新婚生活始めました!
〜side柚稀〜
「う〜ん」
フカフカとした、心地よいベッド。なんという、素敵な寝心地。なんという、素敵なベッド……。
うっすらと開いた目から、高くにある白い天井が目に映る。
再び眠りにつこうとして、寝返りをうつ。
「……ん⁈」
まだ動かない頭で、その景色を信じられない気持ちで見る。
「んんんんーー⁈」
ガバッと跳ね起きて、布団を剥がす。
……どこだ、ここは。
見回すけれど、本当に分からない。見覚えのない部屋。壁にかけられているカレンダーには、細かく文字が記入されている。机の上には何やら参考書が大量にあり、少々紙やノートで散らばっている。本棚には小説や実用書、漫画と幅広く収容されていた。
「うーん?」
私の部屋ではない。そもそも解約して、健人の家で同棲していたのだから、婚約が解消されれば私の帰る場所は無いのだ。
首を捻る。その拍子に、頭がズキンとする。された事はないけれど、鈍器で軽く殴られた様な、鈍い痛み。二日酔いの症状だ。
私、お酒なんて飲んだっけ、と無い記憶を必死に手繰り寄せる。
……駄目だ。
とりあえず起きようと、床に足を降ろす。ちょうどその時、部屋のドアが開いて、1人の男が入ってきた。
「おう、起きたか。お前のせいで俺はソファで寝たんだぞ、感謝しろよな」
ふわぁと欠伸をしながら、男が普通に私に話しかけてくる。
不審者かと思ったけれど、どちらかというと見知らぬ家に居る私のほうが不審者だろう。
一瞬、誰だったっけ……と本気で考えて思い出す。
「龍也」
今日はオフなのか、黒のポロシャツにジーンズ生地のズボン。
おもいきり私服な龍也が、私に近づいてくる。そして、ためらう素振りを少しも見せずに、私の横に腰掛けた。
「……何?」
眉間に皺を寄せながら、龍也に問う。龍也は私に、ん、と水の入ったコップを手渡してきた。
「昨日、お前大分飲んでたろ。水、いらねぇの?」
「いる」
一息に水を飲む。喉が一気に潤う。そして、体に染み渡る。
「さてと」
空になったコップを、龍也に無理矢理おしつける。
「ねぇ、ここどこ?」
「俺とお前の家」
気は確かか。龍也の目が、言外に告げる。ムッとしながらも、私は頷く。
「なんで、ここが私の家なの?」
まだ痛む頭をおさえながら、龍也を見る。水を飲むと、いくらか頭が楽になる。
「覚えてないとは言わせないからな。昨日結婚するって、2人で決めただろ」
「……」
ああ。
思い出した。覚えておりますとも。確かに、無理矢理龍也の家族に会わされた記憶がある。ああ、あのお義母さんとは絶対にうまくやれなさそうだなって思ったんだっけ。
「確かにしたわ。え、それで私もう龍也と同居してんの?早くない?色々と」
「お前、家の契約解消して帰るところが無いって言ってたろ。幸い俺ん家、使わない部屋余ってたから、連れて来た。酔ったお前の介抱、大変だったんだぜ」
「それは大変ご迷惑をおかけしました」
「明日、結婚届市役所に出すからな。やっぱりやめるとか無しな」
なんて事はないと言う様に、しれっとする龍也。結婚届。はあ、色々と早すぎて追いつかない。
酔った勢いとはおえ、昨日の私バカすぎない?
「今日はお前の日用品買いに行くぞ。ついでにスーパーやらホームセンター、郵便局、必要なとこの場所全部教えてやるよ」
まあ、と龍也がニッコリとした。それは、見る者によっては、惚れる様な笑顔。今の私には、忌々しい笑顔でしかない。
龍也はその忌々しい笑顔で口を開く。
「ちゅー訳で、俺ら新婚だから」
「……」
二日酔いによるものなのかわからないが、頭が痛い。
信じられない。確かに、話の内容は結婚だったけれども。
テンポが速すぎないか?
「ええと、龍也?新婚なの、私達?」
「そうだよ」
動揺しまくっている私とは対照的に、龍也は落ち着き払っている。
「どこまで覚えてる?」
龍也に聞かれ、必死に二日酔いの脳ミソをフル回転させる。
確かにバーで会った時はひどい酔っぱらいだったはずだ。だけど、龍也の突拍子もない話に、酔いが醒めた気がする。
家に挨拶に行った時は大丈夫だったはずだ。
「私、龍也のお父さんに、龍也を頼まれた」
祖父がヒドイ人ならば、ご両親もどんなにヒドイのかと身構えていたけど。
お義父様だけは話の分かりそうな人で、安心したんだっけ。
「それから、帰るからって、タクシーに突っ込まれて」
後部座席に座って……何かしたはずだ。何だったけ……確か、挨拶をして緊張して、喉が渇いてて……
「記憶にございません」
私の言葉に、龍也が冷たい目を向ける。視線に温度があれば絶対零度、吹雪だ、今なら凍えることも可能である。
「吐く吐かないの大騒ぎ。ビニール袋持たされて、俺はずっとお前の背中さすってたんだよ。結局吐かなかったが、タクシーにも大分迷惑をかけた」
「ひぃええええ」
「お前、しばらく酒禁止な」
「はい」
記憶がないほどに酔っ払い、そこまで迷惑をかけるとは。
大人しく従うべし、と私の理性が警鐘を鳴らす。
「これからも酔っ払ったお前の世話するのかと思うと、情けなくて泣けてくるわ。俺はお前の面倒を看るために結婚したんじゃねえぞ」
「これから……」
私達の未来を指す言葉。それだけで急に結婚したのだという実感が湧いてくる。
長い付き合いだった健人じゃなくて。私が好きになった健人じゃなく。昨日初めて会った、龍也と。私は、結婚したんだ。
ふいに、私が掴むはずだった未来が脳裏をよぎる。私は健人と笑い合いながら、幸せそうによりそって……
現実は、健人の隣には真紀がいて、私の隣には龍也がいる訳だけど。
そんな事を考えてボーとしている私に、龍也が握手を求める様に、手を私に伸ばしてきた。
「これから取り敢えずよろしくな、奥さん」
ん、と私に握手を促す龍也。
まさかいきなり奥さんと言われるとは思わずにいた私は、驚いてその手から龍也の顔へと視線を向ける。
龍也はそれをどう捉えたのか、もう片方の手で頭を掻いた。
「俺に出来る範囲でになるけど、絶対に幸せにするから。だから、よろしく」
健人にも言われた、幸せにするから、の言葉。素直に信じる気になれないけど、信じたい言葉。
「私、お義父様にも言ったけど、幸せは自分で掴む。私は私で勝手に幸せになってやるんだから。龍也は自分の幸せを掴む努力だけしてれば?」
かわいくない私の、かわいくない言葉に、龍也が微笑んだ。
「よろしくな」
「こちらこそ」
龍也の夢が叶うまでの期限つきの結婚生活が、今から始まった。