1.恋愛調香師 ケイトリン・ベネット
高く住んだ青空に、カモメの声が響く。
かつて英雄として名を馳せた人物に、王国からの褒賞として授けられたこの地アリステニアは、正面に青々とした海を据え、背になだらかな山々を背負い、豊かな自然が生み出すエネルギーに満ちた土地。
交易の中継地として栄えているこの街では、この地の持つエネルギー『ギフト』によって研ぎ澄まされた身体能力を持つ人々が、一風変わった職業を生業とし、そしてそれを特別視したり偏見を持つ者がいないおおらかな社会で、思い思いに暮らしていた。
ここに、1人の女性がいる。
地味だが清潔感のあるドレスの袖をまくり、桜色の髪を無造作に結い上げたラフな姿で、ハーブや花々でいっぱいの籠を抱えて通りを歩く。
紅の瞳を眩しそうに細め、清々しく微笑んだ。
「今日もいいお天気ね!」
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「おはようケイトリン!日だまりのマフィンが焼き上がってるよ。」
「おはようミリアさん、2ついただくわ。今日は午後から友達が来るの。」
パン屋の女将はマフィンの上でぱちんと指を鳴らす。木漏れ日のように優しいイエローの光る粉が舞う。
「楽しい時間になるおまじない♪」
「わぁ、ありがとう!」
パン屋から品物を受け取ると、女性は再び籠を抱えて歩き出し、しばらくし自分の工房にたどり着くと「ケイトリンの香水工房」と書かれた扉を開けた。
籠からハーブを取り出して、種類ごとに分け新鮮なうちに蒸留する。指をぱちんと鳴らすと、キラキラと桜色の粉が舞い、蒸留水の中へ溶け込んだ。その様子を満足げに眺めながら、買ったばかりのマフィンを袋から取り出してひとかじり。
「あ。あとでリリーと食べるんだった・・・」
そのまま歯型のついたマフィンを紙袋に戻すと、何食わぬ顔で戸棚にしまった。
ケイトリン·ベネット。
アリステニアの恋愛調香師として親しまれている。
もともとただの調香師だった彼女は、普通の香水を調合したり、化粧品の香り付けをプロデュースして暮らしていた。
人の持つ体臭は時として、恋人を選ぶ時に重要な要素となりうる。
想像してみてほしい。外見も理想通り、性格も思いやりがあり、趣味も合い話が弾む。お互いを尊重し合うことができそうで、向こうもこちらに対して同じように感じているようだ。それなのに相手からなんだか嫌な香りがする。端的に臭いとかではなくて、なんだか生理的に合わない香りがする。
ずーーっと、する。寝ても覚めても、する。
きっとその恋は、残念だけど上手くいかないだろう。血が近いもの同士の繁殖を避けるために、本能的に嫌う体臭があるという。
ケイトリンは『ギフト』によって得た異常に研ぎ澄まされた嗅覚と調香のセンス、他人の恋愛の機微を読み取る勘の良さで、その人の体臭や生活臭をもとに、相性の良い人が引き寄せられる香りを調合することを、特に得意としていた。
そんな一人一人に向き合った、ケイトリンの『カウンセリング的調香』によって幸せを手に入れた人々から噂が広まり、いつしか恋愛調香師と呼ばれるようになった。
つい先日も、婚約者に逃げられヤケになっていた実業家のためにブレンドしたばかり。幸せそうに、美しい女性を伴って工房へ礼を言いに訪れた実業家は、目が飛び出るほど高級なボンボンショコラの、大きな箱詰めをプレゼントしてくれた。
それなりにしおらしくしていればケイトリンも年頃の、可憐な乙女に見えるのだが、自分の恋愛ごとには無頓着、色気より食い気な彼女は、宝石のようなボンボンショコラを4分で完食し客人を驚かせた。
ちょっと残念な女なのだ。