物事の始まり 2
2021年5月12日、修正。次回以降の話も今後修正していきます。
〜side柚稀〜
「あのねえ、今日ね、私ね、振られたの。付き合って3年、結婚を一ヶ月後に控えていたんだけど」
男が、何も言わずにグラスに口をつけた。その反応が心地よくて、私は続ける。
「他の女との間にね、子どもが出来たんだって」
私も、さっさと子どもを作っていたら良かったのだろうか。健人は、真紀に行かずにいてくれていただろうか。分からない。
「最後がさ、酷いんだよねぇ。私は強いから、一人でも大丈夫だろって。泣かないから、大丈夫だろって、そう言うの」
大丈夫なわけ、ないのにね。自嘲気味にそう笑う。
「じゃあさ、泣けば良いじゃん」
「え?」
思わず、男を見る。彼は涼しげに、カクテルを飲んでいる。
「泣けば良い」
何て事のない、とでも言うように男は続ける。
「泣かないのが原因なら、泣く。それだけじゃないの」
「私は泣かない主義なの」
私がそう言えば、男は呆れたように私を見る。
「泣かなかったから、振られたんだろ。別に泣くぐらい良くね?」
「嫌」
なんでだよ、と男が言う。
「ていうか、もう泣いてんじゃん」
言われて頬に手を当てると、確かに濡れている。そういえば私、泣いてたんだっけ。
「だー、くっそ」
口を尖らせ、唸る。もう、今日はもう良いんじゃない?
私は自分に言い聞かす。涙には、浄化作用があると聞く。今日ぐらい、泣いちゃおうか。いつまでもあんなクズ男のことを引きずるよりは、泣いて、さっぱりしたほうが良い。
視界が、涙でより滲む。
「よく頑張った、もっと泣け」
頑張ったななんて認められたみたいで嬉しくて。ああ、私やっぱり我慢してたんだ、と心のどこかで思った。
ポン、と頭に心地よい重み。弱っている時にされると、その弱さが増幅する。
「〜〜ッバカバカ、バカッ! 私をフッた事、後悔しろ!恋愛なんて、もう二度とするかぁっ!」
ここでグイッと一息にお酒を飲みたい。だが今の私の手の中には、氷で冷えた水のみ。仕方ないから、水を一息に飲む。ああ、水って美味しい。
「荒れてるなぁ」
「そりゃ荒れるわ、悪いかっ。どんな顔して出社すれば良いわけ、家族には、親戚には、友達には何で言えば良いわけ?荒れずに済む方法あるなら教えろやっ」
「うーん、そうだなぁ」
男が何やら考える素振りをして、それからニヤリとする。
あ、なんか良い予感しないな、と思った次の瞬間、
「じゃあ、俺と結婚してみない?」
爆弾投下。不発弾かと思われたその爆弾は、しばらくしてから爆発した。
「……結婚⁈」
思わず隣を見る。涼しい表情のまま、男を見る。マスターも驚いた顔をしているけれど、隣に座る男は爆弾を投下したとは思っていないらしい。
「ないないない、それはない!」
全力で首を横に振る。それでも酔っぱらっているのだから、動きは鈍い。
「振られたばっかで正直結婚とかトラウマなんだけど!私達初対面ですよね!私じゃなくてあんたが酔っぱらってるんじゃない?」
「いたって正気だけど」
男はクイとお酒を口に含む。いや、そちらもかなり飲んでない?私の疑問は最もなのだが、彼の顔色は全く変わらない。あまりにも変化しないから、私が不安になる。
「えっとぉ……真面目?素面?」
「人生のパートナーを決めるという大事な時に、酔っぱらうか普通?」
「初対面の人に結婚しようなんて、素面でも言わないと思うけど」
少なくとも私は、初対面の女にプロポーズするだなんて話を聞いた事がない。
「だって、結婚だよ?名前も知らない、お互い恋愛感情もないし。ただのバカじゃない」
「だからだよ」
彼は真面目な顔をして、私をじっと見た。
「結婚はビジネスだ、一つの契約だと考えてくれればいい」
「はあ⁈」
彼は至って真面目な様だった。