アッシャーの電算機
気が狂いそうだ。計算式はどうなった、わからない。理解できないんだ、助けてくれ。知識に埋もれても苦しむだけなのに、それでも人は知識を求めてとまらない。
一つの物体を計算しよう。それには形があって、色があって、後なんだろう。エックスを形として、ゼットを色として、後はプラスアルファとする。何故、形は形として、色は色として存在できないのか。単体ではなく、くっついたものとしてしか存在できないのは。
物質=X+Z+a
完全な個として存在できないのは、例えば形を対象として、どういうことだろうか。そういうのは非常に不可思議かもしれない、色が無く形のみの単体というのは、だとしてもそれが無いと言い切れるのか、ある意味考える順番がおかしいといわれるだろう。
どのように認識されるのだろうか、色が無くて形しかないというのは、想像が簡単につくものではない。それでは認識できないかもしれない、形のみということは透明なのだろうか、だとしたら形すら認識できないではないか。
同じように考えられる、色で考える場合も、形が無いということだ、色のみとして考えるのだから。どのように認識していいかわからない、色の境界線がないのだ、形が無いと言う事は。
存在していても理解できないのだろう、単体で存在していたとしても。何処までも追いかけるしかないのだ、わかっていたとしても。
首を絞める閉める締める、知識の帯で何重にも、苦しんでも苦しんでも、更なる首輪を求めて、人は知識に飼われている。更なる首輪をえさに飼われているんだ。
電算機は電算機としての仕事しか出来ない。どこまでも、計算して演算して比較して代入して答えを出す事が意味であり価値であり存在意義だ。
「ねぇ、生きてるっていったい何かな」