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アリステニアの恋愛調香師。  作者: 小鳥遊ことり
25/26

25.足取り

「とは言え、これから話すことは、俺達が秘密を守ってきた、王国によって存在を消された男の話だ。誰にも漏らさないと誓えるか?」


鋭い目で射竦めるように見られ、ケイトリンは真剣な顔で頷いた。ランドルフは意思を確認すると、表情を和らげた。ひとつひとつ、記憶を紐解いていく。


「俺は王都ディンザーク出身で、親父が一代で莫大な財を成した商家の息子だった。だがまぁ、物心がつくと悪どい商売で稼いだ汚い金で養われるのに嫌気が差して、酷く荒れたもんだ。」


――放蕩の限りを尽くした跡取り息子を両親は見限り、19歳で王国軍へ入れさせた。跡目は弟が継ぐことになった。

折しも時代は、王国軍と連邦軍の間で軋轢が生じ始め、王国を取り巻く情勢は雲行きが怪しくなり始めていった。

そんな中、身体能力に長けていたヴィンセントは、剣士としてめきめきと頭角を現していく。思いっきり暴れても咎められないどころか、評価が上がる。元来、素直な性格をしていたヴィンセントは、先輩隊士たちにもかわいがられ、居場所を見出していった。


そんなある日、辺境の警護から引き上げる際に、ヴィンセントの所属する小隊は、大怪我を負い倒れている青年を発見した。捨て置くこともできず、宿舎へ青年を連れ帰ると、介抱は下っ端のヴィンセントの役目となった。


『ここは・・・』


『ディンザークにある軍の宿舎だ。アンタ、俺達が発見してから丸5日眠りっぱなしだったんだぜ。』


漸く目を覚まし、体を起こそうとした青年を手伝ってやると、青年は苦しそうに顔を歪めた後、ヴィンセントに弱々しい微笑みを向けた。


『・・・助けてくれてありがとう、えっと・・・』


『俺はヴィンセント·ダニエル·ランドルフ。アンタは?』


『俺は・・・あれ?・・・え・・・?』


焦ったように視線をさ迷わせると、しばらくして青年の顔色が青ざめていく。


『俺は・・・誰だ・・・?』


大怪我のショックで一時的に混乱しているのだろう。取り乱す姿を見かねて、ヴィンセントは部屋の隅に置いたままにしてあった青年の荷物を改めた。いくつかの小瓶と一緒にカバンの中にあった小さな手帳には、“ライアン”と記名があった。


『ライアン。で、合ってるか?』


『ごめん、わからない・・・でも、書いてあるってことは、そうなのかな・・・』


頼りなく項垂れる様子を見ると、しっかりしてくれよと思ってしまう。怪我人相手とはいえ辛気臭い雰囲気は苦手だ。ヴィンセントは溜息をつき、腰に手を当てると、勢いよく提案した。


『よし。じゃあ思い出すまで、お前はライアン·ランドルフな!俺と同じ苗字をくれてやるんだ、ありがたく思えよ。』


『・・・君は、ずいぶん面倒見がいいんだね。』


ぽつりとつぶやくと、ライアンはやっと笑顔を見せた。よく見れば、猫のようにくりっとした瞳が印象的な、感じの良い男だ。歳が近いこともあり、ヴィンセントとライアンはすぐに打ち解けた。

行く宛もなく、軍に恩義を感じていたライアンは、やがて怪我が回復すると隊士として所属することを希望した。ヴィンセントと違い身体能力に長けているとは言えないライアンだったが、頭の回転が早く冷静だ。無鉄砲に突っ込みがちなヴィンセントの良いブレーキ役になるということで、二人はバディを組むようになった。

初めのうちは、拾った犬猫を世話するような気まぐれでライアンにあれこれと構っていたヴィンセントだが、まっすぐで温かな心根のライアンと接するうち、人の思いやりに思いやりで応えることを覚えた。破壊衝動のままに奮っていた剣筋にも、誰かを守るための強さが宿り、一目置かれる存在となった。

失われたライアンの記憶は一向に戻る気配がなかったが、二人はこのままずっとコンビで上手くやっていくんだろうとなんとなく思っていた。

だが、事態は一転する。


『何でお前が・・・今すぐ志願を取り下げろよ!』


連邦に所属する隣国からの使者が和睦の交渉に訪れていた時のことだった。和睦に反対していた国王の息子が、己の信念にまかせて使者を斬り捨ててしまったのだ。当然隣国はそれに対して抗議をし、交渉に対する答えを同等の使者一人に持たせ参じるよう要求してきた。その際に、使者の安全は保証しないとも。完全な、ただの報復でしかなかった。

国王は軍に所属する、いざという時手向かう力量のある者の中から人選を行おうとしたが、そこで自ら名乗りを上げたのはライアンだった。


『おい、聞いてるのか?ライアン!』


『聞いてるさ。あちらが望んでるのは、国民に“同胞の仇をとった”と知らしめることが出来る、わかりやすい敵役なんだ。下手に抵抗すれば別の禍根が残るだろ。決めたんだ。皆には守りたい人や家族がいる。その点、俺がどうなったって悲しむ人はいないわけだし、ここは俺が行くべきだ。』


肩を掴み揺さぶって説得するヴィンセントを振り切り、ライアンは悟ったような笑顔を向けた。ヴィンセントはギリリと悔しそうに奥歯を噛み締める。


『・・・思い出してないだけだろ。お前にだって家族がいたはずだ。』


『恩返しが、したいんだよ。俺はあの時死んでてもおかしくなかった。それならばこの命、救ってくれた皆の為に使いたい。』


『そんなの・・・』


『はいはい、この話はおしまいだ!お前とはもっと楽しい話がしたいな。』


いつもの朗らかな様子でヴィンセントの肩を軽く叩くと、ライアンはくるりと背を向け、上官の元へ向かった。こんなとき、親友の強情さには本当にいやになる。ヴィンセントは、やりきれない思いをどこへぶつけることもできず、自室へ戻った。ルームメイトのライアンが戻っても、なんとなく気まずいまま言葉を交わすことも“楽しい話”とやらをすることもなく、ぼんやりと、このまま喧嘩別れのようになってしまうのだろうかと考えた。


その一方でライアンの申し出は速やかに承認され、準備が整うとすぐに出立の時が来た。これまで同じ旗の元、同志として厳しい訓練や任務に当たってきた隊士達はこぞって見送りにやって来た。ライアンの想いと覚悟は充分伝わっていた。ライアンは笑顔で、いってきますと告げると夜闇に紛れ宿舎を出た。その輪の中に友の姿が無かったことだけが、心残りだ。



王国と隣国を隔てる渓谷。そこに架かる橋は、隣国へ向かうには避けて通れないルートだ。ライアンが宿舎を出てしばらくすると、いてもたってもいられなくなったヴィンセントは、そこで自分がライアンと入れ替わるつもりで後を追った。力づくでも必ず止める。


――悲しむ人がいないだって?ふざけるなよ・・・!


強い眼差しでライアンがいる道の先を見つめた。小さくライアンの後ろ姿を捉えると、ヴィンセントは足を速めた。もう少しで追いつく――。と、はるか前方に動く影が見える。とっさにヴィンセントは木陰に隠れた。隣国方面から、全身を外套で覆った人物が二名、橋を渡ってやってくる。間違いなく今回の件に関係する人物だと思った。微かだが殺気を感じる。ヴィンセントが一歩踏み出すよりも早く、男達のうちの一人がすらりと剣を抜き、ライアンに差し向けた。ゆっくりと、導かれるように切っ先は滑らかにライアンの胸元に吸い込まれていった。すぐさま剣が引き抜かれるや否や、ライアンの体はぐにゃりと崩れ落ちる。別の一人がライアンの持ち物から密書を奪い取ると、容赦なくその体を川底へ蹴り落とした。

一瞬の出来事にヴィンセントは成す術もなく、刺客が背を向け立ち去ると、弾かれたように川下へ急いだ。濡れるのも構わず飛沫をあげ川へ踏み入る。目を凝らし辺りを見渡すと、流れを少し下ったところに、赤々と水面を染め、岩に引っかかったライアンの体を見つけることができた。

――くそ!

もし自分があと少し早く追いかけていれば。ここへたどり着く前に入れ替わっていれば。ライアンが志願する前に、殴り飛ばしてでも止めていれば。不甲斐なさが頭の中を巡った。

物言わぬ友の体を抱え起こすと、ライアンの顔が月明かりに青白く照らされた。――息がある・・・!

ヴィンセントは水を含みずっしりと重みの増したライアンの体を担ぎ上げると、川から上がった。すぐに手当をすれば助かるかもしれない。ヴィンセントには、運び込むのに最適な場所に、一ヶ所だけ心当たりがあった。


---


『あんっ。やぁだ、アルったら。気が早いんだから。』


豪奢な別荘のリビングは、暖炉の暖かな明かりで柔らかく照らされている。繊細な彫刻が施された芸術作品のようなソファの上では、くすくすと笑いながら一組の男女が半裸でもつれ合っていた。そこへ、

――バァン!

いきなり正面のドアが開き、ずぶ濡れの大男が血塗れの男を担いで鬼の形相で飛び込んできたから大変だ。女の方は慌ててはだけた胸元を整え男の後ろへ隠れた。当の男の方はぽかんと締まりのない顔で呆けており、なんとも頼りない。


『やいコラ、アルドリッジ。今からこいつを手当するから手伝え。』


『な、なな、何で兄貴がここに・・・!軍にいるはずじゃ』


『うるせー。ワケありなんださっさとしろ。さもないと、お前が別荘を去年くらいからずっとヤリ部屋にしてるって親父にばらす。』


『アル、あなた!あたしだけじゃなかったの!?』


仁王のような威圧感で凄まれてアルドリッジは怯んだが、女の手前虚勢を張ってみせる。が、その女は聞き捨てならない単語に目くじらを立てていた。


『へ、へぇ。兄貴が親父に?勘当された身で今更どう顔を合わせるつも』


『じゃあその恥ずかしい格好のまま、今すぐここで這いつくばらせてやろうか?』


『わ、わかったよ・・・!』


昔から凶暴な兄には歯が立たない。大男を前にすっかり縮こまってしまったアルドリッジを、女は思いっきり引っぱたくと、別荘から飛び出していってしまった。

ドアが叩きつけられるように閉まる音を聞きながら、ヴィンセントはライアンの体を暖炉の前にそっと横たえ、ソファに掛かったままになっていたバスタオルで傷口を強く押さえた。横暴な兄が連れてきた男は、見るからに深手を負っている。その痛ましい姿と、家ではいつも王のように振舞っていた兄が必死で誰かを助けようとしている様子を見ると、さすがに感じるところがあり、アルドリッジは打たれた頬を擦りながら手当に必要そうな救急箱や布類を取りに納戸へ向かってやった。


『・・・たった一人、できた友達だったんだ。』


戻ってきたアルドリッジの方を見ず、ヴィンセントはぽつりと呟いた。


『ふうん』


救急箱を受け取ると、慣れた手つきで手当を施していく。数ヶ月前までは、自分では何ひとつ出来なかった兄の成長を、アルドリッジは小さな動作の一つ一つで感じた。何も出来ないままの自分は、隣に座って見ているだけだ。

ヴィンセントは構わず続けた。


『同僚はたくさんいた。だが、友達はこいつだけだ。いつも俺を気遣って、俺が罰を受ければ一緒になって罰を受けるような奴なんだ。馬鹿だろ。』


『うん』


『・・・死なせたくねぇ』


アルドリッジはずっと、穀潰しの次男と呼ばれ放任されてきた。兄が両親に見放されると、周りからは跡取り様と都合よくちやほやされた。呼び名が変わっただけで、自分自身は成長していないし何も持っていない。自身の境遇を苦痛に感じていたアルドリッジにとって、他人を思いやる気持ちを身につけた今の兄は、眩しく、逞しく、羨ましく感じた。炎の明かりに照らされたヴィンセントの精悍な横顔に、アルドリッジは一瞬目を奪われた。


『俺は、こいつの為だったらお前に何でもさせるよ。』


――やっぱり嫌いだ。アルドリッジは思いっきり眉をしかめて見せた。

結局アルドリッジは、数多あるランドルフ家の別荘のうち郊外にあるこの一軒で、ライアンの世話をするよう脅された。アルドリッジ自身、人の命が関わってくると思うとぞんざいに扱うことも出来ない性質だったし、力でも口でも勝てる見込みがない上に、弱みも握られており、従うしかなかったのだ。ヴィンセントはライアンをアルドリッジに託し、夜が明ける前に戻っていった。


ライアンが命懸けで隣国へ届けた手紙で、国同士の無用な争いは、一旦は避けられた。だが、今回の王子によるスキャンダルで犠牲が出たことは、国王にとっては表沙汰になっては困る汚点であり、“ライアン·ランドルフ”と呼ばれた行方不明者は初めからいなかった、事件についても初めから何もなかったことだと隠蔽され、軍にも箝口令が施かれた。

特にライアンと親しかったヴィンセントは、上官からきつく言い含められた。ヴィンセントは神妙な顔で話を聞き流しながら、弟の元へ預けてきたライアンを思う。傷の様子はどうだろうか。意識は戻っただろうか。あの不器用な弟が、いつまでも大の男一人をあの別荘で匿い続けられるとも思えなかった。友の生存を隠し通すには、自分が大きな力をつけなくてはならない。その為にはなんでもやってやろうと、決意に漲る瞳を前に向けた。

目の前で、話のついでにヴィンセントの素行を注意していた上官は、急にぎらりと瞳に輝きが宿ったヴィンセントを見て勘違いしたのか、よろしい、その調子でがんばってくれよ、と肩を叩いた。



何日かして、ライアンは目を覚ました。アルドリッジは、ライアンの身に起きたことを話し、時折様子を見に来る兄から聞いていた、ライアンは裏向きには死んだこと、表向きにはいなかったことになっているとこを掻い摘んで説明した。


『・・・そんなことに・・・。君には迷惑をかけてしまったね。見ず知らずの俺に、親切にしてくれてありがとう。』


自分が世話役だと自己紹介するアルドリッジに、ライアンは以前ヴィンセントにしたように謙虚に感謝を述べた。

礼を言われるというのは、悪い気はしない。自分が、誰かの役に立つ、という行為をしていることに違和感を感じながらも、アルドリッジは少し自分を好きになれた気がした。今夜また様子を見に訪ねてくるはずの兄に、良い報告ができそうだと思っている自分に驚いた。


---


国同士の均衡も長くはもたず情勢は次第に悪化していき、もはや止めることはできなかった。ライアンの事件から半年ほど経った頃、ついに王国と連邦の間で開戦となる。

軍勢で不利と思われた王国側だったが、ある小隊の一兵卒の活躍で一気に有利となる。戦場で鬼神のように立ち回る豪胆なその男は、知略にも優れ、王国をたった百日で勝利へと導いた。――その知恵は、存在しないはずの人物から借りたものだということは、誰も知らない。

この戦いで勝利と、不可侵とされていた貿易の要所アリステニアを手に入れた王国は、その地と多額の報奨を功労者である英雄ヴィンセント·ダニエル·ランドルフへ与えた。誰にも文句を言わせない場所を手に入れたヴィンセントは、秘密裏にライアンを伴い、アリステニアの街外れに建てた館に人目を避け移り住んだ。戦前は特需で潤っていた商家ランドルフ家が戦後間もなく没落の兆しを見せると、アルドリッジも実家を見限りちゃっかりとついてきたが、ヴィンセントは特に何も言わなかった。ライアンと過ごすことで、思いやりを身につけたアルドリッジは、ライアンを“優しい方の兄”と慕っていたし、何よりそのライアンをここまで回復させてくれたアルドリッジを邪険にするほど、恩知らずではない。

しがらみのない土地で、“三兄弟”として暮らしていければいいか、と気軽に考えていた。


---


ヴィンセントがアリステニアの領主となってから一年の節目を迎えた頃。

所用でディンザークを訪れたヴィンセントは、そのついで、久しぶりに故郷を見て回った。生家は跡形もなくなり、何軒かの家と、小さな広場となっていた。アルドリッジがライアンの世話をした郊外の別荘も今では人手に渡り、手入れをされていない為か背の高い草や蔦で荒れていた。アリステニアへの帰り際、森の中を通ると見覚えのある場所に差し掛かる。最初に大怪我を負ったライアンを発見した岩場に間違いなかった。思えばここから、全てが始まった気がする。その時、


――何だ?


何かが木漏れ日を反射した気がした。風が吹き、光が揺れる。きらり。

間違いない、何か落ちている。

岩場の影でひっそりと呼びかけるように光ったそれは、ひしゃげた小さなロケットペンダントだった。鎖はちぎれ、本体は傷だらけだし錆びている。歪んだ口金をなんとか外し、開けてみた。


『これは・・・!』


慌てて帰ってきたヴィンセントに、ライアンがおかえりと声をかけるよりも早く、ヴィンセントは拾ったロケットを目の前に突きつけた。


『どうした?』


『いいから、これ!見ろ!』


おずおずとライアンが受け取ると、ロケットの中では、ライアンと同じ桜色の髪をした青年とまだあどけなさの残る女の子が仲睦まじく微笑んでいた。青年の方は紛れもなく、ライアン本人だ。


『これ・・・』


『この子、お前の家族なんじゃないのか?』


そう言われればそのような気もするし、違う気もする。分からない。

ライアンは思った通りそのまま伝えた。煮え切らない態度のライアンから、じれったそうにヴィンセントはロケットをひったくった。


『もう、いい!わかった!俺がこの子を探して確かめる。んで、もし家族ならお前をこの子の元に帰す!いいな!』


『探すって、どうやって・・・?この子がどこにいるかも分からないのに。』


『そんなもん、俺の有り余る体力でだ!!』


館での隠居生活で、ヴィンセントは退屈していた。新しい目標を見つけて燃えているだけだということを見透かして半分呆れるライアンに、近くで本を読んで寛いでいたアルドリッジは顔を上げて微笑んだ。


『いいじゃありませんか、やりたいって言うんだからやらせておけば。ライアンはここで俺と、チェスを楽しんだり、お茶をしたりしてればいいんです。』


『いやでも・・・俺の問題なのに、任せっきりなのは悪いよさすがに。』


困ったように笑うライアンに、ヴィンセントは不敵な笑みを見せた。


『お前らにもやることはやってもらうぜ。』


『え?』


アルドリッジは嫌な予感しかしなかったが、意外にも兄の口から出たのはまともな提案だった。

一番タフなヴィンセントが身分を隠し、写真一枚だけが手がかりのその女の子を国中、時には国を出て探しに出る。その間は、ライアンが“ヴィンセント·ダニエル·ランドルフ”として、この館の中で陰ながらアリステニアを治める。アルドリッジはその手足となり補佐をする。どうしてもヴィンセントが表に出る必要がある時は、アリステニアに戻り、領主としての役割を行う。今までライアンを匿うために、秘密の多い領主としてあまり表へ出てこなかったことが、ここへ来て役に立った。

こうして、二人で一人の“ヴィンセント·ダニエル·ランドルフ”を務める日々が始まった。

が、どれだけ探し歩いても、写真の女の子は見つからない。業を煮やし、評判の良い占い師の力を借りようと思い招いたこともあったが、少女のことを説明するにはまずライアンを取り巻く事情から話さなくてはならない。結局少女探しのことは相談せず、街の運営について相談するに留まったが、助言のおかげでアリステニアは発展し、ランドルフは、なかなか姿を見せないが名領主であると評判が上がった。


少女探しを初めて四年が経とうとしていたある日、ヴィンセントはついに、その子を見つけた。しかもすぐそばの、アリステニアの広場で。

写真に写っていたあどけなさは形を潜め、すっかり大人の女性に成長していたが、見間違うことはない。あれほど探した、桜色の髪、紅色の瞳の乙女。

艱難辛苦の末にやっと探し出した喜びと、成長した彼女の可憐さが相まって、ヴィンセントはあっという間に心を奪われてしまった。

すぐに声をかけ全てを打ち明けたい気持ちを抑え、彼女が何者か、今どんな暮らしをしているか、記憶を無くした男一人を引き取ることが出来るか、探ることにした。

程なくして、親友の本当の名前が判明した。――ライアン·ベネット。


---


話を終えると、ランドルフは胸のつかえが取れたように、ひとつ息を吐いた。


「これが、君の兄ライアンのこれまでの足取りだ。」


ケイトリンは、想像以上に壮絶だった兄の七年間に表情を強ばらせていたが、ゆっくりと頷くと気丈にランドルフを見つめた。


「兄を助けて下さって・・・わたしを見つけて下さって、本当に、ありがとうございました。」


「いや・・・」


念願叶って、ライアンを妹の元へ返す時が来た。自分の役目は終わり。後は、“ライアン·ベネット”としての暮らしが落ち着くのを見守り、国絡みの余計な災いが兄妹に降りかからぬよう、遠くから守るだけ。もう彼女と関わることもないだろう。品良く微笑んだランドルフの胸の奥が、ちり、と痛んだ。


「あの・・・」


ケイトリンが控えめに口を開くと、ランドルフとライアンの二人ともが目を向けた。たった一言で急に注目を浴びた気がして、顔が赤くなってしまう。


「あの、少しだけ、二人きりにしてもらえませんか?」


そうか、とランドルフが兄妹を残し席を外そうとすると、ケイトリンが慌てて、そうじゃなくて!と止めた。


「わたしと、ランドルフ様の二人にしてもらえませんか?」


え。とランドルフの動きが止まる。

ライアンの方ははっきり、えー。と声に出していた。

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