筆写士引退、囚人特赦
書庫はラデルの離宮から王宮の反対側にあり、歩くとなるとかなり遠い。がっくりと項垂れたラデルを連れてアレンは意気揚々と歩を進める。他の場合であれば、ラデルもその様子に好印象を持ったかも知れない。
書庫はおよその形は立方体で、書物の保存の関係から明り取りさえ最低限にしか設けられていない。大きさは、王宮には及ばないもののかなりのものだ。
中に入った二人は、すぐに待っていたユアンに迎えられた。
「アレン、こっちだ。――あ、きみが同行者? よろしく」
もはや言い返す気力もないラデルだった。しかしユアンが地下へ足を向けたのには思わず言っていた。
「え? 地下?」
「ああ」
ユアンは言って、嬉しそうににっこりした。
「アレンの連れだって言ったら、入れた」
「僕も一回しか入ったことがないのに……」
衝撃も露わにラデルは呟いた。
地下へは奥の階段を使うが、階段脇には見張りが置かれており、下にどれだけ貴重な書物があるかが分かる。見張りはユアンの顔は見分けて通したが、他の二人は止められる。
「俺、ユアンの連れで、アレン」
アレンが名乗ると通し、
「ラガーザ伯爵家の者だ」
ラデルが言い、貴族が全員王宮内での携帯を義務付けられる家紋入りの首飾りを示すと通された。
ラデルは後でこそっとユアンに、「あのユアン?」と尋ねていた。機巧兵の討伐云々の前に、ユアンは既に有名人だった。
地下に入るとユアンが二人を先導して更に奥へと導いた。
(閲覧域から出るのか?)
ラデルが思っていると本当にそうで、ユアンは筆者士たちの勤務部屋に向かっていた。
「筆者士?」
ラデルが語尾を上げると、ユアンは頷く。
「そうそう」
言って、部屋の扉を開ける。
「ヴェルガードさん? アレン連れて来ました。そっち説得できました?」
中から、低い男の声がした。
「いや……まだだ」
アレンは中を覗き込んだ。
所狭しと並べられた机の列に、きちんと角を揃えて置かれた革で装丁された本や羊皮紙の束が置かれている。数人の男女がそこにいて、一人は立ってこちらを向いており、これが「ヴェルガードさん」なのだろうと見当がついた。そして彼が先程まで話していたらしき人物は、敵意剥き出しでアレンとユアンを見ていた(ラデルは引っ込んでいた)。
ヴェルガードは筆者士の制服なのだろう、白い、筒袖の長衣を身に着けており、それが致命的に似合っていなかった。黒い髪は額髪が長く顔に掛かっており、無精ひげも見て取れる。歳は三十路に近い。アレンは正直、お近づきになりたくないと思ったが、ユアンと交わす視線には既に、一種の連帯感、信頼が通っていた。
彼は一旦目の前の人物に声を掛けてから、三人の方へゆったりと近付いてきた。
「ユアン、もう俺には説得できそうにない……頼めるだろうか」
「アレンが何とかしてくれますよ。なっ?」
「俺?」
アレンは素っ頓狂な声を出し、ユアンが早口で説明した。
「こちらヴェルガードさん。是非とも俺たちと一緒に来たいと言ってくれているんだが、障害が二つある。一つ目は、筆者士として優秀すぎるせいでここが手放してくれないこと。アレン、何とかして来い」
ラデルが思わず呟いた。
「物好きな」
ヴェルガードは真顔で答えた。
「だって、万術の柱が見られるんだろう?」
「え、ほんとに?」
一瞬研究者としての自分になりそうになったラデルだったが、はっと我に返った。
「いやいやいや……」
ヴェルガードは思慮深げに言った。
「見られたらそれに勝ることはないんだが、個人的には機巧兵がどうやって動いているかの方にも興味があるし」
アレンは何躊躇うことなく部屋の中に踏み込んでいた。
「えっと、責任者の方?」
敵意丸出し男が立ち上がった。
「私ですが」
アレンは頭を下げた。
「陛下の勅令です。譲ってください」
「勅令……?」
男は呟きで反復してから目を瞠った。
「きみ……あのアレンかね?」
「そうです」
「なぜそう言わない?」
男に訊かれ、アレンはユアンを振り返った。
「そこ抜かして話したのか?」
ユアンは首を振る。
「いや? ヴェルガードさんにはちゃんと説明した……って、ヴェルガードさん? 言ってなかったんですか?」
ヴェルガードは首を傾げた。その拍子に、綺麗な灰緑の目が覗いた。
「きみたちがそんなに有名だとは知らなくて」
誰よりもラデルががっくりした。
「で? もう一つの問題は?」
一つ目が片付いたのでアレンが尋ねると、ユアンがものすごく申し訳なさそうに言った。
「もう一人、女の子を連れて行きたいんだと」
「へえ。女の子」
「ただその子……」
「なんだよ」
「あいにく服役中で」
とうとうラデルが宣言した。
「帰る!」
必死の形相でラデルを引き留めたアレンはそこからが大変だった。
まず再び国王との謁見を望む。受理されたものの、夕刻に申し込んで会えたのは夜。それまでただひたすら控えの間で待つ。周りの貴族や官僚に、あれが噂のアレンだ、というような視線を大盤振る舞いして頂き、精神的に消耗する。やっと会えた国王に事情を説明し、特赦状の発行を願う。関係諸官の署名が要るため、朝まで待機を命じられる。王宮に部屋を賜るが、寝心地が良すぎて逆に寝られずに朝を迎える。
続いて特赦状の書面を確認。小難しい役人言葉に四苦八苦しつつも内容を把握。
囚人の出獄の手続きの間に昨日確保(?)した二人を訪ねて、それぞれどんなことが出来るのか確認。
「俺は一応魔術師だ。本分は回復色」
ヴェルガードは言った。
「万術の柱は勿論、機巧兵には前々から興味があって。どうやって動いてるのかとか」
「生き物じゃないんだろ?」
アレンが言ってみると、ヴェルガードは真面目に言った。
「どうだろう。生き物だとしたら、どこでものを食べていると思う? 口があるのかな」
一方のラデルはこの期に及んでまだ抵抗した。
「ユアンが攻撃色でヴェルガードさんが回復色だとすると、僕は防御色ってことになるだろう。あまり防御は得意でなく……」
「昨日、押し並べて得意だって言ったろ?」
「あれは見栄といいますか」
ユアンがここで大変きっぱりと言った。
「いい加減にしろ。勅令だ」
家門の名誉という形無き人質を取られているラデルは諦めざるをえない。死んだような表情で首都滞在中の父、領地の兄と母に連絡を取っていた。ラガーザ伯はこの知らせに喜び、物資の支援など、細かな話をユアンと詰めた。
午後になって、アレンとユアンに呼び出しが掛かり、二人は三重の城壁の内側に立つ牢獄へ向かった。
二人は推して知るべきだった。この牢の立地から、相手がどれほどの重罪人であるかを。
王宮と同じ区画にある獄である。反逆罪やそれに匹敵する罪の者しか入っていないはずである。
その獄に入るには、身分の認証を受けた上に武装解除されなくてはならず、その上で複数の見張りを付けられてようやく足を踏み入れられる。入ってすぐのところは小さな広間のようになっていて、奥には牢へと続く鉄柵の扉が見えている。明かりの抑えられた、黴臭い空間は、ここが罪人の領域であると静かに突き付けるかのようだ。
とんでもないことをしてしまったのでは――と後悔する二人の前で、その鉄柵の扉がきぃ、と開いた。がしゃがしゃと音がするのは鎖だ。
二人の兵に両腕を掴まれ、更に二人が前後を抑える形で連れられて来たのは、アレンと同じくらいの年齢の少女だった。小麦色の髪は乱れ、埃にまみれ、麻の囚人服も汚れ切っている。足元は素足で、顔も含め肌は薄汚れて灰色に見えた。手首と足首には鎖が巻かれて、それががしゃがしゃと、耳障りな重い音を立てているのだった。
「これが、特赦されるアゼナです。よろしいですね?」
前に立つ兵が言った。
アゼナが顔を上げた。そのときユアンもアレンも気付いた。
肌は確かに汚れているが、その下にあるものは、びっしりと書かれた呪だった。アレンには何のためのものかは分からなかったが、ユアンには分かった。
魔封と、四肢の動きの制限。
この少女は魔術師なのだ。しかも体技も心得ているらしい。
魔封の呪は居場所の探知さえ妨げる。つまりは仲間にも助けに来させない、盤石の捕え方である。
アゼナは茶色い目で二人をしげしげと見、脇の兵を見上げた。彼女が痩せ細っているのが分かった。
「……特赦……」
彼女は掠れた声で呟き、咳込んだ。初めてそれを知ったようだった。呆然と呟く。
「あたし……死刑になるんじゃないの」
兵の一人が特赦状を突き付けた。アゼナはそれを読み、事態を把握し、その目が一気に輝きを増した。
「機巧兵を討伐しつつアレンに同行、協力? 出来るよ。やるよ。ここから出られるんだね!」
声が高まった拍子に彼女はまた咳込んだ。はあ、と息を吐くと彼女は言った。
「誰? アレンって。そのひとがあたしを出してくれたの?」
乱暴に鎖が解かれ始めた。肌の鬱血が明らかになる。しかしアゼナは痛がりもせず笑顔を浮かべた。だが両手は自由にならないらしく、だらんと垂れ下がる。
「俺がアレンだが……」
アレンが名乗るとアゼナはそちらを向いて笑った。手を動かしたいらしく、両手がピクリと跳ねたが、上げられないようだ。
「そうなの? ありがとう」
兵の一人がアレンに言った。
「身だしなみを整えさせた上、そちらへ向かわせます」
一旦王宮に戻り、そこにいたラデルにアゼナの名前を告げてみたが、反応は無かった。どうやら無名の犯罪者らしいと二人は思ったが、ヴェルガードに言わせるとそうでもないらしい。
「あの坊ちゃんは知らないだろうけど、裏では名前が通ってるはずだ」
と言う。
「何で捕まったんですか?」
ユアンが尋ねたが、ヴェルガードは首を振った。
「本人から聞け」
そのアゼナは四人が揃っている王宮の一室に通され、警戒する小動物のように見知らぬ二人を見据えた。
アゼナは質素な男物の服を着せられ、靴を与えられていた。入浴したようで、埃は洗い流され、呪も解除されている。そうして改めて見てみると、アゼナは雀斑の浮かぶ顔の、それほど美人ではないがまあ可愛らしい、普通の町娘に見えるのだった。
「アゼナ? まずどんなことが出来るのか自己紹介を頼む」
アレンが声を掛けるとこくんと頷いた。
「アゼナです。歳は多分十八です。誰か、あたしが閉じ込められてた時間知ってたら教えてほしいなー」
「一年くらいだ」
ヴェルガードが言い、アゼナはふうんと、他人事のように言った。
「じゃ、十八で合ってるよ。あたしは主に強盗やってました。荒事担当でお願いします」
ぺこりと頭を下げる。
「魔術師だよな?」
ユアンが確認の調子で言い、アゼナは曖昧な顔で首を捻った。
「うーん。みたいだねえ」
「機巧兵と戦ったことは?」
アレンが訊き、アゼナは首をぶんぶんと振った。
「ないない」
ヴェルガードがうっすらと笑ったが、彼の見た目だとそれが必要以上に怪しく映った。
「機巧兵を見たことは?」
「あるよー。何回も何回も」
「怪我をしたことは?」
アゼナは噴き出した。
「えー? 機巧兵なんてまともに戦うものじゃないって。同士討ちさせてナンボでしょ」
アレン、ラデル、ユアンが唖然として硬直した。ヴェルガードがにやりとする。
「なぜ連れて行きたいか、分かるだろう?」