18.火鴉の羽
ケイトリンが目を覚ますと、部屋の中は夕焼けの赤に染まっていた。
「・・・う、寝ちゃった・・・」
シャワーも浴びずに眠ってしまったことに、軽く自己嫌悪する。しかもソファーで眠ったはずなのに寝室に移動しているところを見ると、面倒をかけたに違いない。そこまで考えが及ぶと、彼がどんな風に自分を運んだのか、気になってくる。荷物のように雑に運んだだろうか、それとも。ケイトリンの頬がじんわりと赤みを帯びる。
(やめたやめた!)
ぼんやりとした目のまま、髪をかきあげ立ち上がる。
ふと窓に目をやると、外が賑やかなことに気がついた。
(そうか、今日は・・・!)
クローゼットを開けると急いで着替えを選ぶ。ケイトリン定番の地味なドレスとは違う、鮮やかな花柄のひらりと軽いシフォンワンピースを手に取ると、部屋を出た。
そっと工房を覗くと、ダニーがソファーに腰掛け、腕を組んだまま眉間に皺を寄せ居眠りをしている。肩に少し湿ったタオルが掛かっているところを見ると、一足先に汗を流したようだ。
どんな夢を見てるのかしらね。ケイトリンはクスッと笑うと、シャワー室へ向かった。
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「火鴉祭?」
「そうよ」
さっぱりしたケイトリンは、濡れた髪を大雑把に纏めると、ダニーを祭りに誘った。
「なんだそれ?」
「毎年この時期になるとね、火鴉っていう鳥がアリステニアに渡ってきて、羽根を落とすんだけど、それがよく燃える燃料になるの。それを拾ってランプの中で燃やして、夜、街を練り歩くのよ。で、火鴉祭の日には一対の鴉の翼みたいな形のガラスのオーナメントが町中のいろんなところに隠されるから、ランプの明かりをたよりにみんなして宝探しみたいにそれを探すの。片翼ずつに分けたそのオーナメントを、大切な人と分けると幸せになれるって言い伝えがあるのよ。家族とか、友達とか、恋人同士とかでね。」
説明しながら、棚の中から去年のオーナメントを探す。
「・・・あった!」
差し出されたケイトリンの掌には、小さな片翼の形をしたガラス片が乗っていた。
「へぇ・・・それで、お前はこれを誰と分けたんだ?」
「へ?」
予想外の質問に、間抜けな声が漏れる。ダニーは鋭い眼光で質問を畳み掛ける。
「男か?」
「・・・リリーだよ。」
ケイトリンが呆れて頬を膨らませると、ダニーはそうかそうかと髭を撫でた。
「で、なんでその祭りとやらに俺と行きたいんだ?」
「何でって」
「さてはケイトリン、お前その羽のやつ、俺と分けたいんだな?」
「ちがっ!!」
ニヤニヤ笑いを浮かべながら言われるとなんだかムカつく。
「ちょうどこの時期にここに来たんだから、せっかくだし観光に誘ってあげただけよ!調子に乗らないで!」
「わかったわかった・・・!わかったからとりあえず髪乾かせ。な?」
ぷりぷり怒るケイトリンを笑いながら宥めると、その手からタオルを奪い、椅子に座らせる。ダニーはケイトリンの濡れた髪から髪留めを外すと、擦らないようにタオルで水気を切ってやった。
からかわれてぶすっと膨れていたケイトリンだったが、思いの外丁寧に扱われたので、すぐに機嫌を直す。
準備が整うと、自宅のランプを一つ持ち出し、二人は夜になったばかりの街へ出かけた。
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表通りは既に、ランプを手にした人たちで溢れている。ケイトリンは、石畳の隙間に落ちていた羽根を一つ拾って見せた。
「ほら、これが火鴉の羽根。」
なるほど、同じものがそこらじゅうに落ちている。ケイトリンはランプをダニーに預けると、手際よくマッチをすり、羽根に火をつける。ぼっと小さな音を立てたそれを、ランプの中へ放り込んだ。ガラス張りのランプに暖かな明かりが灯る。
「こんなに小さいのに、三日は燃え続けるのよ」
「へぇ・・・キレイだな!」
故郷の伝統を褒められ、ケイトリンはにこりとした。
「さぁ、オーナメントを探しましょ!」
小さな子どものようにうきうきと歩きだすケイトリンの、いつもの地味な出で立ちとは違う、軽やかなワンピース姿を、ダニーはかわいいと思った。
祭りのオーナメントを求めて、ここだと思ったところを次々に探すが、なかなか見つからない。祭の実行委員を務める、ガラス職人のハンスが以前こっそり教えてくれた隠し場所も見てみたが、既に持ち去られているようだった。
「・・・出遅れちゃったかしら・・・」
キョロキョロしながら歩いていると、ぼふっと柔らかいものにぶつかった。慌ててケイトリンが顔を上げると、背の高い女性の胸元だった。
「わーー!!!ごめんなさいっ!!あ」
「ケイトリンじゃない!」
深緑色のしなやかなポニーテールが視界で揺れた。
「ミシェル!!」
「誰だ?」
きょとんとするダニーに、ケイトリンは慌てて説明する。
「わたし達の、っていうか特にあなたの命の恩人よ!山で倒れたあと助けてくれたの。お医者様まで紹介してくれて、朝まで付き添ってくれたんだから・・・!」
「ほー。その節はどうも」
素直にぺこりと頭を下げるダニーを見て、ミシェルはクスクスと笑った。
「すっかり元気みたいだね、彼氏!よかったよかった!!今日は二人して、お祭りデート?」
「だから、ちがうのー!彼氏でもなんでもなくてー!!」
頭から蒸気が吹き出して見えるかのように猛抗議するケイトリンを見て、ミシェルは沸騰したやかんみたいだなと思い、愉快そうに笑った。
ケイトリンはふと、そんなミシェルを温かく見守る、温和そうな黒髪の男性に気がついた。目が合い、互いに会釈をする。
「なによー、そういうミシェルこそ、デートなんじゃないの?」
ケイトリンが指摘すると、ミシェルは苦笑して顔の前でひらひらと手を振った。
「ちがうちがう、義兄よ!姉の旦那さん!何か用がないと仕事仕事でずーっと引きこもってるからね、今日は気分転換に連れ出したの!」
「そうなんだ?」
「私はというと、なかなか縁遠くってねぇ。ケイトリンに、恋を呼ぶ香りを作ってもらわなきゃね!」
おどけて笑いかけるミシェルに、ケイトリンも笑顔を返した。
「そういうことなら任せて!それに、あの時のお礼もさせてほしいの。今度ゆっくりお茶でもしましょ!」
うんうんと頷くと、ミシェルは住宅街を超えた高台の方にはまだオーナメントが残ってたと情報をくれ、義兄と呼んだ男性と飲みに行くと言って立ち去った。
「ちょっと外れの方にはまだあるのね・・・行ってみましょうか」
「おう」
二人はミシェルのアドバイス通り、向かってみることにした。
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普段あまり通らない裏路地を抜け、坂道を登る。
高台まで探しに来たが、結局ひとつも見つけることが出来なかった。
辿り着いた頂上の展望テラスで、残念そうに肩を落とすケイトリンを、励ますようにダニーは声をかける。
「まぁ気にすんな!俺はお前とこうして出かけられてよかったと思ってるよ」
眼下に広がる夜景と、人々が手に持っているであろうランプの明かりが揺らめくのを見て、ダニーは手元のランプを手摺に置くと満足そうに言った。ケイトリンもつられて、景色を見る。
「そうだね。見つけられなかったのは悔しいけど、あなたと一緒だから楽しかったかも」
「ほうほう。それは調子に乗っていいやつか?」
不敵な笑みを浮かべて見下ろされ、ケイトリンもいたずらっぽく笑顔を返した。
「いいんじゃない?」
「よっ」
「きゃ・・・」
急にダニーがケイトリンを軽々と持ち上げ、すぐ後ろにある展望用のベンチに腰を下ろすと、ひざの上に座らせた。
「げっ!!ちょっと、子どもじゃないんだから・・・!」
「誰も見てないんだからいいだろ。暴れんなって!ほれ」
憎まれ口を叩くケイトリンの眼前に、光る小さなものがぶら下げられた。
「あ!それって・・・」
あれほど探していた、翼のオーナメントだ。一対で一つ。
ダニーは紐を解き、片翼を取り外すと、ケイトリンの手に握らせ、もう一つはポケットにしまった。
「やるよ。」
「・・・ありがと。見つけてたのね。」
「ん。すぐそこにあった。」
大切そうにオーナメントを握り締めると、ケイトリンは照れたように言った。
「ダニー、今日はいいにおいがするね。」
「あー。お前が作ってくれた香りを付けてきたからかな。髪の先に、ほんの少し。」
「ふーん」
ケイトリンは、胸いっぱいに香りを吸い込むと、笑顔になった。
「さすがわたし。」
花が咲いたような笑顔を見つめ、ダニーは不意にまじめな顔になると、愛おしそうに、傷を付けないように、ケイトリンの頬に手を添えた。
「ケイティ。」
呼び慣れない呼び方で呼ばれ、どきりとした。少しかすれた、甘さのある低い声。体温が、跳ね上がったような気分だった。
すぐ目の前にダニーの精悍な顔が、金の瞳がある。ケイトリンは全て受け入れるつもりで、そっと眼を閉じた。
ダニーはずっとそうしたかった通りに口付けようとした、が、瞬間リリーの言葉が頭の中に蘇る。
『・・・もし貴方があの子を騙したり、弄ぶつもりなら』
思いを巡らせるようにケイトリンの顔をしばらく見つめると、添えたままの手でぷにっと頬をつまんだ。
「ひゃい!?」
びっくりして目を開けるケイトリンを見て低く笑うと、吹っ切れたように言った。
「俺、明日の朝一で港を発つよ。」
「そうなの?・・・でも、どうせまた来るんでしょ?」
「いや、」
何でもないことのような顔をして首を振る。
「次から、他の港経由に航路が変わるんだ。しばらく会えない。っていうか」
ケイトリンは続きを聞きたくなかった。
「下手したら、もう会えないかもな。」
「・・・そっか」
「荷物の点検があるから、俺は船に戻るよ。今日はそのまま向こうで泊まる。」
ケイトリンを立ち上がらせると、自分も席を立つ。ダニーは、一瞬切なそうに顔を歪めるとすぐにいつもと変わらない笑顔を作り、大きくて骨ばった、逞しい手を差し出した。
「さよならだ。いい男見つけろよ。」
「うん・・・」
ケイトリンも手を差し出し、握手をする。精一杯の笑顔を向けた。
「元気でね!」
去っていくダニーの背中を、ケイトリンはぼんやりと見送った。
突然のことに感情が追いつかない。ついこの間まで、ダニーが来ようが去ろうが、気にもとめなかったのに。
――ああそうか。
「たぶん、好きだったよ・・・」
まだダニーの体温が残るベンチに腰かけ、煌々と輝く夜景を手の中のオーナメントに透かせていつまでも眺めていた。