爆発寸前
2021年5月26日 修正
~side柚稀~
シトシト、と雨が降っている。あー、もう梅雨の時季か。
最近は、時が流れるのが速い。龍也と結婚して、もう一カ月が過ぎた。
「だーから、君のおかげでこんな大変な事になったんだよ」
部長の声で、意識をそっちへと戻す。部長が、まだねちっこく言ってくる。もう何分たっただろう。
部長といっても、瀬田のように実力で部長の地位に上り詰めたわけではない。ただ、勤続年数が長いから、ただそれだけの理由だ。仕事はできない、ただ部下のあら探しに一生懸命な日々を送ることしかできないお飾り部長。
「聞いてるかい、渡部君」
「はい」
「じゃあ、なにか言ったらどうだ」
ここで大人しく詫びるのが、利口な大人というやつなのだろう。けど私は自分の仕事に責任持ってやっているし、この件に関しては何度も確認した。私が悪ければ謝るけれど、今回は私に非はないのではないか、と思う。
「私に謝る理由はなかったと思います」
部長が、眉をひそめた。
「君は、間違えていなかった。正しかった、というのかね?」
はいと頷けば、部長は困ったなと笑った。鼻にかけた、馬鹿にしたような笑いだ。
「あー、深沢いるか」
部長がそう言えば、すぐに原因の彼が来た。私を見た彼の目は、馬鹿者を見るかの様に冷たい。
「彼女がね、今回のミスは自分の責任じゃないと言うんだよ。どう思う」
「私は彼女に、しっかりと伝言をしました。それを自分の責任じゃないとは、どうかと思います」
深沢は、使えない奴だとでも言うかのように、私を見る。上条も深沢の言葉にご満悦なのか、笑みを浮かべている。
なんて嫌な笑み。
「お言葉ですが、深沢さんの仰る伝言に、私は記憶がないのですが」
「自分のデスクの上をよく見てみろ」
言うが速いが、深沢が私のデスクの上を漁る。一枚の紙を取り出したかと思うと、それを私達に勝ち誇ったように見せつけてきた。
「これを見ろよ」
確かにそこには、マジックで『会議、場所変更。応接室』とあった。ただし、他にもメモがごちゃごちゃと書かれている紙に。
これじゃあ、ゴミだ。
「これ、ですか?これじゃ、捨てられちゃっても仕方ないじゃないですか。伝言をするなら、目立ちやすいところに書くとか、付箋でPCに貼るとかすべきじゃないんですか」
「なに?」
部長と、深沢の顔が険しくなる。
「私はしっかりと伝言メモを記した。その確認を怠ったのは、そっちだろう」
「自分のミスを、他人に転嫁するのかね。立派な大人なら、どうすべきか考えなさい」
グッと、拳を握る。
なんでだろう。なんで、私が怒られるんだろう。メモなら、付箋にするなり、見やすくやってくれればそれで良いのに。
「これだから女性は……仕事に対する意識が低いと言われるんだよ」
部長が、深いため息をつく。拳を握る手に、さらに力が加わる。
「っ……申し訳、ありません、でした。以後、気をつけます」
頼むよ、と部長。深沢が、それでいいんだとでも言うかの様に頷いている。
失礼します、とその場を離れる。そのまま自分のデスクに戻る気にならず、廊下に出る。
ああもうっ、本当にムカつく。これだから女性は、ってなに。女性は、使えないとでも?
私は、謝ってあげたの。あんた達のくだらないプライドを保つために、謝ってあげたんだ。あの2人は、この時代においても女は家庭を守るべきだという、実に馬鹿げた古い思想に取り付かれている。
おかげで女性からの評価は散々なことを、彼等は知っているのだろうか。
ふー、と大きく息をはく。落ち着け、落ち着け私。カッカしたら、そこまでだ。
落ち着きたくて、冷静になりたくて。冷たい水を求めて給湯室へと向かう。
入ろうとドアを開けようとしたら、中から話し声がして、伸ばしかけた手を止める。
なー、見た?世良、怒られてたよな。
あ、見た見た!すっげーシュンとしてたよな。
いつも何でもできる奴だって思ってたけど、そーでもなかったな。
なあなあ、健人君。元カノさんが怒られるの見て、どうだった?
ギュウッと、心臓を何かに掴まれたような感覚に襲われる。
自分が話題に上がっている事と、その場に健人がいるという事。
速く移動しよう、この場から逃げよう。
そんな思いと、もう1つの私の性格から出る思いの間で揺れる。なんで私が、逃げないといけないの。私、なにか悪い事でもした?
結局、私はその場に留まる。健人が、なにか言ってくれるという望みを持って。
んー、かわいそーだとは思うけどさー。けど、たまには良いんじゃない?出る杭は打たれるってヤツ。
杭、杭って言っちゃうのー元カノ。
今思えばさ、できる女ってあんまタイプじゃないんだよね。俺的には、自分を立ててくれる女が一番。
じゃあ真紀ちゃんぴったしじゃん。
そーそー。柚稀はできるからさ。一緒にいて、息苦しいというか。
あー、分かるわー。
ちょっと、なんだそれ。なんだ、それ。ふざけないでよ、何ができる、だ。なにが、出る杭は打たれる、だ。
努力にきまってんでしょ。認められたいから、頑張ってんの。その結果が、出てるだけなの。
ていうか。ていうか、健人。タイプじゃないって、なんなの。
「あー、柚稀先輩ー。そこで固まって、どうしたんですかー?」
資料をコピーしていたのか、たくさんの資料を手にした知夏ちゃんが通りかかった。
「お茶汲みですか?それなら私がーー」
「駄目よ、知夏ちゃん」
「はい?」
「お茶は飲みたい奴が自分で飲めば良い。そんなの、私達の仕事じゃない」
そう言って、私は給湯室にいる野郎共に聞こえる声で言う。
「女を下に見ることでしか幸せを感じられない男は、なんて不幸なんでしょうね。それとも、自分が不幸だと気付いてない、ただの間抜けなのかしら」
騒がしかった給湯室が、一気に静まりかえる。
行こう、知夏ちゃんとさっさとデスクに戻る。
はやく、はやく定時にならないだろうか。これ以上会社にいると、押し潰されてしまいそうだった。
+++++++
やっとの思いで定時を迎え、さっさと帰る準備をする。時々視界の隅で見かけた健人は、居心地が悪そうだった。たまに目が合うと、物凄い勢いで逸らされた。
いつも帰宅ラッシュに巻き込まれる電車も、今日は空いていた。
肩にかかっている鞄が、やけに重い。シートが空いていたので、遠慮なく腰掛けさせてもらう。鞄を膝の上にのせて、ギュッと紐のところを握る。
歯をくいしばり、目を見開いて鞄を凝視する。
そうしないと、泣いてしまう。
なんで女だからって理由で、こんな目に遭わなきゃならない。
女だからって、下に見られないといけないんだ。
悔しい、悔しい悔しい。
一人前になりたくて、頑張ってるのに。女だから、男の倍頑張んなきゃ出世も難しいのに。
同僚からは、できる女は無理だと言われ。上司や先輩からは疎んじられ。
じゃあ私は、どうしたらいいの。世間では男女平等なんて言ってるけど。
実態は、こんなもん。
女なんだから、仕方ないね。女だから、ミスしちゃったんだよね。しょうがないよ、だって女だから。
こんなことならば、男女平等なんて知らなければ良かった。
男について行くのが理想とされ、それしか知らなければ。
女だからって、言われる事なんて無かっただろう。
最寄りの駅に着くと、私はすぐに改札を出た。駅から家まで、約5分。急げば3分。家賃は高いが、本当、良い場所にある。
今日はかなり速いから、龍也もまだ帰っていないはずだ。
叫びたい、泣きたい。大声で、文句を言いたい。
龍也が帰ってくるまでに、少しでも多く、気持ちをはきだしたい。
鍵を開けるのでさえもどかしく、開いた時にはイライラはピークだった。
「あ”ーーっっ」
ドアを開けると同時に、声もあげる。ただ、その声はすぐにひっこんだ。
奥の部屋、リビングの電気が点いている。龍也の靴が、ある。
ちょうど龍也が、玄関まで驚いた顔をしながら来た。
「どーしたんだよ、帰ってくるなり。てゆーかお前さ、帰って来んなら連絡しろよ。迎えに行くっつーの」
「帰ってたの」
「おう?今日は素早く片付いたからなー」
「そう……」
騒げない、爆発できない。もう導火線に火がついたのに。
きっと険しいであろう私の表情に気付いたのか、龍也は俯いた私の顔を覗き込んだ。
「どーした、何があった?辛かったら言えよー」
龍也からしたら、それは心配で。親切なんだって事は、私にだって分かるのに。
けど。このタイミングで。その台詞は。
「大丈夫じゃなさそうだねって言いたいなら、はっきり言えばっ?!」
大丈夫じゃないよな、って言われてる気がして。
もの凄く、ダメなんだ。
「どーせボロッボロよ、大丈夫じゃないわよ!女だもんね、使えない、弱い、仕事のできない女ですよっ」
「柚稀?」
「けど、私だって私なりに頑張ってるよ!毎日お化粧して、見た目気にしてっ。男社会の中でやってんのっ」
「柚稀っ」
龍也に肩を掴まれ、揺さぶられる。龍也と目が合うと、龍也がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なんか、あったんだよな?まずは落ち着こう、な?」
「落ち着いてるわよっ」
なんでだろう。なんで、うまくいかないんだろう。
私は龍也の手を振り払うと、半回転してドアを乱暴に開けた。
「おいっ、柚稀っ!」
龍也の声を背で受け止めながら、私は走り出す。
龍也の顔を、見たくない。優しい、真っ直ぐな龍也の顔を。
見せたくない、今の私の顔を。
きっと、醜い。優しい龍也の手を振り払い、龍也の親切にムカつき、そんな事をした自分にムカつき。
私は今、世界で一番醜い顔をしている。




