20.暦織り オルト·セシリオ
「よし、完成・・・!」
オルトは来月最後の日を示す暦を織り終わると、機織り機から丁寧に取り外した。満足そうに頷くと、紫紺の瞳を細め大きく伸びをする。
以前は仕事も手につかないほどに塞ぎ込んだものだが、義妹のミシェルが細やかに気遣ってくれるので次第にオルト本来の穏やかさを取り戻してきていた。感謝は、している。
暦を丁寧に折りたたみ、鞄に差し入れる。何枚かをそうして収納していくと、几帳面な彼らしく、窓、台所、機織り機、と指差し確認をしてから外出した。
行き先は、得意先の一つ、マダム·リリーの占いの館だ。一般家庭用とは違い、占い用の暦は少し特殊なので、こうして毎月最新の暦を、特別な鞄に入れ持参し届けるようにしている。『ギフト』の力によって暦に込められた、“日のもつ力”が漏れ出さないよう、必要なことだった。
「お邪魔するよ、マダム·リリー。」
「あら、御機嫌ようオルトさん。そろそろいらっしゃる頃と思っていましたわ。」
「おやおや、さすが。なんでもお見通しとはよく言ったものだね。」
オルトが冗談めかして微笑むと、リリーも小さく笑い、手渡された暦を手に取った。机の上に丁寧に広げたそれは、普通の人の目にはただの繊細な柄の織物にしか見えない。織った職人と、特別な占いの知識を持つものにしか内容を読み取ることができない代物だ。
「・・・いつもながら、お見事です。」
「そう言って褒めてくれるのはマダム·リリーくらいのものさ」
「さ、どうぞお掛けになって。」
オルトが暦を届けに来た時には、簡易的な形式ではあるが占うようにしている。それは、丁寧な仕事に対する小さなサービスの一つでもあったが、リリー自身の為でもあった。
あの事故からしばらくして、オルトは一時期配達に来なくなった。自分が占いでも受けて悪い予兆に気づけていればと、館を訪れると自分を責めてしまうらしく、辛いようだったので、当面リリーが取りに行くようにしていた。しかしそれではやはり道中で“日のもつ力”が漏れ出てしまい、あろうことか占い自体の的中率も下がってしまったのだ。それが続けばリリーにとっては死活問題。徐々にオルトが立ち直ってきたところで、定期的にオルトを視ることを提案したのだった。
今ではそのオルトは、ここへ来ると必ず、元気づけてくれる義妹のことを愉快そうに語っている。
(一時はどうなるかと思ったけれど・・・本当に、義妹さん様々ね)
軽くきったカードを、1枚ずつ引いては、各位置に並べていく。
「義妹さんとは、仲良くなさってますか?」
思い出したついでに何気なく話題を振ると、オルトは嬉しそうに頷いた。
「あぁ、本当に良くしてくれているよ。この間なんてね、妻が得意だった鹿のパイを焼いてくれて・・・なんだか日に日に、妻に似てくるよ」
ふと、手元に目を落とす。亡き妻の姿をミシェルに重ねたのか、ほんの少し目を潤ませ、鼻をひとすすり。ぱっと顔を上げて、心配かけないよう大げさに笑顔を見せた。
「本当に、よその女の子は成長が早いね!この間まで、こーんなに小さくて、オルト兄ちゃんオルト兄ちゃんって追いかけてきてたのになぁ!」
オルトの気遣いが伝わってきたので、リリーも目元だけで優しく微笑んだ。
「もういいお年頃なんでしょう?義妹さん。いつまでも子ども扱いでは叱られますよ。」
「そうだね。先月23になった。」
「花盛りの頃ですね。きっとこれからどんどんお綺麗になられますわ。さ、結果が出ました。」
「おお!」
興味深げにリリーの手元を凝視する。が、オルトにはカードの意味はさっぱりわからない。
無意識に、他人のすることに関心を持っている振る舞いをできるところが、オルトの人の良さでもあった。
「近々、私生活面で何か決断を迫られるような出来事が起こりますので、お心構えを。良き選択を下された場合、安定した日が暫く続きますのでご安心下さい。」
「良い選択・・・。悪い選択をした場合は?」
「当分立ち直れないでしょう。」
「ひぇ・・・つまり僕次第で良くも悪くも変わるってことかぁ」
少し困ったように頭をかくオルトへ、リリーは淡々とカードを片付けながら続けた。
「出来るだけ、気持ちを明るく持つことです。正しい判断は、健康な心と体から生まれるものですよ。」
「そうだね、肝に銘じておくよ。」
気持ちを明るく。少し前のオルトだったらそれは最大の難問だったが、今は明るさの塊のようなミシェルがいてくれる。オルトにとってミシェルはすっかりキーパーソンとなっていた。
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一方、ミシェルはタフだった。
運命の相手を呼び込む香りを用意しただけに留まらず、その帰りには新しい化粧品を買い、女性らしいシルエットの服を買って着替え、髪を整え、美しい靴を買った。
やるならとことん全力でやる主義のミシェルは、あっという間に、逞しい女性狩人の姿から、ファッションモデル顔負けの美女へと変貌を遂げた。
「よし、完成・・・!」
ひと仕事終えた時の義兄と全く同じ台詞で満足げに鏡に向かって笑顔を向けると、ブティックを出て、昼は食堂も兼ねているいつもの酒場で遅めのランチを取ることにした。
(さぁ、出来るだけたくさんの人と会ってみなくちゃね。)
扉のベルがカラカラと音を立てる。ミシェルが靴の音をゆっくりと響かせ店内に入ると、思い思いに寛いでいた客達の視線がミシェルに集まる。
女性達は美しさに羨望の眼差しを、男性達はどうにかしてミシェルに近づきたいと熱い眼差しを送った。
「お嬢さん一人?よかったら一緒のテーブルにどうだい!?」
「ここは僕に奢らせてくれよ」
「あっズルいぞ!おーいマスター、俺からお嬢さんにデザート盛合せひとつ!」
あっという間にミシェルの周りには大勢の男性が集まってきた。ミシェルはにこにこと笑顔で、集まってきた面々に手を振った。
「はいはーい!みんな押さないで!ミシェルは逃げないから、一列に並んでねー!」
(・・・これがモテ!)
根が単純なミシェルは、人生初のモテ期到来かとあっさり勘違いした。
普段は動きやすく丈夫な服装で野山を駆け回っているミシェルにとってこの状況は未知の体験でもあったが、そこは敏腕狩人。すぐに獲物をしとめる目になり、ぐるりと男性陣を見渡す。――さて、この中に運命の相手はいるのかしら?
「ねぇみんなぁ。ありがたいんだけどぉ、一体私のどこがそんなに気に入ったの?」
挑戦的な流し目で放たれた試すような質問に、皆口々に、やれ顔の美しさだの、流行をとらえたファッションセンスだの、ヘアスタイルが似合ってるだの、無遠慮にも胸の大きさを挙げる者もいた。
ミシェルは笑顔を浮かべまんざらでもなさそうな態度で頷いていたが、心の中では冷静に分析していた。
(ちょっと装いを変えただけでこんなにチヤホヤされるんじゃ、街の女の子達がこぞってオシャレするわけだわ。私は私のままで変わんないのに、なんか変に自信ついちゃいそ。
うーん、でも、なんか違うのよね・・・。胸はともかく、他は全部さっき突貫工事で作ったものだっつーの。)
そうしているうちに、男性同士で小競り合いが生じてしまう。最初は軽い言い合いだったが、ついには一方がもう片方を殴り飛ばしてしまった。
割れたグラスが床に飛び散る。
「ちょっとアンタたち・・・!」
咄嗟にミシェルが止めようと立ち上がったその時。
「何の騒ぎですか。」
聞き慣れた声が後方から聞こえてきた。
「に、義兄さん!?」
鞄を片手に抱えたオルトが偶然店へやってきたことに、ミシェルは声をかけられて初めて気がついた。
騒動の中心にいたのが身内だと気づいて、オルトもミシェル同様に目を丸くしている。
「ミシェル・・・!?いや、驚いた。みちがえたな!どこのご令嬢かと思ったよ」
「あ、はは・・・これはまぁ、そのう」
オルトは状況的にミシェルが困っていると察すると、ミシェルが飲食した代金を支払い、連れて店を出た。
無言のまま早足で歩くオルトの後ろを、ミシェルは少し気まずさを感じながらついて行った。
「義兄さん、あのね、さっきのはえっと」
「ん?」
振り返ったオルトは、ミシェルが少し露出多めの服装をしていることに気づくと、サッと上着を脱ぎ、肩にかけてやった。
「女の子が体を冷やしちゃいけないよ。さ、帰ろう。」
そうやって優しくされるから、今までずっと想いを引きずってきてしまった。
ミシェル唇をきゅっと結ぶと、オルトの背中を追う。
二人の足はオルトの自宅に向かっている。オルトの分の夕食を用意したら、長居せず早めに自分の家に帰ろうとミシェルは心に決めた。
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オルトの家に着くと、ミシェルはできるだけ早くここから立ち去るために、すぐにエプロンを着けキッチンに立った。
手際よく野菜の皮をむいていく。
すぐ近くのテーブルでは、オルトが本を読んでいる。読み書きをするときだけ眼鏡をかける姿も、大好きだった。
「ミシェルは」
突然声をかけられ心臓が跳ねる。さっきの騒動を咎められるのではと恐る恐る振り返ると、手元の本ではなくミシェルを見ていたオルトと目が合った。
「そうやって髪を下ろしているとますますレイチェルに似て見えるね。」
「そうかな?姉さんみたいに綺麗に手入れしてないから恥ずかしいよ。」
レイチェルがいなくなってから、幾度となく言われた『レイチェルに似ている』というフレーズ。それでオルトの気が休まるならと、ミシェルはいつも気にしない振りをしていたが、一番聞きたくない言葉でもあった。
オルトは今でも、自分を通して姉を見ている。自分など姉にはどうしたって敵わないと思い知らされる瞬間だ。
「私も姉さんみたいに女の子らしくしておけばよかったよね」
自嘲気味に笑ってオルトに背を向ける。再び野菜を手に取ると、後ろから穏やかな声が届いた。
「ミシェルは、女の子らしいよ。」
頬が熱くなり。思わず下を向いてしまった。オルトは構わず続ける。
「僕が気づかないほど小さなことでも心を込めてやってくれる。おかげで家の中もピカピカだし、この間は作り置きの料理に手紙を添えてくれてたね。あれ、すごく元気出た。」
「ほ、褒めすぎ!やだなー、気分が乗ってるときしかやらないよ。」
「それに、今日はなんだか、すごくいい香りがする。」
剥いていた芋をつるりと取り落としてしまう。慌てて拾うと、オルトへ向き直った。
「か、香り・・・?」
「うん。なんだろうね、ずっと嗅いでいたいような優しい香り。今までもミシェルが通るといつもいい香りがするなって思ってたんだけど、今日はいちだんとそう思うよ。」
今日、たくさんの人からあれこれと褒められたが、香りのことを指摘されたのは初めてだった。
――たった一度で運命の相手だと気づくはずよ。
ハッと、ケイトリンの顔と言葉を思い出す。
「そうだなぁ・・・例えば、一生そばにいたいと思える運命の人がいるとしたら、」
ダメだダメだ。お願いだからそれ以上何も言わないで・・・!
脳裏からケイトリンの姿が消え、入れ替わりに、プロポーズされたと伝えにきた時の幸せそうな姉の顔が浮かんだ。
「こんな香りなのかな。・・・って、ちょっと大げさか。小説の読みすぎかな!」
オルトは冗談っぽく話を切り上げると、再び本に目を落とした。
ミシェルの視界が、ぐらぐらと揺れる。
オルトの運命の人は姉でなくてはならない。自分の運命の人は他の誰かでなくてはならない。
暗示をかけるように、その言葉を頭の中で繰り返した。