13.運天士 ツバキ·シュトラーレ
「ユリ、来たよ」
「ツバキ様、おはようございます。さ、中へどうぞ。」
時間ぴったりに、ツバキがやってきた。いつも通り顔を隠しロングドレスに身を包んだリリーの招きに応じて、館へ足を踏み入れ、慣れた様子で応接の椅子に座る。
「・・・俺の方が年下なんだから、様付けと敬語はやめてくれって言ってるのに。」
「そうはいきません。貴方は鬼戸、私は法龍院。分を弁えなくては亡き母に叱られます。」
穏やかに答えながらリリーが並べるお茶と牡丹餅を前にして、表情に乏しいながらもほんの少し口角を上げ「ありがと」と声をかけると、ツバキは近況報告をした。
「ユリ、俺ね、好きな人ができたよ」
リリーはゆっくりと瞬きし答える。
「それはそれは・・・生憎私はその手の話は専門外ですので、助言らしい助言はできかねますが・・・良い跡継ぎに恵まれるといいですね」
「気が早いなユリは。・・・跡継ぎ、か・・・うん。いいやそんなの。別にほしくない・・・」
「・・・?」
あまり笑わないツバキだが、なぜか割と誰とでもすぐに仲良くなれるタイプで、よく自宅近くの丘で子どもたちと遊ぶ姿が見られる。時には根気よく気象のことを教えている時もある。リリーから見ても面倒見はいい方だと思うし、なんならよいパパになりそうなのに。
少し影のかかったような、寂しげな表情が、リリーの心に引っかかった。
「それで、どんな方なんですか?」
「うーん・・・歌がうまい」
答えながらもぐもぐと牡丹餅を頬張る。
「お歌?」
「いつかユリにも聴かせたいよ。いつか、があればだけどね。・・・ユリは、最近何か変わったこと、あった?」
ずずず、とお茶をすすり、リリーをちらっと見た。二つ目の牡丹餅に手を伸ばす。
「私は・・・そうですね。恋人が出来ました。」
「へぇー!」
口の端に餡子を付けたまま切れ長の目を少し見開く。普段はどこか大人びているのに、そうしていると歳相応の成人前の少年そのものだ。
「・・・じゃあ今、ユリは幸せ?」
「そうですねぇ。自分でもそう思います。」
しみじみと答えるリリーに、ツバキは小さく微笑んで、餡のついた指をぺろりと舐めた。
「・・・ならいいや。俺はそろそろ行くよ、仕事がある。あ。ユリ、」
席を立ち上がると、無表情だが人形のように綺麗な顔に餡子をつけたまま、すっとリリーを見据える。
何か大切なことを口にするのではないかと感じ、リリーは姿勢を正し畏まった。
「牡丹餅、5こ持ち帰りで。」
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「軸がブレてる!腰を落として腹に力を入れる!腕だけで斬ろうと思うな!」
「はい!」
「よーし残り50回だ!」
「はい!!」
ケイトリンの工房の前で、なぜかナユユがダニーのスパルタ指導を受けながらそこらへんに落ちていた木の棒を持って素振りに精を出している。
「・・・何してんの?」
ドアを開け、困り顔のケイトリンが出てきた。声が煩くて仕事が捗らない。
「邪念を振り払うには体を動かすのが一番。俺が鍛えてやろうと思ってな!」
「はい!!お願いします、ダニー先生!」
どうやらナユユには新しい先生が増えたらしい。
「・・・いいけど、変なこと教えないでよね?」
心配そうなケイトリンを、片手でしっしっと追い払うと、ダニーは鬼コーチの顔に戻った。
でもまぁ、なんだかんだ言って、難しい年頃の悩める男の子には、大人の男の人の言うことの方が素直に聞けるのかもしれない。ケイトリンは、少しダニーに任せてみようと思った。
「あっ・・・!」
ナユユの手が止まる。
「こらっ、休むな!ん・・・?」
ナユユの視線を追うと、こちらに向かって歩いてくるリリーがいた。
「ケイトリン、少し、いい?」
「あ、リリー!うん」
リリーはダニーと目が合うと、丁寧に会釈した。つられてダニーもぎこちなく会釈を返す。
「ダニー、この間話した友達の占い師、リリーよ。リリー、この人はウチで預かってる居候のダニー。」
「え!俺って居候なの!?」
ダニーが心外そうに声をあげる。
「そうでしょ?怪我が治ったらとっとと出てってもらうわよ」
「ひでェ・・・俺、お前のベッドで寝た仲なのに・・・」
「貸してあげただけでしょーが!介抱のために!!誤解を招く言い方はやめてよっ」
リリーは賑やかなやりとりを見てくすくすと、布で覆われた口元に手を当て笑った。
「事情はだいたい解ったわ。私は誤解しないけど、その子は、ね。」
言われてナユユを見ると、棒切れを手にしたまま、ケイトリンとダニーを交互に見比べた後、また真っ赤な顔で俯いてしまった。
「な、なゆくん!ちがうの!!!」
慌てふためくケイトリンを尻目に、リリーはナユユに近づき優しく声をかけた。
「・・・ナユユ、ここにいたのね。心配したわ。」
「あ・・・ご、ごめんなさいリリー先生。逃げたりしちゃって・・・」
「いいのよ。・・・貴方にはいずれ、何もかもを話すから。心の準備ができるまで、もう少し待っててね。」
リリーの微笑む目元を見て、ナユユは表情を明るくした。
「・・・はい!待ってます!!」
リリーとケイトリンが連れ立って工房に入る。ナユユは、閉まるドアをうれしそうな顔で見つめていた。
「・・・ほら、続きだ!サボんなよ。残り100回!」
「はい!!!」
リリー先生がなにか大切なことを話してくれるというのなら、何日だって、何年だって待ってやる!
表通りにナユユの元気いっぱいな返事が響く。
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リリーから今朝のツバキとのやりとりを一通り聞いたケイトリンは、眉間にシワを寄せて、むむむと唸る。
「ツバキくん・・・ツバキくんねぇ・・・」
「会ったことあるの?」
「ううん、ないよ。でも何だか、名前を聞いたことがあるような・・・」
ケイトリンの目の前の椅子に腰掛けるリリーの姿に、あの雨の日、この工房で同じ椅子に座っていたソフィアの姿が一瞬重なった。
「あ!!ソフィア!」
「ソフィアって?」
「うん、前に訪ねてきてくれたお客さんがね、確かツバキって名前の男の子と友達だって言ってた!」
「そう・・・!」
ケイトリンの答えに、リリーは安堵のため息をついた。
「会ったことがないなら好都合だわ。ケイトリン、もし良かったら、ツバキ様とその想い人の様子を見てきてくれないかしら?こっそりでいいのよ」
「どうして?」
「好きな人ができたと報告して下さったのに、あまり嬉しそうじゃなかったのが気になるの。カードからは良くない暗示が出たわ。・・・ああいう時のツバキ様は、私に心配を掛けないよう、隠し事を抱えていらっしゃる。それに」
リリーは聞き取れないほど小さな声で呟くように続けた。
「鬼戸家存亡の危機かもしれない・・・」
「え?なんて??」
「ううん、なんでもないわ。とにかく、採取のついででもいい、一度様子を見て報告してくれたら有難いの。私が行くとツバキ様に怪しまれてしまうから・・・」
「うん、それは構わないよ!」
真剣な様子のリリーの力になれるならと、ケイトリンは快諾した。
少し談笑を楽しんだ後、館へ戻るというリリーを見送りに再び表に出ると、腕立てをするナユユとそれを鋭い顔つきで見下ろすダニーがいた。
「まだやってんの・・・」
「ぼくはっ・・・り、りー先生をっ・・・まもれるくらいっ・・・つよくっ・・・なるんですっ・・・!」
面食らうケイトリンに、汗を滴らせたナユユは頼もしい顔つきで答えた。
「そうだ!それでこそ男だナユユ!」
初日から飛ばしすぎよ。ケイトリンは呆れて熱血男子二人から目をそらした。
「私はそろそろお暇しますわ。それではまた・・・」
「あっリリー先生待ってくださぁーい!」
あっさり腕立てを止め、リリーに追いつき並んだナユユは、振り返ってケイトリンとダニーに手を振って歩き出した。リリーもこちらへ会釈している。ダニーは急に特訓を切り上げたナユユを咎めることもなく、ニカッと笑い手を振り返している。
「わたしも少し出かけるわ。リリーに頼まれてね。お留守番よろしく」
「ん?どこ行くんだ?」
「えっとね、森を抜けた先の草原を超えたら丘を登って・・・」
リリーにもらったツバキの家までの手書きの地図を見ながら答える。これはなかなか遠そうだ。
「俺もついて行く」
「いやよ。別に危険なところじゃないから護衛はいらないし、第一、怪我人を連れて出かけられないわ。家で大人しくしてて。」
ケイトリンが眉をつり上げ講義するとダニーは手のひらをずいっとケイトリンの顔の前に突き出し静止してきた。
「断る。俺はリハビリがしてーんだ」
「リハビリって、あのねぇ」
「さぁ行くぞ!ついて来いケイトリン!」
「はぁーーー・・・ほんと、強引なんだから。」
スタスタと勝手に歩き出すダニーを慌てて追いかける。
「言っておくけど、あなたが私についてくるの!迷子になっても探さないからね!」
頬を膨らませながら眉間に皺を寄せ睨みつけるケイトリンの顔がおかしくて、ダニーはつい笑ってしまった。