新規開拓
「うっわぁ……これはひどい」
つい仕事にかまけて美容院に行くのを先延ばしにしていた結果が鏡の中でしかめっ面をしている。
これ切ったの確か先月頭だったっけ。
先月、どうにもこうにも今まで通っていたサロンには行き辛くなってしまったから、ちょうどいい機会だとお店を新規開拓して、これまた髪の伸びるスピードが落ちたんじゃないかと無駄な期待をし(大抵新しいお店をチャレンジするときにはこうした期待を抱かざるを得ない)試しに、肩につくかつかないか、くらいに髪を切ってみて様子見をしようとした私がバカだった。
もうちょっと短めにしてもらえばよかったなぁ、と鏡を見ながらため息をつく。つんっと前髪をひっぱるとそれだけで数ミリ伸びてそうで慌てて指先で髪を散らす。
行きつけの美容院では常連さんになってしまった私に対する扱いがどうも悪い。まぁフレンドリーと言えばフレンドリーなので行くときに緊張することもないからいいんだけれど、親しくなれば口も滑りやすくなる。主に遠慮のない方向で。
「そういや美和さん髪伸びるの結構早いよねー」
「うーん、そうかなあ」
「早いですってー、ほら駅向こうの美容院なんですけど、あそこ行ったことありません?」
鏡越しに、私の頭上からにやりと笑って視線をよこす。
「すっごい伸びるの早いお客さんがいるって有名」
あそこ、自分の友達働いてるんスよねー、とブローしながら視線を向けてくる。
普段よく行く美容院を数か所キープしている私は、これをローテーションしながら同じお店に連続で行かないようにしている。だって、ほらこんな風に、絶対に言われるんだ。髪が伸びるの早いですね、一か月何センチくらい伸びるんですか、手入れが、ドライヤーが、トリートメントが、いろいろ言ってくるけれど、最終的には「ほんと早いですよね」これに尽きる。
なんなんだろうあれ。美容院ネットワークとかあんのか。美容師LINEとかか。
他人と大きく違う、ということは現代日本ではマイナスでしかないのだよ。
いいじゃん。足しげく通ったって。どのお店に行ったって大人しくしてるのに。売り上げにだって貢献してるじゃん。2週間に1回の頻度で通って、サロンのシャンプーとリンスを購入しちゃうような高額顧客なんて、そんなにはいないと思うよ。
ああなのに、どこに行っても興味本位でいろいろ言われて、小学校時代の傷を容赦なく抉ってくるから嫌いだ。そして大抵言ってくるセリフが「髪の伸びるの早い子はエッチとか言われません?」だったりするから頭が痛くなる。
「けどまぁ、行かなきゃだめか……」
鏡を見て、はぁ、とため息をついた。これ以上伸びると今度は職場で言われる。ちょっとみっともないんじゃない?-からの、「あらっ山下さん、髪……」のパターンだ。これもまた面倒くさい結果になるから勘弁してほしい。
ああああああ、と我ながら地を這うよううめき声をあげて、スマホを取り出し、予約できそうなサロンを探した。
新規開拓にも精神的に疲れてて、今までに行ったことのあるところで一番早く予約の取れるところ、と探すと一か所しかなかった。
「すっごい伸びるの早いお客さんがいるって有名」になってしまっている、「駅むこうの」美容院だ。
ここの美容師さん、いい人だったんだけどなぁ、と予約の電話を入れてちょっとため息をつく。
ぜひお待ちしてます、とスマホ越しの声は誠実そうで、優しそうで、実際の彼も本当に丁寧に毎回髪を切ってくれる人だった。一か月半程度の間隔でコンスタントに通う私に手入れのアドバイスまでしてくれる人だった。まぁ向こうもそれが仕事だからそんなの当たり前のことなんだけど、多少髪が傷んだってすぐにその箇所は切ることになるし、ある意味手入れもくそもない私が、ちょっとはきれいに伸ばしてみるか、と思う程度には。優しく触れてくれる人だったのに。
噂話回すような人には見えなかったんだけど、ここも変え時なのかもしれない。
よし、いくか、と気合いをいれる。全面ガラスのおっしゃれーなサロンの前で深呼吸を一度。予約時間の5分前。受付前に立ってるのは、もしかしたら私待ちなんだろうか。
一瞬目があって、向こうの口元が笑顔寸前に緩むのを確かに見た、と思った。
まばたきを1回。
目の前は自動ドアじゃなくて、ログハウス風の建物で、品の良さそうな男の人がいて、
あれ?
ここ、どこだ。