21.ミシェルとオルト
「ただいま・・・」
辺りが薄暗くなり、ミシェルが家に帰りつくと、母親が迎えてくれた。
「おかえり、どうしたの?疲れた声して。あら!あらあらあら!!」
綺麗に化粧をして、真新しい服を着たミシェルの姿を見て、母親は目を輝かせた。
「なぁに、今日デートだったの?ミシェルったらいつの間にかいい人できたのね?」
今日のオルトとの一連の出来事は、とても母に話せそうにない。ミシェルは今日の出来事の中でマシなやつをピックアップして繋げて話した。
「ううん、友達に会いに行ってね。その子があんまりかわいい顔で泣くもんだから、なんか触発されたっていうか、私も女子力に目覚めたっていうか!」
「まぁ、そう!いいわね!あなたもちゃんとしてたらかわいいんだから、どんどんお洒落したらいいのよ。それでステキな彼を作って、早く孫を抱かせてちょうだい!」
「そう、だね・・・」
にこにこ笑顔の母を前に、ミシェルは考えてしまう。もし私の運命の相手が娘婿だった人だと知ったら、この笑顔は変わってしまうだろうか。・・・軽蔑、されるだろうか。
「お母さん私ね、もう義兄さんの家に行くのやめようと思うんだ。」
「どうしたの?喧嘩でもした?」
ぽつりと言った言葉に、母は眉を困ったように下げた。
「ううん!違う違う!あのね、ここから狩場の山までちょっと遠いでしょ?だから父さんからもらった山小屋を住みやすく改造して、そこに住もうかなって!」
慌てて補足すると、ああ、と母は納得したようだった。が、またすぐに別の心配事が浮かんだようで眉を顰めた。
「そうねぇ、毎朝大変そうだものね。でも大丈夫なの?あの辺は夜盗も出るって聞くし、人喰い熊もいるんでしょう?心配だわ。」
「母さん、私を誰だと思ってるの?泣く子も黙る熊殺し・・・じゃない、狩人のミシェルちゃんよ!」
歯を見せて威勢よく笑って見せたミシェルだったが、ふと寂しげに表情が曇る。母は、そんな娘の表情を見逃さなかった。
「義兄さんのことは、母さん時々見に行ってあげてね。あの人ほっとくと、食べないんだもん。」
「そうねぇ、たまにはね。でもいつまでも、私達が関わり続けるのも、って思うのよ?あの子まだ若いんだから、レイチェルのことは一区切りつけて、新しい幸せを見つけてほしいって、母さん思ってるの。」
「うん・・・」
母は物入れの中から1冊のノートを取り出すと、ミシェルに手渡した。受け取ったミシェルは、不思議そうにパラパラとめくる。
「何、これ?」
「それね、掃除してたらレイチェルの本棚から出てきたの。日記・・・というほど毎日は書いてなかったみたいだけど。」
「って!そんなの見ちゃっていいの!?返す返す!」
慌てて母へ返そうとするミシェルと、それでも渡そうとする母との間で押し付け合いが始まった。
「いいから、アンタが持ってなさい。割といいこと書いてあるんだから。」
「母さん見たの!?姉さんに呪われても知らないよ!?」
「いいからいいから。うふふふふふ」
母から強引に渡され渋々受け取ったミシェルに、母は意味深げな笑顔を向けた。
「これから一人暮らし始めるなら、寂しくなることもあるでしょ。人生に迷ったときは読んでみなさい、お姉ちゃんからのアドバイスを受けるつもりでね。さ、ご飯にしましょう!」
釈然としない気持ちでノートを自室に置くと、ミシェルは好物の並ぶ食卓についた。
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次の日、朝からよく晴れていた。
悪天候で狩りに適さない日などは朝からミシェルがよく来てくれたものだが、今日はきっと狩りに出ているのだろう。オルトが作り置きの料理で朝食を済ませても、彼女はやって来なかった。
「・・・さて、仕事するか。」
オルトはひとりごちると、織機の前に座った。
会えないと思うと無性に会いたくなる。自分にとって、いつの間にかミシェルの存在が大きくなっていることに気づき始めていた。
今までも、大切な「家族」と思い接してきたことに変わりはないが、それとは何だか違う気がしている。頬を染め下を向くミシェルの姿や、戸惑うように潤んだ瞳が頭から離れない。
「家族」への気持ちではなく、一人の女性としてのミシェルへの想いだと認めるしかなかった。
昨夜ミシェルのあの香りを嗅ぎ、「運命」と思わず口走ってしまったからだろうか。本当に運命なんじゃないかという気さえしている。
他の誰にもない活き活きとした魅力を持つミシェル。
うっかり惹かれてしまわないように、オルトはことあるごとにミシェルの前で「妻に似ている」と口にして予防線を張ってきたが、無駄な努力だったのかもしれない、と思う。
たまには自分から会いに行ってみようか、とオルトは心に決めた。
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ミシェルは山小屋へ着くと、住みやすく改装を始めた。自然と鼻歌が漏れる。
子どものころから、自分の手で何かを作ることが好きで、狩りや料理も趣味が高じて始めたものだった。自分の糧となる命に感謝すること。自分も動物たちも同じ生き物であるということを忘れないようにと、腰につけている手作りの尻尾飾りが、ミシェルが木材をのこぎりで切るたびにゆらゆらと揺れていた。
ほどなくして、丁度いい大きさのベッドが完成した。
「大工目指そうかな・・・!」
不意に、以前ケイトリンとダニーを救出したときにベッドがなくて困ったことを思い出した。改めて思えば、家族以外の人間がこの山小屋を訪れたのはあれが初めてだ。
(次に誰かがここを訪ねてくれるのは、いつになるだろう・・・)
オルトから離れるために自分で決断したことだったが、ずっと家族と一緒ににぎやかに暮らしてきたミシェルの胸に、急にこれから始まる一人での生活への寂しさと不安が迫ってきた。
新居へ持ち込もうと運んできた荷物の中から、昨日母に押し付けられた姉のノートを取り出す。レイチェルだったら、どんな風に励ましてくれただろうか。
そっと埃を払い、表紙をめくった。
1ページ目には、今日から日記を始めることと毎日書く決意が書かれていた。次のページに書かれた日付は、2週間後のものだった。
「・・・姉さんらしいな」
ミシェルは微笑み、次のページをめくる。ふにゃふにゃした線で描かれた虫のようなものとてるてる坊主のようなものがあり、すぐ下には、その日からミシェルが一人前の狩人として仕事を始めたが怪我をしないか心配だというようなことが大真面目な文章で書かれていた。
(この絵・・・まさか動物と私!?)
ミシェルは姉の画力にショックを受けた。また1枚めくる。レイチェルのノートには、日々の出来事を簡潔にまとめた日記や、独特な味わいのあるイラスト。時々、オルトを想って書いたと思われるなんともいえないポエムが綴られていた。
(ごめん姉さん・・・)
死後になって黒歴史を発掘された姉の気持ちを思うと申し訳なくなる一方、内容がおもしろすぎてミシェルはページをめくる手を止められなかった。
(恨むなら母さんを恨んでよー。もともと私は見るつもりなかったんだから・・・!)
あるページで手が止まる。
ページの真ん中に一文だけ「私の一番大切なものは何だ?」と書かれ、下のほうに小さく「答えはウラ!」とあった。
はいはいどうせオルトでしょ、と心の中で姉につっこみを入れながらミシェルがページをめくると、そこに書かれていたのはたった一言。
――「ミシェル」。
ミシェルは目を見張った。隣のページには小さな字で姉の言葉が綴られていた。
『ミシェルには絶対秘密にしなくちゃいけない。
オルトに好きだって伝えたら、オーケーしてもらえたの。
それはとってもうれしかったけれど、
もしミシェルに言ったら、どう思われちゃうかな。
勝手に抜け駆けして、って怒るかな。軽蔑するかな。
もう私の前で笑ってくれなくなっちゃうかな。
・・・告白しなければよかったな。』
姉の気持ちを始めて知った気がした。確かにあの時は、姉が選ばれたことに嫉妬もしたし、もう3人で遊ぶこともないのかなと思うと悲しくもなった。でもそれ以上に、姉がずっとオルトを慕っていたことを知っていたから、我がことのように嬉しかったのも事実。私は、本当にうれしかったんだよ。と伝えたくても、伝えたい相手はもういなかった。
ページを1枚めくる。
『もし私が告白しないことを選択したとして。
私以外の誰かがオルトのそばにいるのなら、ミシェルがいいな。
ミシェルが彼のお嫁さんになったとしたら、私素直にお祝いできる自信ある。
どこに出しても恥ずかしくない、自慢の妹だもん!』
「姉さん・・・」
ミシェルの目から大粒の涙がこぼれた。一人きりの部屋で寂しさに落ち込む妹を見かねて、姉が隣に座って手を握ってくれているような気がした。
不意に、ドアをノックする音がする。急いで涙をぬぐい、ドアを開けると、オルトが立っていた。
「義兄さん、どうしてここに?」
少し恥ずかしそうに頭をかいたオルトは、控えめな笑顔をミシェルに向けた。
「仕事がひと段落ついたからお義母さんのところに顔を出したら、君がここにいるって聞いたからさ。」
あのおしゃべり・・・!ミシェルはこっそり心の中で母に八つ当たりした。
「引越の準備をしてるんだって?何か手伝おうか」
「え、ええ。じゃあ、このベッドを部屋の隅に運ぶから、手伝ってもらえる?」
二人は協力して、さっき完成したばかりのベッドを丁度いい位置に運んだ。何でもできるミシェルだが、こういう作業は一人でとはいかない。オルトの手助けは素直にありがたかった。
「初めて来たけど、このあたりはずいぶん寂しいところだね。一人で大丈夫?」
「平気平気!この山は私にとって庭みたいなものだし。」
「熊がいるんだろう?」
「どんな獲物もこのミシェルにかかればコロリよ!」
「夜盗が出るって聞いたよ?」
「どんな獲物もコロリだって!!」
「一緒に住もうか?」
「ええいしつこい、だからどんな獲物も・・・なんて?」
聞き返したときには、ミシェルはもうオルトの腕の中だった。
「ちょっと、義兄さん・・・?」
「もっと早く、こうしておけばよかった。」
ミシェルは青ざめた。一番避けたかったことが現実になってしまったのだ。
何のためにオルトから離れると決め、家を出る用意をして、日曜大工までしていたのか。
「君が好きだと言ったら、軽蔑するかな?」
「・・・する。するよ。絶対ダメ!だってオルトは姉さんの旦那さんだもん!」
ミシェルはぐぐっとオルトを自分から引き剥がすと、強い目で見上げた。
「それにあなたは、私に姉さんを重ねてる。私を通して姉さんを見てるだけ。冷静になって!」
オルトは少し悲しそうに微笑むと、ミシェルの頭を撫でた。
「その気の強そうな目、昔から変わらないね。怒ってる時唇を噛む癖も。」
「こ、子ども扱いはやめてよ。」
やっぱり、優しくされると弱い。ミシェルはオルトと目を合わせないように顔を背けた。
「僕もずっとそう思ってた。君はレイチェルの妹だから、好きになっちゃいけない。レイチェルを、いろんな人を悲しませることになるって。そう思うたびに、ミシェルはレイチェルに似てる、だから重ねてるだけだって、口に出すことで自分に言い聞かせてきた。」
ミシェルは驚いた。オルトも自分と同じように考えていたなんて。
「でも、駄目だったなぁ。自分にうそをついても、ちょっとしたことがきっかけで、ボロが出る。君の香りが優しすぎたせいだ。」
オルトはもう一度、ミシェルをしっかり抱きしめると、囁いた。
「君がいてくれて、どんなに救われたか。」
「オルト・・・」
オルトを義兄さんと呼ぶと決めた時に、気持ちは封印したはずだった。ミシェルの脳裏に、レイチェルの日記の言葉が蘇る。
――『私以外の誰かがオルトのそばにいるのなら、ミシェルがいいな。』
姉さん、その言葉に込められた思いは、今も変わらない・・・?ミシェルの目から、さっき拭って隠した涙がまた溢れた。
「・・・時間はかかるかもしれないけど、考えさせて。ゆっくり、前向きに。」
ミシェルが答えるとオルトも穏やかな笑みを浮かべた。
「もちろん。」
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次の休日、ミシェルはケイトリンの工房を訪ねていた。神妙な面持ちのミシェルを、ケイトリンが不思議そうに見つめている。
「私ね、ケイトリンにあやまらなきゃいけないことがある・・・」
「え?」
ミシェルが、がばっと頭を下げた。テーブルの上のカップから、お茶が勢いに押されて少しこぼれる。
「ごめん!!私、本当はずっと好きで忘れられない人がいるのに、恋の相手がいないなんて嘘ついてた・・・!」
「えぇっ!?それじゃ、あんな香り作ったのまずかったんじゃ・・・!大変、今すぐ使用を中止しないと!!」
ケイトリンは思わず立ち上がり目を丸くすると、青ざめた顔でオロオロとする。
「そ、それがね。運命の相手が、その人だったみたいで・・・えへへ」
「え?えーっと、それじゃあ」
気まずそうに舌を出すミシェルを見て、次の句を待つ。
「結果オーライってこと!感謝してるよ!!」
「ほんとに・・・!?よ、よかったぁ」
ほっとして椅子に座り直すケイトリンの前で、ミシェルは頬をほんのり染めると、幸せそうに語り出した。
「まだ私も心の整理がついてなくてね。何せ必死で諦めよう忘れようとした人だからさ。すぐに付き合うとかそういう気持ちにはなれないんだけど・・・でもちゃんと向き合ってみようと思う!相手の気持ちにも、私の気持ちにも。」
「うん・・・!」
「そしたらさ、その時にはちゃんと、私の大事な友達ですって紹介するから。会ってくれる?彼に」
「もちろん!」
何はともあれ、幸せそうで一安心だ。
「ふふっ・・・きっとケイトリン驚くよ」
「えっ?それってわたしが知ってる人ってこと??誰だろう・・・」
「秘密!今はね!」
「楽しみにしてるよ」
二人は笑顔を交わして、ビーカー紅茶を啜った。
「ところでさ」
「うん?」
「ケイトリンも作ってみたら?運命の人に出会える香り。」
「わ、わたしはいいよ・・・新しい恋は当分こりごりー!」
苦笑しながら顔の前で手を振るケイトリンの前に、ミシェルはぴっと指を突きつけた。
「そうじゃなくて!もしかしたら再会できるかもよ?彼氏に。それが運命なら、どんなに嫌がっても。」
「えっ・・・」
「効果は私が保証する♪」
「ミシェル・・・」
「じゃあね、私そろそろ彼と待ち合わせだから!幸運を祈ってる!」
にっと笑顔を向けて立ち上がり工房を出るミシェル。ケイトリンも玄関口まであとを追いかけて見送った。はっ、と聞き捨てならない言葉を聞いた気がして、ミシェルの背中に呼びかけた。
「だから、彼氏じゃないんだってばーっ!」
ミシェルはくるりと振り返ると、陽気に笑い、大きく手を振った。