26.ハッピー·エバー·アフター
応接間から、一度隣の部屋へライアンを人払いしたが、どうにも壁の向こう側から聞き耳を立てられている気配が、じっとりと、する。気まずい沈黙が流れる中、ランドルフは、少し歩こうか。と提案すると、ケイトリンを外へ連れ出した。
「わ、広いお庭ですね。」
広々とした飾り気のない庭には、所々に長椅子が置いてあったり、作りかけの花壇のようなものが放置されていたりと、なんとかしようと試みた形跡がある。
「まぁ。何も無いがな。男所帯で手入れをする者もいない。」
「もったいない・・・お花とか植えたらキレイだろうなぁ」
「・・・もし君が、」
ランドルフは咳払いをすると、ケイトリンから目をそらし頬を染めた。
「ここで俺と暮らすというのなら、君の仕事に役立つような、香り高い花を好きなだけ育てるといい。」
「それホンキですか?」
目を細めていたずらっぽく笑う仕草はやはり親友にどことなく雰囲気が似ていたが、胸が締め付けられるほどに愛らしいとランドルフは思った。
「・・・でも、ごめんなさい。」
「?」
「わたし、心に決めた人がいるんです。」
「えぅぅ!?」
めちゃくちゃかっこよく決めたはずなのに、あっさりごめんなさいが返ってきて、ランドルフは思わず呻いてしまう。ケイトリンは、微笑んで瞳を切なげに揺らすと、今もまだ心にいる誰かに語りかけるように言葉を続けた。
「火鴉祭の日、ほんの一瞬だったけど、わたしたちは確かに心を通わせた。彼は二度と会えないかもって言ったけど、わたしは“また会えるかも”に賭けてるんです。」
ランドルフは、その言葉が誰に向けられたものなのか、はっきりと分かっている。伏せられた長いまつげを見つめていると、不意にぱちりと開いた紅い瞳と目が合った。
「きっとわたし達の出会いは運命だから。」
きっぱり言い切ると、ケイトリンは自嘲するような言葉に、幸せそうな笑いを乗せて言った。
「だからね、こうして、彼にまた会えるように香りを作って、つけてるんです。・・・なんて、未練がましいでしょ?」
「そんなことない・・・」
「あなたなら、彼がどこにいるのか、知ってるんじゃなくて?ランドルフ様・・・ううん、ダニー。」
願うようにランドルフを見上げるケイトリンの目は、すぐに自分こそがダニーだと名乗り出て、初めて会った時のように強く抱きしめてほしいと訴えかけていた。ランドルフもまた、すぐにでも彼女に触れ、ダニーとして過ごした時間を取り戻してしまいたい衝動に駆られた。が、それをぐっと押し留める。
「・・・その男のことはよく知ってるが、奴の役目は終わったんだ。」
「本当にわたし達、もう会えないの・・・?」
悲しそうに曇る顔を見ると、罪悪感で胸が痛む。
「奴は姿を消す時にこう言っていたよ。たった一人、愛してしまった女性に、嘘を吐き続けるのは耐えられない。正々堂々、偽りのない自分で迎えに行くと。」
「・・・!」
ダニーと過ごした束の間、時には強引さに腹を立てたこともあったが、一緒に出かけたこと、笑い合ったこと、逞しい腕で守ってくれたこと、失いたくないと思ったこと。どたばたと一緒に過ごした数日間の思い出が頭を巡り、瞳が切なげに潤んだ。ランドルフは、神妙な顔でそんなケイトリンの様子を伺っていたが、深呼吸すると、空気を変えるように切り出した。
「ところで俺は、腕のいい恋愛調香師に作ってもらった特別な香りを持っているんだ。聞くところによるとそれは、ケイトリン·ベネットという女の子を夢中にできるそうなんだが、どうかな?」
芝居がかった物言いに、思わずケイトリンはくすりと笑ってしまう。
「さぁ・・・どうかしら。わたしの香りがダニーと結びつけてくれるのが先か、あなたの香りがわたしを虜にするのが先か。どっちも自信作だから、ちょっとわかりませんね。」
ランドルフも、少しの意地悪さを滲ませて笑ってみせた。
「なら競走だな。俺が勝つ。」
「望むところです。」
二種類の香りは、爽やかに吹き抜ける風の中でゆるやかに溶け合い、青空へ立ち上っていく。
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それから一週間が過ぎた。
朝になり、ケイトリンはうきうきと市場へ向かっている。今日は月に一度の朝市!白熱する野菜の詰め放題!!
各地から集まった珍しい食材もたくさん並ぶこの催しが、食いしん坊のケイトリンは大好きだった。この朝市でどれだけいい食材を手に入れられるかに、今月の豊かな食生活がかかっている・・・!二人分の。
あの後ケイトリンは、ライアンを自宅へ連れ帰った。近所の昔馴染みは皆、やっとライアン君が帰ってきたんだね、と喜んでくれたのだが、当のライアンだけが、まだ少し戸惑っている。ケイトリンに対する態度も、よそのお嬢さんに接するようなぎこちないもののままだが、少しずつ、家族としての絆を取り戻していければいいと、ケイトリンはゆったり構えている。かつて調香師として働いていたライアンの感覚が早く戻るように、当面は兄妹二人で工房を切り盛りしていこうと、新しい生活をスタートさせたところだった。
市場に着くと、パン屋のミリアとガラス職人のハンスが立ち話をしている。
「おはよう、二人とも!」
「ああケイトリン、おはよう。」
ハンスとミリアが眺めていた市場の一角に目が留まる。そこだけ、すごい人だかりだ。
「なぁに、あれ?お買い得品でもあるの?」
「違うのよー」
ミリアは首を振り、丸い目をもっと丸くしてケイトリンに説明した。
「ランドルフ様がね、市場の視察に来てるんですって!」
「え!?」
その名前を聞いてケイトリンの心臓がどくんと跳ね上がる。
「ランドルフ様が!?」
「なんでも、これからは積極的に街に出て、顔の見える領主を目指すんだってよ。」
「私も初めてお姿を見たんだけどね、これがまたなかなかの美丈夫で、街の女の子たちがあの有様よ。」
なるほど、よく見れば人だかりは女性ばかりだ。
ちゃんとしてれば、かっこいいんだよなぁと思いケイトリンは苦笑した。二人に別れを告げ、いざ戦場!詰め放題コーナーに向かおうとしたところで、呼び止められる。
「ベネット嬢!」
足を止め振り返ると、人だかりからやっと抜け出したランドルフが近づいてきた。
「おはようございます、ランドルフ様。髪がぐちゃぐちゃで台無しですよ。」
ケイトリンはあまりの乱れっぷりに吹き出すと、買い物籠を持っていない方の手で軽く髪を整えてあげた。
「ああ・・・ひどい目にあった。ありがとう。」
困ったようにランドルフも自分の頭に手をやり髪を整える。ケイトリンの指先とランドルフの手が一瞬軽く触れ、二人は照れたようにそっと手を引っ込めた。
領主ランドルフと、恋愛調香師ケイトリンとして、もう一度はじめから関係作りをし直そうと、約束をした。領主となって五年の沈黙を破り、ランドルフは身分を偽らずにアリステニアの街へ出ることを決めた。表向きには市井の声を聞くため。・・・その実は、ケイトリンに会う時間を増やすため。
少しの沈黙が流れたあと、先に口を開いたのはランドルフだった。
「この後少し繁華街を見て、昼前には工房街の方にも寄るんだが、最後に君の工房へ寄ってもいいかな。」
「ええ、もちろん。お兄ちゃんの様子を見に?」
「・・・まぁ、それもあるけど、」
ランドルフはケイトリンの手首をぐいっと掴むと引き寄せ、耳元に顔を近づける。市場の雑踏からどよめきが聞こえたが気にも留めない。
「かわいい友達をデートに誘いにさ。今日、遊覧気球に乗りに行こう。」
ケイトリンはほんのりと頬を染め微笑むと、するりと躱して振り返った。
「後で考えておきますね!お野菜売り切れちゃう!」
色気より食い気。アリステニアいちの残念な女に恋をしてしまった哀れな領主は、まだまだ決着がつかなそうな前途を思い、どう攻め落としたものかと澄んだ空を仰いだ。
おしまい