八神俊介
彼女の名前は七瀬空。異能八家である七瀬家の次期当主だ。
八神家の直属の暗部である【御庭番】の頭目、胡桃鏡花を学校で補助する人間として八神家当主である八神剛から任務を依頼された。
いや。依頼されたというのは正確ではない。もぎ取った、というのがより正確であろう。
七瀬はその類まれなる異能の才で、八神が別の人間に補助の任務をさせようとしていたところを察知し、半ば勢いでその任務を受けたのだから。
七瀬空は胡桃鏡花の秘密を知る数少ない人間の一人だった。
胡桃鏡花。
弱冠十六歳にしてその実力は異能力者の中でも最上位に位置する一級異能力者のうちの一人。
とある事情により中学を中退し、その後は【御庭番】の頭目として異能蔓延る裏社会を管理していた。
そんな傑物、胡桃鏡花と対面した七瀬はすまし顔をしながらも内心では喜びが踊り狂っていた。
(胡桃様、可愛い!!)
そう、この女。
胡桃鏡花大好き人間なのである。
胡桃には敬語じゃなくていいと言われたが、その愛から生まれた信仰にも近い感情のせいで、無意識に敬語でしゃべっていた。
七瀬空はエリートであり、持っている異能を全力で使用し、暗部である胡桃の情報を得ていた。自身の異能とそれを十全に扱う才を生かし、八神家当主にすら、途中までばれずに胡桃に関する極秘資料を盗み見ていた。
……途中で欲をかいて資料を盗み、それをきっかけに八神家当主にばれてしまったが。
七瀬は、はたから見たらクールに見えるがその実情は胡桃鏡花を愛するあまり毎日三度の祈りを捧げる生粋の変態であった。
呼び方も違和感のないタイミングで空ちゃんよびを要求し、胡桃の気まぐれで空様と呼ばれたときは心の中でにやけ散らかし、胡桃と会えた喜びに身を震わせていた。
移動中の車で胡桃が眠ってしまい、自身の膝によろめき落ちたときなど、鼻血を出さないように必死だったし、胡桃の寝顔を恍惚とした表情で眺めながら、こっそりほっぺをふにふにしていた。
キャラメル色の髪は徹夜明けだからか、すこし傷んでいたが指ですくとさらさらと指の間を通り抜け、起きていた時は開いていたアーモンド型の黄色い瞳はクリクリとしており小動物のような愛らしさを感じさせた。
(え、えへへ。ふにふにしてる。リスさんみたいだ。)
気色悪い感想を抱きながらも、ふにる手を止めることなくニマニマと胡桃を眺め、ドン引きしている運転手をよそに七瀬は自分の世界を作っていた。
そして、突然はっとしたかと思うとおもむろに携帯を取り出し、写真を撮り始めた。
胡桃の顔のドアップの写真や自身とのツーショット写真、さらには、わざわざスカートを下着の見えないギリギリまでたくし上げて、太もものドアップの写真を撮るという下心全開の写真まで取っていた。
そうして写真が取り終わり満足したのか、ふーっと息ついた。
その顔はとても幸せそうで、愛想のない七瀬を知っている人からしたら、本人かどうか疑うレベルの笑顔だった。だがーーーー
「このことを誰かに話したら……殺しますよ?」
七瀬の声は運転手のすぐ近くの耳元から聞こえた。
膝枕をしているから動けないはずなのに、その声は文字通り、耳・元・で聞こえたのだ。
幸せそうな顔をしていた七瀬はいつの間にか無表情になっており、その赤い瞳からは有無を言わせぬ圧力が感じられた。
冷や汗をかきながらも運転手がよく見てみれば、自身の耳元と七瀬の口元にまるでワープホールのような青い歪みがあった。
事実、それは見間違いではない。
七瀬が自身の異能を発動し運転手の耳元と自身の口元の空間を繋げたのだ。
これが七瀬家の相伝異能、『空間統御』の力だった。
空間を繋げての、ゼロ距離脅迫。
八神家に雇われた一般人の運転手は、異能力者からの殺気を受け、もう運転したくないという想いを抑えてながらも自分の仕事を全うした。
「返事は?」
「……わかりました。」
その返事を聞くや否や、空は再び胡桃をふにりはじめ、だらしない顔になっていった。
そうしているうちに、車は異能教育専門学校に到着した。
* * * * * *
「胡桃さん、到着しましたよ。起きてください。」
「……ふぇ?」
「異能教育専門学校に到着しました。」
「……あぁ。ありがとう。」
(ありゃー。寝ちゃったよ。)
徹夜の任務で、体は自分が思っていたよりも疲れていたらしい。
空ちゃんと色々話そうと思っていたのに、車に乗るとすぐに眠ってしまったようだ。
後頭部に感じる女性特有の肉の柔らかさと、自身をのぞき込む七瀬の顔は、胡桃が現在膝枕状態であることを理解させた。
初対面の人に膝枕をさせた事に恥ずかしくなり、もごもごと動いて膝枕状態から脱出した。
「ごめんね。嫌だったよね?」
「いえ、全く問題ありません。」
すまし顔でそう言ってのける空の顔は僅かに紅潮していたが、まだ寝ぼけていた私は気づかなかった。
車は校門前から少し離れたところに止めてあり、窓から立派な校舎が見える。
「今何時かわかる?」
「八時三十分です。」
「ありがとう。いい時間だし、話しながら行こうか。」
「はい。」
そうして話しながら校門をくぐり、空ちゃんと一緒に教室にむかった。
教室につき、空ちゃんとは一度離れて椅子に座り、しばらく待っているとファイルを持ったスーツ姿の男が教室に入ってきた。
男は爽やかそうな雰囲気をまとっているが、スーツの上からでも分かるほどの引き締まった肉体と、感じられる魔力量の多さから、その実力の一端がうかがえる。
「皆さん、席について!これより今学期最初のオリエンテーションを始めます。」
そういうとしゃべっていた生徒たちは全員椅子に座り始めた。まだ時間ではないが、少し早めにオリエンテーションを始めるようだ。
「では、皆さん。周りにいない生徒はいないか確認してください!」
大きい声ではきはきと喋る先生からは体育会系の教師のような印象を受ける。
「いない人はいませんか!」
「先生、この席の人がいません。」
「ありがとう!えーと、そこの席は・・・八神俊介君か!」
「!」
いきなり出てきた護衛対象の名前に驚くと同時に、その人物が未だに教室にいないことに軽い眩暈をおぼえる。普通初日は余裕をもって登校するものじゃないのか。
(ありゃー。まじかぁ。不良みたいな人じゃないといいなー。)
「OK!まだいない人もいるが、そろそろ時間なのでオリエンテーションをーーー」
「失礼します。」
先生の言葉を遮りながら、その人物はガラガラと音を立てて教室に入ってきた。水色の髪に整った鼻筋。中性的なきれいな顔立ちだったが、その獲物を狙うような野性的な瞳が全てを台無しにしていた。
「君が八神俊介君かな?遅刻ではないけど、ギリギリだよ。もうオリエンテーションを始めるから席に座ってーーー」
「先生、結構強いな。何級だ?放課後面かせよ。異能戦しようぜ。」
その場の空気が凍ったように感じられた。
目上の教師の言葉を遮り、ため口。
ちなみに異能戦というのは特殊な結界の下で行う異能力者同士の試合のことだ。
胡桃は遠い目をしてその光景を眺めていた。
「八神君、私は教師だよ。いくら君が八神家の跡取りだからってため口は止めてもらおうか。」
教師は怒ることなく、八神をたしなめようとしたが、
「あ?八神だの教師だのは関係ねえ。俺は自分より強いやつにしか敬意を払うつもりはないからな。ため口をやめてほしいんだったら俺を黙らせてくれよ。先生が勝ったら敬語でもなんでも使ってやる。」
これである。
八神の身勝手さに胡桃は眩暈でクラクラしてきた。
そんな八神の対応に、教師の男が目を細め低い声で一言、
「時間が勿体ない、座れ。」
そう言うだけで場の空気が重くなりほとんどの生徒が冷や汗を垂らした。上位者からの威圧で本能的恐怖を感じたのだ。
無論、この程度は慣れている胡桃や、何人かの生徒は何ともなかったが。しかし、その威圧を向けられた八神本人は笑っていた。
「準一級ってとこか?」
解放された魔力量と威圧感から準一級だと推測したらしい。
胡桃の見立てでもそれくらいはありそうなので、八神は中々の観察眼を持っているようだ。
ふざけた態度をとってはいるが、これは実力をはかるためにやったのかもしれない。
教室全員から注目を集める中、八神は自分の席に移動し、席に着いた。
「悪かったよ、先生。俺はまだ二級だからな。今は従ってやるよ。」
従うと言いつつも、ため口のままだったが、今のやり取りで開始時間を少しオーバーしたため、教師は気にせずにしゃべりはじめた。