日曜日の昼飯時 後編
2021年6月7日 修正
〜side龍也〜
なかなか頷かない柚稀。
なにをそんなに悩むのか、俺には理解できない。
「愚痴くらいでどうこう言う程、俺の器が小さくないんだが。とゆーか言え。俺、後輩さんに柚稀のこと頼まれたんだからな」
「知夏ちゃんに?」
ん、とパスタを口に運びながら頷く。
うん、丁度良い茹で加減だ。
「先輩のことは、素敵な旦那様に頼みますって、それはまあ悔しそうに。俺が素敵な旦那様じゃないから愚痴れないのか?」
俺では、力不足だと思っているのだろうか。
確かに仕事やら勉強やらで、忙しいのは事実だけれども。それでも、愚痴ぐらいは聞いてやれるのに。
俺は今、そんなに余裕がなく見えるのだろうか。
「違う」
思いがけず、柚稀が大声で否定した。
「それは違う、龍也は素敵な旦那様だよ。仕事も勉強もしてるのに、その上料理までしてくれる。家事だって大抵やってくれるし、今だってちゃんと私のこと考えてくれる。もっと私に文句を言っても良いとも思う」
「うん」
「それに」
柚稀が、先程までとはかけ離れた笑顔で言った。
「龍也って世間一般でいうかっこいい部類に入るし、頼り甲斐だってあるし?」
その言葉に、返すべき言葉が見つからなかった。
意外な言葉。頼り甲斐とは。頼られた記憶など、無いに等しいのだが。
しかしよく見てみれば、柚稀の耳が真っ赤になっている。それを見た以上、お世辞ではないことが分かる。
やばい。
なにが、と聞かれれば答えられないけど。
顔が熱くなる。
照れながらも強がる柚稀が、かわいく見える。
気が強い所ばかり知っているからなのか、照れている柚稀がかわいい。
幸い柚稀は俺の顔を見る気はないらしく、視線はあまり手のついていないパスタに向いている。
おかげで俺も、赤くなっているであろう顔を見られずにすんだ。
「で」
落ち着こうとコップに注がれている水を一口飲む。
「そこまで評価してくれてんのに、どうして愚痴ってくれないの」
迷惑ってのはなしね、と先回りしておく。
顔を赤くして俯いていた柚稀が、その顔を上げた。
「だって聞いてるほうも言ってるほうも良い気分しないじゃない、愚痴って」
そして、言葉をなにか挟む暇もなく、柚稀の口は次々と言葉を紡いでいく。
「自分で言うのもなんですけどね、私は出世してるほうよ。中々チャンスをくれないし他のくだらない案を採用されそうだから、少々強引に案を推したり、ぼろくそに言って評価さげたり色々やってるし。けどその分、色々怨みとか妬みとか買ってんだよね。会社にいれば雰囲気で良く思われてないのもわかるし、言われてるんだろうなってわかる。
そりゃ色々溜め込んでるよ、言いたいことこらえて笑顔浮かべて。上のご機嫌とりして、今時お茶汲みなんてやらされて。プライドずたずた。
私の自己責任で怒られるのもあれば、理不尽なものもある。それを一々言っていたら、口が止まらなくなる。罵って、自分が上に立たないと気が晴れない。やったって腫れない。そんな惨めなこと、やるだけ無駄じゃない」
一息に言い終えた柚稀は、目にうっすらと涙を滲ませているものの、できる限りいつも通りであろうとしていた。だって、そうでしょ、と柚稀は笑った。
「龍也だって、人には自分のきれいな所だけ見てほしいでしょ」
柚稀の例は、その通りだった。人には、確かにきれいな所を見てほしい。わざわざ、汚い部分を見てくれなんて思わない。
けれど。柚稀は、汚い部分だけでなく、他の部分すら見せようとはしてないじゃないか。
「疲れるだろ」
「慣れた」
それは、なんて悲しいことだろうか。
会社でも、家でも見栄をはる柚稀。見栄が剥がれるのは、恐らくはあの後輩の前でだろう。
何故か。どうしてそこまでして、見栄をはる?
どうして自分をでかく見せたい?そこまでさせる会社に、いる意味なんてあるんのか?
聞きたいけれど、それは違う。俺が聞くことじゃないし、立ち入るべき場所ではない。問題は、別にある。
「柚稀」
「しつこいなぁ。今日は少し変だよ、どうしたの?もういいでしょ、放っておいて欲しい」
俺には、それは反対の意味を持っているかのように聞こえる。
お願い、私を認めて。捨てないで、認めて。認めて認めて認めてーー
「辛いよな、大変だよな」
正面に座っていた椅子から立ち上がり、柚稀の隣に行って、ポン、と柚稀の頭を軽く叩く。
柚稀は何をされたのか理解できていないのか、さっきまで荒れていた表情が、毒気を抜かれたようになる。
「けどさ、そんな中で、お前はよく頑張ってるよ。偉いよ」
一瞬の間のあと、柚稀の目が大きく見開かれーー我慢していたであろう涙が次々と流れ始める。
「柚稀はすごい、偉い。会社の奴らだって、ちゃんと分かってるさ。プライドが邪魔してるだけだよ」
「ーーうっく、ひっく。わっ、私、私っ」
「うん」
今柚稀に必要なのは、認めてもらうことなんだ。それは、渇いた大地が水を欲するように。
とても大事で、当然なこと。
「……私の愚痴、聞いてくれる?」
少し落ち着いたのか、柚稀が涙を腕で拭いながら、意を決したように口を開いた。
+++
柚稀は溜め込んでいたものを全て吐き出すように、喋り始めた。
時には言葉につかえながらも、それでも最後まで紡ぐ。それを急かすこともせず、俺はただ黙って、時には相づちを打って聞いていた。
「私、知夏ちゃんの前ではできる先輩でいなきゃいけなかった。会社では負けないようにしなきゃって必死だった。
いつも誰かに見られてて、身の丈以上の能力を普通に求めてくる。一回成功しちゃうと、ずっと求められる。でもそれは構わないの、だってそれが、期待されているってことでしょう。でも、期待に応えられなかった時が辛い。できなかったってこともだけど、それ以上に、だから女は駄目なんだって目をされる。言われたこともあった。
周りは敵だらけで、仲間がいても、私の弱い姿を見せたくなかった」
自己満だけど、と柚稀は自嘲した。
なんで、そこまで傷つく必要があったのか。柚稀を近くで守れる人間がいただろう。
「柚稀の元婚約者は?長いこと、付き合ってたんだろ?」
「健人?まあ、長いこと付き合ってたけど。でも結婚も考えてたのに浮気して子供までつくるし、向こうは本気じゃなかったんだろうね」
そうだな、と簡単に同意して良いのかわからない。少なくとも柚稀は結婚を考えるほど真剣であった相手を、良く知らない相手を悪く言っても良いものだろうか。
勿論、悪く言って良いと柚稀から許可が出れば、ボロクソに言ってやるのだが。
「正直に言うと、今でも思うの。もし、私にも子供ができていたら、真紀と別れてくれたのかなって。でもね、不思議なの。健人と家庭を築いているところが、全然想像できない。想像するとね、龍也が出てくる」
柚稀としては何の気もなしに言ったであろう言葉に、反応してしまう。
家族を想像すると俺が出てくるのは、それはそうだろう。だって、今実際に家族だし。そう言い聞かせるも、わざわざ言い聞かせる理由もわからない。
柚稀は構わずに続ける。
「それに、今考えると、何で健人と結婚しようとしてたのか分からない。顔は好みだった。けれど、人としては最高ではないと思う。思えば、付き合ってた頃からそう。いつものらりくらり、責任を逃れて自分で何も決めないで私任せ。
それにね、別れた後に聞いちゃったの。会社で。泣かない女は嫌で、出世してる女も嫌なんだって」
笑っちゃうよね、と柚稀は言った。
「健人が言ってくれたの。私の、泣かないとこが好きだって言ったの。カッコイイって、言ってくれたの。だからなのかな、余計に弱い自分を見せられなかった。
それにね、できる女は嫌、一緒にいて息苦しいんだって。自分を立ててくれる子が好きなんだって。それで、最後は子供を堕ろしたくないって泣いた、男の3歩後ろを歩くような女にほだされた」
「5年間一緒にいて、知らなかった。それは、私が知ろうとしなかったせいだし、健人が私にそうなって欲しいと言わなかったせい。お互いのことを知ろうともしなかった、私達自身のせい」
「私、人からしっかりしてるって、よく言われるの。そんな訳、ないのにね。してたら、健人に浮気させないで、私と健人が結婚してた。
見かけの私は、鎧を纏ってるから、しっかりしてる。でもなんのための鎧かって言われたら、それは弱い自分を隠すためなの。時々思うんだ。誰も、鎧の中の私には興味がないんだなって」
それは違う。柚稀の後輩は、柚稀の弱さを知りたいと思っていた。弱さを知った上で、支えになりたいと願っていた。
俺だってそうだ、そんなに辛いなら助けてやりたいと思う。
けれどそれ以外の人達は、柚稀を心配しようとはしなかったのだろう。きっと、知ろうすることでさえ。
「自分のことを知って欲しいなら、その鎧を脱ぐしかない」
柚稀と目が合う。大丈夫だと言うように、微笑みかける。俺の笑みに、そんな力があるなんて思わないけれど。
なんてことは無いじゃないかとでも言うように、あまり重くならないようにサラッと続ける。
「だって、そうだろう。常に鎧を着られてれば、仲良くなりたくてもなれない。いつも身構えてて、警戒されてんのかって思う。それに、いつも完璧な鎧着じゃなくてもいい」
「完璧な、鎧?」
「鎧は着ててもいいけど、面の部分は開けとけよ。泣いてる顔も笑ってる顔も見せられるようにさ。完璧な人間には、近寄りがたい」
鎧を着ながら、それでもボロを出せと言う。
なんて矛盾を言っているのだろうと思う。それでも、それぐらい言わなければ、目の前のこの女は、動けない。
「…… 脱げるかな、私」
「開けられるし、脱げる」
迷いなく断言してやる。俺には、話を聞いたり、背中を押してやることしかできない。だから、全力でその役割をやってやる。
「大体さ、柚稀の周りの奴らが駄目なだけで、柚稀はなんも悪くない。全員、言いがかり。柚稀もそれに真剣に付き合うから疲れるんだよ。付き合うだけ時間の無駄」
特にその元婚約者だ。
「付き合ってる女の涙を受け入れようとしない奴とは、結婚しないで正解。分かろうとする気がない」
「じゃあ」
柚稀がクスリと笑う。
「どんな理由にせよ、私は龍也と結婚して正解だったのかな?こんなに親身に、話を聞いてくれるんだもん」
「当たり前だろ。こんな素敵な旦那様、世界中のどこを探したってそうはいねぇぞ」
ほら、さっさと食え。そしたら食器洗うから。
照れ隠しのため、少々ぶっきらぼうになってしまったが、気付かれただろうか。
一カ月。一緒にいれば分かるだろうか、分からないだろうか。今回ばかりは気付かれないでいて欲しい。
「気分は落ち着いたか?」
「うん」
口いっぱいにパスタが入ったまま、柚稀が返事をした。
それが子供のようで、なんだか笑ってしまった。




