気まぐれと罪
サラッと虫の死の描写があります。
苦手な方は回避お願いします。
僕は素手で虫を殺さない。
いや、違う。
僕は素手で虫を殺せない。
夏になり、皆が普通にとる行動。
パンッ、パンッ
蚊を叩く。
それすら出来ない自分が時に情けなく、時に煩わしくなる。
食事中、小バエがプワンとした時も。
バッ、バッ
手で払う。
それすら躊躇う自分が時に恥ずかしく、時に同席の者に申し訳なくなる。
何故出来ないのか。
虫が怖い?
いや、違う。
カブトムシもクワガタも、蝉やトンボ、テントウムシだって触れる。
流石にゴキブリは無理だけど、ちょっと頑張ればダンゴムシ位なら触れる。
なら何故出来ないのか。
殺すのは可哀想だから?
いや、違う。
ティッシュや雑巾を使えば退治できるし、殺虫剤だって使う事ができる。
では何故出来ないのか。
虫を潰したら汚いから?
ある意味それもある。
でも、違う。
僕はただ臆病なのだ。
素手で虫を殺したら、その命の死因が「自分の手による圧死」になると恐れているのだから。
僕はただセコいのだ。
ティッシュを使えばその薄い一枚を隔てただけで、死因が「ティッシュで圧死」に変わると考えようとしているのだから。
僕はただズルいのだ。
殺虫剤を使えば、その命の死因が「毒殺」に変わり、自分の手を直接汚していないと思おうとしているのだから。
どれ程間に何かを介そうが、
どれ程素手を汚していなかろうが、
本当は僕の手はそこまで綺麗ではないと知っている。
別にいつも命の重さを気にしている訳じゃない。
昨日だってトイレに出た大きな蛾を新聞紙で叩き殺した。
でもたまに、凄く空しくなるのだ。
どこから入ってきたのか、窓の内側を蜘蛛が歩いている。
僕はそっと窓を開けて蜘蛛を外に逃がした。
こんな事で帳消しになるなどとは思わないけど。
こんな気まぐれで逃がされたり、殺されたり、虫も良い迷惑だろう。
この世界、果たして命は平等なのだろうか。
窓を閉めるとバッタを咥えた猫が走り去っていくのが見えた。
純文学って感じではないし、自分の事って訳でもないので詩という気もしない。
ジャンルが分からないのでその他扱いです。




