2.占い師 マダム·リリー
「ケイトリン、戻ってる?」
ドアをノックする音とともに、ドアの外からよく響く柔らかな女性の声がする。
「リリー!上がって。」
そっと開かれたドアから、ヴェールを被った女性が顔を覗かせた。口元も布で覆っているので表情は目元で察するしかないが、それでも優雅に微笑んでいることが伝わってくる。
袖と裾の長いロングドレスをひらりと翻しながら、慣れた様子で工房に入ってきた。
「沢山採取できたの?材料」
「うん!1ヶ月分は確保できたかな」
ケイトリンは、ビーカーになみなみと沸いている、ハーブのぷかぷか浮かんだお湯を2つのカップに漉して淹れた。
リリーと呼ばれた女性が、げっと言わんばかりに目を見開く。
「それ、香料じゃ・・・」
「残念だけど、飲もうと思って用意しといたミントティーでーす。」
いたずらっぽく笑う友を見て、リリーは、もう。と笑いながら椅子に腰掛けた。
「お茶くらいポットで沸かしてよ。」
マダム·リリー。
アリステニアの中心部にある街角でひっそりと占いの館を営む、占い師の女性だ。
柔らかく慈しむような物言いと、まるで全てを見透かしているかのようによく当たる占いが評判で、予約してまで占いを希望する人があとを絶たないそう。
リリーが恋の占いに訪れた客にケイトリンの工房を紹介し、ケイトリンが恋以外の悩みを持つ客にリリーの館を紹介しているうちに仲良くなっていった。
ケイトリンは、この年上の柔和な女性を姉のように慕っているのだ。
それになんだかリリーからは、その名の通り百合を思わせるような甘い香りが微かに感じ取れて、居心地がいい。
「あ、そのマフィン・・・!」
「気づいた?ミリアさんとこの、日だまりマフィンだよ!」
「いつも並んでて買えないのよね。」
ケイトリンがそれぞれの皿に取り分けたマフィンを見て、リリーは嬉しそうにしたが、ケイトリンの手元のマフィンを見て固まった。
「歯型、付いてるけど?」
「えへへ、さっき、ガマンできなくて味見を・・・」
「相変わらずね」
呆れたように肩をすくめると、手を合わせて「頂きます。」と唱えた。
「・・・いつも、それやるね。」
「頂きます?」
「うん。」
ミントティーを一口飲み、リリーは少し目をそらした。
「故郷の習わしだから・・・。無意識に染み付いちゃってるのね。」
「そっかぁ。」
前にリリーから、故郷が極東にある島国であること、まだ10代だったリリーが故郷を離れて間もなく、内紛で滅んでしまったことを聞いていた。
ケイトリンは、とっさにそれを思い出し、明るく話題を変えた。
「極東の人ってさ、若く見えて羨ましいなぁ」
「そう?」
「うん、わたしなんて、最初リリーのこと年下だと思ってたもんね。」
「またまた。貴女より10近く上よ。」
顔を見合わせてふふふと笑い、同時にマフィンを頬張る。
「わ、美味し。」
「でしょ!」
「並ぶのも頷けるわ。」
「・・・」
「どうしたの?ケイトリン。」
「口元、見えなかった・・・食べてたのに。」
不服そうなケイトリンを見て、思わずリリーはむせた。
「あ、そうだリリー!歳と言えば・・・」
「え?」
ケイトリンは席を立つと、部屋の奥の飾り棚から、丁寧に包装された小箱を取り出してきて、リリーの手を包み込むように取り、手渡した。
「お誕生日プレゼント。明日でしょ?おめでとう!」
「あ・・・」
リリーの胸に温かい気持ちが広がる。
「有難う、忘れてた・・・」
「占い師なのに、自分の生年月日を忘れるとはねー♪」
「本当にね。」
リリーは大切そうにリボンを解き、包みを開ける。中からは、細かな装飾が美しい、藍色の小さなアトマイザーが現れた。
「綺麗・・・!」
「リリーの瞳と同じ色よ。ガラス職人のハンスに特注したの。」
「嬉しい、有難う。」
「リリーが運命の人に出会えるように、香りを調合したのよ。」
「ケイトリン・・・でも私、恋なんて・・・」
「幸せになってほしい。」
諦めたように俯くリリーの手を、ケイトリンはぎゅっと握った。
「必ずしも恋が幸せとは限らないけど、大切に思い合える人がいるのは幸せなことだと思う。」
「・・・」
「わたしがリリーの家族なら、幸せに笑っててほしいと思うわ。だって、リリーは生きてるんだもの。」
「それは・・・」
「ま、まぁ運命の出会いって、恋愛に限らないからさ!大親友とか、最高のビジネスパートナーと出会えるかもってこと!!」
「・・・私は、それってケイトリンの事だと思ってるけど?」
「もーー!あーーーー!!もーーー!!」
照れて真っ赤になるケイトリンを見て、リリーは幸せそうに笑った。
「早速付けさせてもらうわね。」
シュッと手首にひと吹き。
リリーの甘い体臭と混ざって、なんとも言えない懐かしく優しい香りが広がった。
「んー、やっぱりいい香り・・・!」
「素敵ね・・・故郷に咲く金木犀に少し似てるわ」
「そうなの?んー、これはわたし、リリーに恋しちゃうかも!」
「あらあら。そんなこと言ってないで、貴女こそ幸せにお成りなさいよケイトリン。いつまでも若くて可愛く居られるわけじゃないのよ?」
「興味ありませーん。」
「本当にこの子は・・・他人の好いた惚れたには目敏いのに、自分の事には無関心なんだから。」
「リリーに言われたくないもん。」
「じゃあこうしましょ。ケイトリンは私の幸せを願って頂戴。」
「もちろん!」
「私はケイトリンの幸せを願うから。それなら良いでしょう?」
「・・・わかった。」
リリーは不貞腐れたようなケイトリンの額にそっと手を置くと、何かを小さく唱えた。
リリーの掌から、ふわりと淡い緑の光が舞う。
「なんだかおでこがあったかい・・・」
「ケイトリンが素晴らしい人と出会えるように祈祷をしたの。それから、貴女の少し先の未来を見たわ。」
「な、何か見えたの?」
「秘密♪」
リリーから「困ったことになった」と知らせを受けたのは、ケイトリンがリリーにアトマイザーを渡して数週間が過ぎた頃だった。