苦髪
初投稿です
……えー、苦髪楽爪、といいましてー……
真っ白な世界で目を焼きながら私は、ふとそんな言葉を思い出していた。なんだっけ。いつ聞いたんだっけ。苦髪楽爪。くがみ、らくつめ。
……というわけで、人間苦しい時には髪が伸びるのが早く、楽をしているときには爪が伸びるのが早いという意味の四字熟語であります……
そうだったそうだった。小学校の校長先生が言ったんだっけ。
どうも私は人よりも髪の伸びるのが早い。
いっそのことショートに、と毎回美容院に行くたびにかなり短くするというのに一か月も維持できないこの髪の伸びるスピードは、自分の稼いだお金で美容院に頻繁に行くようになるまでは他人から、異常だと言われ続けてきた。
異常、ならまだよかった。
男子も女子も二次性徴が始まってくると体つきも変わってくるもので、そのころから途端にスピードアップし始めた私の髪の毛の伸びる早さに対する不信感は、「おう、あいつ髪伸びんの早くね?」から始まって、「すっげーはええな」「髪が伸びるの早いってエッチっていうしな」「アイツいやらしいらしいぞ」と見事に性的なからかいに発展してしまった。
私の髪の伸びるスピードよりも速く、「山下美和はいやらしい」と、全くの無実にもかかわらず断定されてしまう始末だった。
まったくもって男女関係の意識もない小学校時代、思えば初恋だって中学にはいってからだった私に、そんな恥ずかしい噂を否定する勇気もなくて、ただ「そんなことないもん」とぐずぐずと泣くことしかできなかった。
泣く私を取り囲んで男子はここぞとばかりに私の身体を触ってきたし、女子は、山下さんってエッチな子、と軽蔑の視線を隠そうともしなかった。
地獄かと思った。
そんな毎日はあっけなく終息を迎える。
子供のことだし、と静観していた学校側が重い腰を上げたのは別の小学校でやっぱり性的なからかいをされていた女の子が精神的に参ってしまって、言われたことされたこと、見て見ぬふりをしてきた学校側の対応を医療機関を通じてすべて公にしたのだという。
慌てた学校サイドが足元を見直して、苦しんでいる私の現状に遅まきながら気付いた、というわけだった。
ここまでひどいとは思わなかったので、とは後から聞かされた学校側の謝罪だった。
苦髪楽爪。
髪が伸びるのはいやらしいからでもなんでもなくて苦労しているからだ、苦しんでいるからだ。
ならば苦しめているのは一体誰だろうか。
先生たちは全部把握しています。もちろん誰にも言いませんが。書類には残りますよ当然ですけどね。
将来あるあなたたちのためにねぇ、受験とか、と小声で追加した校長先生の脅しともとられかねない言葉は教育者として果たして正しかったのか正しくなかったのかはわからないけれど、中学受験に響きかねない素行の悪さ、と言外に滲ませた校長の言葉に一気に青ざめたクラスメートたちはそれ以後私の髪のことを口にすることはなかった。
で。
なんでこんなことを思い出したのかっていうと。
本当に髪の伸びるのが早くて辟易した私が、美容院なんて存在しない世界でどうしようもなくなって、借りたナイフで髪をざっくりと切った瞬間に真っ白な光に包まれたからで、ありました。