決壊
~side柚稀~
「もう何やってんだろ私」
勢いよく行くあてもないまま家を飛び出した私は、近くの公園のベンチに腰掛けている。もう6月だというのに、夜はまだ、少し肌寒い。
グズリ、と鼻をすする。黒い空に、ところどころ光っている星がきれいだ。
公園には今、私以外誰もいない。大きな空の下に、私だけがいる。
手を伸ばせば、届きそうで絶対に届かない距離。
空はとてつもなく大きくて、ちっぽけな私を包んでくれる。空はいつもそこにあって、ずっと昔から変わらずに存在している。変わらずに、私達を眺めている。
泣きたくなったり、怒ったり笑ったり。変わるのはいつも私達だ。
「空になりたいなぁ」
みんなから必要とされ、絶対にいなくてはならない存在。常に動じず、ゆったりと構えられる人。
全てそれは私には無いものばかりで、逆に私には何があるんだろう。
なにも無い。自嘲気味に笑って俯いた時だった。
「せんぱーいっ」
聞き覚えのありすぎるその声に、私は顔を上げる。
公園の入り口のところに、知夏ちゃんが携帯を耳に当てて立っていた。
「知夏ちゃんっ⁉︎」
なんでここに。
私が立ち上がると、知夏ちゃんは一目散に私目がけて走ってきた。
「うぐっ」
かなりの勢いでかけて来た知夏ちゃんは、スピーどを緩める事なく、私に抱きついた。否、飛びかかったに、近いかもしれない。
「良かった、先輩いたー!」
ああ、この子は。
「心配、してくれてたの?」
「だって先輩、今日1日中ずっと様子が変でしたし。部長に散々嫌味というか、酷いこと言われまくってたみたいだし、泣きそうな顔だったし。先輩の新居、私の帰宅途中だし、会えたら何かご飯奢ってもらおうと思って」
へへへ、と笑う知夏ちゃん。なんて、良い子なんだろう。
「ごめんね、心配かけて、わざわざ心配して来てもらっちゃって」
ポンポン、と知夏ちゃんの頭を撫でる。ふわり、と良い匂いが鼻をかすめた。知夏ちゃんがいつも着けている、薄いラベンダーの香水だ。
「知夏ちゃんが来てくれたから、私もう大丈夫。ちゃんと、私のこと心配してくれる人がいるって判ったから大丈夫。ありがとう」
「知ってますか、先輩」
知夏ちゃんが私から離れ、私を見つめる。
「大丈夫って言う人ほど、大丈夫じゃないんです。自分ガマンすれば良いんだから大丈夫って聞こえますよっ」
「……」
なんで、なんで知夏ちゃんが泣きそうな顔をしているのだろう。
「先輩、いつも一人で闘わないでください、一人で溜め込まないでください。いつか壊れちゃいます」
それとも。
「私じゃ、頼りないですか?」
目頭が急に熱くなる。涙が溢れ落ち、目の前の知夏ちゃんの姿が滲んでいる。
「先輩が泣かない主義なのは知ってます。けど、私の前では泣いてくださいよ。同じ女じゃないですか」
さっきまでは私が知夏ちゃんを撫でていたのに、今ではすっかり立場が逆転している。
「私、私……」
泣いてよく喋れない私の背中を揺すりながら、知夏ちゃんが提案をした。
「先輩、寒いですし、どっかに入って話しましょう。今日は飲みましょう、勿論先輩の奢りですよ。その代わり、なんでも愚痴っていいですからね」
ここ行ってみたかったんです、と携帯の画面に写っていた居酒屋は、私も一度行ってみたかったところだったので、あっという間に決まった。
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「女だからってバカにすんなら、女を採用すんなって話じゃないっ」
「ですねぇ」
「仕事できる女は無理だとか、ウザいとか、何様なのよ。この時代、生きた化石がこんな身近にいるとは思わなかった。まずは自分の仕事の成績を見直せって話じゃない」
グイッと焼酎を煽る。
入った居酒屋はカウンター席とテーブル席が混在し、既に仕事終わりのサラリーマンやOLが何組かいた。壁に貼られたメニューは染みなどもあって、味のある、良い店だった。
みんな仕事が終わってホッと一息ついてるのか、多くの笑顔が見られる。そんな中、私だけが仏頂面だ。
「一体どうすれば良いのよ、逆立ちしたって、敵うわけないっ。だってあいつらの理論で言えば私は女だからってだけで、できない奴なのよ。あのくそ禿げ部長の何倍も仕事できる自信あるのに」
「先輩はちゃんと頑張って結果残せてますよ、めっちゃ尊敬してます。大丈夫」
「もう私には知夏ちゃんだけだぁ」
「先輩の味方はたくさんいますよぉ」
「本当?」
知夏ちゃんが、当たり前じゃないですかぁ、と笑顔で答えてくれる。
私が欲しい言葉を、欲しいタイミングで入れてくれる。嬉しくてついつい、私の愚痴るスピードも、お酒を飲むスピードも上がる。
「女、女、女。口を開けばそればっかり。一体いつの時代の人間よ。そうやって新しい時代に馴染めない奴から、この地球上から絶滅してくのよ。恐竜だって」
「先輩、恐竜は違いますよ、隕石です」
本当に、嫌になる。私は女だ、それの何が悪い。
女がいなければ、あんたらは産まれてないんだ。あんたらの家族だって。
ていうか、あんた達だって、ただ男に産まれただけじゃない。一歩間違えていれば、女だったかもしれないんだ。
「女がいなけりゃ、自分のプライドも保てないくせに」
なんで、あんなに偉そうなの。
「私、本当はね、仕事ができる奴でも、なんでもないの。周りに追いつきたくて、必死なだけなの」
「はいはい」
「それにさぁ、確かに面倒な性格よ。甘えられないけど、それを察してほしいとか思うし。理解して欲しいとも思う」
「それは、割かし一般的じゃないですか?」
さっきから、知夏ちゃんが背中をさすってくれる。私はただただ、同じことを繰り返す。
「人にどう甘えるのか、分からないの。私、それぐらいバカなの」
だから。だから。
「龍也が手を差し伸べてくれても、私にはその手をどうすればいいか分からないの。握り返せばいいのかなって思っても、そのやり方が分かんないの」
人に甘えるというのは、一人前のすることじゃないと思っている。
成績も学生時代は良くて、リーダーシップを取る側だった私には、甘えるという選択肢が無かった。
だから今優しくされても、どうすればいいのか分からない。分からなくて、龍也にやつあたりをしてしまう。
「私は一人前になれるはずがないの。健人達はね、正しいんだよ。出る杭は打たれるんだよ。しかも、中途半端に出る杭は特に」
「あたしから見たら、先輩はカッコいーです。あんな口だけの男共の、何倍も」
「知夏ちゃんは、優しいねぇ。今の私、チョーカッコ悪いよぉ?泣いて、愚痴って?だらしないったら、ありゃしない」
こんな私をカッコいいだなんて。知夏ちゃんに眼科に行くことをお勧めしよう。
「先輩、ここには私しかいませんよ。どーぞ、思う存分泣いちゃってくださいっ」
なんなら胸も貸しますよっ、と両腕を広げる知夏ちゃん。そんな知夏ちゃんに、私は笑う。笑いながら、涙が再び出てくる。
「龍也って、旦那様ですよね?旦那様にも甘えられないってことは、旦那様の前でも、泣かないんですか?」
「だって、情けない姿を見られたくないじゃない……」
「じゃあ、そんな先輩の情けない姿を見せてくれるぐらいには、私、昇格できたってことですね。先輩が完璧な人間じゃないって分かったから、私、気がすごい楽になりました。私から見たら、先輩って本当に凄い人だなって思ってたんです。仕事できるし、男の人相手に臆さないし、私に優しいし。でも、完璧な人なんていないって、分かったから」
そーゆーこともしっかり教えてくれる先輩は、やっぱカッコいいです。
「……知夏ちゃぁん」
そう言って笑う知夏ちゃんこそカッコよくて。
胸を張って自分が好きだと言えない私は、やはりカッコ悪いと思うのだ。




