3.札書き ナユユ·アルキノリア
「お願いします!僕をあなたのそばに置いてください!お願いします!!」
リリーからのSOSを受けたケイトリンが駆けつけると、占いの館ではまだ声変わりもしていない少年が、懇願しながらリリーの前に跪いていた。
「やめなさい、顔を上げて頂戴な!」
リリーはオロオロするばかり。
「リリー!」
「あぁ、ケイトリン・・・!」
「どうしたのこの状況・・・この子は?」
「貴女に貰った香水をつけていたら、懐かれてしまったのよ・・・」
「じゃあこの子が、リリーの運命の人!?」
「そんなぁ、無理よ・・・歳が離れすぎてるわ。占い師が少年を誑かしてるなんて噂が立っては困るのよ。」
ケイトリンとリリーは、恐る恐るもう1度少年の様子を伺う。
ぱちっと目が合うやいなや、少年は顔を紅潮させたまま再び勢いよく頭を下げた。
「お願いします!!!僕にはあなたしかいないんです!」
「駄目よ、困るわ・・・」
「お願いします!僕を弟子にしてください!!」
「弟子だなんて、はしたないわ・・・え、弟子?」
「はい!弟子!!」
「弟子・・・なの?え・・・」
「はい!!!!!」
「ぶっ」
ケイトリンはたまらず吹き出した。
この様子をじろりと睨みつけ、リリーはコホンと咳払いをひとつ。
「何故私の弟子になりたいの?」
「僕、早く働いて両親を楽にしてあげたくて・・・でも僕は力も弱いし、学もないから、取り柄といえば字を書くことくらいしかなくて。」
少年は、鞄の中から何枚かの紙を取り出して見せた。
「これは・・・」
「聖句ね。」
「毎月教会に飾ってもらってます。」
「見事な字だわ。一画一画に迷いがない。」
「その教会では働かせてもらえないの?」
少年は心細そうに首を振った。
「人手が足りているって。それからあちこちで働き口を探したんだけどうまくいかなくて・・・そんな時に、広場でお札を持ってる人たちを見たんです。」
「お札?」
「はい。みんなありがたそうに紙を持ってるから何だろうって。ここの占い屋でいただけるありがたいお札なんだって教えてもらいました。見せてもらったら、今まで見たことないくらいきれいな字と、紋章が書いてあって」
少年は、もう1度リリーの目をしっかりと見つめた。
「お願いします、僕にお札の書き方を教えてください!ここで働かせてください!」
リリーはケイトリンと目を合わせたあと、困ったように口を開いた。
「少し考えさせて頂戴。もうすぐ予約のお客様がいらっしゃるから、明日また出直して、ね。」
「・・・わかりました・・・」
少年はまだ何か言いたそうだったが、ゆっくりと立ち上がり、一礼したあと館から出ていった。
「・・・困ったわね」
「弟子じゃないと思うんだよねぇ・・・」
ため息をつくリリーの横で、ケイトリンは納得いかない様子で呟いた。
「リリー、ちょっとあの子の件、わたしに預けてくれない?わたし、もう少し話してみる。」
「ケイトリン・・・ええ、お願いね。」
リリーに頷いてみせると、ケイトリンは少年を追いかけて広場へ飛び出した。
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「ごはんだよ、お食べ」
少年はうずくまって、鞄から取り出した食料を、野良猫に分け与えた。自分も少し口に含む。
マダム·リリーに断られたらどうしようと考えると、自然と表情がくもってしまう。
いつもと様子の違う少年を心配してか、猫は少年の手をペロペロと舐めた。
「はは・・・ありがと。」
少年は猫の頭を優しく撫でてやった。
「おーーい!」
遠くで誰かが誰かを呼んでいる声がする。
(ねぇ貴方、ここで何をしてるの?)
あの日、ここでリリーに声をかけられたんだった。
(わ、可愛い猫ね!仲良しなのかしら?)
リリーさん・・・会いたいな。
「おーーーい!ねぇ、ボクー!!」
「えっ」
顔を上げて振り返ると、さっきリリーと一緒にいた、桜色の女性が肩で息をしていた。
「はーーーー、よかったぁ見つけた!さっきぶりね」
「あ・・・」
一瞬、リリーが来てくれることを期待しただけに、少しがっかりしてしまう。
「わたしはケイトリン·ベネットよ。あなたは?」
「ナユユ。ナユユ·アルキノリアです。」
「ナユユくんかぁ、よろしくね!」
親しみやすい笑顔を向けるケイトリンにつられて、ナユユもはにかむように微笑んだ。
「ていうか今、何だお前かって顔したでしょ!」
「そ、そんなことないです・・・」
「お昼ご飯、それだけ?」
「あ、はい・・・」
「ほとんど猫ちゃんにあげちゃったんだ。優しいのね。」
「友達なんで・・・」
「そっか。ナユユくんはお腹空かないの?」
「おなかは」
おなかから、キュルルと控えめな音が鳴ってしまい、ナユユは真っ赤な顔をして俯いた。
ケイトリンは楽しそうに笑うと、自分のおなかを抑えた。
「わたしもペコペコなの。ね、うちへ来ない?シチューがあるわ。わたし、シチューにはちょっと自信があるの。おいしいわよ。」
ナユユは食欲に勝てず、こくりと頷いてついて行くことにした。
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「・・・おいしい!」
「でしょ?」
ケイトリンの工房で、よく煮込まれたシチューを一口すすり、ナユユはすぐに笑顔になった。
その様子を頬杖をついて見つめるケイトリンも、ニコニコしている。
「たくさんあるから、おかわりしてもいいよ。」
「はい!」
この年頃の男の子らしい食欲で、ナユユはひと皿目をペロリと食べ上げた。
お皿にお代わりを盛り付けてあげてナユユの前に置くと、ケイトリンは本題を切り出した。
「ねぇ、ほんとは今日、弟子入りの申し込みをしたかったわけじゃないんでしょ?」
「ぶぉっふぉ!!」
ナユユは盛大に咳き込んだ。
「隠してもムダよ。わたし、わかっちゃうのよそういうの。」
「う・・・」
「リリーのことが好き?」
「・・・はい」
消え入りそうな小さな声で、確かに返事が返ってきた。
誤魔化さなかった勇気にケイトリンは微笑んで頷き、続きを促す。
「・・・先先週、今日ケイトリンさんに声をかけられたのと同じ場所で、リリーさんに声をかけられたんです。猫かわいいねって。
その時すごくいい香りがして、なんだか離れたくなくなっちゃって・・・今思うと一目惚れだったのかなって。リリーさん目元しか見えないのに、変かもしれないけど。」
ナユユは潤んだ目で続ける。
「街の占い師だと聞いて、なんとかリリーさんの近くにいたいと思い切って何度か会いに行って、リリーさんが周りの人たちに親身になってるところを見かけて、ますます好きになって・・・日曜礼拝でも、時々寂しそうな顔でお祈りしてる姿を見て、何がこの人をこんな表情にさせるんだろうって気になって。今日だって本当は、気持ちを伝えるつもりだったんです。でも」
まだそんなに大きくない手を拳の形にして、膝の上で強く握っていた。
「う、占い師が、少年を誑かしてると思われたら困るって・・・それを聞いたら、本当のこと、言えなくなっちゃって・・・だから。だからせめて、」
「恋人がダメなら弟子になりたいと思ったのね。」
悔しくて自分で口に出せなかった言葉を理解してもらえた気がして、ナユユの目から大粒の涙がひとつ、こぼれた。
「ナユユくんは、本当のところどうしたい?」
ナユユは、うーんと考えてからハッキリと言った。
「早く大人になりたい!」
「えっ?」
「リリーさんのことが好きだから気持ちを伝えたい。けど、困らせるのはイヤだ。だから、早く大人の男になりたい!」
「そっか」
ケイトリンはにこりと微笑んで立ち上がった。
「今話してくれた通りの、正直な気持ちを伝えたらいいんじゃないかな。リリーに誤魔化しなんて通用しないわよ、あの人なんでもお見通しの凄腕占い師なんだから。」
言いながら、色々な香料をシャーレにブレンドしていく。
ジャスミンの香り、ミントの香り、バラについた朝露の香り、日向ぼっこした猫の背中の香り・・・
「恋は見栄を張っちゃダメよ。」
それらをスポイトで吸い取って、サシェに染み込ませる。
仕上げに指を鳴らし、桜色の光る粉を振りかけ完成!
「これ、ナユユくんにあげる。」
ナユユはおずおずとサシェを手に取り、そっと香りを嗅いだ。
「いい匂い・・・」
「素直な気持ちと勇気を持てる香りよ。がんばってね。」
ナユユは丁寧にお礼を言うと、工房の扉をくぐり帰って行った。
さて、もう一方の気持ちを確かめなくちゃね。
ケイトリンはその夜、もう一度リリーを訪ねた。