23.手紙
朝、ケイトリンがいつも通り工房で仕事を始めて間もなくすると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はぁーい!」
お客さんかしら?と作業の手を止め、玄関のドアを開けると、きちんとした身なりの、少し冷たそうな印象の端正な顔立ちをした見知らぬ男性が立っていた。男性は一礼するとアルドリッジと名乗った。領主ランドルフの使いだと言う。
「ランドルフ様の・・・?わたしに、何かご用でしょうか・・・」
悪事も働いていなければ、税金もちゃんと納めている。ケイトリンには、領主直々に使いを寄越される理由が思い当たらなかった。
「これをお渡しするようにと仰せつかって参りました。お受け取り下さい。」
恐縮するケイトリンに、アルドリッジは白い封筒を差し出した。ランドルフ家の印の入った蝋で封がされている。おずおずと受け取り、戸惑った目で見上げるケイトリンを、アルドリッジは冷静に見つめ返し淡々と告げた。
「御返事をお待ちしております。」
去りゆくアルドリッジへお辞儀をして見送ると、ケイトリンはすぐにペーパーナイフで封を開けた。紙が一枚入っている。内容に目を通すやいなや、震える手で再び封筒にしまい、ケイトリンは慌てた様子で外出した。
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手紙を受け取ると、リリーは静かに黙読する。
そこにはランドルフの直筆で、ケイトリンの兄ライアン·ベネットの消息について伝えなければならない事がある、ついては迎えを送るので一度屋敷で会って話すことは叶わないか、ということが書かれていた。
リリーの正面では、ケイトリンが心細そうに俯いて椅子に座っている。
「・・・リリー、わたしどうしたらいいと思う?」
「どうって・・・兄上様のこと、ずっと探していたのでしょう?」
「うん・・・」
「行方を知る手がかりとなるかもしれないじゃないの。」
「うん・・・」
リリーはケイトリンへそっと手紙を返した。受け取り、大切そうに胸元へ引き寄せる。
「知りたくないの・・・?」
案じるように問われて、ケイトリンはふるふると首を振った。
「いい知らせなら、もちろん聞きたい・・・。けど、そうじゃなかったら・・・」
七年の間安否がわからなかった。兄のことは半ば諦めかけていたが、心のどこかでは、ケイトリンの知らない場所で元気に暮らしているのではないかという希望も持っていた。その望みを手放す勇気が、今はまだなかった。
「怖いの・・・」
手紙を持つ手が青白く震えている。リリーは席を立ち、ケイトリンに近づくと、屈んで肩を抱いた。
「悪い方にばかり考えては駄目。こんな機会、次にいつ訪れるか解らないわ。私は出来れば、話を聞いた方が良いと思う。」
「そう、だよね・・・」
「どうしても怖かったら、私がついていこうか?」
リリーの慈しむような瞳に覗き込まれ、心のこわばりが少し解けたような気がした。ケイトリンは微かに表情を緩めて、小さく首を振った。
「大丈夫、ありがとう。」
リリーは微笑んで頷き、ケイトリンの頭を優しく撫でた。
「ケイトリン先生」
ナユユが温かいお茶と一緒に、ケイトリンの前に小さなサシェを置いた。
「これって・・・」
「ケイトリン先生が僕にくれた、素直な気持ちと勇気を持てる香りです。僕の大事なお守りだけど、貸してあげます。きっと今は、僕よりもケイトリン先生に必要なものだと思うから・・・」
以前ナユユの為に調合した香りだった。サシェを手に取り、香りを嗅ぐと、思考がスッキリとし、冴えてくる。自分がどう行動するべきか、すとんと理解できた気がした。
「ナユくん。ありがとう、少しの間、借りるね。」
行くのだ、自分はランドルフの屋敷へ。兄の足取りを知ることが出来るなら、話してくれるという人の話を、どんな内容でもきちんと聞かなくてはならない。兄の肉親は、自分しかいないのだから。
「リリーどうしよう!わたし、きちんとした服なんて持ってないわ・・・!」
ケイトリンの表情に光が戻ったのを見て、リリーとナユユは顔を見合わせて笑った。
「買いに行きましょう、見立ててあげる。」
リリーに便箋と封筒を貰い、できるだけ綺麗な字でランドルフへ返事を書いた。決心が付いたからだろうか。思ったよりも筆が軽やかに進んだ。最後に署名を入れ、ペンを置くとケイトリンは頬杖をついて、兄への手がかりを握る人物へ思いを馳せた。
(ランドルフ卿・・・決して表へ顔を見せない領主様。どんな方なのかしら・・・)
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約束の日。
ケイトリンは、リリーと一緒に買いに行った、落ち着いたデザインの水色のドレスを纏い、支度を済ませて待っていた。ドレッサーの引き出しから、小さなロケットペンダントを取り出し、カチリと開ける。ケイトリンが初等学校を卒業した記念に、兄と撮った写真が出てくる。まだ子どものケイトリンと、成人したばかりの兄が仲睦まじく微笑んでいた。
(お兄ちゃん、行ってくるね。)
ケイトリンは鏡の前でペンダントを付け、写真の頃とは違う、すっかり大人になった自分の顔を真っ直ぐ見た。
ドアをノックする音がする。
――来た・・・!
ドレスの裾を翻し、急ぎ玄関へ向かった。
「おはようございます。お迎えにあがりました。」
玄関を出ると、アルドリッジが一礼した。ケイトリンも深々と頭を下げる。
「今日は、よろしくお願いします。」
表に停めた馬車の前に誘い、アルドリッジはケイトリンにすっと手を差し出した。ケイトリンがぎこちなくその手に掴まり乗り込むと、アルドリッジも後に続く。程なくして御者が馬を鞭打つと、馬車が進み出した。
気まずい沈黙が流れ、馬のひづめの音とがたごとと車輪が回る音が響いている。
ケイトリンは、アルドリッジに何か話しかけるべきか、黙っているべきかあれこれと考えていた。
「・・・緊張していますか?」
先に声をかけてきたのはアルドリッジの方だった。冷たさを感じる蒼い目がケイトリンの方をちらりと見た。
「は、はい・・・えへへ、こういうの、慣れなくて。」
作り笑いを浮かべると、アルドリッジは鼻で笑い、でしょうね、と小さく答えた。
(感じ悪い・・・!!)
ケイトリンは作り笑いをしまい込んで真面目な顔をすると、そっぽを向くように前へ向き直った。
「これを。」
再び声をかけられ視線を向けると、アルドリッジは軽く握った拳を差し出した。なんだろう?とケイトリンが見つめていると、その手をくるりと回しぱっと手を開いた。一輪のガーベラが現れる。
「わぁ」
アルドリッジは、子どものように目を輝かせたケイトリンの編み込んだ髪にそっと飾り付け微かに口元を緩めた。
「よくお似合いです。さぁ、反対側には何が入っているかな」
もう片方の手を軽く握り、さっきガーベラを出現させた手で指を鳴らすと、握っていた方の手からは山盛りのキャンディが手のひらいっぱいに現れた。
「すごい・・・!」
目を丸くするケイトリンの前に差し出し、おひとつどうぞと勧めると、自らも一つ取り、包みを解き口に放り込んだ。ケイトリンも受け取ったキャンディを口に入れる。優しい苺の味が口いっぱいに広がった。
アルドリッジを見上げると、彼も満足そうな顔をして横目で見返してきた。
「アルドリッジさんっていい人ね。最初はちょっと怖そうだと思っちゃった。」
ケイトリンが率直な意見を述べると、アルドリッジも皮肉な笑みを浮かべる。
「私も、初めはあなたをなんてみすぼらしい小娘だと思いましたよ。」
「はぁ!?」
ケイトリンの反応を見て喉を低く鳴らして笑うと瞳にほんの少し、優しさを滲ませた。
「冗談です。あなたはとても素敵ですよ。普段通りで結構。自信を持って屋敷へ参りましょう。」
自分の緊張をほぐそうとしての一連の言動だったと気づくと、ケイトリンは自然と笑顔になった。
「はい!ありがとうございます。」
ケイトリン達を乗せた馬車は、アリステニアの市街地を出て、屋敷へと続く道を真っ直ぐに進んでいく。
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ほどなくして屋敷へ着くと、先に馬車を降りたアルドリッジはケイトリンの手を取り降りるのを手伝い、屋敷の中へと案内した。
「大丈夫ですか?」
気後れしそうになっているケイトリンを案じて声を掛けるアルドリッジに、ケイトリンは心配をかけないよう笑顔を向けた。馬車の中で多少打ち解けたアルドリッジがついていると思えば、少なからず心強く感じる。アルドリッジも、応えるように微かに笑顔を向けてくれた。
「既にランドルフ様は応接の間でお待ちです。」
大きな屋敷の中は思ったよりも華美ではなく、すっきりとしている。昼間は明かりも落としているからか、きらびやかさは無く薄暗く感じるほどだ。
ケイトリンがきょろきょろと辺りを見回しながらついていくと、アルドリッジは大きな扉の前で立ち止まった。
「こちらです。さ、どうぞお入りください。私はここで失礼します。」
いよいよだ。扉をノックすると、中から男性の、どうぞ、という声がする。ケイトリンは重い扉をゆっくりと押し開け、中へと足を踏み入れた。
窓から差し込む光の中に、窓際に立つ背の高い男性のシルエットが見える。かつて王国軍を勝利へ導いた若き英雄、ヴィンセント・ランドルフその人が今、目の前にいる。ケイトリンは眩しさに目を細め、姿を確かめようとした。
白い正装を纏い真っ直ぐにこちらを見ている人物は、温和に微笑んだ。
「君が、ケイトリン·ベネット嬢かな?」
その声は・・・その姿は。
ケイトリンが再会を夢にまで見た、
「おにい、ちゃん・・・」