも本人に黙って病状を家族に伝える事もあるから、ブタの臓器を使っているのを本人に言わないのも、有りなのかもしれない。
そして僕の家族から細胞を抜き取って、人工的に作り出された臓器を今回の手術で移植をしてもらった。
「人工的に作られた臓器は拒否反応も無いが作り出すのに時間がかかる。一方、ブタの臓器はすぐに手に入るが、ずっと使い続けられない。だから君の臓器が作られるまで、ブタの臓器を移植させてもらっていたんだ」
そしてこの手術は実験的だったためで、今までの医療費は無料と言う話しも聞いた。あー、だから保険証を出さなくても良かったんだ……。
自分の中で不思議に思っていたことがどんどん解決してきた。だが一番疑問なのは鈴間 愛結さんだ。なんでお兄さんの臓器が僕に移植されたって思ったのだろう?
「君がドナーの家族に送った手紙を捨てられず自宅に置いたままにしていたんだ。それを見て愛結は直の臓器が君に移植したって思ったんだろう。私は医師ですごく忙しかったし、私の妻は富裕層な人間だが子供には無関心だった。そして愛結と直はとても仲の良い兄妹だった」
「あの、愛結さんや直さんがやった事は……」
「君が病院に担ぎ込まれた後、知ったよ」
遠い目をして話す鈴間先生に僕は「あの、愛結さんは……」と尋ねると、すぐに鈴間先生は「生まれ変わった」とちょっと奇妙な事を言った。
「数日前に自殺してしまった。だけど生まれ変わったに違いない。直も一緒に幸せに生きていると思う」
どこか神様に誓いを立てるような感じで鈴間先生はそう答えた。
僕と鈴間さんと一緒に行った別荘の遺体は犯人不明で処理された。鈴間先生から何も言うなと言われてしまって、何の権限もない僕も翼も黙るしかなかった。
そうして僕はしばらく入院をして、普通の生活に戻った。
再生細胞で作られた臓器も拒否反応を出さず、僕は無事に退院できた。
そしてしばらくして家族と一緒に、臓器を提供してくれたブタの慰霊碑に行った。数年とは言え、人間の僕の臓器として働いてくれたのだから感謝しないといけない。
それにしてもあの血の匂いはブタの記憶転移だったのかな? ってちょっと思った。危ないと言う危機としての、あの匂いが鼻についた気がしたのかもしれない。自分の仲間が、もしくは自分が解剖される時の血の匂いを思い出していたのかもしれない。
そんな事を考えながら僕は臓器提供してくれたブタへ感謝して、近くの牧場公園へ向かった。
牧場では定番の乳しぼりの他に小動物のふれあい動物園が開かれていて、翼はウサギやチンチラなどを抱っこして「可愛い!」と言いながらスマホで写真を撮っていた。恐ろしい目には合ったが、トラウマ的なものは出ていないようだ。
母は安いお肉や牛乳、父は晩酌用のチーズを探しに牧場が経営するお店に入って行った。
僕は何となく牧場を歩いていると、あるブタの小屋を見て「え?」と思わす声が出た。
ブタが二匹いるだけの小屋で、一方のブタはお腹を横にして眠っており、もう一方のブタは僕を見て鳴きながら近づいて来た。
僕が驚いたのはブタの小屋にネームプレートだ。
【直と愛結】と書かれてあった。
……まさかね。と思いながら、二匹のブタの方に目をやると、お腹辺りに手術痕が見えた。
ブタの臓器を人間に移植が出来るなら、人間の臓器もブタに移植できるのでは……。
鈴間先生は最近知ったと言っていたけど、本当だったのか? だってあのタクシーの運転手は明らかに愛結さんの犯行を何となく知っているような雰囲気だったし。
本当は直さんの犯罪が分かって、事故に見せかけて殺して、臓器をブタに移植させたんじゃないのか。
そして愛結さんも自殺に見せかけて……。
一瞬だけそんな考えたがすぐに振り払った。
「そんなわけあるはずない」
そう呟いていると翼が「お兄ちゃん!」と呼ぶ声が聞こえてきた。
僕はすぐさまブタの小屋を振り向かず、そちらに向かった。