「全身全霊」
樟葉央の小学校ぐらいから今現在ぐらいまでの事。だと思う。
何かをされて嫌われて傷付くのが嫌だから、何に対しても興味がないフリをした。――そうしてれば俺は傷付かないと思っていた。
何かをされて怖がって、からかわれてそれが嫌で言葉から生まれた虚勢。「興味がない」って言えば、何もされないと思い込んで始まった。興味がないって言い続けていれば、ほとんどの事に興味がないようになってしまった。その頃にはもう遅かった。それを直す方法すらも分からない。きっと親には教わっていただろうけれど、『興味がない』で過ごして来た俺はそういった教えすらも『興味がない』と思いまともに聞いていないと思う。
興味がないと言いながら、誰かを求めているのも確かだった。『そのままのあなたが良い』と言ってくれるような人を求めているのも事実。けど、そんな人が居ないのも分かっていた。俺の美点と欠点を受け入れてくれる人なんてきっとどこにも居ない。欠点を補えるほど美点が優れている訳でもない。同じクラスの子が異性と恋愛関係になると執着するタイプだった。最初はそれを馬鹿だと思っていたのだが、俺には付き合っていた人が居て、別れてもそこまでの執着はなかったのだけど、『友達』という存在に執着していた。広く浅くといった付き合いは出来ない。四六時中一緒に居たいと思ってしまう。それはきっと自分が『寂しい』という感情があるからで、寂しいという感情がなければ四六時中一緒に居たいと思わないと思う。恋愛は別として。
俺が知っている限り、昔はまだ「明るい子」だったはず。その明るい子は自分の所為でもあるが、人が怖くなった。小学校一年の時に、当時三、四年の男子に帰り道に蹴られる事が多々あった。それが凄く痛くて怖くて、その男子と会うのが凄く嫌だった。極力避けても偶然会っては蹴られるのが毎回の事だった。小学校生活はいじめの的みたいなものだった。クラスで一人、丁度いい感じのからかう材料だった。そんな多分地獄ではないだろう地獄で小学校を過ごした。
その小学校で、頭の良い子が居た。『毎週木曜日はみんなで遊ぶ日』みたいな約束事があった。勿論放課後自分たちのグループ内での約束事だった。そのグループにお邪魔するような形で居れば、毎週木曜は確かにみんなで遊んだ。鬼ごっこやかくれんぼ……何をしたかまでは覚えていないが、そんなような遊びをしていた。そんなある日、その場に居た人達は18時半ぐらいまで居るとの事だった気がする。俺は18時には帰りたくてその頭が良い子の腕を軽く叩いた。そうすれば、誰にでも優しいと思い込んでいたその頭の良い子は自分の腕を埃を払うような動作をした。しかもそれを俺の目の前でやった。その時俺は凄く傷付いた。拒絶されたような感覚がした。そして二日間学校を休んだ。学校に行って、担任に学校が来るのが嫌だと言えばクラス会議が開かれた。誰が何を言っていたのかを紙に書いて担任に渡した。俺は何を言っていたり紙に書いたのかは分からない。そして、その頭の良い子に「樟葉さんの悪口言ってたからごめん」なんて謝られた。今更謝られても迷惑でしかない。その時に「何を言っていたんだ?」と聞けば、その頭の良い子は唖然としていた。「えっ」と言葉を詰まらせていた。だから、その先を聞かずに立ち去った。その後班分けの時にその頭の良い子と同じ班になる事が多かった。何かの罪滅ぼしのつもりなのか、そんなのただの迷惑でしかない。小学校はそんな感じだった。
中学校の事はあまり覚えていない。ほとんど記憶にない。それほど何もなかったんだと思う。ただ、『友達』っていうのは少なかった。
高校になって『友達』っていうのが一気に出来た。……気がしただけだった。部活に入って、周りは全員同性で、その学年だけでも10人は居た。だけど、高二の冬に色々問題が起きた。修学旅行。他人と三泊四日も過ごした所為で、俺の悪い部分が溢れた。きっかけはそうだっただろう。そしてどうでもいいうっぷんが溜まって、授業中にそれを全部吐き出した。聞いてる方も面倒だっただろう。しかも当人に聞こえる様に言った。結局俺も、そこら辺に転がってる腐ってる奴らと一緒だった。そこから互いに縁を切った。そしてその頃丁度、仲良くしていた人らは俺との距離を置いていくのが分かった。知られてると思ってしているのか、知られてないと思ってしているのかどちらにしてもくだらないと思った。馬鹿の集まりだから馬鹿な事しか出来ないと思った。そして、実際離れて行った。その事実だけが凄く悲しかった。人なんてどうでもよくて、ただ、今まで仲良くしていたのに離れて行ったという事実だけが、悲しく寂しかった。なら、初めから仲良くなんてして欲しくなかった。それでも学校に行っていたのはただ皆勤賞を取るためだけだった。
高三で周りに居る人ががらりと変わった。最初は楽しかったが、それも段々疲れて来た。その人が嫌だと言うより、人間関係に疲れを見せた。……大体の理由は同じクラスのうつ病患者の所為にさせて欲しい。特に俺に害はなかったが、ソイツの面倒を担任から半ば強制的に任された。嫌々やっていた。ただのポイント稼ぎでしかなかった。だからソイツが「死にたい」って言えば、心底「死ねばいいだろ」と思っていた。無慈悲というならそれでも構わない。けれど、他人に興味を持てる程俺自身は安定していなかった。
ソイツが中退して、周りの進路も決まって残りを過ごすだけの時期の頃、唯一仲良くしてくれている『友達』が居た。仮にAにしておこう。最初は誰にでも優しくて明るい子という印象だった。けれど、一緒に居る時間が増える度に『優しくて明るい子』という印象はなくなっていった。どうしてそんなに冷たいのだろう、そう思う事が多々あった。そして、俺は高校を卒業して自分が何もしてこなかった事に気が付いた。ただ、やったのは皆勤。5人もできる事だった。
卒業して、大学に行ってからは何もやる気が起きなくなった。何をしたって何にもならない。好きなものを共有しようと思ったら全て塗り替えられたような気さえした。絵を描いたって、俺が二三年かけて今の絵柄に辿り着いたのを、Aはものの一か月ほどでその絵柄に辿り着いた。その事実だけが無性にやる気を失くさせた原因の一つだった。ある大きな店にAと行った時に、置いてあるキーボードで即興で次々と曲を弾いていくのを見た。しかも俺の好きな曲ばかりだった。嫌がらせかよ、と内心毒づいた。高校の頃、Aの周りには常に人が居た。それをAは俺に向かって「いつも人が集まる」と言った。『友達』が少ない俺を馬鹿にしてるように感じた。最初はそれでも一緒に居た。昔からそこで悪態をつくから人が離れていくのは知っていたから、少し我慢した。だけど、Aから距離を置かれているのは気付いていたから我慢するのがしんどくなって、Aとの距離を置いた。そして、夏休みという期間をずっとバイトで過ごした。そのバイト中ずっと考えている事は自分が惨めで、何の役にも立たなくて、生きてても意味がないんじゃないかという事ばかり考えていた。