会社にて
〜side柚稀〜
「あ、柚稀せんぱーい。おはよーございますぅ」
「おはよう」
仕事場に着くと、二歳下の知夏ちゃんが挨拶をしてくれた。
知夏ちゃんはなぜだか私を慕ってくれており、健人と別れた事を伝えると、まるで自分の事のように怒ってくれた。
知夏ちゃんは平常時の服装からオシャレで、イマドキの子代表といったカンジ。だけど人の心の機微には鋭いし、気が利く。
「知ってます?真紀さん、結婚退職するんですって、今日の朝礼で挨拶するみたいですよ。面の皮分厚いですよね」
デスクに座る私の耳元で、知夏ちゃんが眉をしかめながら言う。多分、私が後から知るより先に知った方が良いと思ったのだろう。
かわいい顔が、ちょっと台無しだ。
「私としては、笑顔で拍手で追い出してあげるのに。ずっと居座られたら、私もう我慢できませんから」
「そうねぇ」
龍也との微妙な喧嘩の後に聞く話としては、もう少し明るいニュースが欲しいところだ。
めでたい話に違いはないが、素直にお祝いできるほど立ち直っていないのだ。
真紀と健人はどうやら、着々と結婚の準備は整っているらしい。本っ当、2人とも良い面の皮をしている。
なんで私がいる中で、そんな事ができるんだろう。
真紀はともかく、健人は私と同じ職場にいて何とも思わないのだろうか。真紀に朝礼で全員に挨拶することを許したのか。申し訳ないとか思う気持ちが少しでもあるのなら、せめて、話題に上らないように心がけるべきじゃないのだろうか?
私だけが傷ついて、バカみたいじゃない。
健人の時も、今の龍也もだ。私って、うまくいかない星の下にでも生まれたんだろうか。
ハア、と溜め息をつくと、知夏ちゃんがかわいくガッツをした。
「だーいじょぶですよ、柚稀先輩なら!健人さんよりも良い人、絶対見つかりますから!落ち込まないでくださいよー」
皆に伝えないといけないんだけど。けど、この子には私が最初に伝えておこう。
「あ、ああ。あのね、知夏ちゃん。驚かないで聞いてほしいんだけどーー」
はい、とかわいく首を傾げる知夏ちゃん。良い子なんだけど、素直な子だから反応がなぁ……。
それでも意を決して、言葉を口にする。
「私もね、結婚したのよ」
鳩が豆鉄砲を食ったよう、とはまさに今の知夏ちゃんの事だろう。
本当に、ただポカンと。目を丸くして口をパカッと開いている。
「え、え、え〜〜〜⁈」
大声を出す知夏ちゃんに、慌ててシーと、人差し指を口の前で立てる。
知夏ちゃんは口を手で押さえて、それから小さな声で聞いてきた。
「は、速くないですか結婚?だって健人さんと別れてから、まだ一週間もしてない……」
「あー、それねぇ」
そうなのだ。期限つき契約結婚だし、結婚したかったから渡りに船で結婚しちゃっただなんて、良識ある大人ならやらない。
もし知夏ちゃんが今の私の立場なら、全力で考え直すように言い聞かすだろう。
「いろいろあってねぇ……」
「えー、それ大丈夫ですか?」
「心配はしてないよ別に」
だって、一年間だけだからね。龍也が一年のまで受かろうと落ちようと、設けれた期間は一年。それぐらいの我慢なんて、楽勝だ。
だけどそれは口が裂けても言えず、もちろん知夏ちゃんだって知るよしもない。
「あのぉ、出しゃばりかもしれませんけどぉ。結婚って私、好きとか心配とかじゃないと思うんです。好きっていうのは、大事ですけど。けど、一番大事なのは、一緒に苦労できるか、だと思うんです」
正直色々衝撃受けまくってすけど、私、先輩の旦那様の事知らないですけど。そういう人なら、私も安心です。
そう笑って言ってくれる知夏ちゃんに、私は何も言えなかった。
一見チャラチャラしてる様に見えて、私なんかより自分ってものを持っている知夏ちゃん。
私は、我が身かわいさで龍也と結婚した。うまくいかないのも、当然かもしれない。
――――――――――
「 あの〜、課長」
ん、と目の前の書類から、部長が顔を上げた。最近寝不足が続いているのか、大分疲れきっている。是非ともすぐに帰宅してゆっくり休養をとってほしいが、まだ時計の針は3時をさしたばかり。
お疲れ様です、と心の中で唱える。
課長ーー瀬田敏樹は柚稀の5 歳ほど歳上の、将来有望な若者だ。
若くして課長になるだけの実力と、憔悴しながらもそして整っている容姿。知夏ちゃんによると、疲れた顔も陰りがあって素敵だと、会社で主に女性から一定の支持を集めているらしい。
「……なんだ」
「えっと……お疲れですね」
魚のように死んでいる目でも、瀬田が睨めば凄みが出る。あまり瀬田を刺激しないように報告すべき事を伝える。
「つい先日結婚したんですよ。それで世良柚稀から、渡部柚稀になりました。仕事では世良のままで通すんですけど、手続とかありますし、一応ご報告を」
知夏ちゃんと同じようように、ポカンとする部長。あ、デジャ・ブだ。
「あのっ、決して危ない人し悪い人じゃないんで!婚約解消されて自棄になって結婚を決めたとかじゃないんで!自分でも結婚早いの自覚してますけど、そこは気にせずにいてくれたら」
恐る恐る、課長の顔を伺う。知夏ちゃんでさえ、私の急な結婚に意見したのだ。より大人の課長が、ノーコメントなはずがない。
案の定、輝きを失っていた課長の目に、少し元気が戻ったようだ。目が合う。それなりに長居付き合いのある私はわかる。
あ、お説教コースだ。
「お前、婚約者にフラれて何日目だ?」
「3日、ですかね」
「3日だな」
しばらく、沈黙が続く。なにも言ってこない無言の課長が、怖すぎる。
「フラれた奴とは何年も続いてたのに、結婚相手とは3日だぁ?ふざけるのも大概にしろ!」
いきなり課長がキレた。ビクッとする。幸い小声だったので、周りからの視線は集まらなかった。
課長が怒るのも、無理はない。私がもし事情を知らない今の課長の立場なら、同じように怒る。当然怒る。勿論怒る。
「本当にふざけた話だとは思うんですけど、驚いたたことにふざけてないんですよ。お互い真剣でして」
嘘はついてない。龍也は弁護士になるためだし、私は結婚するため。お互いの利益を純粋に求めた、真剣な結婚だ。
契約結婚というのが、唯一のふざけた点ではあるかもしれないけど。
「大丈夫です、私達うまくやれちゃうんで!ご心配なく!」
ちらりと朝の喧嘩が頭をよぎったけど。
今の私は、悟っているのだ。私達は別に好きあっている訳じゃないから、龍也の言葉に一喜一憂する必要はない。
ただ、気にしなければいいだけ。
「お前は……満足なのか?」
「え?そりゃ、まあ」
契約とはいえ、結婚できちゃったんだし。しかも同居だから、アパートの家賃代が浮くし帰る家も確保された。家の質も生活の質も上がりで、満足しかない。
けれど課長は、どこか言いづらそうに、口をもごもごとさせた。
「未練とか、嫉妬とか。そういう気持ちは、ケリがついたのか」
龍也との結婚、ご挨拶、同居の準備に喧嘩。いろいろありすぎて考える暇も無かったけど、今それを突きつけられると痛い。
健人と真紀には、怒りを通り越して本当に呆れた。結婚間近の花嫁がいるのに、よく不倫なんかできたなって思う。
バカだって思った。思わなきゃならなかった。健人は、真紀はバカだから。ずっとバカに執着してるなんて、私もバカじゃないかって。
そう言い聞かせないと、自分が惨めに思えた。
龍也と結婚したからって、健人への気持ちが0になった訳じゃない。龍也との結婚生活の一年という時間の中で、忘れようかなって思っている。
要するに、私には課長のしている心配がピタリと当てはまる。
まだ、健人が好き。
だけど私は、それを表に出してはいけない。
「健人とは、別れてサッパリしました。学習しました、結婚は期間じゃないです。一緒に苦労できるかです」
知夏ちゃんに言われた事だ。
今考えれば、健人と一緒に苦労するなんて考えた事がなかった。
好きという気持ちだけで、突っ走ってきていた。
私は龍也と一緒に苦労する事はないだろう。一年だ。そんな短い期間で、一緒に苦労する事なんて、あるとしても些細な事だろう。
それでも、健人と結婚しなくて正解。だから私は、笑顔で言わなければいけない。
「私、今の旦那好きですから。健人なんて、かすんじゃうぐらい。外れくじを譲る形になって申し訳ないぐらいですよ」
「ふぅん……」
お前が良いと言うならば、俺はそれで構わんがな。
そう言って課長は、しっしと私を追い払う仕草をした。
失礼しましたと課長に一礼して、私は自分のデスクに戻る。
席に着いた途端、疲れが一気にやって来た。結婚の報告というものは、こんなに疲れるんだ。
これから大事な会議があるのに、私大丈夫なんだろうか。
そんな心配をしつつ、私は会議に必要な資料の整理やら作成やらを始めた。




