父と子
2021年5月14日 修正
〜side龍也〜
善は急げ。昔からの諺にあるように、物事はなんでも早い方が良い。特に今回なんかは、最大級のラッキーだ。柚稀が酔いから醒めてやっぱり結婚したくないと気が変わる前に、外堀から埋める作業に入る。
「じゃ、これから俺ん家来いよ」
「は?」
「正確には俺の実家、今俺1人暮らしだからさ」
「あ、そういういう細かいことどうでも良い」
すぱんと切り捨てられる。あ、はい、さいですか。
「結婚ってなったら、家に挨拶は常識だろ?」
「こんな時間に挨拶に伺うのは非常識でしょ!」
「そこらへん、俺ん家は大丈夫大丈夫」
「無理無理無理無理、絶対無理!嫌われて終わりです、嫁姑関係最悪、大体祖父が渡部豪太なら、めっちゃ家格式高いじゃん、あんたお坊っちゃんじゃん、躾とか絶対厳しいでしょ!私ですら非常識だってわかるよ、絶対嫌だ!」
「まあまあ、難しく考えるなって。とりあえず顔合わせから」
ぎゃあぎゃあと五月蠅い柚稀の腕をとり、マスターに2人分の会計をして店を出る。タクシーを捕まえる間も、柚稀は嫌だ嫌だと喚いている。それでもやってきたタクシーに無理矢理にでも突っ込めば、静かになった。
覚悟を決めたのかと思えば、「酔った、窓開けて」と言われる。
だから飲み過ぎだと忠告してやったのに。
「柚稀は名乗って、後は俺の横で黙っていれば良いから。別に、気に入られようとしなくて良い。ジジイも母親も、相手は例の婚約者至上主義だからな。そもそも良好な嫁姑関係なんて期待してない」
「……私、嫌われる予想しかできない」
「それで良いんだよ」
今からするのは挨拶なんかじゃない。宣戦布告だ。お前らの言う通りになんてなるものか。俺は、俺の道を選び取るんだ。
家に着くなりすぐに、俺は柚稀を引っ張り、俺の横に立たせた。
「うわ、大きい家……」
「そうか?」
ぽかんとする柚稀を放っておいて、チャイムを鳴らす。「どちら様ですか」という問いに、俺だけど、と言えば、すぐに門が開いた。
「お帰りなさいませ、龍也坊っちゃま」
「そういうの、良いから」
出迎えてくれた執事とメイドにそう言って、俺は勝手知ったる道を突き進む。
「隣の方はどなたですか?」
「纏めて説明するからついて来いよ」
柚稀の腕を引っ張ったまま、大きな扉を開く。そこは居間とされている場所で、床一面には絨毯。1人掛け用のソファがまばらに、L字型のソファとガラスのテーブルがある。部屋の奥には暖炉と、鹿の頭部の剥製。
そこにはワインを飲んでいるジジイと母親、そして本を読んでいる父親がいた。
「龍也、帰ってくるなら連絡をしてくれれば良いのに。あら、そちらの方は?」
母親が猫なで声を出して、俺に駆け寄るり、隣にいる柚稀を睨む。柚稀が俺の手を握る力が、若干強まった。
ジジイと親父も俺達を見ている。特にジジイは俺と柚稀の繋がれた手を凝視している。
さあ、茶番劇を始めようか。
「俺、こいつと結婚するから」
家に、恐ろしいぐらいの静寂が訪れた。チッ、チッ、チッ、と壁時計の音がやけに響く。
「世良柚稀と申します。龍也さんにはとても優しくしていただいています、よろしくお願いします」
柚稀の挨拶に、ジジイは面白い程に口をパクパクさせて、まるで金魚みたいだ。
親父は政治家にならずに医者になり、だから俺が政治家の道を歩まされる事に負い目を感じている。だから、俺の宣言を聞き、いくらか嬉しそうだった。
だけど、嫁いで、夫が実の親に反抗し医者になったことで肩身の狭い思いをしていたお袋は、俺の宣言に気を悪くしたらしかった。
柚稀をそら恐ろしい目で睨んでいる。
ジジイとお袋の機嫌がマックスまで悪くなる前に、親父が俺と柚稀を外に連れ出した。
「結婚か、随分急な話だが、何はともあれ、おめでとう。じいさんと母さんが大変だろうが、俺は2人を祝福するよ」
外に出るや否、親父は俺の肩に手を置いた。
「お前はまだ25歳で若いが、これからは困難だぞ」
「うっそ、龍也って私と同じ歳?」
横で、柚稀が驚く。お前、バカかよ……
「歳を知らないのかい?」
案の定、親父が目ざとく気づく。柚稀が口を抑えるが、後の祭りだ。
「頼む、親父!ジジイには、言わないでくれ」
簡単に、柚稀と出会ってからの経緯を話す。結婚に至るまでの経緯も、しっかりと。ここで変に嘘をついて、親父からの信用も協力も無くなることが、一番キツイ。あの家族の中で、唯一自然体でいられる人なのだ。
俺が説明している間、柚稀は居心地が悪そうだ。確かに、柚稀が婚約者に振られた事まで話したのは悪いと思うし、初対面の男と結婚するだなんて、正直頭のネジがぶっ飛んでいる。俺が言えたことではないが。
けれど、こいつが撒いた種だし、決めたのもこいつだ。俺は知らない。利用できるものはするまでだ。
「そうか……」
話を聞き終えた親父が、俺と柚稀を見る。
「私は、自分の行きたい道を取った。母さんにも龍也にも迷惑や苦労をかけた、じいさんの期待に応えることはできなかったが、それに対する後悔はない。出来れば、龍也にもそうであってほしいと思っている」
ただ、と親父の目が光る。
「お前の夢のためだけに、第三者を巻き込むのは反対だ」
「合意の上だけど」
「甘い」
俺の言葉は、親父によって一刀両断された。相手が親父なだけに、その斬れ味は、中々のもんだ。
「結婚というのを、真剣に考えたか?苗字は変わるし、住居だって変わる。彼女の仕事は、周りは?環境が変わる。
合格したら離婚だというのは、勝手すぎないか。離婚を了承してもらっているとして、この一年間をお前は彼女を預かるんだ。責任は持てるのか。
お前達の結婚に愛がなくとも、その人の人生を預かるんだ。幸せにしてあげられるのか?」
「それは……」
正直、そこまで考えていなかった。言葉に詰まる。言葉は悪いが、ただの道具。それだけにすぎない。
「良いんです」
凛とした声が、俺の斜め下から聞こえた。柚稀だ。
「私、婚約者に振られて……結婚する予定だったんです、彼と」
結局は叶わなかったけど、と柚稀が笑う。無理に笑っている感がある。
「結婚式の日取りも決まってたんです。結婚したら苗字は彼と同じになる予定だったんだし、家も彼の方にお世話になるつもりで、今のマンション、契約解除してて。
龍也に言われて、逆にこっちが助かっちゃったぐらい。
それに、幸せは貰うんじゃなくて、自分で手に入る物ですから」
だから、私は良いんです。
柚稀の言葉に、親父は天を仰いだ。
「こりゃ、中々良いお嬢さんだ。いくら言っても、もう意見は変わらないようだな。意思が固いってよく言われないかい?」
「しょっちゅう頑固だと言われます」
柚稀がニッコリと笑って返す。
「なら、私から言う事は一つしかない。
龍也、よく聞きなさい。私はお前の味方だ。何かあれば、遠慮なく言いなさい」
「親父……」
「柚稀さん」
親父が、柚稀を真っ直ぐに見る。そして、深々と腰を折る。
「龍也の事を、お願いします。こんな結婚の申出は非常識だ、申し訳ない。でもね、龍也は、自分で言うのもなんだが、根性がある、やる気がある。その分、目標しか目に入らない事もあるが、頑張り屋なんです」
「はい」
聞いている俺が恥ずかしいのに、柚稀は真面目な顔をして親父の話を聞いている。
「根が真面目なんですよね。大丈夫、しっかりお願いされました」
親父が柚稀の手をガッチリと繋ぎ、柚稀もそれを握り返した。