17.夜明け前の花嫁
真昼の太陽が輝き、青空が広がる。
ツバキは一人丘の上に立っていた。
草花の香りの混じった風が、ツバキの赤い髪をサラリと撫でる。
明け方の結婚式のことを思い出し、そっと目を閉じた。
――俺は、シェンを想い生きていく。
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結婚式の式場は、ツバキとシェンがいつも語り合ったあの東屋に決めた。
花嫁の準備が整い外へ出ると、ケイトリンがシェンを呼び止めた。その手に香りの詰まった小瓶を握らせる。
「これは・・・?」
「香水よ。“結婚式の誓いが永遠に叶う香り”。シェンに似合う香りを作ったの」
シェンは、小瓶の蓋を開けると、トントンと手首に付けた。目を閉じ、ゆっくりと味わうように香りを嗅ぐ。
「柔らかくていい香り・・・。ありがとうケイトリン」
「結婚おめでとう。幸せになってね!」
シェンは笑顔で頷き、ツバキの待つ東屋へ向かう。
今回の参列者となる、ケイトリン、ダニー、リリー、ロラン、そしてソフィアの五人もあとに続き、東屋から少し離れて二人を見守った。
シェンが小瓶をベンチの上に置くと、二人は両手を取り、向き合った。それぞれの左の薬指には、白詰草の指輪が咲いている。お互いが今ここに確かに存在していることを確かめ合うように見つめ合った。
ロマンチックな雰囲気に、ソフィアもそっとロランの手を握った。ロランもソフィアに笑顔を返す。
東の空が、徐々に赤みを帯びてきた。日の出が近い。
しんと張り詰める静寂の中に、ツバキの声が響いた。
「ツバキ·シュトラーレは、シェン·ブルックを妻とし、愛することを誓います。・・・この命が尽きるまで」
シェンもそれに応える。
「シェン·ブルックは、ツバキ·シュトラーレを夫とし、愛し続けることを誓います。・・・この命が尽きてもずっと」
空が白んできた。そう、まもなくこの命が尽きる。あのまま茂みの中で、ひとりぼっちで消えてしまわなくてよかった・・・。シェンは一筋涙を零し、にこりと微笑む。
ツバキは指でシェンの目元を優しく拭うと、花嫁に口付けた。
この時がずっと続けばいいのに。
太陽が少しずつ登る。
シェンの体からエネルギーが漏れ出すように光が放たれ、少しずつ少しずつ透き通っていく。
「シェン、行っちゃだめだ」
ツバキは、シェンを離したくなくて、強く抱きしめた。腕の中で、シェンは幸せそうに笑う。
「生きてるうちにしたかったこと、全部叶っちゃった・・・!お友達もたくさんできたし、ツバキのお嫁さんにもなれたわ!」
そういって、式に集まった五人の顔を見渡した。
ケイトリンの目からぽろぽろと涙が溢れた。ダニーがそっと肩に手を置き、リリーがハンカチを差し出してくれる。
ソフィアは見るに耐えなくなり、ロランの胸に顔を埋めるとしくしくと泣き出した。
シェンは目を閉じ、うっとりと歌を歌う。ケイトリンたちがシェンと初めて会った時に聴いた子守唄だ。
――いとしき夢よ
明日をむかえに
かなしき夢よ
雨よ癒せよ
風の歌声
花のほほえみ
星の瞬き
ぬくもり満ちて
いとしき夢よ
明日をむかえに――
ツバキは、抱きしめたシェンの体越しに自分の手が透けているのを見て、いよいよかと覚悟を決めた。
「愛しているわ、ツバキ」
シェンがはっきりと告げた。
「俺もだよ、シェン」
ツバキは、気丈に微笑んでみせた。いつも表情に乏しいツバキの、精一杯の笑顔だった。
シェンの体が、朝日に溶けるようにすぅーっと消えていく。
(俺は、シェンを想い生きていく・・・!)
――その時。
シェンがベンチに置いた香りの小瓶に桜色の光が灯り、どんどん膨張すると、パリンと音を立てて爆ぜてしまった。
そのまま光はどんどん大きくなると、ツバキの腕の中で女の子の形を作る。
「何だ、この光・・・!」
目を見張るツバキの前で、光が次第に弱まっていくと、きょとんとした顔のシェンが現れた。
「どうなってるの・・・?」
ケイトリンたちは何が起こったのかわからない。固唾を飲んで様子を見守った。
「私・・・消えてない・・・?」
シェンが信じられないというふうに、自分の手を見つめる。薬指に白詰草が揺れている。どこも透けてなどいない。周りにいるツバキや、ケイトリンや、ダニーや、リリーや、ロランやソフィアと同じように、はっきりとした姿を保っていた。と、同時に、シェンはあることに気づいた。
「命の影が、見えなくなっている・・・?」
「恐らく、」
考え込んでいたリリーが静かに口を開いた。
「ケイトリンが香りを作り、『ギフト』を贈りこんで中和した時に、丁度シェン様が歌った命の歌が一緒に溶け込んだのでしょう。」
そういえばそんなタイミングでボウルが光ったような気がするとケイトリンは思い出した。
「“結婚式の誓いが永遠に叶う香り”に込められた『ギフト』が、貴女の、“命が尽きてもツバキ様を愛し続ける”という誓いを叶える力を解放した時に、香りに偶然溶け込んだ命の歌も放たれ、貴女の命の灯を強めた。しかし朝日の光によって影使いとしてのエネルギーは枯渇し、結果、命は助かったけれども、能力を失ってしまった・・・ということでは。」
「ということは?」
ケイトリンは、リリーの言ったこ難しい仮説を自分なりに噛み砕く。
「シェンはただの、普通の女の子になっちゃったってこと?」
「まぁ・・・端的に言えば・・・」
自分が普通の女の子に?シェンはにわかには信じられなかったが、自分を包み込むツバキの腕の温かさを感じると、じわじわと実感が湧いてきた。
「私が・・・普通の女の子・・・」
ツバキを見上げると、ほっとしたのか堰を切ったように涙を流している。鼻水も、ちょっと出ている。
シェンはその顔を見て、声を上げて笑ってしまった。
「あはは・・・!ツバキ、私生きてる・・・!普通の女の子ですって!」
ツバキはずずっと鼻をすすり、シェンを抱きしめる力を強くすると、弾む声で嬉しそうに語りかける。
「たくさんお出かけしよう。街の女の子みたいに綺麗に着飾って・・・!」
「うん・・・!」
澄み渡る朝の空気。
友人達が見守る中、シェンとツバキは見つめあって笑顔を交わした。
空に小さな鳥の鳴き声が響き渡る。あの日シェンが命を助けた小鳥が、祝福するように旋回し囀った。
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太陽の輝く昼の青空の下、紅い髪をそよ風になびかせるツバキ。
閉じていた目をゆっくりと開ける。
世界で一番幸せな結婚式だったと、自分の事ながら思う。
命の尊さと、自分たちのために駆け回ってくれた友人達への感謝を忘れないと心に誓い、今日も変わらず時間どおりに色を変化させた空を見上げる。
「ツバキ!」
自分を呼ぶ声がして、振り返った。
ログハウスの扉から、年頃の女の子らしく着飾ったシェンが顔を出し手を振っている。
「お昼ご飯、できたわよー!」
ツバキは晴れ晴れとした表情で返事をした。
「あぁ!今行く!」
――俺は、シェンを想い生きていく。この先も変わらず、ずっと・・・。
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「ふわー!疲れたぁー・・・!!」
ケイトリンは工房に戻るなり、応接用のソファーにどさりと埋もれ横たわった。
「よく考えたら、私たち徹夜したのよね・・・」
それに、一日に丘まで二往復もしたせいで、脚もクタクタだ。
「お前な、ちゃんとベッドで寝ろよ」
ダニーが玄関で靴についた土を払っていると、ケイトリンはこちらを見向きもせず唸った。
「むぅーー・・・。うるさいわねー、あなたこそちゃんと休みなさいよ・・・ね・・・」
むにゃむにゃと小言をいうと、そのまま寝入ってしまう。
「はいはい。」
できるだけ静かにソファーへ近づいて屈むと、寝顔をまじまじと観察する。
長い睫毛。ふっくらとした桃のような頬。幼く見える少し低い鼻。そして、瑞々しい唇。一瞬、思い通りにしてしまいたい衝動に駆られたが、ぐっと踏みとどまった。
体の下に腕を差し入れると、よいしょと抱え上げ、寝室まで運ぶ。
起こさないようベッドに横たえ、靴を脱がせると、父親が幼子にそうするように、そっと布団を掛け頭を撫でてやった。
まだ耳に残っている子守唄を小さく口ずさむ。
――いとしき夢よ
明日をむかえに
かなしき夢よ
雨よ癒せよ――
「・・・ありがと・・・お兄ちゃん・・・」
微かに寝言が聞こえる。
ダニーは一瞬切なそうな表情をすると、寝室から出ていき、ドアを静かに閉めた。
(「アリステニアの子守唄」作詞作曲:水野晶 様
https://nana-music.com/sounds/03384950/)
(「いのちの歌」作詞作曲:水野晶様
https://nana-music.com/sounds/033f1698/)