後輩と龍也と
2021年5月26日 修正
〜side龍也〜
「柚稀の奴……」
何度も見た時計を、俺はまた見る。柚稀が出て行って、一時間。その間、ずっと連絡が取れずにいる。
携帯に電話をしても、LINEを送っても返信はなし。既読すらつかない。探しに行ってもいいけど、その間に柚稀と入れ違いになる可能性だってある。
八方ふさがりだ。
「あいつめ」
帰ってきたら、たっぷり説教してやる。
そう決めた時、携帯がバイブした。電話だ。そして相手は、柚稀。
「おい柚ーー」
『こんばんはぁ』
聞こえてきたのは、柚稀ではない女の声。けれどどこか、聞き覚えがある。
「えーと、あんたは……」
必死に脳ミソをフル回転させる。
『先日はどーも。お邪魔させていただきましたぁ。先輩の後輩です』
ああ。あの後輩か。
「えーと、柚稀の携帯からかけてるってことは、そこに柚稀は、ちゃんといるのかな?」
『はい、私の隣に』
「ちょっと、代わってくれない?」
俺の願いに、彼女はあっさりと首を振る。
『無理でーす。先輩、今寝てるんでー。お酒もかなり入ってるし、なかなか起きないですよ。だから、勝手に携帯借りちゃいました』
「飲んだのか……」
初めて柚稀に会った時も、柚稀はけっこうな勢いで酔っぱらっていた。あいつには、少しセーブしようとは思わないのだろうか。 学習能力はないのか。
「ったく……」
『すみませーん、私がじゃんじゃん飲ませちゃいました。だから、怒らないであげてくださいね?』
あとー、と後輩が言う。
『ここ、居酒屋のなみへい、です。先輩、迎えに来てくれますか?』
なみへい。車でここから、15分くらいだ。値段の割に凝った料理がおいしくて、俺もたまに行く店だ。
「オーケー、すぐ行く。それまで悪いんだけど、柚稀を見ててもらってていい?」
『もちろんですよ〜。私、もう一回先輩の旦那様に会いたかったですし〜』
待ってま〜す、と間延びした声。それから、ツーツーと通話修了の音。
溜め息を1つ軽く吐いてから、薄い上着を羽織って、俺は家を出た。
+++++
「いらっしゃい」
暖簾をくぐると、温かい声が俺を迎えてくれた。大将に軽く礼をして、店内を見回す。目当ては、すぐに見つけられた。
奥のカウンターで、俺に向かって手を振っている奴がいる。
「お久しぶりで〜す」
「そうだな」
ま、ま、どーぞ座ってください。まるで我が家の様に後輩が指した席に座ると、後輩が酒を勧めてきた。
車で来た俺は、残念ながら飲むことができない。ここに来て飲まないなんて、初めてのことで残念でならない。飲めない元凶は、後輩の横で気持ち良さそうに寝ている。
良い気なもんだ。
「柚稀が迷惑をかけた。すまん」
「いえー、逆にかけてもらって嬉しかったんで。構わないですよー」
先輩、私達になかなか弱音をはかないんですもん、と後輩が口を尖らせる。
「てゆーか。先輩、旦那様にも弱音はかないですよねー?」
後輩の顔が、急に真面目なものになり、俺の顔を直視する。
身に纏う雰囲気が、緩い感じから一転するのが分かった。
「先輩、言ってました。旦那様が手を差し伸べてくれるのに、どうしたら良いのか分かんないって。
人に、どう甘えれば良いのか分かんないって」
柚稀が家を飛び出した時のことを思い出す。何を逆ギレしてんだと思ったが。
「甘えたくない主義だからだろ」
涙さえ、柚稀は流すことを自分に許していない。
甘えるなんて、しろと命令しても難しいかもしれない。
「先輩は、かっこいいんですよ。うちの会社って、ケッコー昔気質なんです。男尊女卑?ってヤツが、根強いんです。でも先輩は、そんな中でチームプロジェクトのリーダーを務めてんです。失敗しても、挫けない。文句さえ、私達の前では言わない。偉いなって思います」
でも、と後輩は続ける。
「先輩だって、傷ついてないワケじゃないんです。弱音をはいたら負けだって思ってるから、我慢してるだけ。本当は、色々あるんだって、言ってたんです。言ってくれたんです、ついさっき」
一生懸命、見栄はってるんです。これだから女はって言われないように。
カウンターにつっぷしてる柚稀を見る。
一緒になって、まだ一カ月弱ぐらいだけど。コ イツが、弱音をはいてるとこなんか、見たことが無い。
俺が傷つけたりしたことはあったけど。口が多少悪かったりするけど。
明るい奴だと思っていた。前を常に見ていて、積極的というか、元気な奴だと思っていた。
「先輩って、なんでもできちゃいそうだけど、不器用なんですよ」
「ああ」
「本当は、あたしが先輩丸ごと受けとめてあげたいんですけど」
「ああ」
「悔しいけど、素敵な先輩には旦那様がいるから。だから、旦那様に先輩のこと頼みます」
「……ああ」
返事のテンポが、少し遅れた。
俺に頼むより、良い奴がきっといる。別に俺は、素敵な旦那様なわけじゃない。素敵な旦那様を、演じてるだけだ。
「先輩は、めっちゃカッコよくて、最高にかわいーんです!泣かしたり、我慢させないでください!甘やかさせてあげてください」
旦那様だから譲ってさしあげてるんですからね。
後輩が、真っ直ぐに俺を見る。ぶれない瞳が、柚稀の身をしっかりと案じていることを物語っている。
「俺達は」
俺達は。
互いの利益を求めた結果の結婚で。別に、そこに恋愛感情が生まれた訳じゃなく。
離婚することだって、既に決定事項で。
それでも。
「うまくやっていきたいって、思ってる」
一緒に暮らすのならば、笑顔でいたい。離婚し、離れたあとも、こんなことがあったねと、笑い合えたら良い。
だから。
「だから俺は、俺にできる範囲で、あいつを楽にするよ」
俺の言葉に後輩は頷き、それから席から立ち上がった。
「じゃあ、帰りますね。言いたいこと、もう言っちゃいましたし」
「送ろうか。柚稀の面倒見てくれたんだし」
「いえ、大丈夫です。それより先輩を早くベッドに寝かさないと、風邪ひいちゃいます」
スースーと、カウンターに突っ伏して気持ち良さそうに寝ている柚稀を見る。確かに、そうかもしれない。
「じゃあ悪いけど、俺らも帰るわ」
「はい」
代金を払おうとすると、「私が払います」と後輩がさっと伝票をとった。
「明日、先輩に全額請求するんで。先輩が怒ってくれるって言ってくれたんですから」
「そうか」
会計に向かった後輩とは逆に、まだ起きる気配の無い柚稀を見る。そういえば、目元が少々腫れているかもしれない。
まだ眠りの世界にいる柚稀を、無駄だとは思いながらも、一応肩を揺する。
「おい柚稀、起きろ。帰るぞ」
んー、と揺すられた柚稀は目を覚ます気配を見せない。
仕方なく、柚稀をおぶる。
おぶった瞬間、思いのほか軽かった体重に、よろめいてしまう。
コツン。ぶつかる柚稀の頭。
小さく、細い華奢な身体。
こんな頼りない身体で、こいつは後輩の言っていた物に立ち向かっていたのかと驚く。
この身体が、何度傷ついたのか。
知らず知らずのうちに、柚稀を支える腕に力が入っていた。




