戦闘の流儀
もうもうと砂埃が上がった。視界が遮られ、極度の緊張状態にある四人が悪態を吐いた。全員、既に肩で息をしている。ユアンが素早く砂塵を払うが、同時にアゼナが驚いた叫びを上げた。はっとして振り返ると、機巧兵の脚の一本がアゼナの眼前に迫っていた。
「アゼっ――!」
ユアンの叫びが機巧兵の重低音の鳴き声と重なり、アゼナは有り得ない程軽やかに宙返りして危機を脱し、同時に叫んだ。
「アレン、前!」
アレンは考えずに後ろに跳び退り、手に持つ剣を一閃させた。武器庫で選んだ長剣で、がっしりとしていて重いが、早くも手に馴染みつつある。金属音がして、伸ばされつつあった機巧兵の脚の先端が地面に落ちた。
今対峙している機巧兵は脚を複数本持っており、どこが本体なのかも把握しかねる見た目だ。埒が明かないので、アレンは一旦後ろに下がった。察してユアンが前に出た。ユアンが派手に攻撃を掛けて相手の調子を狂わせるはず――だったが。
アゼナが下がらなかったためにユアンは二の足を踏み、アレンは舌打ちを漏らした。
(こういう場合の打ち合わせしてねーっ)
まず、打ち合わせの存在すら怪しいのだが。
黝い機巧兵の脚がアゼナを突き飛ばした。少なくともそう見えたのでアレンもユアンも焦ったのだが、アゼナは難なく避けていた。
アゼナが空中で、有り得ない動きで宙を蹴って更に跳ねた。追うように伸ばされた脚を避け、小太刀を真上から振り下ろす。落下中である、重力の助けを得て打撃はかなり重いはずだったが、それでも考えられない程の重い音と共に脚が斬られて落下した。地響きと共に、斬られた脚が一度跳ねた。
「アレン、斬り込め」
ユアンの声が届いた。
アレンは剣を構え直し、真っ直ぐに機巧兵に駆け寄った。背後で詠唱が聞こえる。
「*【対象を選択】*【対象を保護】*」
脚を何本か、力任せに刺し貫き、とにかく中心部を目指す。ユアンが中心部を探ろうとしているのが分かった。
脚が蠢いて、きいきいと金属の軋る音をさせた。
「邪魔だ!」
叫んでアレンは、両手で保持した剣で薙いだ。本来、機巧兵の表皮はそれほど柔らかくないのだが、ユアンがレイファでのときと同様、剣に強化の詠唱を仕込んでおいてくれた。剣の元の切れ味も鋭いので、面白いように斬れるが、この詠唱はユアンの体力を呑蝕している。
視界には最早、機巧兵の脚しか映っていなかった。
脚を踏みつけにして中心部へ向かう。機巧兵はアレンを敵と認識しているようで、重低音の鳴き声は不協和音の混じる耳障りなものとなっていた。
脚を一本駆け登ると、いきなり視界が開けた。機巧兵の大部分を見下ろす格好になる。しかし勿論、機巧兵は見晴らしを提供するために脚を上げたわけではない。
機巧兵がその脚を振り下ろす寸前、アレンは軽やかに跳んで、前方の別の脚に器用に着地した。機巧兵の図体が大きいとはいえ、脚の一本は丸太程度の太さである。離れていたアゼナが感心の色を浮かべるのが見えた。
機巧兵が唸り声を上げて、その中心部を上昇させた。迫り出すように見えたのは、球体のように見受けられ、アレンにしてみれば捜す手間が省けたのだが、喜んでもいられなかった。
「やばいっ!」
機巧兵のその、頭部とでも言うべき部分に穴が開きつつある。
アレンはアゼナに手を振って合図した。
「下がれ!」
機巧兵が火を噴いた。
アレンの目の前で、先程のラデルの詠唱が陣となって顕現し、熱を防いだ。
アゼナが、心の底から驚いた声を上げたのが聞こえたが、アレンも同感だった。
レイファに出た機巧兵は確か、空気を圧縮して撃ち出す、というようなことをやっていたはずだ。
個体によって違うのか? アレンは背筋に汗を感じた。それとも――こいつもあれを持っていて、たまたま今は火炎を使っただけだとか?
「まあ火なら」
アレンは脚を再び前進し始めた。
「見える分だけありがたいっ」
機巧兵が、今度ははっきりとアレンに照準を合わせた。アレンは全力疾走に移った。
もう一度、機巧兵が火を噴いた。アレンは大きく横に跳び退って避け、疾駆し、その勢いで頭部に飛び移った。
機巧兵が唸り声を上げて激しく上下し、脚がうねった。アゼナが一瞬均衡を崩しかけたが持ち直し、ユアンが圧迫のための呪文を発動させた。
アレンは球体という形状に苦労しつつしがみ付き、何とか両足のみで身体を固定出来ないものかと思案した。と、いきなり両足が機巧兵に固定された。
「ありがと、ユアン!」
取り敢えず叫んでおいて、アレンは両手で剣を逆手に構えた。
一撃目が甲高い音を立てて弾かれた。脚に比べてやはり硬い。機巧兵は左右上下に不規則に身を捩り、しかし構わずにアレンは二撃目を叩き込んだ。がこ、という音がして機巧兵の表面に傷がついた。
初めて機巧兵を見たときのユアンの言葉を思い出す。あの核がこの機巧兵にもあるはずだった。
「手伝うっ!」
明るい声がすると同時に手元に影が差した。見上げるといつの間に追い着いたのか、アゼナが球体の上で均衡を保ちながら立っている。
「おう、ありが――」
答えようとしたところで、機巧兵がでたらめな方向に火を噴いたので、危うく舌を噛み掛けた。
アゼナは大上段に剣を構え、大真面目に言った。
「アレン、仰け反った方がいいと思う!」
「え、まじ……?」
アレンが仰け反ると同時に、アゼナが剣を振り下ろした。がこん、と、女性が振るう剣としては有り得ない程重い音がして、機巧兵の表面に大きくへこみが出来た。機巧兵の表面で光る濃銀の刻印が傷付いた。
「もう一回!」
アゼナは宣言し更に剣を叩き込んだ。がんっ、と音がした直後、機巧兵がはっきりと発声した。
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言語、のようだった。聞いたことのない、これまで出遭ったどの機巧兵にもなかったことだ。同時にアゼナが動きを止める。
「どうした?」
アレンが声を掛けると、アゼナは眉間に皺を寄せる。
「なんか、変」
そして、試すようにもう一度剣を振るったが、先程とは違って軽い音がした。
「アレン、一旦離れるっ」
「おい!」
アレンは叫んだものの、異論があったわけではない。大丈夫かと気になったのである。アゼナが一目散に走り去るのを見届けると、向き直って剣を打ち下ろした。がんっ、がんっ、とその度に音がして機巧兵が暴れる。ユアンの圧迫の呪文が破れ、術師の受けた打撃が伝わり、アレンの脚の固定が緩んだ。それでもユアンは、刀身の強化は守ってくれたらしい。
アレンは球体を這い登ると、さっきまでアゼナがいた位置で両膝を突き、踏ん張った。なおも同じ場所へ打突を繰り返す。機巧兵が大きく身を捩った。
アレンは堪らず投げ出されたが、相手の脚の多さが幸いして、その中の一本に背中で着地することとなった。慌てて身を起こし、後退ったのは、機巧兵が球体の下に脚を収納するための殻のようなものを持っているのが分かり、あろうことかそこに、アレンの乗った脚を仕舞おうとしているからだった。
圧死か窒息死は確実。
アレンはもがくようにして立ち上がり、球体を見上げた。飛び移るしかないのだが、殆ど絶望的である。
(どうしよう……)
「アレン、斬るよ!」
アゼナの声がした。くるりと振り返って見ると、アゼナが十歩ほど離れた位置でこちらを見ていた。
「はあっ?」
訊き返すと、それが了承に聞こえたのか、アゼナは思い切り足場を蹴った。ぽーん、と軽い動きで、アゼナの身体が頭上にきた。
有り得ない飛距離だった。
アゼナは空中で体勢を整え、剣を振り被り、アレンと機巧兵本体との間に振り下ろした。殆ど無音で、すっぱりと脚が切断される。落下する脚の上で体勢を崩すアレンに、未だ空中のアゼナが手を伸べた。アレンは躊躇うことなく握った。
アゼナは何もない宙を蹴って、跳ねると同時に身を捩り、アレンの手を放した。アレンは文字通り吹っ飛んで、あわや機巧兵を飛び越えるところだったが、すかさず伸ばした手を球体に引っ掛けるようにして留まり、元の体勢で着地した。
間を置くことなく一撃。へこみは傷と化した。
「大丈夫なのか?」
もう一撃を加えながらアレンは叫び、アゼナも傍の脚の上で叫び返した。
「変になるの、その頭の傍だけみたーい!」
更に一撃。機巧兵は辺り構わず火炎を放射し、身を捩ろうとしたが、ラデルとユアンがそれを留めた。さっきしとけよ! とアレンは内心で絶叫した。
一撃。とうとう穴が開いた。アレンはがんがんと剣を打ち付け、穴を拡大する。息を止め、中に頭を突っ込んだ。
一瞬、妙だな、と思った。これまでも最終的には同じ方法で機巧兵を始末してきたのだが、この機巧兵は――
(中が明るい……?)
球体の中は予想外にほんのりと明るく、しかし予想したように、中に脈打つモノがある。
これは心臓なのかもしれなかったが、そう言ってしまうと機巧兵が生き物であると言ってしまっているような気がして嫌だった。
アレンは上半身を中に入れた。機巧兵が激しく揺れ、歯を食いしばる。
(届けっ……!)
がたがたと機巧兵が揺れ、アレンはぶら下がった状態で揺さぶられた。右腕が穴の縁に押し当たって痛みが走り、ああ切れたな、と思う。穴の縁は鋭利だった。
力を込めて剣を押し出した。
脈打つもう一つの球体が刺され、断末魔のような悲鳴が上がった。アレンは素早く穴の外に出て、深呼吸と同時に球体から離れるべく近くの脚に飛び移った。
球体が力を失ったように沈み込み、釣られるように無数の脚が波打ちながら倒れ伏していく。アレンが一瞬立ち止まったのは、アゼナの無事を確認するためだが、彼女はすいすいと離脱して行っていた。
どう、と機巧兵が倒れ、砂埃を立ち上げる。盛大に咳込む三人の魔術師の元に、砂埃を被った二人が飛び出してきた。
出発してから半日。首都のすぐ傍の街道沿いでのことだった。
「問題は――」
強化の詠唱を切った剣をユアンから受け取りながら、アレンはむっつりとして言った。
「俺とユアンで機巧兵に対処したときと、大変さが変わってないってことだ」
「時間もな」
ユアンが無愛想に付け加えた。
ヴェルガードがアレンの右腕を取り、小声で詠唱を開始した。
「*【対象を選択】*【対象の破損を確認】*【対象を破損部分に限定】*【消毒】*【対象を圧迫――指定‐手指での圧と同等】*【毛細血管の修復】*」
緩やかに血が止まった。
「*【対象を走査】*【表皮を修復】*」
傷が塞がった。アレンは礼を言う。
「あたしは頑張ったけどなー」
アゼナが言ったが、他を責めるとか、責任転嫁をするとか、そういった響きではない。むしろ話し合いの口火を切ろうとしたようだった。
「そう、全員頑張ってたんだよ」
アレンは言って、苦い顔をした。
「技術も十分。足りなかったのは事前の相談」
「そういうことだよな」
ユアンも言って、後悔したように首を垂れた。
「俺とアレンの間じゃ、特に必要性を感じなかったんでうっかりしてた。すまん」
ヴェルガードがユアンに向き直り、詠唱を開始した。
「*【対象を確認】*【対象を走査】*【魔術性疲労の回復――指定‐筋肉疲労を優先】*」
アレンは、ユアンが息を吐くのが分かった。
「お二人、幼馴染なんでしょ? 仕方ない仕方ない」
アゼナが言い、ラデルが考え考え、呟くように言った。
「アレンもアゼナも、ほぼ前振りなしに動くから、防御が間に合わない」
「役割を整理しよう」
アレンが言って、アゼナと自分を差した。
「この二人は接近戦だ。で」
ユアンを示す。
「こいつは遠距離での援護」
ラデルを示して、
「防御してくれて」
ヴェルガードを見る。
「ヴェルガードさんは回復色だけど、馬のパニック宥めながら出来れば戦況も見て警告とかしてくれないかな?」
「分かった」
ユアンがアゼナを見た。
「アゼナはぽんぽん跳んでたから、俊敏さではアレンの上だ。――最後、何で一回離脱した?」
「あれね」
アゼナは少し顔を顰めた。
「何か、いきなりおかしくなったの」
「魔力操作か……。機巧兵が出来るとはな」
ラデルが首を振り、ユアンが忌々しげに応じた。
「まあ、あいつらが機巧人と同じ性質なら考えられることではあるな。魔力は機巧人の十八番だ」
ラデルは、それもそうかと頷き、アゼナがきょとんとするのを見て声を大きくした。
「きみ、意識せずにやってるのか?」
「何を?」
アゼナの無邪気な問いに、ラデルとユアンががっくりと項垂れ、ヴェルガードが喉の奥で笑った。
「きみ……、動くときも攻撃するときも、魔力使ってたよな? だからこそのあの動きだよな? それを、機巧兵が魔力を遮断したから、腕力のみになったんだよ」
ラデルが脱力しつつも説明し、アレンが真顔で言った。
「良かったー。腕力で女の子に負けてるのかと思った」
ユアンが冷めた目でアレンを一瞥した。
「地の体力だけで機巧兵と拮抗してるおまえが化け物なんだよ」
「ということは、止めはアレンの担当か」
ヴェルガードが言い、アゼナが元気よく頷いた。
「みたいだね。さっきが機巧兵とまともに戦ったの、初めてだったから緊張したけど、次は大丈夫だと思うよ。とにかくアレンを真ん中まで通すようにすればいいんでしょ?」
「そういうことだ。頼む」
アレンが続けた。
「あと、ユアンの攻撃の間合いだ。俺もアゼナも下がらなきゃ意味がない」
アゼナが難しい顔をした。
「でもねえ、そんな、一朝一夕で気心が知れるわけでもないでしょ。――あたし、耳はかなりいいよ」
ユアンが頷いた。
「分かった、音で合図する。――音の種類も決めておこうか」
アゼナがうんうんと頷いて身を乗り出した。
「派手にやるから下がれ、がこれで」
りーん、と、澄んだ高い音が響いた。
「下がらなくてもいい程度がこれ」
しゃんしゃん、と、鈴のような可憐な音がした。
「目くらましとかはないの?」
アゼナがはしゃいだ声で言い、ユアンも合わせて笑った。
「決めようか。じゃあ、目を閉じろは――」
どん、と、低い音がした。続いて、今までで最も高い単音が空気を震わせる。
「これが、耳を塞げ」
「分かった、いいねぇ」
アゼナは言って、耳に手を当てた。
「ちゃんと聴いてるから、じゃんじゃんやって」
ユアンは「おう」と頷き、ラデルを見た。
「問題は防御の方か……」
「防御の詠唱は体力を使うから、発動させっ放しは無理だ」
ラデルは断固として言った。
「戦場が最初から分かっていれば、そこに防御陣を設けられるが、あんなにいきなり出て来られては不可能事だろうな。――可能性としては」
ラデルは各々を示した。
「身に着けてるものに魔法陣を入れる方法。ただしこれは予め設定された打撃にしか反応しない、いわば反射だから、その時々で僕も防御を詠唱していく。ただまあ、無茶な突進をするときは合図してくれるとありがたい」
それと、とユアンとヴェルガードに向き直る。
「アレンの剣の強化は三人でやろう。誰かが術を解かざるを得なくなった場合のことも考えておくべきだ」
「分かった。術は、俺は詠唱で【硬さ】と【鋭さ】を詠ってる。できれば同じが望ましいんだが……」
「そりゃそうだろうね。了解だ」
ヴェルガードが全体に向き直った。
「俺は全体を見るが、機巧兵を抑えるのもやろうか。二人が一手にやるのは無理があっただろう」
「頼めます?」
アレンとアゼナも額を突き合わせていた。
「さっきみたいに助けてあげることも考えると、近くにいた方がいい?」
「いや、それよりも機巧兵の注意が一点集中することの方が面倒だ。速いんだから、危ないと思ったらさっと来てくれ」
「それだとあたしが助けて貰えないよね」
「……おいユアンにラデル」
アレンは二人を振り返った。
「いざという時はアゼナを助けてくれ」
「先程の動きから察するに、『いざという時』の発生がものすごく疑わしいからいいけど」
ユアンはアレンの肩を掴んだ。
「おまえ、最後に離脱する時、アゼナを気遣って一瞬止まっただろう。そういう細々した注意はヴェルガードさんが払うから、これからは取り敢えず抜け出すことに集中しろ。それにあの場合危ないのは、アゼナよりおまえだ」
「……はい」
アレンは深く頷いて反省を示した。
「防御の術を掛ける上でも気にしたいんだけど」
ラデルが言って眉間に皺を寄せた。
「アゼナの強みは俊敏さと思っていいか?」
「いいよ」
アゼナが自己申告し、ラデルはアレンに向き直った。
「アレンの強みは」
「全体だろう」
ユアンがさっさと言ってしまった。
「俊敏さではアゼナに劣るけれども平均以上。腕力も技量も十分。見てて分かったと思うけれども」
「よせユアン、照れるだろう」
アレンは言ったが、ユアンに一瞥されて黙った。
「ただ猪突猛進っぷりがすごいからな。ついでに痛いのを我慢するのも大概にしないと、いつか失血死するぞ」
「いやだって……」
アレンはしどろもどろになる。しかしラデルまでもが深刻そうに右腕を見るので、微妙な声を出した。
「あ……はぁ」
「じゃあそういうことで」
ヴェルガードがまとめた。そして太陽の位置を確認する。
「そろそろ進もう。俺たちはどうでもいいが、ご婦人には野宿はきついだろう」
「ご婦人」アゼナが挙手して元気に賛成した。
「そうしようーっ!」